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緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第五章 けつい

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第五十二話 配役


「……は?」


 ヴァンさんの声は、教室の真ん中に落ちた。


 本人は、本当に分かっていない顔をしていた。窓の外を見ていたところを急に呼び戻されて、気がついたら教室中の視線を浴びている。そんな顔だった。


「いや、は? じゃないのよぅ」


 オーレリアさんが手帳を持ち上げる。


「黒騎士役の話なのよぅ。ハリスさんが、ヴァンさんが適任だと言ったのよぅ」


「なんでだ」


「似合うからなのよぅ」


「理由になってない」


「理由になるのよぅ」


 オーレリアさんは、かなり本気の顔で言った。けれど、そこで黙っていられなかった人がいる。


「待て待て待て!」


 ローティさんだった。椅子から半分立ち上がったまま、机に両手をついている。


「黒騎士って、主役だろ? 剣で戦うんだろ? だったら俺だって、かなり向いてると思うんだけど!」


「その主張は、さっき聞いたのよぅ」


「聞いただけじゃん! 採用してないじゃん!」


 ローティさんは、不満そうにヴァンさんを指さした。


「だいたい、ヴァンって台詞喋れるのかよ。舞台だぞ? みんなの前で喋るんだぞ? 演技とかできるのか?」


 それを言われて、教室の何人かが少しだけ黙った。わたしも、少しだけ黙った。


 たしかに。


 ヴァンさんは黒騎士っぽい。とても似合う。似合いすぎるくらい似合う。けれど、舞台で大きな声を出して、決められた台詞を言って、演技をする姿が想像できるかと言われると、少しだけ難しかった。


 ヴァンさんは、指さされてもあまり表情を変えなかった。息を吐いて言う。


「なら、ローティがやればいい」


「え?」


「俺はやりたいと言ってない」


 教室が、また一拍止まった。ローティさんは、勝ったような、困ったような、不思議な顔をした。


「いや、まあ、そうだけど。そうなんだけど」


「何が不満なんだ」


「なんか、そう簡単に譲られると、逆に腹立つんだけど」


「面倒だな」


「お前が言うな!」


 オーレリアさんが、手帳に筆記具を当てたまま、むむ、と唸った。


「たしかに、ローティさんの言うことにも一理あるのよぅ。見た目や雰囲気だけで決めるのは、公平ではないのよぅ」


「だろ!」


 ローティさんが勢いよく頷く。


「でも、ヴァンさんが似合うという意見も多いのよぅ」


「そこなんだよなあ」


 ウォールさんが、困ったように笑った。


「ローティも合いそうだけど、黒騎士って言われると、ヴァンの方がすごく合いそうなんだよ」


「ウォールまで!」


「ごめん。でも、正直に言うと、そうなんだ」


「では、黒騎士役は、ヴァンさんとローティさんの二人を候補として、いったん保留にするのよぅ」


「保留?」


「後で決めるのよぅ。今ここで揉めていても進まないのよぅ」


 監督の声だった。


 ローティさんはまだ言いたそうだったけれど、オーレリアさんの顔を見て、一応、椅子に座り直した。


「次なのよぅ」


「次?」


「姫役なのよぅ」


 その一言で、教室の空気が変わった。黒騎士役とは違って、誰も迷っていないようだった。オーレリアさんが手帳から顔を上げるより先に、あちこちから声が上がる。


「イネヴェアさん」


「イネヴェアだな」


「イネヴェアさんでしょうね」


「ほかにいる?」


「いませんわね」


 最後の声は、イネヴェアさん本人だった。わたしは思わずそちらを見た。


 イネヴェアさんは、扇を半分だけ開いて、当然ですわ、という顔で座っていた。照れている様子はあまりない。むしろ、姫役に選ばれることを、当然の役目としてきちんと受け取っているように見えた。


「異論はあるのよぅ?」


 オーレリアさんが確認する。誰も手を上げなかった。上げるはずもなかった。


「では、姫役はイネヴェアさんで決定なのよぅ」


「お受けいたしますわ」


 イネヴェアさんは、背筋を伸ばして言った。


「舞台に立つ以上、半端な姫にはいたしません」


 その声は少し誇らしげで、でも不思議と嫌味には聞こえなかった。イネヴェアさんは、きっと本当に、綺麗な舞台を作るつもりなのだと思う。 黒板に文字が浮かぶ。


 白百合姫役、イネヴェア・リンドホルム。


 黒騎士役は保留。姫役は決定。


 それだけで、さっきまでただの題名だった『姫と黒騎士』が、少しずつ形を持ち始めた気がした。


「次は台本なのよぅ」


 オーレリアさんが言った。そこで、教室の勢いが少しだけ弱くなった。役なら、やりたい人がいる。衣装なら、楽しそうだと言う人がいる。でも、台本を書くとなると、急に皆の目が泳いだ。物語を舞台用に直して、台詞を考えて、場面を作って、人数に合わせる。考えただけで大変そうだった。


「台本は、とても大事なのよぅ。元の物語があるとはいえ、そのまま学芸会で演じられるわけではないのよぅ。誰か、書けそうな人はいるのよぅ?」


 オーレリアさんが教室を見回す。誰もすぐには手を上げなかった。その時、アディさんが、控えめに手を上げた。


「クリスさんなら、書けると思います」


「私ですか?」


 クリスさんが、驚いたように顔を上げる。アディさんは、少し緊張した顔のまま頷いた。


「はい。クリスさんの文章は、綺麗です。前に読んだ文章も、場面が目に浮かぶようでした。物語を書くのに、向いていると思います」


「でも、私が書くのは小説で、台本なんて書いたことは……」


「最初から一人で全てを書かなくてもいいのよぅ」


 オーレリアさんがすぐに言った。


「元の物語はアルフォンス先生にも聞けるのよぅ。構成は私も手伝うのよぅ。役の人数や場面転換も、後で相談するのよぅ」


 クリスさんは、少し困ったように視線を下げた。けれど、嫌そうではなかった。


「……それなら、やってみます」


「助かるのよぅ」


 オーレリアさんは、すぐに黒板へ文字を加えた。


 台本、クリスティーネ・リーゼンフェルト。


 アディさんは、ほっとしたように息をついた。クリスさんはまだ不安そうだったけれど、その横顔は、少しだけ真剣になっていた。わたしは、思った。


 役に立つ場所は、人によって違うのだ。


 舞台の上に立つ人がいて、台本を書く人がいて、記録する人がいて、衣装を作る人がいる。わたしが何をするのかは、まだ全然分からない。けれど、少しずつ、皆の場所が決まっていく感じがした。


 そこで、オーレリアさんが次の項目に移った。


「では、継母妃けいぼひ役なのよぅ」


 その瞬間、教室の空気が少しだけ止まった。


「けいぼひ?」


 ローティさんが首を傾げる。


「姫を陥れる継母ままははの役なのよぅ。黒騎士に命じて、姫を排除しようとする人なのよぅ」


「悪役ですわね」


 イネヴェアさんが、少しだけ眉を寄せた。


「悪役だけど、重要な役なのよぅ。おそらく台詞も多いのよぅ」


 オーレリアさんは手帳を見ながら言った。


「姫に対して身分も高く、黒騎士に命令もできる立場なのよぅ。舞台での印象も強い役になるのよぅ」


「でも、妃だろ?」


 ローティさんが腕を組んだ。


「だったら、女子がやるのか?」


「その可能性が高いのよぅ」


 オーレリアさんがそう言うと、女子たちの何人かが、そっと目を逸らした。


 姫役は華やかだ。


 でも、継母妃役は違う。


 綺麗で、怖くて、偉そうで、嫌われる役だ。しかも、ただ悪いだけでは舞台で浮いてしまう。たぶん、品があって、迫力があって、台詞もきちんと言えなければいけない。正直に言って、かなり難しい役どころだ。


 誰も、すぐには手を上げなかった。上げられるわけがなかった。


 その時、ローティさんが言った。


「むしろ、イネヴェアって、こっちじゃね?」


 教室が止まった。


 わたしも止まった。


 たぶん、今、何か大きなものを踏んだ。


 イネヴェアさんの扇が、ぱちん、と閉じる。


「ローティさん」


 声が、いつもより少しだけ低かった。


「今の発言の意味を、もう一度、最初から最後まで、丁寧に説明してくださる?」


「え? いや、だってさ。イネヴェアって、迫力あるし。扇とか似合うし。悪い女王っぽいっていうか」


「悪い、女王」


「いや、褒めてる! 褒めてるから!」


「どのあたりがですの?」


「だから、強そうで、偉そうで、怖そうで――」


「ローティ」


 ハリスさんが静かに言った。


「もう黙れ」


「なんで!?」


「今すぐ黙った方がいい」


「だからなんで!?」


 ローティさんは、本当に分かっていない顔をしていた。悪気はなかったのだと思う。けれど、悪気がないから許されるかというと、たぶん違う。


 イネヴェアさんは、扇を閉じたまま微笑んでいた。


 怖い。


 すごく、怖い。


 その時、ウォールさんが、少し考えるように首を傾げた。


「待って。……でも、ハリスならできそうじゃない?」


 今度は、別の意味で教室が止まった。


 ハリスさんが、ゆっくりとウォールさんを見た。


「ウォール」


「いや、真面目に。台詞を覚えられるし、噛まないし、怖い役もできそうだし」


「妃役だぞ」


「うん」


「分かって言っているのか」


「分かってる。だから、すごく大事な役だと思う」


 ウォールさんは、そこで少しだけ困ったように笑った。


「それに、ハリスなら、綺麗にやりそうだし」


 ハリスさんの眉が、わずかに動いた。


「それは見てみたいかも」


 ハリエットさんが微笑んでいる。


「姉さんまで」


 その時、窓際から声がした。


「合理的に考えると、ハリスだな」


 ヴァンさんだった。


 さっきまで自分の配役から逃げようとしていた人が、急に冷静な判定役みたいな声を出した。


 ハリスさんが、ゆっくりとヴァンさんを見る。


「待て。お前は黙っていろ」


「なぜだ」


「今、それを言う資格はないだろ」


「合理的なのは確かだ」


「お前の黒騎士も合理的だ」


 教室の何人かが、小さく笑った。


 でも、笑いながらも、皆が少しずつ納得していくのが分かった。 台詞を覚えられる。場を締められる。冷たい声も出せる。品もある。怖い役もできそう。問題は、妃役だということだけだったが、ハリスさんは、たしかに適任かもしれない。悔しいけれど、似合う気がする。へたすると、その辺の女子よりも綺麗だったりする。正直、わたしも見てみたい。


「分かった」


 ハリスさんが、低い声で言った。教室がまた静かになる。


「俺が継母妃役をやるなら、ヴァン。お前も黒騎士をやれ」


 今度は、ヴァンさんが少しだけ眉を動かした。


「なぜそうなる」


「俺だけ巻き込まれるのは不公平だからだ」


「それはそれ。じゃないのか?」


「いいや、これも合理的な判断だ。お前が黒騎士をやるなら、俺が継母妃をやる意味も出る」


「意味?」


「重要な役同士で釣り合いが取れる」


「そうなのか?」


「待て待て待て!」


 ローティさんが、また立ち上がった。


「なんで今ので、ヴァンに決まりかけてんだよ! 俺は!? 俺も候補だろ!?」


「そうだったのよぅ」


 オーレリアさんが、手帳を強く閉じた。


 音が教室に響く。


「では、黒騎士役は演技を見て決めるのよぅ」


「演技?」


 ローティさんが聞き返す。


「そうなのよぅ。ローティさんは、ヴァンさんが演技できるのか疑問だと言ったのよぅ。それなら、実際に見ればいいのよぅ」


 それは、とても公平な決め方に聞こえた。


 聞こえたけれど、急に教室の中で演技をすることになる二人は、あまりそう思っていないようだった。


「今やるのか?」


 ヴァンさんが顔をしかめる。かなり嫌そうだ。


「今やるのよぅ」


 オーレリアさんは即答した。


「先生、何か適当な場面と台詞はありますか?」


 アルフォンス先生は、少し考えるように顎に手を当てた。


「そうですね。黒騎士役を試すなら、騎士としての名乗り口上がよいでしょう」


「口上?」


「ええ。黒騎士が、姫を追う騎士たちの前に立ち、道を塞ぐ場面です。まだクリスさんの台本ではありませんが、試演には向いています」


 アルフォンス先生が指を動かすと、黒板に白い文字が浮かび上がった。


『この先へは行かせない。


 我が剣は罪に汚れ、我が名はすでに地に落ちた。


 だが、この姫君に刃を向けることだけは許さない。


 退け。


 退かぬなら、黒騎士アルブレヒトの名において、断つ』


 教室が、静かになった。さっきまで笑っていた空気が、黒板の文字に引っ張られて、一気に重くなる。この台詞は、笑顔で言えるものじゃない。真剣だ。


「騎士としての口上です」


 アルフォンス先生が言った。


「声の大きさだけではなく、覚悟が必要ですね」


「よし」


 ローティさんが立ち上がった。


「俺からやる」


 ローティさんは教室の前に出ると、少しだけ肩を回した。ハリスさんが授業で使う木剣を投げ渡した。それを受け取って、くるりと回して腰の鞘に納めるように構えた。


 その動きは、思っていたよりずっと様になっていた。


 ローティさんは、騒がしい人だと思う。けれど、体の使い方はとても上手い。立ち方にも勢いがあって、見ている人を引きつける力があった。


 ローティさんは、一度だけ息を吸った。


「この先へは行かせない!」


 声が通った。教室の一番後ろまで届く元気な声だった。


「我が剣は罪に汚れ、我が名はすでに地に落ちた! だが、この姫君に刃を向けることだけは許さない!」


 強い。


 とても強い。


 黒騎士というより、正面から敵を倒す若い騎士みたいだった。けれど、それはそれで舞台映えした。剣を構える動きも大きくて、見ていて分かりやすい。


「退け!」


 ローティさんが、一歩踏み出す。剣先を向けて吠える。


「退かぬなら、黒騎士アルベレヒトの名において、俺が相手をする!」


 最後だけ、私、ではなく俺になっていた。名前も微妙に間違っている。


 でも、誰もすぐには笑わなかった。


 それくらい、ちゃんと格好よかった。


「おお」


 誰かが声を漏らした。


「いいじゃん」


「ローティ、上手い。名前、間違えたけど」


「動きが分かりやすいのよぅ。名前、間違えたけど」


 オーレリアさんも、手帳に何かを書き込んでいる。ローティさんは得意そうに胸を張った。


「ほらな! ちょっと名前は間違えたけど、ほらな!」


 正直、わたしも少し驚いていた。ローティさんが黒騎士でも、成立するかもしれない。そう思えるくらいには、ちゃんと舞台の上の人に見えた。


「次はヴァンさんなのよぅ」


 オーレリアさんが言った。ヴァンさんは、ものすごく嫌そうな顔をした。


「やっぱり、やらないと駄目か」


「駄目なのよぅ」


「ローティでいいだろ」


「まだ決まっていないのよぅ」


 ヴァンさんは小さく息を吐いた。それから、ゆっくりと立ち上がる。


 別の木剣を投げ渡しながら、ハリスさんが言った。


「手を抜くなよ。本気でやれよ」


「わかった」


 教室の前へ歩いていく姿は、ローティさんとは全然違っていた。ローティさんは、舞台へ飛び出すみたいに前へ出た。でも、ヴァンさんは違う。仕方なく歩いているだけに見えるのに、なぜか空気が少しずつ変わっていく。


 ヴァンさんは、黒板の文字を見た。


 一度、目を閉じる。


 それから、開いた。


 その瞬間、わたしは少しだけ息を止めた。それだけで覚えたの?


「この先へは、行かせない」


 声は、大きくなかった。けれど、聞こえた。


 教室の隅まで、まっすぐ届いた。間の取り方に、凄味があった。


「我が剣は罪に汚れ、我が名はすでに地に落ちた」


 ローティさんの時は、言葉が前へ飛んできた。でも、ヴァンさんの言葉は、違った。落ちていくみたいだった。お腹に響いて来るみたいで、重くて、静かで、逃げられない。つい聞き入ってしまった。


「だが、この姫君に刃を向けることだけは許さない」


 そこに、派手な動きはなかった。剣を振る真似もしない。ただ、少しだけ足を開いて、そこに立っているだけだった。なのに、本当にその先へは行けない気がした。


 たぶん、動きがない分、その台詞だけに集中させられた。


 黒い鎧も、舞台の背景も、姫も、追っ手の騎士も、何もない。ただ教室の前にヴァンさんが立っているだけなのに、その向こうへ進んではいけないように見えた。


「退け」


 短い声だった。強く声を張り上げるでもない。でも、その一言で、教室がさらに静かになる。言葉の後ろに、ものすごく強い意志が感じられる。


「退かぬなら、黒騎士アルブレヒトの名において──」


 ここで剣の柄に手を置いた。


「──断つ」


 最後の言葉が終わった後、誰もすぐには喋らなかった。


 手を置くだけで、剣は抜かない。それが逆に、本気の警告だと伝わってくる。


 ローティさんの時とは違う沈黙だった。


 拍手を忘れた、というより、少しだけ現実に戻るのが遅れたみたいだった。本当に斬られるかもと、ちょっと怖くもなった。すごい迫力だった。


 最初に息を吐いたのは、たぶんオーレリアさんだった。


「……決まりなのよぅ」


「いや、早い!」


 ローティさんが叫ぶ。けれど、その声には、さっきまでの本気の抗議とは少し違う響きがあった。たぶん、ローティさんも認めざるを得ないんだと思う。


「やはり、やればできるじゃないか」


 ハリスさんの声に、ヴァンさんは溜め息を吐きながら言った。


「騎士って言ったから、癪だけど兄貴っぽくやってみた」


「兄貴仕込みはずりぃよ。そんなの、騎士っぽくなるに決まってるじゃん」


 ローティさんが、悔しそうに口を尖らせていたけれど、もう本気で怒ってはいなかった。悔しい。けれど、認めている。そんな顔だった。


 アルフォンス先生が、穏やかに口を開く。


「ローティさんの演技も、とても良かったですよ」


「本当?」


「ええ。声が通りますし、動きも舞台向きです。この物語には、黒騎士以外にも他の騎士が登場します。そちらを任せるのも、よいと思います」


「騎士?」


 ローティさんが顔を上げた。


「姫を追う騎士、黒騎士と剣を交える騎士。台本次第ですが、見せ場を作ることはできるでしょう」


「剣、使う?」


「使います。派手な大立ち回りもあります」


「なら、まあ……」


 ローティさんは、まだ少し不満そうだった。でも、完全に納得していない顔ではなかった。オーレリアさんは、それを見届けてから、黒板に文字を加えた。


 黒騎士役、ヴァン・ラドーレ。


 継母妃役、ハリス・ヤクトブレオ。


 別の騎士役、ローティ・ネモニクト。


 ハリスさんが、黒板の文字を見て、深く眉間に皺を寄せる。


「本当に書いたな」


「決まったことは書くのよぅ」


「まだ了承していない」


「ヴァンさんが黒騎士をやるならやる、と言ったのよぅ」


「言質を取るのが早すぎる」


「監督なので」


 オーレリアさんは、少しだけ得意そうだった。わたしは黒板を見た。みんなの名前が並んでいくたびに、さっきまでただの学芸会だったものが、少しずつ大きくなっていく気がした。


「では、今日の決定はここまでなのよぅ」


 オーレリアさんが手帳を閉じた。


「え、もう終わり?」


 ローティさんが聞く。


「台本ができないと、他の役は決まらないのよぅ。それに、全員が役者になるわけではないのよぅ。衣装、大道具、小道具、照明、音楽そちらにも人員が必要なのよぅ」


「衣装は時間が掛かりますわね」


 イネヴェアさんが頷いた。


「黒騎士と姫と継母妃だけでも、かなり見栄えを考えなければなりませんわ」


「継母妃の衣装は簡素でいい」


 ハリスさんが言った。


「駄目なのよぅ」


 オーレリアさんが即答する。


「重要人物なので、ちゃんと作るのよぅ」


「余計なことを」


「ハリスさん、きっと似合いますわ」


 イネヴェアさんが微笑んだ。


 ハリスさんは、何も言わなかった。


「まずは、クリスさんに台本を書いてもらうのよぅ。それを見てから、残りの役と裏方を決めるのよぅ」


「はい」


 クリスさんが、小さく頷いた。アディさんが隣で、励ますように微笑む。


 こうして、陽級(ソルネ・クラス)一年生の演劇は、少しずつ形を持ち始めた。


 姫と黒騎士。


 白百合姫と、黒騎士アルブレヒト。


 まだ台本もないのに、もうその名前だけが、教室の中に残っている気がした。


「皆さん」


 そこで、アルフォンス先生が静かに口を開いた。


「学芸会は、ただ舞台に立つだけの行事ではありません。台本を書く人、衣装を作る人、道具を運ぶ人、場面を支える人。誰か一人が目立てばよい、というものではないのです」


 教室が、少しずつ静かになっていく。


「皆で一つのものを作る。そこに意味があります。陽級ソルネ・クラスらしい舞台になることを、期待しています」


 その言葉に、何人かが頷いた。これから忙しくなる。きっと、そういう青春の一頁になるような。そんな、ありふれた話なのだと思った。


 けれど、アルフォンス先生は、そこで終わらなかった。


「それから、もう一つ。大事な連絡があります」


 いつもと変わらない穏やかな声。


「今年の学芸会には、特別な御客様がいらっしゃいます」


「御客様?」


 誰かが、思わず聞き返した。


「どなたですの?」


 アルフォンス先生は、そこで一拍置いた。


「皇帝陛下です」

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