第七十九話 告白
真面目な話。
おれは、アレの正体に気付いている。
それが何時から始まったのかは、正確には分からない。
湖に落ちたミコトを助けて、その顔を間近で見た時からだったのかもしれない。それは一目惚れというやつかもしれないし、違うかもしれない。
それとも、イネヴェアに呑まれなかった時かもしれないし、レオナを食堂で庇った時だったのかもしれない。
仔猫に、ルナって名付けた時かもしれない。
毎日、隣の席で授業を受けていたからかもしれないし、落書きを見られたからかもしれない。
街へ二人で買い物に出かけた時だったかもしれないし、変な兄弟から守ろうとした時だったかもしれない。
一緒に狭いところに隠れて、顔が近くなった時だったかもしれないし、塔の階段で手を繋いだ時か、一緒に呪いの本に返事を書いた時かもしれない。
花火の計画を立てた時か、林間学校で釣りをした時か、イノシシで料理した時か。
学芸会で準備していた時か、白百合姫の姿を見て綺麗だと思った時か。
それとも、事故でくちづけをしてしまった時か。
いいや、それはアレの正体に気付く切っ掛けに過ぎない。
もしかすると、出会う前からそう決まっていたのかも知れない。
おれが泣いてる時も傍にいて、冬もずっと傍にいて。
まだ見てはいけないものを見そうになって。恥ずかしくなって。
色々な話をして、どんどん近くなって。
今朝、みんなと同じお菓子だったのが残念で。
でも今、特別なチョコを受け取って。
おれは今、はっきり言える。
「ミコト、好きだ」
「…!?」
足りないな。誤解される。
「おれが一番好きなのは、ミコト。…おまえだ」
ミコトが挙動不審になっている。
「……い、いつから、ですか?」
「最初からだと思う」
一瞬、ミコトの目が大きく見開かれた。
「その、ひ、一目惚れ……という、やつ、ですか?」
分からない。分からないけれど、一目見た時に、好意を抱いてたのは分かるから。
「多分それに近い」
ミコトの挙動不審が加速している。
「……わ、わたしみたいな得体が知れないものに」
確かにミコトは、分からないことが多い。故郷のこと。昔のこと。女神のこと。
でも。
「それは、多分この先もずっと一緒。分からないことがあるのは、おれも同じ」
ミコトは、少しキョトンとしている。
「……それに分からないことがあっても、ミコトはミコトだ」
ミコトの挙動不審が収まってきた。代わりに、思い詰めたような表情になって行く。
「……ヴァン」
ミコトは、胸の前で両手を握った。
「嬉しい」
声が、少し震えていた。
「……嬉しいです」
ミコトの声は震えていた。
「すごく、嬉しいです。そんなふうに言ってもらえるなんて、思ってなかったから」
その瞳が、潤んでいた。
「でも、返事は待ってください」
「どうして」
「ヴァンに、言ってないことがあるんです」
ミコトは胸の前で両手を握った。
「今は、まだ言えません。でも、隠し事をしたまま返事をするのは、違うと思うんです」
「隠し事?」
「はい。ヴァンは、まっすぐ言ってくれました。だから、わたしも、ちゃんとしたわたしで返事をしたい」
「ちゃんとした、ミコト?」
「嘘をついたまま、きみの隣に立ちたくないんです」
ミコトは泣きそうな顔で、それでも笑った。
「……でも、これは言っておきますね」
「ああ」
「わたしも、ヴァンが好きです。一番、好き」
胸の奥で、何かが音を立てた。
「だから、少しだけ待っていてくれませんか?」
「分かった。でも、いつまで?」
「わたしが、きみにちゃんと話せるようになるまで。……ふふ、わたし、ずるいことしちゃってますね」
ずるい? よく分からない。
「大丈夫。いつまでも待つ」
「ありがとうございます。…ヴァンは優しいですね。それじゃあ……、三日」
ミコトは、指を三本立てて微笑んだ。
「三日ください。その間に、女神さまと相談しますので」
「分かった」
それから三日間、おれは気が気でなかった。
*
2月15日、白虎曜日。
教室
おれは何事もないフリをして、学院生活を送った。
理由は分からないが、ハリスが昨日から蒼い顔をしている。
ゴーンズさんが、食堂のキャサリンさんからチョコを貰えなくて落ち込んでいる。
マリアンナ先輩が、ミシェル先輩と付き合うことになったらしい。
校長先生は、全滅したらしい。よく分からないけれど。
おれは教室で飛び交う噂話に、ほとんど関心が無い。
一日中、隣の席で何事もない風に生活をしているミコトを見ていた。
ミコトの事だけを考えていた。
*
2月16日、鳳凰曜日。
礼拝堂。
夜遅く。おれは相談に来ていた。
「それで、怪我しても保健室に来ないような君が、わざわざ来ちゃうんだ」
つばめ先生は、シスター服を着ているのに、家で過ごす時のように寛いでいる。脚を組んで、手にはお酒のグラス。多分、赤ワイン。
「おれは、どうしたらいい」
つばめ先生は、笑っている。絶対に面白がっているのが分かるから、ちょっと腹が立つ。でも今は、他に相談できる大人がいない。
「三日。そう言われたんでしょ? なら、どうもしなくていいわよ」
呆れたように言われた。お酒臭い。ちょっと相談相手を間違えたかも。
「どうもしないが、できない。落ち着かない」
「あはは、重症ねえ」
「つばめ先生は、何か知ってる?」
「知らない。知ってても教えない。だって、ミコトちゃんが自分から話すって言ったんでしょ? だったら待ちましょう」
「うん……」
「まあ、あたしも気にならないって言ったら嘘になるけれど、多分、アルフォンスなら知ってるかも。あれこれ隠し事が多過ぎる男だからね。なんで、どこに遠出してたのかも教えてくれないし……」
「あの人は、こわい。得体が知れない」
「魔法使いって、大抵がそういうもんだと覚えておきなさい」
「分かった。それで、落ち着かない。待つ以外に、どうしたらいい?」
「大人しく待てないのね。それじゃ、ヴァルクに言われた言葉を思い出しなさい」
「兄貴の言葉?」
「そう。騎士道だとか、紳士がどうので、女の子の扱いで、何か教わった言葉はない?」
騎士道とやらは、兄貴から色々と聞かされた。確か剣神の教えだったと思う。その中には男女に関することは特になかった。でも、紳士のマナーとか、そっちで教えられた事はある。
「ミコトを泣かせるな」
「そこ、女じゃなくて、ミコトなんだ」
「ミコトは女だろ?」
「そうね。ヴァン、君にとって女の子はミコトしかいないってことが、ようく分かったわ。お姉さん、なんだか嬉しい」
「どういう意味だ?」
「そのまま。ヴァンは、そのままでいい。そういう意味よ」
「よく分からないが、結局、どうしたらいい?」
「ミコトちゃんが三日って言ったんだから、三日だけ待つ。泣かせない」
「分かった。何もせず待てばいいんだな?」
「そうよ。ミコトちゃんに対してはね。でも、自分でやれることは続けな」
「やれること?」
つばめ先生は、おれの胸に拳を宛がった。
「そう。鍛錬を欠かさない。あの剣、あたしが預かってるんだからさ」
最近、ちょっとサボってた。爺ちゃんの教えだ。頑張ろう。
「うん、分かった」
*
2月17日、黒龍曜日。
三日目が来た。ミコトが、おれの机に手紙を入れていた。
『放課後、わたしを初めて見つけた場所へ来てください』
おれは学院の裏庭へ出ると、坂道の階段を降りて桟橋に向かった。西の空から差し込む夕陽が、湖を茜色に染めていた。桟橋には、既に人がいた。長く伸びる影。
フェルトンだ。
「なんだ、ヴァンか……」
気落ちしているように見える。いつもの高慢ちきで、人を見下したような態度が無い。学芸会の時は、すごく活き活きしていたのに、何があった? いや、今はそれよりミコトだ。
「ヴァン」
振り返ると、ミコトは階段の上にいた。スカートの裾が、風に揺れている。眼鏡が逆光で反射して、夜道で見付けた獣みたいな雰囲気になっている。
「ここ、ボートは今から用意する」
おれは、桟橋に泊めてあるボートの舫い綱を解き始める。
「え。おまえら、え?」
フェルトンが何か言いたそうにしているが、構ってられない。今はミコトを連れて、初めて出会った場所へ行く。ミコトの隠している事を、誰にも聞かれない場所で教えてもらうために。
「フェルトンさん。どうぞお気になさらず。横、失礼しますね」
ミコトが横をすり抜けてやって来た。おれはボートを片足で抑え、手を伸ばす。
「ミコト、足下に気をつけて」
「はい」
フェルトンが騒ぐ前に、おれは沖に向かってボートを漕ぎ出した。
夕暮れの水晶湖は、昼間とは別の湖だった。風は止み、水面は鏡のように夕焼け空を映している。
西の山並みへと、さらに深く沈みかけた陽が、湖を茜色から深い稲穂色へと染めていた。岸辺の針葉樹は長い影を落とし、遠くでは水鳥が羽を休めている。
櫂を一つ入れるたび、輪が幾重にも広がり、静かな湖面だけがゆっくりと揺れた。
音は少ない。
水を切る音。
木舟が軋む音。
それから、ときおりミコトの髪を揺らす風の音だけ。
向かいに座るミコトは、湖と、遠い空を見ていた。
頬に夕日を受けて、紫がかった黒髪が橙色に透ける。綺麗だと思った。
丸眼鏡の縁も、金色に縁取られていた。
膝の上へ揃えた手は静かで、肩の力も抜けている。
何も話していない。
それなのに、どこか嬉しそうで、少し不安そうでもあった。
「このへんでいいか」
おれは片側の櫂だけ強く水を掻いて、ボートの進路を緩やかに曲げて、後は惰性で進むのに任せた。円弧の軌道を描きながら、その内に止まるだろう。
おれは座板に腰をおろして、ミコトと向かい合った。
「いつでも、いいよ」
「……うん」
おれは急かさずに、待つことにした。
遠くで、水鳥が空へと飛び立った。
風が止んだ。
「────────あのね……」
暫く間をおいてから、ミコトは遠慮がちに口を開いた。
「あれから、女神さまに相談しようとしたんです。どうしたらいいですか? ……って、そしたら、何も答えてくれませんでした。聖夜祭を過ぎた頃から、以前にも増して声が聞こえてたのに」
いつもよく見かける、困ったような笑みを浮かべる。
「だから、結局自分で考えて、決めるしかありませんでした。……で、わたし、ヴァンに秘密を打ち明けることに決めたんです」
ミコトは自分の胸に手を当ててから、深呼吸をして、覚悟を決めたような表情をした。
「……わたし、普通じゃないんです。皆と、違うんです。女神さまの声が聞こえるから、じゃなくて……別の世界から来た人間なんです」
一度、空を見上げて、ミコトは遠くを見た。それは、もっと遠く、その先、その奥にある何かを見ようとしている。そんな風に思えた。
「前にいた世界で……わたしは、事故で死にました。女神さま曰く、一緒にいた家族は無事らしいのでその点は安心してるんですが……」
ミコトは、おれに視線を合わせて、寂しそうに笑っている。
「恋愛の女神さまにこの世界へと導かれた後、わたしは……本当は誰も、何も知らない、ひとりぼっちなんです。だから……和之国にも、家族はいません。皆に嘘を吐いて、暮らしてました」
ミコトは、思い詰めたように自分の両掌を見ている。
「この学院へ入学させてくださったアルフォンス先生には感謝しています。おかげで……ヴァン、ハリエット、ハリスさん、オーレリア、ローティさん、ロイさん、つばめ先生や皆さんとも出会えました。でも、皆が学院を卒業してしまったら、わたしは……行くところがありません。帰る場所も、ありません」
手を下ろし、眉を下げて笑うミコト。少し無理して笑ってる。
「わたし、この世界では、どこにも根っこがないんです。そのせいで、……ヴァンに、もしかしたら、辛い思いをさせるかも、しれなくて……わたしは……それが、たまらなくて……こわいし、辛い……」
ミコトは、自分を抱きかかえるようにして、顔を伏せた。
「それに、…あの、……ヴァンはレオナちゃんとの方がお似合いなんじゃないか、って……だって、身を挺して守ったり、背中に負ぶってきた時には、もう呼び捨て同士になってて……」
言ってる途中でミコトの声が、どんどん小さくなる。
「……すみません。正直、ちょっとだけやきもち焼いてました。こんな……誰かにすぐ嫉妬しちゃうようなわたしじゃ、いつも静かで、強くて、優しいヴァンには、不釣り合いじゃないかって……」
おれは聞いた。
正直、よく分からないことも多い。
だが、はっきりした。
おれは間違っていた。
おれの答えは変わった。
「ミコト、おれは……」




