第八十四話 正解への道
【 同日 0:16 礼拝堂 祈祷室 】
「今のは……」
ゴーンズの呟きが聞こえる。私は己の鼻と口許を手のひらで覆いながら、眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。これは儀式だ。
万象因果収束──、発動。
ほんの少し思案する程の時間に、私は全神経と全意識を集中させて、確率世界を網羅していく。
一度目は失敗だった。
マナとマギ、あの二人を連れて脱出する。それが最優先、最適解で間違いない。しかし、瞬間移動が不発に終わったのは、何故だろうか?
それに最後、私を撃ち抜いた魔法。魔力弾でも、火炎光線でも無かった。
分解。
間違いない。あれは第六位列術式魔法の変成術、分解に違いない。身体が穿たれるでも、燃えるでも、溶けるでも、弾けるでもなかった。単に解かれた。物質が物質として在る為の、構成要素と条件が、順に消失していく感覚。
忌々しい。今の私では、あの男に正面から魔法の撃ち合いを挑んだとしても、勝てる気がしない。それに、手下の数も多い。正確な人数は分からないが、非常に厄介だ。
「ゴーンズさん、敵の狙いはマナ皇妹殿下とマギ皇弟殿下の確保にあります」
「なんだって? 敵? これって敵の襲撃なのか? 海竜王国の連中か?」
「多分、違います。反皇帝派とか、革命を謳う者達でしょう。先ずは急ぎましょう」
私は取り急ぎ祈祷室を出て、エントランスで立ち止まった。ゴーンズさんは武装していない。下手に向かわせると、侵入者と遭遇して殺されるかもしれない。子供達と違って、身代金を請求できる相手もいないので、不要と判断される可能性が高い。
私は立ち止まり、振り返る。彼を礼拝室に留めて、告げる。
「ゴーンズさん、先ずはこれを……」
私は運命の女神に短い祈りを捧げる。神格から与えられた魔法の力が、自身の内に込み上げてくるのが分かる。私は手のひらを、彼の肩にそっと置いた。
「我が手に結びし命の縁よ、痛みと危機を祈りの内へ映せ」
祈りの言葉を紡ぐと、触れた相手の鼓動が聞こえ始める。
「──容態把握」
自身の胸の内に、少し温かいものが生じる。
「アルフォンス先生、今のは?」
「ちょっとした情報収集です。気にしないで下さい。それより、ゴーンズさんは、見つかると殺される可能性もある。どこかに隠れて下さい」
「隠れるってどこへ……」
「建物を出れば見つかります。礼拝堂の中へ隠れて、中から施錠して下さい」
「分かりました」
私は自分で酷い事をしている。罪深い事をしている。その自覚はある。彼の目を見て、その姿を脳裏に焼き付けた後、礼拝堂を後にする。
今回は、マナ様とマギ様の救助は諦める。宿直のジークハルト先生と合流する。今、まともな戦力になる者は彼しかいない。それに宿直室で待機しているならば、外壁を越えて侵入してきた者達を、警戒術で把握しているはずだ。
渡り廊下を抜けて本校舎へと入る。こちら側は侵入者がまだ来ていない。中庭を横目に見ながら、真っ直ぐに宿直室を目指す。乱れる足音。金属と金属がぶつかる音。怒号。戦闘音が聞こえてくる。
「警告はしたぞ」
ジークハルト先生は、既に抜剣していた。三名の仮面を付けた侵入者が廊下に転がっている。爆発からまだ三分も経過していない。その間に、もうこれだけの相手を倒したのか……。
だが彼もまた、左肩を抑え、右足を引きずっている。恐らく奇襲を受けたのだろう。教師の宿直室は、警備室を兼ねている。武器も保管してある。真っ先に狙われるのは当然だ。ここは奇襲を凌いで、ここまで応戦できている事を褒めるべきだ。
突如。
ジークハルト先生が不自然なタイミングで振り返った。
打撃音。
そして額から血を飛び散らせた。
「うっ」
背後からの一撃だった。攻撃をした事で、不可視化の効果が切れて、仮面を被った侵入者の姿が現れる。手には金属製の戦棍を持っている。
打たれたのは頭部だ。当たり所が悪ければ死ぬ。後頭部だったら命も危なかった。彼は間一髪で、背後から迫る気配に気付けたから、振り返ることができた。まだ骨の硬い額部分で受ける事ができた。
しかし、敵はまだ三人も残っている。時間を掛けている暇はない。
私は袖の内側に仕込んだ呪文触媒用の隠しポケットから、右手は小さなガラス棒。左手は毛皮の切れ端一片を取り出す。
敵がこちらに気付いて走り寄る。私はガラス棒の先端を毛皮で包む。
「白雷よ、我が指より走れ。示す道を貫け!」
詠唱と共に、毛皮と摩擦させて、ガラス棒を一気に引き抜き、その先端を突き向ける。
「──雷撃‼」
狙いは先頭の一人。うまい具合に三人が一列の直線で結べる。ジークハルト先生が倒れているのも好都合だ。攻撃に巻き込む心配がない。
雷鳴が轟いたような空気の裂ける音。
幾条もの雷光が、一直線の奔流となって、一人目の胸を穿ち、二人目の脇腹を貫き、三人目の顔面を焼いた。
焦死体が三つ。倒れて転がる音は一つに重なった。
一瞥を向ける事も、弔いの祈りも与えてやる必要はない。私はジークハルト先生の傍に駆け寄った。まだ生きている。もう死ぬかもしれない。だが、彼も軍人だ。
「ジークハルト先生、状況は?」
「最低でも三名、校長室へ向かった……、警戒術盤の反応は54名まで確認できた」
上出来だ。ここで知りたい情報は全て手に入った。
敵は警戒術を解除する必要を感じていない。そして、隠密作戦ではなく、人海戦術による速攻制圧作戦だ。
校長は人質となった生徒達を管理する為にも、必要不可欠な存在だろう。それに女性だし、おそらく直ぐに降伏する。ならば殺される事はない。放置だ。
それよりも次元封鎖を使って、私の瞬間移動を封じた者を探し出して無力化──おそらくは殺害する必要がある。
中庭。
ふと目をやると、その中央を突っ切る渡り廊下の真ん中。人が集まって輪になっていた。同じく仮面を付けていたが、全員が術士の魔道衣を身に纏っていた。
その数、十二名。
直感が告げる。あいつらだ。
しかし、その直後。私は雷撃を使った事を後悔した。
「ぐっ」
私に突き刺さる何十発もの魔力弾。
腕に、脚に、腹に、胸に、力場で構成された魔法の矢弾が刺さり、私の命を奪う。
咄嗟に出した魔力盾では、頭部を守って、意識を保つのが精一杯だった。
轟音と閃光。最短時間で敵を倒すためとはいえ、あんな呪文を放ってしまったばかりに、あの数の術士に気付かれて、先制攻撃を許してしまった。
だが問題はない。
倒れ行く中、私は二つの事を確認した。
一つ。彼らが中庭に据えていたのは、広域次元封鎖の触媒。つまりあの時、私をピンポイントで狙ったのではなく、この学院全体が、転移不能領域に変えられてしまったのだ。
そして、もう一つ。
容態把握で感じていた温もりが、段々と冷たくなっていった。つまり、魔法を通じて確認できるゴーンズさんの状態が、負傷から、重傷、そして死亡へと向かっている事実。
──────────。
【 同日 0:16 礼拝堂 祈祷室 】
「今のは……」
三回目の呟きが聞こえる。私は己の鼻と口許を手のひらで覆いながら、眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。これは起点がここであると迷わない為の儀式だ。
礼拝堂は施錠しても破られる。そして直ぐに発見されて、ゴーンズさんは殺される。
ジークハルト先生は応戦するも負傷する。だがあの様子では死にはしない。私が干渉しなければ、彼は負傷して捕虜となるだけで済む可能性が非常に高い。
校長も放っておいて問題ない。
中庭で発動される広域次元封鎖は、十二名の協力による合体詠唱だ。範囲も広いし効果時間も長い。それに、あの人数。全員が攻撃呪文を準備している。
あれを無力化した上で、マナ様とマギ様を安全に確保する事は不可能だ。範囲魔法の奇襲一発で、十二名を同時に処理できたとしても、その間にお二人は分解を使える術士に確保されてしまう。
答えは出た。
最速で両殿下と合流し、広域次元封鎖が発動するよりも先に瞬間移動で脱出する。
だが、ゴーンズはどうする? 残る定員一名として連れて行くか?
いや、駄目だ。私と違って、初見であの寄宿舎の混乱を抜けて、両殿下の所へ最短時間で辿り着くことはできない。
別の場所に隠れて貰うしかない。学院の外壁は、全て敵の侵入経路として使われているだろう。最低でも54名だ。湖側を除く、全方位から迫っているとみて間違いない。
生徒達は、両殿下を失ったとしても、九大貴族の子息達もいるし、富豪の子らもいる。人質としての価値がある限り、彼らは殺されない。
厨房長のキャサリンは、夜間は舎監として寄宿舎にいるはずだ。彼女も女性だし、何人も籠城する事を考えたなら、必要不可欠な人員だ。殺されることは無いだろう。
やはり、問題はゴーンズさん、彼を死なせたくない。
「ゴーンズさん、敵襲です。この礼拝堂は直ぐに見つかって殺される。どこか適切な隠れ場所を知りませんか?」
「え? 敵襲? 隠れ場所? うーん、そう言われても……」
まずいですね。状況を説明している時間が勿体ない。こうしている間に、時間制限が来てしまう。
私はとりあえず再び彼に容態把握を発動してから、背中を押して送り出した。
「ともかく、どこかへ隠れて下さい。私は両殿下を救って来ます」
「あ、あぁ……」
直後、私は不可視化を使って、寄宿舎へ向かう。
マギ様と合流し、マナ様が二階から飛び降りた。
前々回より速い。
……だが、間に合わなかった。
瞬間移動は失敗し、私は再び分解によって塵となった。
しかし、ゴーンズさんの容態は、現時点では良好を維持していた。
──────────。
【 同日 0:16 礼拝堂 祈祷室 】
「今のは……」
四回目の呟きが聞こえる。儀式。
魔法を何度も使ったので、精神が限界に近い。
実際に魔力を消費している訳ではないが、その分だけ私の精神的負担と、脳への負荷は大きくなる。
もう次はない。
「ちょ、アルフォンス先生⁉」
私は走り出す。一分、一秒が惜しい。
「我が声よ、風に散るな。細き糸となり、選びし耳へ届け。」
祈祷室の扉を開きながら、指先をゴーンズさんに向ける。
「──伝声術」
「先生、これは?」
「後で説明します」
私は全力で走る。不可視化も使わない。私が無傷である事よりも、マギ様が一目で私と判断できる数秒の方が価値が高い。
「おい、止まれ!」
男の声が聞こえた。肩を携帯式弩の矢弾が掠めた。熱い痛み。
私は構わずに走る。運動は、そこまで得意ではないと言うのに……。
『ゴーンズさん、敵が来ます。あなたは見つかれば殺されます。必ずどこかへ隠れて下さい』
移動しながら、私は囁く。可能な限りの情報を彼に伝える。
やがて目的の部屋についた。少し開いた状態の扉、蹴り開けて中へ。
「マギ様、窓の外へ! マナ様と合流を!」
私は即座にマギ様の手を掴む。
「は、はい」
余計な質問は挟まない。賢い子だ。
私は窓を叩き割る。拳を硝子で切った。そんな些細な事は構わない。
「此処を閉じ、彼方を開け」
窓枠に脚を掛けながら詠唱を開始する。廊下をやって来る男達の足音も、まだ遠い。
「空間の皺よ、我が足もとに折り重なれ」
寄宿舎の外へと出て、芝生の上。マギ様と手を繋いだまま上を見上げる。マナ様が羽落術で降りて来る。
「距離は門となり、門は一歩となる」
着地まで待たない。その足首を掴む。これで三人で跳べる。
「──瞬間移動!」
成功。
私は正解の道へと辿り着いた。
幾重に分岐する確率世界を、これで確定とする。
ただ一つ。
ゴーンズさんの生死に関しては、不確定。
我が守護神、運命の女神様。
どうか彼をお導き下さいますよう──。




