第七十四話 あずかりもの
「ひゃっ!?」
やってしまった。私は変な声を出してしまった。でも仕方がありません。だって、そこには愛しのエドワード様が立っていらしたのだから。
冬の午後の光の中、外套の襟元はきちんと整えられていて、手袋をはめた指先までいつものように上品だった。背筋はまっすぐで、こちらを見る優しい目は、木漏れ日のように穏やかで、微笑みはいつも通り春の雪解けみたいに暖かい。
つまり、私の心臓に悪かった。
「ごきげんよう、ハリエット嬢」
「ご、ごきげんよう、エドワード様」
ちゃんと言えた。
たぶん、言えたと思う。
声が少し裏返っていた気もするけれど、それは聞こえなかったことにしたい。
エドワード様の隣には、ヴァルク先生もいた。
「よう」
大きな身体に、厚手の外套。片手には紙袋を抱えている。いつものように人懐こく笑っているのに、その姿は少しだけ、学院の先生ではなく、遠くへ行く旅人みたいに見えた。
「それにしても、今の扉は……?」
ミコトちゃんが、開いたままの屋敷の扉を見ている。
見えざる従者。
初歩的な術式魔法で、家事のお手伝いに使うことが多い。
「ミコトさん、ですよね? 驚かなくても大丈夫、それは見えない召使いみたいなもの。アルフォンスの魔法ですから」
「なるほど。見えないのに、いるんですね」
エドワード様が、穏やかに答えた。そういえば、ミコトちゃんと顔合わせするのは、これが初めてだった。
「ええと。ミコトちゃん、こちらは……」
「エドワードさんですね。お話は、ハリエットから常々たっぷり聞かされています」
「ハリエットは、いつもエドワード様のお話ばかりなのよぅ」
「ちょ、ちょっと二人とも!?」
恥ずかしい。本当のことだけど。エドワード様の前だと、恥ずかし過ぎる。
「皆様、ようこそいらっしゃいました」
アルフォンス先生が、家の扉を開いていた。その横から、つばめ先生がひょっこり顔を出して、アルフォンス先生を押し退けて走って来た。今日の衣装は、普段のシスター服とは違って、少し大人っぽくて、それでいて可愛らしい装いだった。
「三人ともいらっしゃい」
「わしらもおるき」
「あら、いたの?」
「いたの? やない。まっこと、おんしは……」
つばめ先生が、茶目っ気あることは知っていたけれど、プライベートだとこんな感じだっていうのは意外だった。エドワード様は、慣れた様子で微笑んでいらっしゃる。
「さあ、皆さん、玄関先で立ち話をしていては冷えてしまいますよ」
「はい、お邪魔します」
「はーい、お邪魔するのよぅ」
アルフォンス先生の招きに従って、家の中へと入る。暖炉の匂い。お茶の匂い。乾いた草と、少し清らかな水のような匂い。廊下を抜けて居間へ入ると、床には幾つもの郵便小包が並んでいた
そこにはソファに座ったエイデン神父様がいた。普段着で、細い目はいつも通り穏やかだった。お祈りをしていなくても、そこにいるだけで礼拝堂の空気を少し連れてきたように見える。
ミコトちゃんが、小包を見て尋ねた。
「神父様、これは何ですか?」
「関係各所に送る星結函です。我等は聖夜祭当日には不在ゆえに……」
そうだった。エイデン神父様も、ヴァルク先生も、そして愛しのエドワード様も、戦地に赴かれるのでした。私は少し、胸の中に重たいものを感じて、俯いた。
「それじゃ、わたし達はどうすれば?」
ミコトちゃんの問いはもっともだ。たぶん、それは昔から多くの人々が頭を悩ませてきたこと。会いたい時に、そばに一緒にいて欲しい時に、そうできない。
「その場合は、封と、時、これを守れば、贈り物の意味は失われません」
「封と、時」
「ええ。星結函は、開けるまでの約束も含めて贈り物ですから」
つばめ先生が、手慣れた仕草で人数分のお茶を淹れ始める。
「聖夜祭の夜は、配達人とか運び屋にとって、大忙しの日になるのよ」
「つばめさんの言う通りです。本来、星結函は聖夜祭の夜に手渡すのがよいとされていますが、遠くにいる者、務めで離れる者、帰れない者もいます」
「それで郵送するんですね」
ミコトちゃんは、物珍しそうに小包を眺めていた。宛名を書き終えた小包の中には、緋鋼皇國の切手と、緋鋼帝國の切手、両方が混じって貼られていた。
「これ、切手が二種類あるんですか?」
「そういう事は、歴史のアルフォンス先生に聞いた方がいい」
「ああ、それは今が過渡期だからですよ」
「過渡期?」
「国号が変わるのよぅ」
「ええ。新しい公文書や札には、既に帝國の名が使われ始めています。ですが、役所や組織の名称、古い建物の看板や、長く使われてきた祈りの言葉、それに歌や、人々の意識まで、名前が一夜で全て変わるわけではありません」
「そうなんですね……」
ミコトちゃんは、自分の抱えている包みを見た。その中には、星結函の箱がある。つばめ先生の分も、アルフォンス先生の分も、ヴァルク先生の分も、エイデン神父様の分も。もちろん、ヴァン君への分も。
私も、エドワード様にお渡しするつもりで、星結函の箱をいつも持ち歩いている。任務中でも邪魔にならないよう、小さな贈り物を用意した。
薄く磨いた木の御守りで、片面には、小さな麦穂の焼き印。もう片面には、白い小花を押し花にして閉じ込めてある。端には、細い白紐が結ばれている。
職人さんにお願いして、私の微傷治癒の魔法を閉じ込めておいた。ちょっとした掠り傷にしか効かないけれど。エドワード様の役に立って欲しい。
「ハリエット嬢」
そのエドワード様から不意に名前を呼ばれて、私は心臓が止まりそうになった。
「は、はい」
エドワード様が、懐から小さな箱を取り出した。薄い青色の紐で結ばれた、きれいな星結函だった。
「これを、あなたに預けておきます」
エドワード様から。私に。
「当日まで、開けずにいていただけますか」
「はわわ……、もちろんです。絶対に開けません」
「はい。信じています」
信じています。今、私はその一言だけで、どんな厳しい冬でも越せる気がした。
つばめ先生が、こちらを見てにやにやしていた。
「いいわねぇ。聖夜祭前って感じがしてきたじゃない」
「あの、エドワード様。私からも贈り物があります」
私は用意しておいた小さな赤茶色の箱、星結函を差し出した。
「ありがとう、ハリエット嬢。聖夜祭の日まで開けずに、大切に預かっておくよ」
渡せた。ちゃんと渡せた。そして、ありがとうって言って貰えた。私は、その事実だけで、しばらく心も頭も、いっぱいに満たされていた。
「先生、わたしからも贈り物があります」
「ミコトちゃん、私からも」
「わしも、みんなぁの分を用意しちゅうぞ」
気付けば、あちこちで贈り物合戦が始まっていた。はわわ……、エドワード様しか見えていなかった。他のみんなにも贈り物を渡しておかないと。
「ミコト」
その時、ヴァルク先生が、声を掛けるのが聞こえた。
「あいつのこと、ありがとな」
「え? わたし、何かしましたか?」
「しちゅう。あいつが冬の間、一人で意地張らんですむがじゃ。そりゃ、大きい」
ヴァン君のことだ。ミコトちゃんも、それに気付いたのか、やたら真面目な顔で頷いた。ヴァルク先生は、外套の内側から小さな箱を二つ取り出した。
「こっちはヴァンに。こっちはミコトに」
「私にも、ですか? ありがとうございます」
「おん。世話になるきに。それに、あいつはいつも素直に受け取らん。ほんに困ったやつじゃ」
そう言いながらもヴァルク先生は、笑っていた。
「はい。分かりました。ちゃんと預かっておきます」
ミコトちゃんは、二つの箱を両手で受け取った。ヴァン君への箱と、自分への箱。それを抱える横顔は、少し嬉しそうで、少し寂しそうにも見えた。
「ヴァルク、私の分は無いわけ?」
「すまん。皆に用意した分で、わしはもう金欠じゃ」
「なにそれ、ひっどーい」
つばめ先生からの距離が、やたら近いように感じる。
「金欠じゃき、大したもんは買えん。わしの手作りで用意しちょいた。手荒れ用の膏薬じゃ」
「ちょっと、ネタバレしないでよ」
「おっと、こりゃすまんかったのう」
「まあいいけど」
ブツブツ文句を言いながらも、つばめ先生はどこか嬉しそうだ。たぶん、きっと、そういうことなんだと思う。
「それから、爺さんの剣。あれも、一応預かっちょいてくれ」
「イヤよ」
即答だった。
「生還して、自分の手で渡しなさい」
ミコトちゃんが少しオロオロしている。かなり私も、はわわ……、している。オーレリアだけが興味津々で記録を取ろうとして、アルフォンス先生にペンを取り上げられていた。
「もしもの保険じゃ。必ず戻るき」
しばらく沈黙した後、つばめ先生は溜め息を吐いた。
「分かったわよ。もう、まったく。男の人って、出かける前に急に大事なものを置いていくんだから」
その言葉に、ヴァルク先生が少しだけ苦笑した。
「すまない、私もハリエットを置いていく……」
エドワード様は、穏やかに目を伏せる。愛し過ぎて、くらくらして来た。
「ハリエット、大丈夫!?」
「エドワード様が、ハリエットを殺しに掛かっているのよぅ」
ミコトちゃんとオーレリアが、私の心配をしてくれる。大丈夫、今の私は死んでも死なない。エドワード様から預かった星結函がある限り。
「そうね。しあわせのお裾分け、はいはい、どうもありがとう」
つばめ先生が、半ば自棄になっている。そっぽを向いて、聖輪樹の鈴飾りを手に持った。
エイデン神父様は、ほんの少し考えるように間を置いた。
「では、私も何か置いていきましょうか」
「何を?」
つばめ先生が、何でもないことのように聞き返した。
「約束など」
「どんな?」
つばめ先生は、飾りの紐に指を掛け、くるくる回している。
エイデン神父様は、いつもの穏やかな声で言った。
「つばめ。戻ったら、結婚でもしますか」
つばめ先生の手から、鈴飾りが落ちた。
ちりん、と小さな音がした。




