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緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第五章 けつい

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第五十四話 本番までに


「頼みがある」


 マギさんは、まっすぐヴァンさんを見ていた。


 その言葉に、教室の空気が少しだけ止まった。


 けれど、ヴァンさんはほとんど迷わなかった。


「分かった。いいぞ」


「え?」


 思わず声を出したのは、わたしだった。


 マギさんも、少しだけ目を瞬かせたように見えた。


「まだ、何も聞いていません」


「断る理由がない」


 ヴァンさんは、いつもの調子で言った。


「なんで?」


 そう聞いたのは、マリアンナさんだった。


 手帳を持ったまま、ものすごく興味深そうにヴァンさんを見ている。さっきまで後宮入りだの、玉の輿だのと言っていた人とは思えないくらい、目が真剣だった。真剣というより、記事の匂いを嗅ぎつけた顔だった。


 ヴァンさんは、少しだけマリアンナさんを見てから、すぐにマギさんへ視線を戻した。


「おまえなら、無理な頼みはしない。おれに頼むってことは、おれにしかできない。違う?」


 マギさんは、少しだけ黙った。


 それから、静かに答えた。


「違いません」


「なら、話せ」


「分かりました」


 マギさんは、ほんの少しだけ姿勢を正した。


「実は、練習に付き合ってほしいのです」


「剣の?」


「剣のです」


 マギさんは頷いた。


「最初は、ヴァルク先生に頼みました。けれど、断られました」


 ヴァンさんの眉が、わずかに動いた。


「理由は分かりません。ただ、代わりに、貴方を推薦して頂きました」


 マギさんの視線は、まっすぐヴァンさんに向いていた。


 ヴァンさんは、少しだけ顔をしかめる。


「兄貴め、どういうつもりだ……」


 小さな声だった。


「たぶん、ヴァルク先生は断るしかなかったんじゃない?」


 そう言ったのは、マリアンナさんだった。


 さっきまで楽しそうにしていた顔が、少しだけ真面目なものに変わっている。


「断るしかなかった?」


 わたしが聞くと、マリアンナさんは頷いた。


「皇家の剣術には、正式な指南役がいるはずよ。皇子殿下や皇女殿下に、誰が剣を教えていいかは、ちゃんと決まっているの。学院の先生だからって、勝手に教えていいものじゃないわ」


「そうなんですか?」


「少なくとも、そういうしきたりがある。だから、マナ様とマギ様は剣術の授業も免除されているでしょ?」


 言われてみれば、そうだった。


 剣術の授業で、マナさんとマギさんの姿を見たことはない。あの二人が剣を持っているところも、わたしは見たことがなかった。


「ヴァルク先生は騎士だから、そのあたりをちゃんと分かっていたんだと思う。だから、指南役として教えることはできない。でも、舞台のために剣を合わせる練習相手なら、話は別」


 マリアンナさんは、そこでヴァンさんを見た。


「それで、ヴァン君を推薦したんじゃない?」


 マギさんは、少しだけ目を伏せた。


「なるほど。そうだったのか……」


 静かな声だった。


「そう言われると納得だ。僕もまだまだ未熟だな」


 マギさんは、自分を責めるようにではなく、確かめるようにそう言った。


 ヴァンさんは、少しだけ黙った。


「兄貴らしい」


 短く、そう言った。


「それで、ヴァン君はどうするの?」


 マリアンナさんが聞いた。


 ヴァンさんは、マギさんを見た。


「やると言った」


「本当にいいのですか?」


「二度言わせるな」


 マギさんは、ほんの少しだけ頭を下げた。


「ありがとうございます」


「場所は?」


「裏庭を借りる予定です」


「時間は?」


「放課後、夕食の前に一時間。明日から、本番の二日前まで」


「分かった」


 ヴァンさんは、それだけで話を終わらせようとした。


 けれど、マリアンナさんが、すぐに手帳を開いた。


「明日から本番二日前まで、裏庭で、ヴァン君とマギ様が剣の練習。これはなかなか面白いわね」


「書くな」


 ヴァンさんが低い声で言った。


「書かないわよ。まだ」


「まだ?」


「取材はするけど」


「するな」


「見るだけ見るわ」


「帰れ」


「新聞屋から目を奪うのは、剣士から剣を奪うようなものよ」


「そうか。なら、簡単には奪えないな」


 あ。そこで納得するんだ。


「ふふん」


 マリアンナさんは、胸を張って笑った。


  *


 その翌日から、裏庭でヴァンさんとマギさんの稽古が始まった。それぞれの舞台稽古が終わってからすぐに集まった。


 稽古といっても、本当に斬り合うわけではない。舞台の上で、剣をどう見せるか。そのための練習だった。


 けれど、二人が木剣を構えると、それだけで空気が少し変わった。


 ヴァンさんは、あまり大きく動かない。必要な分だけ足を動かし、必要な分だけ剣を上げる。マギさんは、それを見ながら、何度も動きを合わせていた。


 剣が重なる音がする。


 乾いた音だった。


 強く打ち合っているわけではないのに、近くで聞くと胸の奥が少しだけ震えた。


「そこは遅い」


「はい」


「踏み込む前に肩が動いている」


「はい」


「見せたいなら、先に視線を使え」


「はい」


 マギさんは、ほとんど反論しなかった。


 ヴァンさんの言葉は短い。けれど、マギさんはその短い言葉を逃さないように、一つずつ受け取っていた。何度も同じ場面を繰り返し、踏み込み、止まり、剣を下ろし、また最初の位置へ戻る。


 わたしは、雑用……、もとい助監督の仕事をする合間をみて、毎日のようにタオルと飲み物、それから小さな差し入れを持って行った。


 最初は、これも仕事の一つだと思って、なんとなく見ていた。けれど、毎日見ていると、少しずつ分かることが増えてきた。


 マギさんは、真面目だった。ううん、真面目というより、必死だった。顔にはあまり出ない。声も大きくならない。けれど、木剣を握る指や、何度も同じところへ戻る足の動きに、諦めない気持ちが見えた。


 マリアンナさんも、毎日のように見学に来た。


「取材よ、取材」


 本人はそう言っていたけれど、手帳を開いていない時間の方が長かった気がする。二人とも根性がスゴいと思った。


 わたしたちは、本番までに、どれだけのことを覚えて、直して、決めて、作らなければならないのだろう。そう考えると少しだけ気が遠くなったけれど、不思議と、嫌ではなかった。


  *


 そして、本番の二日前。


 明日は、講堂でのリハーサルがある。だから、裏庭での練習は今日が最後だった。


 陽は沈みかけていて、風は冷たかった。裏庭の木々の葉が、かすかに揺れている。わたしはタオルを抱えたまま、邪魔にならない場所に立っていた。


 ヴァンさんとマギさんは、何度も同じ場面を繰り返した。


 マギさんが踏み込み、ヴァンさんが受ける。木剣が重なる。距離を取る。もう一度、最初から。


 その繰り返しだった。


 けれど、最初の日とは違う。


 マギさんの動きは、少しずつ舞台の動きになっていた。ただ剣を振るのではなく、見る人に分かるように動く。追い詰められているように見せる。けれど、弱くは見せない。剣を受ける時も、退く時も、顔の向きや足の置き方まで、何度も確認していた。


 最後の一度が終わった後、マギさんはしばらく木剣を下ろさなかった。


「ねえ、マギ様」


 声をかけたのは、マリアンナさんだった。マギさんが、静かに振り向く。


「どうして、そこまで一生懸命やるの?」


 マリアンナさんの声は、いつもの軽い調子より少しだけ真面目だった。


「劇でしょ。もちろん、皇帝陛下がいらっしゃるから大事なのは分かるけど……それだけじゃない気がするのよね」


 マギさんは、少しだけ黙った。風が、裏庭の草を揺らしている。


「使命だから」


 やがて、マギさんは言った。


「陛下が御観覧されるということは、僕を品定めに来るということ。ここで下手は見せられない」


 その言葉は、静かだった。


 けれど、冗談ではないのだと分かった。


「僕には、夢があるから」


「夢?」


 マリアンナさんが、少し目を細める。


「どんな夢?」


 マギさんは、すぐには答えなかった。


 木剣を握る指に、ほんの少しだけ力が入ったように見えた。


「それは、まだ言えない」


「恥ずかしいから?」


「違う」


 マギさんは、首を横に振った。


「恥ずかしいからではない。まだ、その時じゃないからだ」


「ふうん。夢かあ」


 マリアンナさんは、手帳の端で自分の頬を軽く叩いた。


「いいわよね、夢。ちなみに、わたしの夢は、いつか新聞記者になること!」


 少し胸を張って、マリアンナさんはそう言った。その言葉に、ヴァンさんが少しだけ目を細めた。


「おれは、夢なんてものは、早く捨てろと教わった」


「え?」


 思わず声が出た。マリアンナさんも、ぎょっとした顔をする。


「それって、ひどくない?」


「兄貴の言葉だ」


「ヴァルク先生の?」


「続きがある」


 ヴァンさんは、木剣を下ろしたまま言った。


「ちゃんと期日を与えて、夢を目標に変えろ」


 その場が、少しだけ静かになった。


「……あ」


 マリアンナさんが、小さく声を漏らした。


 夢。


 目標。


 似ているようで、少し違う言葉だった。


「マリアンナ」


「先輩って呼びなさい」


「マリ先輩」


「略すな」


「マリアンナ先輩」


「よろしい。呼び方って、とても大事なのよ」


 マリアンナさんは、満足そうに頷いた。ヴァンさんは、何事もなかったみたいに続ける。


「新聞記者になるのが夢って言うけど、いつなるの?」


 マリアンナさんは、少しだけ言葉に詰まった。


「それは……確かに、漠然としてたわね」


 手帳を持つ指が、少しだけ止まる。


「学院を卒業してから、どこかの新聞社にスカウトされるとか、就職するとか……そういう感じで考えてたけど」


「ちゃんと決めた方がいい」


 ヴァンさんは、短く言った。


「夢は、いつまでも夢のまま、ってことがある」


 それは、冷たい言葉のようにも聞こえた。けれど、突き放しているわけではない気がした。


「でも、目標なら違う」


 マリアンナさんは、何も言わなかった。マギさんも、黙ってヴァンさんを見ていた。わたしは、少し迷ってから聞いた。


「ヴァンさんの目標は?」


 ヴァンさんは、すぐには答えなかった。


 ただ、こちらを見た。


「ヴァン」


「え?」


「ヴァンでいい。さんはいらない」


 急にそんなことを言われて、わたしは瞬きをした。


「でも……」


「呼び方って、とても大事らしいから」


 ヴァンさんは、少しだけ視線を逸らして、そう言った。


 さっきのマリアンナさんの言葉だ。


 顔が、少し熱くなる。


「……ヴァン」


「ああ」


 ヴァンは、短く頷いた。


 わたしは、もう一度聞いた。


「ヴァンの目標は?」


 ヴァンは、少しだけ空を見た。


 そして、いつものように、短く答えようとした。


「おれの目標は──」

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