第七十七話 越冬
「これを、ミコトに……」
おれは、黒い星結函を差し出した。金色の縁取りは、糸を縫い付けたものだ。ハリエットに道具を借りて、やり方を習った。ルナっぽい感じを出そうと思ったけれど、なんか違う風になってしまった。
「わたしに、ですか?」
「ああ。おれが作った」
ミコトは少し目を丸くして、それから両手で受け取った。大事そうに抱えて、目を閉じている。その姿は、見ているこっちも幸せになる。
「あけてもいい?」
「もちろん」
「ふふ、なんだろうね。ミコトちゃん」
「ヴァンからの贈り物だなんて、楽しみです」
ミコトは端から見ても、ウキウキした様子で箱を開けた。そんな箱、直ぐに破ってしまっても構わないのに、丁寧に紐を解く辺りがミコトらしくて、なんだかアレだ。
中には、黒っぽい焦げ茶色の革で作られた眼鏡ケースが入っている。いつも置場所に困っている気がして、それを作ることに決めた。
素材はイノシシの革だ。林間学校の時、四人で倒した獲物。下処理して、鞣して、寸法を測って、切って、縫い合わせて、裏鋲を打って、磨けば宝石のように光る木を、短い牙の形に削って、それから革紐で結んで留め具にした。
蓋の裏側には、『美命』と焼き文字を入れてある。オーレリアから聞いておいた冠字で書いたミコトの名前だ。
「わぁ、ありがとうございます!」
ミコトは嬉しそうに眼鏡ケースを抱きしめた。それから眼鏡を外して、ケースに納めてみたり、出してみたりしている。
夏頃、ローティは言っていた。ミコトは眼鏡を掛けない方が可愛いと。だが、おれはそう思わない。ミコトはアレだから、どっちも可愛い。
「若いって、いいわねぇ」
つばめ先生が湯呑みを片手に、おれを見てニヤニヤと笑っている。もしかして、アレに気付いているのか?
「つばめ先生、顔がうるさい」
「あら、ごめんあそばせ~? ふふふ……」
絶対、面白がられている。
*
聖夜祭が過ぎても、冬は続いた。
雪が降った。溶けた。また降った。太陽神の加護に溢れた晴れの日。月女神の祝福に満ちた明るい夜。日々は続いた。
掃除。洗濯。料理。暖炉。買い出し。ルナの世話。勉強。読書。それだけの日が続いた。他にも、おれは薪を割った。灰を捨てた。水を汲んだ。ミコトは薪をくべた。灰を集めた。皿を洗った。おれ達は、同じ家で冬を過ごした。
アルフォンス先生の家は広く、一階と二階にそれぞれトイレがあった。男女で使う場所を分ければ、それで問題はなかった。
問題があるとすれば、風呂だった。
順番は決めていた。つばめ先生かミコト、おれは最後。だから間違えるはずは、決してなかった。入口には札も掛ける。だから決してなかったはずなのに、その日は「空き」の札が掛かっていた。
おれは脱衣所の戸を開けた。
「……え」
中に、ミコトがいた。髪をほどいて、脱いだ服を抱えて、肩越しに振り返っている。白い背中が見えた気がした。おれとミコトは、同時に固まった。
「す……、すいません!」
ミコトが一秒で謝った。多分、札を裏返し忘れていたからだと思うけれど。念のために声を掛けなかったおれの責任だ。
「……いや、おれが悪い」
おれも三秒で戸を閉めた。
廊下に立ったまま、しばらく動けなかった。
おれの顔と、耳が赤い。これはもう、アレだ。
*
皇國歴、改め帝國歴1003年、覇竜12年、1月1日、日曜日。
新しい年が来た。つばめ先生とミコトが、和之国の風習だからと、年越し料理とかいうものを作った。和之国の材料と同じものは、ほとんど手に入らない。だから、あるもので似た形にするらしい。
木箱に似た深い器の中に、色とりどりの料理が少しずつ詰められている。焼き色のついた山鳥。照りのある海老。黄金色に甘く煮た栗。黒く艶のある豆。丸めた冬菜。薄く切られた根菜。赤と白の魚肉を巻いたもの。魚の卵を漬けた、粒の細かい橙色の塊。細い黒麦麺。山鳥の出汁。よく分からない海産物。
どれも量は少ないのに、ひとつひとつが妙に丁寧で、ただ腹を満たすための料理ではないことは、おれにも分かった。
「ヴァン。これ、ちょっと味見してください」
おれは、何気なくミコトが差し出したスプーンで、味噌とやらで濁った汁を口にした。製法はよく分からないけれど、多分、豆と魚から作った何かだと思った。
「うまい。……と、思う」
馴染みのない味だったけれど、本当にそう思った。だがそれよりも、ミコトに食べさせて貰ったことの方が、なんだか気になった。
「これが、和之国自慢の年越し料理よ」
つばめ先生が少し誇らしそうに言った。ミコトも、胸を張っている。
次に味見したのは、黒い豆だった。見た目は地味だが、噛むとほろりと柔らかく、甘い。砂糖だけの甘さではなく、豆の奥にある土っぽい香りと、ほんの少しの塩気があって、後味がしつこくなかった。
それから、栗を甘くしたものを口に入れる。これは分かりやすい。ほくほくして、舌の上で崩れる。甘いのに重すぎず、冬の寒い朝に食べると、腹の奥からじんわり温まる感じがした。
山鳥は、皮に薄く焼き目がついていた。噛むと脂が滲み、甘辛いタレの味が肉に絡んでいる。普段食べる焼き鳥より上品で、けれど物足りないわけではない。噛むほどに肉の旨味が出て、汁物が欲しくなる。
こっちの汁物は澄んでいた。けれど味は薄くない。山鳥の出汁と根菜の甘みが、湯気と一緒に鼻へ抜ける。冬菜は少し苦く、その苦味がかえって汁の甘さを引き締めていた。そこへ黒麦麺を啜ると、柔らかいのに芯のある香りがして、不思議と落ち着く味だった。
「うまい」
今度は強い確信をもって、おれはそう言った。
ミコトはつばめ先生と一緒に、「よしっ」と両手でハイタッチしていた。
おれは、ミコトが作ってくれたから。とは言えなかった。
*
掃除の時、ミコトが革手帳を落とした。オーレリアから貰った二代目の日記帳らしい。床の上で、頁が開いた。おれは拾い上げて、ミコトに渡す。その時、少しだけ書かれていることが見えてしまった。
薪。おれの名前。
掃除。洗濯。おれの名前。
ルナ。おれの名前。
黒麦麺。おれの名前。
皇國将棋。おれの名前。
つばめ先生のお茶。手袋。眼鏡ケース。おれの名前。
思った以上に、おれが頻繁に登場していた。ミコトの手帳の中に、おれがいる。しかも、たくさんいる。そう思った瞬間、胸の奥が熱くなった。嬉しいのとは少し違う。安心とも違う。ミコトも、もしかするとアレなのかもしれない。そう思うと、その日の夜、おれは少し眠れなかった。
*
聖輪樹は、年が明けてから何日も、外さないで扉に掛けたままだった。帰ってくる者のための道として、爺ちゃんのやり方に従って、ちゃんと閉じずに少しだけ隙間を開けてある。
「ヴァルク先生と、エイデン神父様、無事に戻って来るよね?」
不意に、ミコトがこぼした。つばめ先生は、直ぐに笑った。
「当たり前でしょ。あいつら、殺しても死なないのよ。試してみたから間違いない」
「えぇ!? 本当ですか?」
いや、たぶん今のは冗談だろう。そうやって、あっさり真に受けてしまう素直なところも、おれはアレだ。おれはもう、気付いている。このアレは、アレだ。
「ふふ、冗談に決まってるじゃない。可愛いんだから」
ミコトが、つばめ先生にむぎゅられている。なんだか、見ているのはいけないことのような気がして、おれは目線を逸らした。
窓の外、積雪の残る景色を見ながら、来年も、こうしていられたら。そう思った時、おれの中で、ミコトが特別になった。
いや。たぶん、前からそうだった。
おれが、冬を越した今になって、ようやく気づいただけだ。アレに。
*
1月9日、海竜曜日。
越冬の時は過ぎて、七聖学院に新学期がやって来た。
朝の陽級の教室はうるさかった。椅子を引く音。鞄を置く音。冬休みの話。寒いという声。笑い声。
ハリエットが駆け寄ってきた。
「ヴァン君、ミコトちゃん、おひさしぶり!」
「おはよう、ヴァン。ミコト。元気そうだな」
ハリスもいた。
「おはようございます、ハリエット、ハリスさん」
ミコトが丁寧に頭を下げる。ハリエットはほっとしたように笑った。
「みんな、冬休みの間に起きた事を教えて欲しいのよぅ」
早速、オーレリアは記録係の構えだ。でもそれより、机の上に置かれた小型魔道人形が、すごく気になった。
「おいおい、なんだこれ? オーレリアの?」
ローティは相変わらずだった。
「ロイ様に貰ったのよぅ。それを改造したのよぅ」
「触ってもいい?」
「ローティは、壊すからダメなのよぅ。壊したら、五倍の値段で弁償させるのよぅ」
「それは酷くない!?」
教室に日常が戻ってくる。
そう思った時、知らない男子がミコトに声をかけた。陽級三年の先輩だ。
「ミコトさん、ミコト・サトーさんですよね?」
「はい?」
そいつは、手に持った花束を差し出しながら言った。
「あの、学芸会の舞台、すごく良かったです。白百合姫、すごく似合ってました」
ミコトは困ったように頭を下げた。
「あ、ありがとうございます」
胸の奥がざらついた。
「白百合姫効果なのよぅ」
オーレリアが記録帳に何やら書き込む。
「つきましては、結婚を前提にお付き合いをしませんか?」
そいつが、なにかほざいた。
「え、ええ……?」
ミコトは本気で困っている。白百合姫。白い衣装。照明。黒騎士に守られる姫。おれの方へ伸ばされた手。ミコトが褒められるのは悪いことではない。頑張ったのだから、褒められていい。誰かに好かれるのも仕方ない。あの時も、ミコトは綺麗だった。だから、貴族の子供達が、結婚相手に選ぶのも仕方ない。
分かっている。ここは、そういう事も普通に起こる場所だ。学院の学びで得られる教養だけではなく、人脈を築くことも視野に入れている。そういう教育方針。
それは分かっている。分かっているのに、気に入らない。
また別の男子が来た。今度は後輩だ。
「あの、ミコト先輩ですよね? これ、冬休みに街で買った焼き菓子なんですけど」
ミコトはさらに困った顔をした。
「あ、ありがとうございます。でも、わたし一人では……」
「皆で食べればいいじゃん」
ローティが言った。おれはそちらを見る。
「何だよ」
「何でもない」
おれはローティよりも、その先輩と後輩を見る。というよりは睨む。
「なんか怒ってね?」
「怒ってない」
ハリスがため息をついた。
「ローティ、ちょっと黙れ」
「だから何で俺だけ」
「お前が一番うるさいからだ」
ミコトは花束と焼き菓子の包みを受け取って、何度も頭を下げていた。
この生徒達は、悪い奴ではない。それが余計に面倒だった。相手が悪い奴なら分かりやすい。追い払えばいい。敵なら倒せばいい。止めればいい。おれが、ミコトの前に立てばいい。あるいは立って、庇って、盾になればいい。
でも、そいつらはただミコトを見て、褒めて、贈り物を渡しているだけだ。おれが何かする権利はない。ミコトが選ぶことだから、黙って見守る。
「ごめんなさい。そういうのは、遠慮しています」
ミコトが、ぺこぺこ頭を下げて、そいつらにお帰りを願っている。気が変わったらどうとか、また来るとか何とか言って、そいつらは教室から出て行ったけれど、正直そいつらが何を言ったかは、どうでも良かった。
「すみません。何だか、いただいてしまいました」
「いいんじゃないか。皆で食べれば」
ハリスが言うと、ミコトはほっとしたように笑った。その顔を見て、胸のざらつきと、おそらく不安? 敵意? よく分からないが黒いモノが少し消える。でも、全部は消えていないような気もする。
「ミコト、人気だな」
ローティが言った。
「人気、ですか?」
「白百合姫だったしな。そりゃ目立つだろ」
「でも、あれは劇で……」
「劇でも、綺麗だったのは本当なのよぅ」
オーレリアが言った。ミコトは耳まで赤くなる。
「そ、そういうことを言われると困ります」
「困るミコトも記録対象なのよぅ」
「だだだだ、だめ! 記録しちゃダメ!」
教室に笑いが起きた。いつもの空気に戻ったように見えた。でも、おれだけは戻れなかった。ミコトが誰かに褒められる。誰かに見られる。誰かに話しかけられる。
それは悪いことではない。分かっている。ミコトは頑張った。綺麗だった。褒められていい。分かっている。分かっているのに、気に入らない。
分かっている。これは間違っている。おれは勝手に、ミコトを自分のものみたいに思っている。でも、ミコトはおれのものじゃない。ミコトはミコトのもので、誰のものでもない。そのことが、ひどく落ち着かなかった。
その時、教室の扉が開いて、アルフォンス先生が入ってきた。
「ミコトさん」
「はい?」
アルフォンス先生は、いつもの穏やかな顔で言った。
「あなたに呼び出しです」
教室に少し緊張が走った。
「わたし、ですか?」
「はい。校長先生がお呼びです」




