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緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第五章 けつい

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第六十話 誓いの冠


 バルトロメウス・バートムは、備えている。


 常日頃から、皇帝陛下の側近として、あらゆる魔法的害悪から皇帝陛下の御身を守るため、幾重もの警戒を敷いている。


 魔法感知(マギーオーブル)不可視視認(ウンジヒトオーブル)思考感知(ゲダンクオーブル)の術式魔法は、無論、常時発動している。それに加えて転移出現警戒(ペレホートアラルム)と、時間停止感知(クロノオーブル)まで発動している。


 だから死角など存在しないはずだった。


「私は、王を討ちに来たのではありません。王が戴いた冠の意味を、思い出していただきに来ました」


 舞台に立つマギ・レ・ズリッド=キルシュ王弟殿下の台詞からは、何の敵意も害意も感知できなかった。


 魔化武器(マギー・ヴァッフェ)の術式魔法を、剣を振り回す最中に、無詠唱で展開できるとは、かなりの実力と認めざるを得ない。

 

 その時、一つの声が聞こえてきた。


『大きく』


『強く』


『束ねよ』


 バートムの頭皮に刻まれた魔印刺青(マギータトゥード)が、僅かに明滅した。学生の集った講堂のように、これだけ思考する者が多い場所では、思考感知(ゲダンクオーブル)はノイズの海になってしまう。


 だが、それは強く。


 とても荒々しく聞こえた。


 舞台袖の女生徒が、魔法感知(マギーオーブル)の網に掛かった。紅蓮。これは力術だ。そして術者の輪郭が濃い赤で縁取られている。炎の副系統を持つ呪文だ。こんな屋内で、火気だと?


 バートムが少し疑問を挟んだ時には、術式魔法は既に発動まで組み上がっていた。マナ・ラ・ピアス=フォン・キルシュ皇妹殿下であると気付いたのも、その時だった。


 無詠唱だと? だが、あの指の形は、火炎光線(フラムシュトラール)だ。


 ここでバートムは一拍だけ遅れた。思考や魔法にだけ注目して、舞台上で繰り広げられる物語をまともに見てはいなかったからだ。


 光線は、マナ殿下の指先から発射されるものと思い込んでしまった。だが、実際は指先よりも、ずっと先に魔法の発動起点が置かれていた。


 舞台上に立つ黒冠の近衛役。


 見せかけの術者は、驚いているように見える。多分だが、本来ならば魔力弾(マギー・ミサイル)と、魔力盾(マギー・シルト)のような比較的に安全な呪文だったはずだ。


 その指先から魔法が放たれた。遅れて気付いたバートムは、光線を目で追うのが精一杯だった。だが、射線はマギ殿下へ向いている。強い意思で練られた魔法だが、殺意はない。少なくとも、皇帝陛下を狙った攻撃ではない。


 直後、その判断は水泡に帰した。


 マギ殿下が、いつの間にか防護魔法を展開している。


 術式反射(マギーシュピーゲル)だと? 有り得ない。こんな少年が簡単に使える呪文ではない。


 よく見れば、やはり指輪だ。それも恐らく限定的な術式反射(マギーシュピーゲル)を宿した魔法の指輪だ。


 術式紋を見れば分かる。火炎光線(フラムシュトラール)だけを反射、偏向する限定版呪文(リミテッド・スペル)で間違いない。


 待て。偏向?


 あの角度、皇帝陛下に向かう。


 遅い。手遅れだ。


 既に向かっている。


 まさか、有り得ない。このバートムが、情報戦で出し抜かれるなど、許されない。


 ただただ、強い魔法を練り。


 ただただ、魔法の方向を逸らす。


 それには強い精神力と、余計な事を思考から排除するだけの、極めて強い集中力が要求される。殺意のような別の強い意思を乗せる暇などない。


 だから見逃した。


 殺意は、すでに舞台に組み込まれていた。


 この脚本、演出、それ自体が暗殺装置だ。


『なんですかあれは!? 粗相をしないこと! あたくしは、そう言ったざま……ブチッ』


 ノイズに耳を傾けている暇はない。


 だが、皇帝陛下に迫る光線を防ぐ暇もない。


 エドワード小隊長が飛び出そうとしている。盾になる気か? しかし、申し訳ないが間に合わない。それに、皇帝陛下には加護が既に施されている。あの程度の魔法では殺されない。


 無駄足だ。


 いずれにせよ、我共々、責任を取らされるだろう。


 御愁傷様だ。


「私は王に伝えたいことがある!」


 マギ殿下の次の台詞。


 それと同時に、火炎光線(フラムシュトラール)が立ち消えた。


 何だと? 解呪術(ディスペル・マギー)か?


 否。


 有り得ぬ。


 マナ殿下が、自分で放った光線に、追い付く速度で解呪など不可能だ。マギ殿下も同様だ。指輪を使った後で、即座に解呪を割り込ませる事なんて無理だ。


 では、第三者か?


 いや、その可能性も薄い。


 光線が放たれてから解呪術(ディスペル・マギー)を間に合わせるには、事前に詠唱を終わらせ、予め備えておく必要がある。


 それならば、その解呪の魔力は、準備段階で我が探知の網に引っ掛かっている。見逃しはない。


 だが確かに、火炎光線(フラムシュトラール)は、皇帝陛下に届く直前で、糸を断たれたように消えていた。


 皇帝陛下は、微動だにしなかった。


 エドワード小隊長が、一歩だけ前に踏み出た形になっていた。


 黒の牙(ブラック・ファング)の隊員達も、半歩踏み出した姿勢で固まっていた。


「下がれ」


 皇帝陛下の一言で、エドワード小隊長は我に返ったようだった。一礼の後、即座に元の立ち位置へと戻る。


「伝える? 何を伝えるというのです、王弟殿下」


 黒冠の近衛は、両手を広げたまま後ずさる。


 舞台中央の冠が、白く光る。


 これには幻術系の術式魔法が使われていたが、今、そこへ注意を割く必要はない。バートムの関心は舞台の物語へと向けられた。


 マギ殿下は、剣を下ろさなかった。視線は、王役ではなく観客席へ、皇帝陛下へと向けられていた。そして、今更になってバートムは、状況がもたらす本当の意味に気付いた。


「声です」


 バートムの位置からでは、皇帝陛下の表情は見えない。魔法で、その表層意識を読み取る事もできない。読もうとすれば不敬罪である。


「声だと?」


「はい、兄上」


 これは双子からの挑戦状だ。


 子供の学芸会を隠れ蓑にした、皇帝陛下に対する直訴。あるいは正面切っての忠告。


 政治も何も分からぬ低学年の生徒は別として、今では誰もが皇帝陛下と、あの王役の立場を重ねてしまっている。


 バートムは、途中で呪文が立ち消えた謎よりも、今はそちらを考える必要があった。皇帝陛下が、どう受け取るか。感想の言葉一つで、人死にが出る。


 マギ殿下は、民衆役の方へ視線を向けた。


「まだ、聞こえるはずです」


 冠の光が、舞台の床を走った。


 膝をついていた民衆役の一人が、ゆっくりと顔を上げた。


「あ……」


 小さな声だった。


「寒い」


「腹が空いた」


「父を返して」


「門を開けて」


「ここに、います」


 民衆達の声が、戻っていく。


「黙れ!」


 黒冠の近衛役が叫んだ。


「黙れ、黙れ、黙れ!」


 だが、民衆役はもう口を閉ざさない。マギ殿下の扮する王弟を旗印として、人々の声はどんどんと大きくなる。マギ殿下は、民衆役の前に立った。


「兄上。これが、兄上の国です」


 その台詞は、「皇帝陛下、これが兄上様の国です」と言っているようにしか聞こえなかった。王役は、玉座の肘掛けを握る。


 皇帝陛下は、身じろぎ一つしなかった。


「余の国だ。余が守った国だ」


「はい。兄上が守った国です」


 マギ殿下は頷いた。


「だからこそ、兄上には聞く義務があります」


「何をだ」


「寒いという声を。腹が空いたという声を。父を返してほしいという声を。門を開けてほしいという声を。人々の嘆きと、悲しみを」


 黒冠の近衛が、低く笑った。


「愚かな! 民の声をすべて聞いていては、王は王でいられませぬぞ」


 同意する。


 バートムは知っている。常に人々の表層意識を読む。だから分かる。


 民の声は無責任だ。


 民の声は身勝手だ。


 民の声は愚かな戯言(たわごと)だ。


「ならば」


 マギ殿下が、観客席に向かって立つ。両手を広げて言った。


「人々の声を聞かぬ王は、何でいられるのですか。真の王ですか。それとも、王の名を借りた独裁者ですか」


 講堂が静まり返った。教師達も、エドワード小隊長も、その部下達も、聡い生徒達の何人かも、同じことを感じていた。


 この脚本も、台詞も、演出も、危険だ。


 とてつもなく危険だ、と。


 黒冠の近衛は、王へ近づく。


「陛下。声は迷いを生みます。迷いは弱さです。弱さは国を滅ぼします」


 王役は答えない。


 皇帝陛下も答えない。


 バートムは思う。あの近衛は、自分と考え方が近い。


 皇帝陛下が迷わないように、尽力する。それは、この国が迷走しない為だ。 


 危険だ。この双子は危険だ。


 魔法の実力も勿論だが、こんな事を考え付く知能と、実行する度胸。これは将来、本当に国を二分する仇敵になり得る。皇帝陛下なら、摘み取ってしまえと命令するかも知れない。


 実際、幾つもの反逆の芽を、我々は刈り取ってきた。


「ご命令を。この王弟を、反逆者として捕らえよ、と」


 だが、そこは同意しなかった。


 バートムは思う。自分はもう歳を重ね過ぎた。そろそろ次世代に、国の舵取りを委ねる時も、そう遠く無いのかもしれない。


 マギ殿下は動かない。皇帝陛下を真正面から見下ろしている。


 これは暴挙だ。舞台と観客席。その構造上、致し方のない事とはいえ、人目も憚らず堂々と皇帝陛下を見下ろすなんて、皇族の子供でも許されるか否か、確信が持てない。


 王役が立ち上がった。玉座の横に置かれていた剣を取る。


 階段を下りる。


 一段。


 もう一段。


「それでよいのです、陛下」


 黒冠の近衛が両手を広げた。


 王役の剣が振り下ろされる。


 斬られたのは、王弟ではなかった。黒冠の近衛だった。


 黒い仮面が、床に落ちる。外套も崩れ落ちる。仮面の下には、顔も何もなかった。黒い布だけが、舞台の光を吸っていた。


 バートムには、上級不可視化グローサー・ウンジヒトの術式魔法で、透明になって姿を消した黒冠の近衛役の様子が、はっきりと見えていた。


 透明になっていた子供が、透明化の対象外にしていた外装と仮面を脱ぎ捨てる事で、実体の無い存在を表現しているのだ。


 バートムは少し笑った。あの魔法には、こんな使い方もあったのか。まさか子供達から教わるとは。


 先刻の、呪文が立ち消えた謎も、恐らく何かしらの工夫を凝らしたのだろう。バートムは、後で必ず調査するとして、今それ以上の追及は止める事にした。


 王役は、剣を落とした。


 その音が、講堂に響く。


 やがて王役は、頭上の冠へ手を伸ばした。冠を外す。


「余は、王たる資格を失った」


 王役の声は低かった。


「民の声を奪った。臣を疑った。弱き者を荷と呼び、病める者を切り捨て、諫める者を敵と呼んで遠ざけた」


 王役は、その冠を王弟へと差し出した。


「この冠は、余より清き者が戴くべきだ」


 マギ殿下は、受け取らなかった。そして短く告げた。


「断る」


 王役の手が止まる。


「民の声を奪ったのは、兄上です。臣を斬ったのも、兄上です。誓いを破ったのも、兄上です」


 マギ殿下は、冠に手を添えた。受け取るためではない。


「ならば、その罪を償うのも、兄上でなければなりません」


 押し返すために。


『皇帝陛下、僕たちは玉座に興味なんてない。王冠なんて欲しくない』


 バートムは、マギ殿下の表層思考を読んだ。


 玉座を奪う意思はない。


 反骨心が見えるが、少なくとも、皇位への野心は見えない。


 子供達はただ、見て欲しかった。


 弟、妹として、聞いて欲しかった。


 心の深い所までは読めないが。


 たったそれだけ。


 たったそれだけの話なのかもしれない。


「余に、まだ王であれと言うのか」


「王であればよい、とは申しません」


 マギ殿下は首を横に振る。


「王であるなら、償ってください」


 沈黙。


 王役は、冠を見下ろしていた。


「その冠は、逃げるために外すものではありません」


 マギ殿下が言った。


「背負うために戴くものです」


 王役の手が、冠を持ち上げた。


「重いな」


「軽い冠なら、民を守れません」


 王役は、舞台の中央、スポットライトを浴びて、玉座の前に立つ。


 空を見上げながら、再び冠を両手で持ち上げた。


 民衆役は膝をつかない。


 ただ、王を見ていた。


「我は、この冠に誓う」


 開幕直後のシーンと、全く同じ台詞。


 けれど、言葉の重みは違っていた。


「奪った声を聞き直す。斬った臣の家に頭を垂れる。見捨てた者の名を忘れぬ。壊したものを、我が手で直す」


 マギ殿下が、王の隣に立つ。


「この冠は、王を飾るものではない」


 民衆役が、一人ずつ声を重ねた。


「王を縛るもの」


「民の前に」


「誓いの前に」


 マギ殿下が言った。


「逃げぬための冠」


 王役が深く頭を下げる。


 冠を、再び自らの頭に戴いた。


 民衆役は、王を見たまま声を揃えた。


「誓いの冠」


 光が冠へ集まる。


「我等が王よ」


「我等が祖国よ」


 暗転。


 幕が下りた。


 拍手は、すぐには起きなかった。


 息を吐く事もできなかった。


 皇帝陛下が如何なる言葉を下賜(かし)されるか。皆の注目が集まる。沈黙が続く。静寂の時が、肌に刺さるかのように痛い。


 皇帝陛下が、頬杖を解いた。


「面白い余興であった」


 その瞬間、世界の時間が再び動き出した。


 一つ。


 客席のどこかで、手が鳴った。


 また一つ。


 拍手が広がっていく。


 その拍手を受けて、再び幕が上がる。月級三年の生徒達が舞台前に並ぶ。


 王弟役のマギ殿下。


 王役。


 黒冠の近衛役。


 民衆役。


 最後に監督のマナ殿下。


 監督の合図で、皆が、同時に頭を下げた。


 拍手喝采となった。


 皇帝陛下が立ち上がる。見るべきものは確認した。御退席である。


「皇國の為に、今後も励め」


 マギ殿下とマナ殿下が、顔を上げた。


 皇帝陛下は既に踵を返していた。エドワード小隊長が動く。黒の牙(ブラック・ファング)が退路を開く。バートムも、皇帝陛下の斜め後ろについた。


 講堂の拍手は、まだ続いている。演劇への拍手が、そのまま皇帝陛下へのお見送りの拍手へと変わっていた。


 皇帝陛下は振り返らない。そのまま出口へ向かう。


 その時だった。


 バートムの頭皮に刻まれた魔印刺青(マギータトゥード)が、かすかに熱を持った。


 殺意ではない。


 だが、敵意があった。それも、かなり強い敵意だ。


 バートムは、足を止めずに視線だけを動かす。


 見つけた。


 陽級一年の列。黒髪の少年がいた。


 一人だけ拍手をしていない。


 隣には、黒縁眼鏡の少女が立っている。


 その少年は、ただ皇帝陛下を見ていた。


 はっきりとした敵意。


 この鮮明さ。


 この強い意思。


 何者だ。


 

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