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緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第六章 冬の日々

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第六十五話 二度目の真実



「えぇ~~~~!?」


 自分でも驚くくらい、大きな声が出た。


 初めてじゃない。


 実は、二度目なんだ。


 二度目。


 二度目。


 二度目、とは。


「に、二度目、ですか?」


「ああ」


「二度目って、あの、二回目という意味の、二度目ですか?」


「たぶん、それ以外の意味はない」


 そうかもしれない。


 そうかもしれないけれど、そういうことではない。


 わたしは口を押さえたまま、何度か瞬きをした。舞台の上で触れてしまったことだけで、頭の中はいっぱいいっぱいだった。ヴァンの初めての、ふぁ、ファースト・キスを勝手に奪ってしまったのではないかと思って、それを謝らなければと思って、でも事故だから数えないのかもしれないとも思って、それでも触れたのは事実だから、なかったことにするのも違う気がして。


 だから、謝った。


 謝ったのに。


 初めてじゃない、と言われた。


 では、一度目はどこへ行ったのか。


 いつ、誰と。


「待ってください。待ってください、ヴァン」


 わたしは片手を前に出した。


「では、一度目は、いつですか」


 そう聞くと、ヴァンは黙った。


「いえ、誰とですか」


 さっきまでとは違う沈黙だった。そして、聞いてから失敗に気付いた。これはプライベートな個人的事情を、まったくもって無遠慮に尋ねてしまっているのでは?


「湖で、ミコトと」


 ヴァンが言った。


「へ? 湖? わたし?」


「おまえが、最初に学院へ来た日だ」


 その言葉を聞いた瞬間、顔の熱が少し引いた。


 湖。


 最初に学院へ来た日。


 冷たい水。息ができなくて、苦しくて、上も下も分からなくなって、何かを掴もうとして、けれど何も掴めなかった。声を出そうとしても、水ばかり入ってきて、胸が痛くて、怖くて。


 そこまでは、少しだけ覚えている。


 でも、その先は曖昧だった。


 目が覚めた時には、知らない部屋で、知らない人達がいて、わたしはただ眼鏡を探していた。


 だから、湖で。


 わたしと。


 その言葉の意味が、すぐには結びつかなかった。


「……わたしと?」


「ああ」


「湖で?」


「ああ」


「でも、わたし、覚えていません」


「意識がなかったからな」


「意識が、なかった……?」


「ああ。息も止まっていた」


 ヴァンは目を閉じた。


「だから、おれが息を戻した」


 ヴァンは言った。


「息を……戻した?」


「ああ」


「どうやって?」


 聞いてから、嫌な予感がした。


 ヴァンは、少しだけ目を逸らした。


「口で」


 わたしは、もう一度固まった。


 口で。


 口で、息を戻した。


 それは、つまり。


 つまり。


「そ、それは……」


「人工呼吸だ」


 別の声がした。


 わたしとヴァンは、同時に振り向いた。


 建物の裏から、ハリスさんが姿を見せた。


 その後ろに、ハリエットもいた。


「ハ、ハリスさん!? ハリエット!?」


 わたしの声が裏返った。


 ハリエットは、申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったの……」


「姉さんは、俺の尾行についてきただけだ」


 ハリスさんが言った。


「は?」

「え?」


わたしとヴァンの声が重なった。


「二人の様子が妙だったからな。何かあると思った」


「何かって」


「何かだ。そして来て見れば案の定これだ。ヴァン、説明を代わっていいか?」


「なんで」


「今の言い方では、余計に混乱する」


「そうか。なら頼む」


「え、もしかしてハリスさんも知っていたんですか?」


「そうだ」


 ハリスさんは、わたしに向き直った。


 いつものような皮肉っぽい顔ではなかった。少しだけ真面目で、少しだけ慎重な顔だった。


「ミコト。湖からヴァンが君を引き上げた時、君は呼吸が止まっていた」


「……はい」


「ヴァンが人工呼吸をした」


 人工呼吸。それは、知っている。


「はい」


「それは救命措置だ」


 救命措置。それも、分かる。


 わたしはヴァンの方を見た。ヴァンは、困ったような、微笑んだような、なんとも分からない顔をしていた。


「俺は、ヴァンに黙っておくよう言われていた」


「待ってハリス、私にも秘密だったの?」


「姉さんにもだ。友達との約束は守らなきゃいけない」


 そういえば、あの時、わたしに眼鏡を渡してくれたのはハリスさんだった。ヴァンが最初から教えてくれていたら、と思った。


「なんで、黙ってたのですか?」


「それは、ヴァンに聞いてくれ……」


 ヴァンは少し戸惑ったようだった。言葉を探すように、視線をあちこちへやっている。腕を組んで、首をかしげ、んーっと唸っている。


「そんなに悩む理由なのか?」


 ハリスさんが追及する。


「そうかもしれない」


「ヴァンらしくないな。はっきりしない」


 ハリエットが、はっとした様子で、口を挟む。


「ちょっと待ってあげて、ハリス」


 わたしは、ヴァンの様子を見ながら、さっきまでの気持ちとは別のものが胸の奥に湧いて来た。わたしが知らないところで、わたしが何もできなかった時、死にそうだった時に、わたしを助けてくれた。


 手。


 わたしは、唐突に思い出した。水底でつながれた手。あの力強い感触。必死で、握り返した。あの記憶。


「あの日の朝」


 ヴァンが、ぽつりと話し始めた。ちゃんと説明しようとして、言葉が少し硬くなっている気がする。


「おれが、泳ぎの練習を終えて、ボートに乗っていた時」


 ヴァンが宙の一点を指差した。樹の枝に届くかどうかの高さ。


「……丁度、あの辺の高さに光が見えた。…と思ったら、次の瞬間、ミコトが落ちてきた。……で、沈んでいった。」


「わたし、そんな風になってたんですか……」


「あの時は、君が誰かなんて、分からなかったし、どうでも良かった。…でも、危ないって分かった。だから助けた」


「……わたし、誰かが助けてくれたことだけは記憶にあったんです。誰が、までは分からなかったけど…」


 しばらく沈黙が続いた。それをハリエットが破った。


「それで、その後はどうなったの? あの時、私はハリスに呼ばれたよね」


「俺は水音を聞いて、ヴァンが飛び込みの練習でもしているのかと思って、桟橋まで降りて行ったら、ボートが戻って来ていた」


「とりあえず、息は戻ったけれど、冷たくなっていたから」


「それで、俺は桟橋にミコトを移すのを手伝った」


「おれは、勝手に湖で泳いでるって、バレたら困るから」


「そうだったのね。ハリスが助けたにしては、水に濡れてなかったのは、そういうことだったのね」


「ミコトは覚えてないだろうし、言う必要性がなかった」


 うん、まったく覚えてない。


「それに、言ったら困ると思った」


 確かに。聞いてしまえば、かなり真っ赤になって困っていたと思う。


「それだけじゃないだろ。おまえは恩に着せたくないからだ」


「あの時は、厄介ごとに関わりたくないと思ったから」


「ヴァン君は、素直じゃないところあるよね」


「まったくだよ、姉さん」


 わたしも、まったくその通りだと思ってしまった。水に落ちた見ず知らずの子なんて、厄介ごとでしかない。女神様の声が聞こえるなんて話も、レオナのことも。


「ともかく、ミコト。……今まで、黙っててごめん」


「いいえ、こちらがお礼を言うところです」


「そうか」


「そうなんです。ヴァン、助けてくれて、ありがとう」


 ヴァンは、ちょっと照れたように笑った。


「今、生きてるならいい」


 短い言葉だった。

 

 でも、その言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。

 

 湖の時も、舞台の時も、ちゃんとしたキスではない。


 それでも、わたしはもう、ヴァンを前と同じようには見られなかった。


 わたしが知らなかったところで、わたしをこの世界へ繋ぎ止めてくれた人。


 命の恩人。


 その人が、今、目の前にいる。


 それだけで、胸の奥が少しだけ熱かった。

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