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緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第六章 冬の日々

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第七十一話 聖輪樹

 どれぐらい泣いていたのか、覚えていない。


 気が付くと、ミコトが傍にいた。おれは慌てて顔を背け、袖で涙を拭いた。


 ミコトに見られた。


 見られていた。


 気まずい。でも。


「ありがとう」


 待っていてくれたから。


「ううん、わたし何もしていません」


「それでも、ありがとう」


 おれは立ち上がって、芝生に刺さっていた木剣の折れ先を引き抜く。断面は、ささくれていた。さっきまでおれが握っていたものなのに、今はもうただの壊れた木片に見える。


 届くと思った。今度こそ、ほんの少しでも届くと思った。でも、届かなかった。その証拠品。


 木剣の折れた感触が、まだ手の中に残っている。兄貴の剣が、おれの剣を押し潰して、根元から折った。その瞬間、勝負は終わっていた。


 分かっている。分かっていたのに、悔しかった。


「痛みますか?」


 ミコトが聞いた。


「少し」


 本当は左手首と、背中の肩甲骨辺りが、そこそこ痛い。


 でも、痛いのは身体だけじゃない。身体の痛みなら、たぶん明日には少し引く。問題は、もっと奥にある。そこをミコトに見られたのが、たまらなく恥ずかしかった。


「保健室に行きます?」


「後で行く」


「後で、じゃなくて、今の方がいいと思います」


「……分かった」


 おれがそう答えると、ミコトは少しだけ安心したような顔をした。


 外庭には、まだ何人かの生徒が残っていた。こっちを見ている者もいる。


 ローティが何か言いたそうにして、ハリスに止められていた。オーレリアは記録帳を抱えたまま、なぜか妙に真剣な顔をしている。


 少しだけ周りを見てから、ミコトは小さく息を吐いた。言うなら今だ。

 

「ミコト」


「はい」


「冬休みのことだけど」


 ミコトが、少しだけ背筋を伸ばした。


「おれが行ったら、邪魔になる?」


「邪魔?」


 ミコトは、少し目を丸くした。それから、すぐに首を横に振った。


「邪魔なんて、そんなことありません」


「本当か」


「はい。むしろ、ヴァンが一緒なら、すごく心強いです」


「心強い、か」


「はい。知らないお家は、少し緊張しますから。つばめ先生がいらっしゃるのは嬉しいですけど、ヴァンも一緒なら、もっと安心します」


「そうか」


「そうです」


 ミコトは神妙かつ真面目な顔で頷いた。それが少しおかしくて、少し笑った。


「じゃ、そのつばめ先生の所に行こう」


「はい」

  

  *


 保健室。おれは一応の治療を受けた。


「あの馬鹿、可愛いヴァン君に何してくれちゃってるの」


 つばめ先生が、こんな風に言うなんて珍しい。ミコトも、反応に困っているようだ。


「いつものことだ。それに兄貴は悪くない。弱いおれの責任だ」


 おれは思った通りのことを言った。


「なんてできた弟なのかしら。あんな勝手に前線に出ちゃうような、お馬鹿な兄のことを庇って、本当に……」


 そんなつもりはなかったのに、ややこしい。でも、何だろう。この違和感。


「つばめ先生、もしかしてヴァルク先生が行っちゃうの、気に入りませんか?」


 それだ。ミコトが言い当ててくれた。つばめ先生は、きっと兄貴が出ていくのが嫌なんだ。


「当たり前でしょ。突然そんなこと言われても、困る」


 なんだ、おれと同じか。


「それに、エイデンまで行くってんだから、寂しすぎるわよ。あたしだって戦えるのに……」


 そんな気はしてた。気配を悟らせずに、レオナを見守ってた時から、つばめ先生は実はかなり戦える人だと思ってたけれど、やっぱりそうだった。


「え。もしかして、つばめ先生も、前線に出たかったんですか?」

 

「違うわ。あたしだけ置いていかれるのが嫌なだけ」

 

 やっぱり、おれと同じだ。


「弱いと、置いてかれる」


「それと女もね」


「それじゃ、弱くて女の子のわたしなんて、絶対に置いてかれちゃいますね」


「そうね。男の子って、いつも勝手だからね」


 否定はしない。できない。おれも兄貴も、かなり好き勝手に生きていると思う。いや、ちがう。他があまりにも不自由に生きているだけなのかもしれない。


 でも、だからって男が全部そうとは限らないじゃないか。


「それは人によるんじゃ?」


「逆よ。自分勝手な生き物を、オトコノコって呼んでるの」


「そういうものなんですか?」


「そういうものよ。オトコノコだったら、少しぐらい自分勝手な方が、子供として健全って話よ」


「兄貴も子供なのか」


「子供よ。誰よりも少年ね。それも夢見がちな」


 分からない。オンナって分からない。でも、つばめ先生なら、兄貴に勝てそうな気がした。少なくともクチでは圧勝だと思う。


「ところで、あの約束は覚えてますか?」


「あの約束?」


聖輪樹(セイント・リース)です。ヴァンが、手伝ってくれるって言ってくれたでしょう」


「ああ」


 そうだった。


 兄貴と喧嘩する前に、そんな話をした。


 ミコトが初めて聖夜祭(アポカルダ)を迎える。おれは扉に飾る聖輪樹(セイント・リース)作りを手伝うことになった。


 あの時は、それどころではなかった。


 でも、今は違う。兄貴との本気の勝負(はなしあい)は終わったし、冬はアルフォンス先生の家に行くことに決めた。


 なら、次にやることを決める。


「いいわね。アルフォンスの家、扉が大きいから、飾りがいがあるわよ」


「なら、たくさん材料が要る」


「何が必要ですか?」


山葡萄(トラウベル)(つる)、赤い実。白い糸。あとは、小さい飾り」


「飾り?」


「何でもいい。木でも金属でも、布でも、紙でも、家によって少し違うけれど、色も形も基本的に自由だ」


「家によって違うんですか?」


「違う」


 囲炉裏の匂い。山小屋の板壁。柔らかい光。白い布。誰かが、幼いおれの手に枝を持たせている。そんな記憶。


「そうだ。輪は、きっちり閉じない」


 おれは言った。


「閉じないんですか?」


「ああ。一箇所だけ、指一本分ぐらい隙間を空ける」


「どうしてですか?」


「帰ってくる者が、そこから入れるように」


 言ってから、自分で少し黙った。


 帰ってくる者。兄貴。


「魔除けなのに、隙間を空けるんですか?」


「魔を入れるための隙間じゃない。帰る者のための道だって聞いた。だから、ただ閉じればいいわけじゃない。家は、守るだけじゃ駄目なんだと」


「守るだけじゃ、駄目」


 ミコトが、ゆっくり繰り返した。


「入れてやらないといけない。帰ってくる奴を。迷ってる奴を。寒いところにいる奴を」


 ミコトと、つばめ先生は、おれの話をじっと聞いていた。


「素敵です」


「ええ、いいわね。それ」


「そうか?」


「はい。すごく素敵です」


「あたし達も、そのやり方に従いましょう」


 ミコトは両手を胸の前で握った。


「はい、それを作りましょう!」


 ミコトの声が弾んだ。




 

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