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緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第六章 冬の日々

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第七十四話 あずかりもの

「ひゃっ!?」


 やってしまった。私は変な声を出してしまった。でも仕方がありません。だって、そこには愛しのエドワード様が立っていらしたのだから。


 冬の午後の光の中、外套の襟元はきちんと整えられていて、手袋をはめた指先までいつものように上品だった。背筋はまっすぐで、こちらを見る優しい目は、木漏れ日のように穏やかで、微笑みはいつも通り春の雪解けみたいに暖かい。


 つまり、私の心臓に悪かった。


「ごきげんよう、ハリエット嬢」


「ご、ごきげんよう、エドワード様」


 ちゃんと言えた。


 たぶん、言えたと思う。


 声が少し裏返っていた気もするけれど、それは聞こえなかったことにしたい。


 エドワード様の隣には、ヴァルク先生もいた。


「よう」


 大きな身体に、厚手の外套。片手には紙袋を抱えている。いつものように人懐こく笑っているのに、その姿は少しだけ、学院の先生ではなく、遠くへ行く旅人みたいに見えた。


「それにしても、今の扉は……?」


 ミコトちゃんが、開いたままの屋敷の扉を見ている。


見えざる従者(クラール・ディーラー)


 初歩的な術式魔法で、家事のお手伝いに使うことが多い。


「ミコトさん、ですよね? 驚かなくても大丈夫、それは見えない召使いみたいなもの。アルフォンスの魔法ですから」


「なるほど。見えないのに、いるんですね」


 エドワード様が、穏やかに答えた。そういえば、ミコトちゃんと顔合わせするのは、これが初めてだった。


「ええと。ミコトちゃん、こちらは……」


「エドワードさんですね。お話は、ハリエットから常々たっぷり聞かされています」


「ハリエットは、いつもエドワード様のお話ばかりなのよぅ」


「ちょ、ちょっと二人とも!?」


 恥ずかしい。本当のことだけど。エドワード様の前だと、恥ずかし過ぎる。


「皆様、ようこそいらっしゃいました」


 アルフォンス先生が、家の扉を開いていた。その横から、つばめ先生がひょっこり顔を出して、アルフォンス先生を押し退けて走って来た。今日の衣装は、普段のシスター服とは違って、少し大人っぽくて、それでいて可愛らしい装いだった。


「三人ともいらっしゃい」


「わしらもおるき」


「あら、いたの?」


「いたの? やない。まっこと、おんしは……」


 つばめ先生が、茶目っ気あることは知っていたけれど、プライベートだとこんな感じだっていうのは意外だった。エドワード様は、慣れた様子で微笑んでいらっしゃる。


「さあ、皆さん、玄関先で立ち話をしていては冷えてしまいますよ」


「はい、お邪魔します」

「はーい、お邪魔するのよぅ」


 アルフォンス先生の招きに従って、家の中へと入る。暖炉の匂い。お茶の匂い。乾いた草と、少し清らかな水のような匂い。廊下を抜けて居間へ入ると、床には幾つもの郵便小包が並んでいた


 そこにはソファに座ったエイデン神父様がいた。普段着で、細い目はいつも通り穏やかだった。お祈りをしていなくても、そこにいるだけで礼拝堂の空気を少し連れてきたように見える。


 ミコトちゃんが、小包を見て尋ねた。


「神父様、これは何ですか?」


「関係各所に送る星結函(ステラ・アルカ)です。我等は聖夜祭当日には不在ゆえに……」


 そうだった。エイデン神父様も、ヴァルク先生も、そして愛しのエドワード様も、戦地に赴かれるのでした。私は少し、胸の中に重たいものを感じて、俯いた。


「それじゃ、わたし達はどうすれば?」


 ミコトちゃんの問いはもっともだ。たぶん、それは昔から多くの人々が頭を悩ませてきたこと。会いたい時に、そばに一緒にいて欲しい時に、そうできない。


「その場合は、封と、時、これを守れば、贈り物の意味は失われません」


「封と、時」


「ええ。星結函は、開けるまでの約束も含めて贈り物ですから」


 つばめ先生が、手慣れた仕草で人数分のお茶を淹れ始める。


聖夜祭(アポカルダ)の夜は、配達人とか運び屋にとって、大忙しの日になるのよ」


「つばめさんの言う通りです。本来、星結函(ステラ・アルカ)は聖夜祭の夜に手渡すのがよいとされていますが、遠くにいる者、務めで離れる者、帰れない者もいます」


「それで郵送するんですね」


 ミコトちゃんは、物珍しそうに小包を眺めていた。宛名を書き終えた小包の中には、緋鋼皇國の切手と、緋鋼帝國の切手、両方が混じって貼られていた。


「これ、切手が二種類あるんですか?」


「そういう事は、歴史のアルフォンス先生に聞いた方がいい」


「ああ、それは今が過渡期だからですよ」


「過渡期?」


「国号が変わるのよぅ」


「ええ。新しい公文書や札には、既に帝國の名が使われ始めています。ですが、役所や組織の名称、古い建物の看板や、長く使われてきた祈りの言葉、それに歌や、人々の意識まで、名前が一夜で全て変わるわけではありません」


「そうなんですね……」


 ミコトちゃんは、自分の抱えている包みを見た。その中には、星結函(ステラ・アルカ)の箱がある。つばめ先生の分も、アルフォンス先生の分も、ヴァルク先生の分も、エイデン神父様の分も。もちろん、ヴァン君への分も。


 私も、エドワード様にお渡しするつもりで、星結函(ステラ・アルカ)の箱をいつも持ち歩いている。任務中でも邪魔にならないよう、小さな贈り物を用意した。


 薄く磨いた木の御守りで、片面には、小さな麦穂の焼き印。もう片面には、白い小花を押し花にして閉じ込めてある。端には、細い白紐が結ばれている。


 職人さんにお願いして、私の微傷治癒(キュア・メルキー)の魔法を閉じ込めておいた。ちょっとした掠り傷にしか効かないけれど。エドワード様の役に立って欲しい。


「ハリエット嬢」


 そのエドワード様から不意に名前を呼ばれて、私は心臓が止まりそうになった。


「は、はい」


 エドワード様が、懐から小さな箱を取り出した。薄い青色の紐で結ばれた、きれいな星結函(ステラ・アルカ)だった。


「これを、あなたに預けておきます」


 エドワード様から。私に。


「当日まで、開けずにいていただけますか」


「はわわ……、もちろんです。絶対に開けません」


「はい。信じています」


 信じています。今、私はその一言だけで、どんな厳しい冬でも越せる気がした。


 つばめ先生が、こちらを見てにやにやしていた。


「いいわねぇ。聖夜祭前って感じがしてきたじゃない」


「あの、エドワード様。私からも贈り物があります」


 私は用意しておいた小さな赤茶色の箱、星結函(ステラ・アルカ)を差し出した。


「ありがとう、ハリエット嬢。聖夜祭の日まで開けずに、大切に預かっておくよ」


 渡せた。ちゃんと渡せた。そして、ありがとうって言って貰えた。私は、その事実だけで、しばらく心も頭も、いっぱいに満たされていた。


「先生、わたしからも贈り物があります」


「ミコトちゃん、私からも」


「わしも、みんなぁの分を用意しちゅうぞ」


 気付けば、あちこちで贈り物合戦が始まっていた。はわわ……、エドワード様しか見えていなかった。他のみんなにも贈り物を渡しておかないと。


「ミコト」


 その時、ヴァルク先生が、声を掛けるのが聞こえた。


「あいつのこと、ありがとな」


「え? わたし、何かしましたか?」


「しちゅう。あいつが冬の間、一人で意地張らんですむがじゃ。そりゃ、大きい」


 ヴァン君のことだ。ミコトちゃんも、それに気付いたのか、やたら真面目な顔で頷いた。ヴァルク先生は、外套の内側から小さな箱を二つ取り出した。


「こっちはヴァンに。こっちはミコトに」


「私にも、ですか? ありがとうございます」


「おん。世話になるきに。それに、あいつはいつも素直に受け取らん。ほんに困ったやつじゃ」


 そう言いながらもヴァルク先生は、笑っていた。


「はい。分かりました。ちゃんと預かっておきます」


 ミコトちゃんは、二つの箱を両手で受け取った。ヴァン君への箱と、自分への箱。それを抱える横顔は、少し嬉しそうで、少し寂しそうにも見えた。


「ヴァルク、私の分は無いわけ?」


「すまん。皆に用意した分で、わしはもう金欠じゃ」


「なにそれ、ひっどーい」


 つばめ先生からの距離が、やたら近いように感じる。


「金欠じゃき、大したもんは買えん。わしの手作りで用意しちょいた。手荒れ用の膏薬じゃ」


「ちょっと、ネタバレしないでよ」


「おっと、こりゃすまんかったのう」


「まあいいけど」


 ブツブツ文句を言いながらも、つばめ先生はどこか嬉しそうだ。たぶん、きっと、そういうことなんだと思う。


「それから、爺さんの剣。あれも、一応預かっちょいてくれ」


「イヤよ」


 即答だった。


「生還して、自分の手で渡しなさい」


 ミコトちゃんが少しオロオロしている。かなり私も、はわわ……、している。オーレリアだけが興味津々で記録を取ろうとして、アルフォンス先生にペンを取り上げられていた。


「もしもの保険じゃ。必ず戻るき」


 しばらく沈黙した後、つばめ先生は溜め息を吐いた。


「分かったわよ。もう、まったく。男の人って、出かける前に急に大事なものを置いていくんだから」


 その言葉に、ヴァルク先生が少しだけ苦笑した。


「すまない、私もハリエットを置いていく……」


 エドワード様は、穏やかに目を伏せる。愛し過ぎて、くらくらして来た。


「ハリエット、大丈夫!?」


「エドワード様が、ハリエットを殺しに掛かっているのよぅ」


 ミコトちゃんとオーレリアが、私の心配をしてくれる。大丈夫、今の私は死んでも死なない。エドワード様から預かった星結函(ステラ・アルカ)がある限り。


「そうね。しあわせのお裾分け、はいはい、どうもありがとう」


 つばめ先生が、半ば自棄になっている。そっぽを向いて、聖輪樹(セント・リース)の鈴飾りを手に持った。


 エイデン神父様は、ほんの少し考えるように間を置いた。


「では、私も何か置いていきましょうか」


「何を?」


 つばめ先生が、何でもないことのように聞き返した。


「約束など」


「どんな?」


 つばめ先生は、飾りの紐に指を掛け、くるくる回している。


 エイデン神父様は、いつもの穏やかな声で言った。


「つばめ。戻ったら、結婚でもしますか」


 つばめ先生の手から、鈴飾りが落ちた。


 ちりん、と小さな音がした。

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