第五十二話 配役
「……は?」
ヴァンさんの声は、教室の真ん中に落ちた。
本人は、本当に分かっていない顔をしていた。窓の外を見ていたところを急に呼び戻されて、気がついたら教室中の視線を浴びている。そんな顔だった。
「いや、は? じゃないのよぅ」
オーレリアさんが手帳を持ち上げる。
「黒騎士役の話なのよぅ。ハリスさんが、ヴァンさんが適任だと言ったのよぅ」
「なんでだ」
「似合うからなのよぅ」
「理由になってない」
「理由になるのよぅ」
オーレリアさんは、かなり本気の顔で言った。けれど、そこで黙っていられなかった人がいる。
「待て待て待て!」
ローティさんだった。椅子から半分立ち上がったまま、机に両手をついている。
「黒騎士って、主役だろ? 剣で戦うんだろ? だったら俺だって、かなり向いてると思うんだけど!」
「その主張は、さっき聞いたのよぅ」
「聞いただけじゃん! 採用してないじゃん!」
ローティさんは、不満そうにヴァンさんを指さした。
「だいたい、ヴァンって台詞喋れるのかよ。舞台だぞ? みんなの前で喋るんだぞ? 演技とかできるのか?」
それを言われて、教室の何人かが少しだけ黙った。わたしも、少しだけ黙った。
たしかに。
ヴァンさんは黒騎士っぽい。とても似合う。似合いすぎるくらい似合う。けれど、舞台で大きな声を出して、決められた台詞を言って、演技をする姿が想像できるかと言われると、少しだけ難しかった。
ヴァンさんは、指さされてもあまり表情を変えなかった。息を吐いて言う。
「なら、ローティがやればいい」
「え?」
「俺はやりたいと言ってない」
教室が、また一拍止まった。ローティさんは、勝ったような、困ったような、不思議な顔をした。
「いや、まあ、そうだけど。そうなんだけど」
「何が不満なんだ」
「なんか、そう簡単に譲られると、逆に腹立つんだけど」
「面倒だな」
「お前が言うな!」
オーレリアさんが、手帳に筆記具を当てたまま、むむ、と唸った。
「たしかに、ローティさんの言うことにも一理あるのよぅ。見た目や雰囲気だけで決めるのは、公平ではないのよぅ」
「だろ!」
ローティさんが勢いよく頷く。
「でも、ヴァンさんが似合うという意見も多いのよぅ」
「そこなんだよなあ」
ウォールさんが、困ったように笑った。
「ローティも合いそうだけど、黒騎士って言われると、ヴァンの方がすごく合いそうなんだよ」
「ウォールまで!」
「ごめん。でも、正直に言うと、そうなんだ」
「では、黒騎士役は、ヴァンさんとローティさんの二人を候補として、いったん保留にするのよぅ」
「保留?」
「後で決めるのよぅ。今ここで揉めていても進まないのよぅ」
監督の声だった。
ローティさんはまだ言いたそうだったけれど、オーレリアさんの顔を見て、一応、椅子に座り直した。
「次なのよぅ」
「次?」
「姫役なのよぅ」
その一言で、教室の空気が変わった。黒騎士役とは違って、誰も迷っていないようだった。オーレリアさんが手帳から顔を上げるより先に、あちこちから声が上がる。
「イネヴェアさん」
「イネヴェアだな」
「イネヴェアさんでしょうね」
「ほかにいる?」
「いませんわね」
最後の声は、イネヴェアさん本人だった。わたしは思わずそちらを見た。
イネヴェアさんは、扇を半分だけ開いて、当然ですわ、という顔で座っていた。照れている様子はあまりない。むしろ、姫役に選ばれることを、当然の役目としてきちんと受け取っているように見えた。
「異論はあるのよぅ?」
オーレリアさんが確認する。誰も手を上げなかった。上げるはずもなかった。
「では、姫役はイネヴェアさんで決定なのよぅ」
「お受けいたしますわ」
イネヴェアさんは、背筋を伸ばして言った。
「舞台に立つ以上、半端な姫にはいたしません」
その声は少し誇らしげで、でも不思議と嫌味には聞こえなかった。イネヴェアさんは、きっと本当に、綺麗な舞台を作るつもりなのだと思う。 黒板に文字が浮かぶ。
白百合姫役、イネヴェア・リンドホルム。
黒騎士役は保留。姫役は決定。
それだけで、さっきまでただの題名だった『姫と黒騎士』が、少しずつ形を持ち始めた気がした。
「次は台本なのよぅ」
オーレリアさんが言った。そこで、教室の勢いが少しだけ弱くなった。役なら、やりたい人がいる。衣装なら、楽しそうだと言う人がいる。でも、台本を書くとなると、急に皆の目が泳いだ。物語を舞台用に直して、台詞を考えて、場面を作って、人数に合わせる。考えただけで大変そうだった。
「台本は、とても大事なのよぅ。元の物語があるとはいえ、そのまま学芸会で演じられるわけではないのよぅ。誰か、書けそうな人はいるのよぅ?」
オーレリアさんが教室を見回す。誰もすぐには手を上げなかった。その時、アディさんが、控えめに手を上げた。
「クリスさんなら、書けると思います」
「私ですか?」
クリスさんが、驚いたように顔を上げる。アディさんは、少し緊張した顔のまま頷いた。
「はい。クリスさんの文章は、綺麗です。前に読んだ文章も、場面が目に浮かぶようでした。物語を書くのに、向いていると思います」
「でも、私が書くのは小説で、台本なんて書いたことは……」
「最初から一人で全てを書かなくてもいいのよぅ」
オーレリアさんがすぐに言った。
「元の物語はアルフォンス先生にも聞けるのよぅ。構成は私も手伝うのよぅ。役の人数や場面転換も、後で相談するのよぅ」
クリスさんは、少し困ったように視線を下げた。けれど、嫌そうではなかった。
「……それなら、やってみます」
「助かるのよぅ」
オーレリアさんは、すぐに黒板へ文字を加えた。
台本、クリスティーネ・リーゼンフェルト。
アディさんは、ほっとしたように息をついた。クリスさんはまだ不安そうだったけれど、その横顔は、少しだけ真剣になっていた。わたしは、思った。
役に立つ場所は、人によって違うのだ。
舞台の上に立つ人がいて、台本を書く人がいて、記録する人がいて、衣装を作る人がいる。わたしが何をするのかは、まだ全然分からない。けれど、少しずつ、皆の場所が決まっていく感じがした。
そこで、オーレリアさんが次の項目に移った。
「では、継母妃役なのよぅ」
その瞬間、教室の空気が少しだけ止まった。
「けいぼひ?」
ローティさんが首を傾げる。
「姫を陥れる継母の役なのよぅ。黒騎士に命じて、姫を排除しようとする人なのよぅ」
「悪役ですわね」
イネヴェアさんが、少しだけ眉を寄せた。
「悪役だけど、重要な役なのよぅ。おそらく台詞も多いのよぅ」
オーレリアさんは手帳を見ながら言った。
「姫に対して身分も高く、黒騎士に命令もできる立場なのよぅ。舞台での印象も強い役になるのよぅ」
「でも、妃だろ?」
ローティさんが腕を組んだ。
「だったら、女子がやるのか?」
「その可能性が高いのよぅ」
オーレリアさんがそう言うと、女子たちの何人かが、そっと目を逸らした。
姫役は華やかだ。
でも、継母妃役は違う。
綺麗で、怖くて、偉そうで、嫌われる役だ。しかも、ただ悪いだけでは舞台で浮いてしまう。たぶん、品があって、迫力があって、台詞もきちんと言えなければいけない。正直に言って、かなり難しい役どころだ。
誰も、すぐには手を上げなかった。上げられるわけがなかった。
その時、ローティさんが言った。
「むしろ、イネヴェアって、こっちじゃね?」
教室が止まった。
わたしも止まった。
たぶん、今、何か大きなものを踏んだ。
イネヴェアさんの扇が、ぱちん、と閉じる。
「ローティさん」
声が、いつもより少しだけ低かった。
「今の発言の意味を、もう一度、最初から最後まで、丁寧に説明してくださる?」
「え? いや、だってさ。イネヴェアって、迫力あるし。扇とか似合うし。悪い女王っぽいっていうか」
「悪い、女王」
「いや、褒めてる! 褒めてるから!」
「どのあたりがですの?」
「だから、強そうで、偉そうで、怖そうで――」
「ローティ」
ハリスさんが静かに言った。
「もう黙れ」
「なんで!?」
「今すぐ黙った方がいい」
「だからなんで!?」
ローティさんは、本当に分かっていない顔をしていた。悪気はなかったのだと思う。けれど、悪気がないから許されるかというと、たぶん違う。
イネヴェアさんは、扇を閉じたまま微笑んでいた。
怖い。
すごく、怖い。
その時、ウォールさんが、少し考えるように首を傾げた。
「待って。……でも、ハリスならできそうじゃない?」
今度は、別の意味で教室が止まった。
ハリスさんが、ゆっくりとウォールさんを見た。
「ウォール」
「いや、真面目に。台詞を覚えられるし、噛まないし、怖い役もできそうだし」
「妃役だぞ」
「うん」
「分かって言っているのか」
「分かってる。だから、すごく大事な役だと思う」
ウォールさんは、そこで少しだけ困ったように笑った。
「それに、ハリスなら、綺麗にやりそうだし」
ハリスさんの眉が、わずかに動いた。
「それは見てみたいかも」
ハリエットさんが微笑んでいる。
「姉さんまで」
その時、窓際から声がした。
「合理的に考えると、ハリスだな」
ヴァンさんだった。
さっきまで自分の配役から逃げようとしていた人が、急に冷静な判定役みたいな声を出した。
ハリスさんが、ゆっくりとヴァンさんを見る。
「待て。お前は黙っていろ」
「なぜだ」
「今、それを言う資格はないだろ」
「合理的なのは確かだ」
「お前の黒騎士も合理的だ」
教室の何人かが、小さく笑った。
でも、笑いながらも、皆が少しずつ納得していくのが分かった。 台詞を覚えられる。場を締められる。冷たい声も出せる。品もある。怖い役もできそう。問題は、妃役だということだけだったが、ハリスさんは、たしかに適任かもしれない。悔しいけれど、似合う気がする。へたすると、その辺の女子よりも綺麗だったりする。正直、わたしも見てみたい。
「分かった」
ハリスさんが、低い声で言った。教室がまた静かになる。
「俺が継母妃役をやるなら、ヴァン。お前も黒騎士をやれ」
今度は、ヴァンさんが少しだけ眉を動かした。
「なぜそうなる」
「俺だけ巻き込まれるのは不公平だからだ」
「それはそれ。じゃないのか?」
「いいや、これも合理的な判断だ。お前が黒騎士をやるなら、俺が継母妃をやる意味も出る」
「意味?」
「重要な役同士で釣り合いが取れる」
「そうなのか?」
「待て待て待て!」
ローティさんが、また立ち上がった。
「なんで今ので、ヴァンに決まりかけてんだよ! 俺は!? 俺も候補だろ!?」
「そうだったのよぅ」
オーレリアさんが、手帳を強く閉じた。
音が教室に響く。
「では、黒騎士役は演技を見て決めるのよぅ」
「演技?」
ローティさんが聞き返す。
「そうなのよぅ。ローティさんは、ヴァンさんが演技できるのか疑問だと言ったのよぅ。それなら、実際に見ればいいのよぅ」
それは、とても公平な決め方に聞こえた。
聞こえたけれど、急に教室の中で演技をすることになる二人は、あまりそう思っていないようだった。
「今やるのか?」
ヴァンさんが顔をしかめる。かなり嫌そうだ。
「今やるのよぅ」
オーレリアさんは即答した。
「先生、何か適当な場面と台詞はありますか?」
アルフォンス先生は、少し考えるように顎に手を当てた。
「そうですね。黒騎士役を試すなら、騎士としての名乗り口上がよいでしょう」
「口上?」
「ええ。黒騎士が、姫を追う騎士たちの前に立ち、道を塞ぐ場面です。まだクリスさんの台本ではありませんが、試演には向いています」
アルフォンス先生が指を動かすと、黒板に白い文字が浮かび上がった。
『この先へは行かせない。
我が剣は罪に汚れ、我が名はすでに地に落ちた。
だが、この姫君に刃を向けることだけは許さない。
退け。
退かぬなら、黒騎士アルブレヒトの名において、断つ』
教室が、静かになった。さっきまで笑っていた空気が、黒板の文字に引っ張られて、一気に重くなる。この台詞は、笑顔で言えるものじゃない。真剣だ。
「騎士としての口上です」
アルフォンス先生が言った。
「声の大きさだけではなく、覚悟が必要ですね」
「よし」
ローティさんが立ち上がった。
「俺からやる」
ローティさんは教室の前に出ると、少しだけ肩を回した。ハリスさんが授業で使う木剣を投げ渡した。それを受け取って、くるりと回して腰の鞘に納めるように構えた。
その動きは、思っていたよりずっと様になっていた。
ローティさんは、騒がしい人だと思う。けれど、体の使い方はとても上手い。立ち方にも勢いがあって、見ている人を引きつける力があった。
ローティさんは、一度だけ息を吸った。
「この先へは行かせない!」
声が通った。教室の一番後ろまで届く元気な声だった。
「我が剣は罪に汚れ、我が名はすでに地に落ちた! だが、この姫君に刃を向けることだけは許さない!」
強い。
とても強い。
黒騎士というより、正面から敵を倒す若い騎士みたいだった。けれど、それはそれで舞台映えした。剣を構える動きも大きくて、見ていて分かりやすい。
「退け!」
ローティさんが、一歩踏み出す。剣先を向けて吠える。
「退かぬなら、黒騎士アルベレヒトの名において、俺が相手をする!」
最後だけ、私、ではなく俺になっていた。名前も微妙に間違っている。
でも、誰もすぐには笑わなかった。
それくらい、ちゃんと格好よかった。
「おお」
誰かが声を漏らした。
「いいじゃん」
「ローティ、上手い。名前、間違えたけど」
「動きが分かりやすいのよぅ。名前、間違えたけど」
オーレリアさんも、手帳に何かを書き込んでいる。ローティさんは得意そうに胸を張った。
「ほらな! ちょっと名前は間違えたけど、ほらな!」
正直、わたしも少し驚いていた。ローティさんが黒騎士でも、成立するかもしれない。そう思えるくらいには、ちゃんと舞台の上の人に見えた。
「次はヴァンさんなのよぅ」
オーレリアさんが言った。ヴァンさんは、ものすごく嫌そうな顔をした。
「やっぱり、やらないと駄目か」
「駄目なのよぅ」
「ローティでいいだろ」
「まだ決まっていないのよぅ」
ヴァンさんは小さく息を吐いた。それから、ゆっくりと立ち上がる。
別の木剣を投げ渡しながら、ハリスさんが言った。
「手を抜くなよ。本気でやれよ」
「わかった」
教室の前へ歩いていく姿は、ローティさんとは全然違っていた。ローティさんは、舞台へ飛び出すみたいに前へ出た。でも、ヴァンさんは違う。仕方なく歩いているだけに見えるのに、なぜか空気が少しずつ変わっていく。
ヴァンさんは、黒板の文字を見た。
一度、目を閉じる。
それから、開いた。
その瞬間、わたしは少しだけ息を止めた。それだけで覚えたの?
「この先へは、行かせない」
声は、大きくなかった。けれど、聞こえた。
教室の隅まで、まっすぐ届いた。間の取り方に、凄味があった。
「我が剣は罪に汚れ、我が名はすでに地に落ちた」
ローティさんの時は、言葉が前へ飛んできた。でも、ヴァンさんの言葉は、違った。落ちていくみたいだった。お腹に響いて来るみたいで、重くて、静かで、逃げられない。つい聞き入ってしまった。
「だが、この姫君に刃を向けることだけは許さない」
そこに、派手な動きはなかった。剣を振る真似もしない。ただ、少しだけ足を開いて、そこに立っているだけだった。なのに、本当にその先へは行けない気がした。
たぶん、動きがない分、その台詞だけに集中させられた。
黒い鎧も、舞台の背景も、姫も、追っ手の騎士も、何もない。ただ教室の前にヴァンさんが立っているだけなのに、その向こうへ進んではいけないように見えた。
「退け」
短い声だった。強く声を張り上げるでもない。でも、その一言で、教室がさらに静かになる。言葉の後ろに、ものすごく強い意志が感じられる。
「退かぬなら、黒騎士アルブレヒトの名において──」
ここで剣の柄に手を置いた。
「──断つ」
最後の言葉が終わった後、誰もすぐには喋らなかった。
手を置くだけで、剣は抜かない。それが逆に、本気の警告だと伝わってくる。
ローティさんの時とは違う沈黙だった。
拍手を忘れた、というより、少しだけ現実に戻るのが遅れたみたいだった。本当に斬られるかもと、ちょっと怖くもなった。すごい迫力だった。
最初に息を吐いたのは、たぶんオーレリアさんだった。
「……決まりなのよぅ」
「いや、早い!」
ローティさんが叫ぶ。けれど、その声には、さっきまでの本気の抗議とは少し違う響きがあった。たぶん、ローティさんも認めざるを得ないんだと思う。
「やはり、やればできるじゃないか」
ハリスさんの声に、ヴァンさんは溜め息を吐きながら言った。
「騎士って言ったから、癪だけど兄貴っぽくやってみた」
「兄貴仕込みはずりぃよ。そんなの、騎士っぽくなるに決まってるじゃん」
ローティさんが、悔しそうに口を尖らせていたけれど、もう本気で怒ってはいなかった。悔しい。けれど、認めている。そんな顔だった。
アルフォンス先生が、穏やかに口を開く。
「ローティさんの演技も、とても良かったですよ」
「本当?」
「ええ。声が通りますし、動きも舞台向きです。この物語には、黒騎士以外にも他の騎士が登場します。そちらを任せるのも、よいと思います」
「騎士?」
ローティさんが顔を上げた。
「姫を追う騎士、黒騎士と剣を交える騎士。台本次第ですが、見せ場を作ることはできるでしょう」
「剣、使う?」
「使います。派手な大立ち回りもあります」
「なら、まあ……」
ローティさんは、まだ少し不満そうだった。でも、完全に納得していない顔ではなかった。オーレリアさんは、それを見届けてから、黒板に文字を加えた。
黒騎士役、ヴァン・ラドーレ。
継母妃役、ハリス・ヤクトブレオ。
別の騎士役、ローティ・ネモニクト。
ハリスさんが、黒板の文字を見て、深く眉間に皺を寄せる。
「本当に書いたな」
「決まったことは書くのよぅ」
「まだ了承していない」
「ヴァンさんが黒騎士をやるならやる、と言ったのよぅ」
「言質を取るのが早すぎる」
「監督なので」
オーレリアさんは、少しだけ得意そうだった。わたしは黒板を見た。みんなの名前が並んでいくたびに、さっきまでただの学芸会だったものが、少しずつ大きくなっていく気がした。
「では、今日の決定はここまでなのよぅ」
オーレリアさんが手帳を閉じた。
「え、もう終わり?」
ローティさんが聞く。
「台本ができないと、他の役は決まらないのよぅ。それに、全員が役者になるわけではないのよぅ。衣装、大道具、小道具、照明、音楽そちらにも人員が必要なのよぅ」
「衣装は時間が掛かりますわね」
イネヴェアさんが頷いた。
「黒騎士と姫と継母妃だけでも、かなり見栄えを考えなければなりませんわ」
「継母妃の衣装は簡素でいい」
ハリスさんが言った。
「駄目なのよぅ」
オーレリアさんが即答する。
「重要人物なので、ちゃんと作るのよぅ」
「余計なことを」
「ハリスさん、きっと似合いますわ」
イネヴェアさんが微笑んだ。
ハリスさんは、何も言わなかった。
「まずは、クリスさんに台本を書いてもらうのよぅ。それを見てから、残りの役と裏方を決めるのよぅ」
「はい」
クリスさんが、小さく頷いた。アディさんが隣で、励ますように微笑む。
こうして、陽級一年生の演劇は、少しずつ形を持ち始めた。
姫と黒騎士。
白百合姫と、黒騎士アルブレヒト。
まだ台本もないのに、もうその名前だけが、教室の中に残っている気がした。
「皆さん」
そこで、アルフォンス先生が静かに口を開いた。
「学芸会は、ただ舞台に立つだけの行事ではありません。台本を書く人、衣装を作る人、道具を運ぶ人、場面を支える人。誰か一人が目立てばよい、というものではないのです」
教室が、少しずつ静かになっていく。
「皆で一つのものを作る。そこに意味があります。陽級らしい舞台になることを、期待しています」
その言葉に、何人かが頷いた。これから忙しくなる。きっと、そういう青春の一頁になるような。そんな、ありふれた話なのだと思った。
けれど、アルフォンス先生は、そこで終わらなかった。
「それから、もう一つ。大事な連絡があります」
いつもと変わらない穏やかな声。
「今年の学芸会には、特別な御客様がいらっしゃいます」
「御客様?」
誰かが、思わず聞き返した。
「どなたですの?」
アルフォンス先生は、そこで一拍置いた。
「皇帝陛下です」




