表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第六章 冬の日々

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

92/95

第八十一話 湖上の約束

「大切な話って、なにさね」


 (はや)るつばめ先生を片手で制して、アルフォンス先生は咳払いをした。いつもの穏やかな表情、何食わぬ顔で言う。


「ヴァルクとエイデンの任務が、無事に終了しました」


「……え?」


 つばめ先生の声が、一瞬だけ抜けた。


「無事、なの?」


「はい。今回の特別任務については、すでに完了しています。来月には、二人ともこちらへ戻れる見込みです」


 つばめ先生は、しばらく黙っていた。怒るのか、笑うのか、泣くのか、そのどれにもなりきれない顔で、唇を引き結んでいる。


「……あんた」


「はい」


「あたしに内緒で、助けに行ったりしてないでしょうね?」


 アルフォンス先生は、ほんの少しだけ視線を逸らした。


「行きました」


「行ったの!?」


 つばめ先生が勢いよく立ち上がりかける。


「ちょっと、なんで誘ってくれなかったのよ!」


「ヴァン君とミコトさんを放置できませんから」


「それは、そうだけど……!」


 つばめ先生は言い返しかけて、結局、言葉を飲み込んだ。わたしとヴァンの名前を出されると、つばめ先生は強く出られないらしい。


「ずるいわね、あんた」


「必要な判断でした。それに私の力が無ければ、危ない場面でした」


万象因果収束(ミリオン・パスト)だっけ? それあれば無敵じゃない」


「いえ、弱点はあります。連続使用は、私の精神を喰らい、脳を焼きます。それに、私自身が行くことも見聞もきできない範囲は外れますし、何より最大で一日しか見れません」


「意外と制約も多いのね」


「はい。後は眠くなります」


「それで、普段からそんな感じなのね」


「はい。そうかもしれません」


 つばめ先生は大きく息を吐き、長椅子に座り直した。それでも、さっきより肩の力は抜けていて、ヴァルク先生とエイデン神父様が帰ってくるという事実が、少しずつ胸の中で形になっているように見えた。


「あの、つばめ先生」


「なに?」


「その……エイデン神父様の、プロポーズの話は、受けるんですか?」


 つばめ先生が固まった。アルフォンス先生は、静かに目を伏せる。


「ミコトちゃん」


「はい」


「そういうところ、思い切りがいいわね」


「す、すみません」


「謝らなくていいけど」


 つばめ先生は、少しだけ顔を赤くして横を向いた。


「そうね。気持ちの整理がついたらね」


「整理、ですか」


「ええ。あたしにも、色々あるのよ」


 それ以上は聞けなかった。でも、拒絶ではなかった。それだけで、少し嬉しくなる。


 つばめ先生は、今度はわたしを見た。


「そういうミコトちゃんこそ、ちゃんとお付き合い始めたの?」


「え」


「ヴァン君と」


「あ、えっと」


「好きです、って互いに気持ちを確認しただけじゃ、その先には進めないよ。特にヴァン君はね。あの子、自分から大事なものを欲しがるのが下手だから」


 つばめ先生はいつもの軽い調子で言ったけれど、目はちゃんと真面目だった。


「だから、ちゃんと恋人してきなさい」


「恋人……」


 その言葉だけで、顔が熱くなる。


 わたしとヴァンが、恋人。昨日、好きだと言ってもらえて、わたしも好きだと言った。でも、その言葉に名前をつけると、急に胸の奥が騒がしくなった。


「ただし、まだ一線は越えちゃだめだからね」


「い、ぃぃ一線、ですか……!?」


「そう。一線」


「え、えっと……子供だから、まだ早いってことですよね?」


 わたしが尋ねると、つばめ先生は少しだけ表情を改めた。


「まだ責任を取れないからよ。好きだから何をしてもいい、ってわけじゃないの。大事にしたいなら、ちゃんと待つことも覚えなさい。自分も、相手も、未来もね」


「……はい」


「まあ、手を繋ぐとか、少し寄り添うとか、そういうのはいいけど」


「つばめさん」


 アルフォンス先生が咳払いをした。


「具体的すぎます」


「必要でしょ。あんた、こういう話は絶対役に立たないもの」


「否定はしません」


「そして、あんた以上にできないのがヴァルク。絶対まともな性教育なんかしてない」


「それも否定しません」


「いい、ミコト。あの子は、年齢の割にバカみたいに強いけど、中身は子供なの。それも星級(ステラ・クラス)の子よりも、男女の話を知らない」


「たぶん、そんな気はしていました」


 つばめ先生は、わたしの肩をぽんと叩いた。


「でしょ? でも、怖がらなくていいわ。嬉しいなら嬉しいって言って、会いたいなら会いたいって言って、ちゃんと恋人になってきなさい」


「……はい」


 わたしは、小さく頷いた。


 ヴァンと、恋人になる。それは昨日よりも、もっとはっきりした約束のように思えた。


   *


 それからの日々は、驚くほど甘かった。


 朝、教室で目が合う。それだけで、胸の奥がそわそわした。ヴァンはいつもと同じ顔をしようとしていたけれど、わたしが小さく手を振ると、ほんの少しだけ耳が赤くなる。


 それを見て、わたしも赤くなる。何も変わっていないはずなのに、全てが変わっていた。


 隣の席で教本を開く時、指先が触れる。廊下を歩く時、歩幅を合わせてくれる。訓練場でヴァンが木剣を振る姿を見ていると、前よりもずっと格好よく見えて困った。


「ミコト」


「なんですか?」


「見すぎ」


「す、すみません」


「謝るな」


「でも」


「……嫌じゃない」


 そんなことを真顔で言うから、わたしはまた何も言えなくなる。


 放課後には、寄宿舎までの短い道のりを一緒に帰った。校舎裏の小道を歩き、湖の見える坂で少し立ち止まると、ヴァンはわたしの手を見て、それから顔を逸らした。


「手」


「うん?」


「繋いでいいか」


 わたしは慌てて頷いた。


「う、うん……」


 ヴァンの手は、少し硬かった。剣を握る手。わたしを助けてくれた手。その手が、今はそっとわたしの手を包んでいる。


 それだけで、世界が少し違って見えた。


「恋人、ですもんね」


 小さく言うと、ヴァンがこちらを見た。


「恋人? そうか、恋人か」


 今まで意識してない辺りが、とってもヴァンらしい。


「違うの?」


「違わない。恋人同士だ」


 迷いのない返事だった。その真っ直ぐさが嬉しくて、恥ずかしくて、胸がいっぱいになる。


「ヴァン」


「何だ」


「もう一回、言ってもいいですか」


「何を」


「好きです」


 ヴァンは、一瞬だけ黙った。それから、わたしの手を少しだけ強く握る。


「おれも好きだ」


 それだけで、一日分の幸せが増えた。


   *


 湖の上で星を見る約束の日は、その何日か後だった。


 夕食のあと、寄宿舎の一階カフェで窓の外を眺めていると、冬の空は澄んでいて、星がいつもより近く見えた。


「綺麗ですね」


「うん」


 ヴァンも窓の外を見ていた。


「湖の上だと、もっと綺麗だ」


「湖の上?」


「ああ。水に星が映る。上にも下にも星があるみたいになる」


「見たいです」


 思わず言ってしまった。けれど、すぐに現実を思い出す。


「でも、夜に出歩くのは……」


「駄目だな」


「うん」


 学院の規則もある。アルフォンス先生やつばめ先生に心配をかけるわけにもいかない。そう思っていたのに、ヴァンは少し考えてから言った。


「任せて」


「え?」


「少しだけなら、何とかなる」


「何とかって、何をするんですか」


「静かに出る」


「それは無断外出では」


「うん」


「うん、じゃありません」


 わたしは止めなければいけなかった。止めなければいけないと、ちゃんと分かっていた。


 でも、星の映る湖をヴァンと二人で見たい。その気持ちが、規則より少しだけ強かった。


 わたしは、夜の約束が楽しみでワクワクしていた。


   *


 夜。


 わたし達は、こっそり寄宿舎を抜け出した。


 つばめ先生に見つかったら、きっと怒られる。アルフォンス先生に見つかったら、たぶん微笑みながら全部見透かされる。だから、できるだけ音を立てずに廊下を歩き、外へ出た。


 冬の冷たい夜気が頬を刺す。けれど、ヴァンが手を握ってくれていると、不思議と寒さは怖くなかった。


「大丈夫か」


「うん」


「足元」


「大丈夫」


 ヴァンが何度も振り返って、わたしを気にかけてくれる。その度に、わたしの胸から頬までぽかぽかと温かくなる。


 桟橋に着くと、湖は驚くほど静かだった。ヴァンが手早くボートを出し、わたしはまたヴァンの手を取って乗り込む。小舟が少し揺れたけれど、この前よりも少しだけスムーズに乗り込めた気がした。


 ヴァンが櫂を入れる。水音が、夜に溶けていった。


 岸から離れるにつれて、学院の灯りが遠くなる。そして、空が広がった。


「……すごい」


 思わず声が漏れた。


 空一面の星。その下に、同じ星を映した湖。本当に、上にも下にも星があった。


 私の知っている夜空ではないけれど、似たような星の並びがあるのも面白い。黄道十二星座なんか、ほとんど同じだ。


 西の空には、牡牛座が傾いている。 南の空には獅子座、南東からは乙女座が顔を出している。でも、それらに纏わる物語、神々の話は私も知らない。


 未知なのに既知。既知なのに未知。なんだか不思議だ。


 ボートだけが、その不思議な星空を映した広い水面(みなも)の真ん中に浮かんでいる。


「星が綺麗ですね」


「うん」


「綺麗な夜……。()湖面(した)も、キラキラしてる」


「うん」


「ヴァンは、こんな素敵な景色、どうやって見つけたんですか?」


「兄貴が教えてくれた」


「ヴァルク先生に?」


「ああ。夜に抜け出して、怒られたらしい」


「怒られたんですか」


「うん」


 わたしは小さく笑った。ヴァンも少しだけ笑う。


 水面の星が揺れている。その揺れの中で、ヴァンの横顔が見えた。


 整った顔、鍛えられて逞しい身体、頼もしくて温かい手、湖面と同じ青い瞳に星明かりの粒が見える。少しの間、見惚れてしまった。


 近い。


 でも、もっと近づきたいと思った。


「ヴァン」


「何だ」


「隣に行っても、いいですか?」


「だめ、危ない。おれが行く」


 そう言って、ヴァンが隣に座る。わたしは少し横にズレて座る。


「ミコト。手、繋いで」


「うん」


 沈黙が落ちた。けれど、嫌な沈黙ではなかった。胸がうるさくて、言葉が出ないだけの沈黙だった。


「ミコト」


「はい」


「恋人なんだよな」


 ヴァンが、星ではなくわたしを見ていた。


「うん。わたし達は、恋人です」


「ミコト、恋人の次はどうする?」


 次。


「結婚か?」


 え?


「その後は、子供か?」


 ええ……!?


 ちょ、ちょちょちょ……早い早い! つばめ先生の予想通りだった。


 わたしは、一度深呼吸したあと、コホンと咳払いをし、ヴァンに向き直る。火照った顔ではなく、できるだけ真面目な顔で。


「ヴァン。物事には順序と、相応しい時があります」


「順序と、相応しい時」


「そうです」


「分かった。それじゃ、ちゃんとしよう」


「なにを?」


「事故じゃなく」


「!? そ、それって……」


 キスのことですか!?…とは口に出せないまま、わたしは動揺で固まってしまった。頭でそう思い当たった瞬間、胸の奥が熱くなる。顔が熱い。


 ヴァンの目が、少し揺れた。おそらく、口にしなくても、わたしが思い当たったことは伝わっているみたいだった。


「そう」


 ヴァンはそこで止まった。珍しく迷っている。


「……いいか?」


 何を、と聞くまでもない。


 顔が熱くなる。人命救助でも、事故でもない。これが初めてだ。


 わたしの、初めてになる。


「はい」


 声が、生まれたての子猫みたいに小さく震えた。


 ヴァンが少しだけ近づく。わたしも、目を閉じた。


 吐息が掛かる。ヴァンも緊張しているのか、その吐息は微かに震えていた。どくんどくんと高鳴る心臓の音が、互いに聞こえてしまいそう。


 唇に、温かいものが触れた。


 ほんの短いキスだった。驚くほど静かで、驚くほど優しい。ふわりと触れて、そっと離れる。それだけなのに、胸の奥がいっぱいになった。


 これが、恋人同士のくちづけ。


 わたしとヴァンの、はじめて。


 目を開けると、ヴァンがすぐ近くにいた。


 星の光が、ヴァンの瞳に映っている。わたしも、きっと同じ顔をしている。


 唇が離れたあとも、すぐには言葉が出なかった。ヴァンがわたしを見ていて、わたしもヴァンを見ている。


 湖の上には、星の光が落ちていた。


 わたし達は、本当に恋人になったのだと思った。この世界で、この湖の上で、会いたい人、帰る場所、帰るべき約束ができた。


 しあわせだ、と思った。こんな時間がずっと続けば…… 。


 その時だった。


 夜の向こうで、光が弾けた。


 ────え? 


 続いて、大きな爆音が轟いた。


 見れば、学院に火の手が上がっていた。


 広がる黒煙に、星々は隠れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ