閑話休題3 第四話 同窓会
ヴァルクは、今まで何百何千もの冒険者達が触れた扉を押し開いた。焼いた肉と酒、濡れた革の匂いが混ざって流れてくる。夜だというのに、七湖都市ズィーベン・ゼーブルグ中心街のこの建物、冒険者ギルドの酒場だけは、まだ昼間のように騒がしい。
受付の方では、泥のついた外套を着た冒険者が、討伐証明らしい牙の束を卓に置いていた。別の窓口では、若い男が依頼書を睨みながら、隣の仲間と小声で相談している。
三枚の鋼鉄製カイトシールド。
壁に掛けられた冒険者ギルド連盟の紋章は、灯りを受けて鈍く光っていた。
荒っぽい声はある。酔った笑いもある。けれど、この場所には妙な一線がある。越えれば、引退した熟練冒険者のギルド・マスターが、狼藉者を許さない。此処は冒険者の、冒険者による、冒険者のための、そういう場所だ。
ヴァルクは、そのざわめきの中を抜けて、奥の卓へ向かった。
つばめが先に座っていた。エイデンもいる。アルフォンスは、いつものように何を考えているのか分からない顔で杯を持っている。
「遅~い」
つばめが言った。
「まだ始まっちょらんろう」
「席に着く前から言い訳しないの」
ヴァルクは笑って、椅子を引いた。
つばめ。
エイデン。
アルフォンス。
皇立学園時代からの古い顔ぶれだった。
「またヴァンがやらかしたぞ」
エイデンが、杯を片手にそう言った。今は神父の姿をしていない。その声には呆れが混じっていたが、怒っているわけではない。むしろ、どうにも困ったものだという顔だった。
つばめは、肘を卓につきながら笑った。
「誰かの学園生時代にそっくりね」
「まったくだ」
エイデンが静かに頷いた。
「おい、誰の話をしちゅう」
「あなたの話よ」
「貴様だ」
「あなたです」
三人に即答され、ヴァルクは少しだけ顔をしかめた。
「よし、こうなったら」
ヴァルクは、少し声を落とした。
「エイデン、おまえのところで、しばらく預かってくれんか。ちと手に余る」
「ヴァンをか」
「ああ。元気が有り余っちゅう。剣を持たせりゃロイとやり合う。盤を挟めば熱くなる。普段はあの顔で黙っちゅうくせに、肝心なところで妙に張り切る」
「良き事なり」
「止める側は大変なんじゃ」
エイデンは少しだけ考えた。
「肉親の情が、訓練の邪魔となるか……」
「そういう大げさな話にするな」
「だが、間違ってはいないだろう」
ヴァルクは言い返しかけて、やめた。
つばめは、杯の縁を指で軽く撫でた。
「あの子は問題児だけど、問題ないよ。いい子だ」
ヴァルクが、つばめを見る。
「やけに言い切るな」
「医務室に来る子は、だいたい分かるの。あの子は、怪我を隠すし、無茶もするし、口も足りない。でも、悪い子じゃない」
「それは分かっちゅう」
「ならいいじゃない」
「よくないから言っちゅうんじゃ」
エイデンが小さく笑った。
「昔も、似たような会話をしたな」
「誰の話よ」
つばめが聞く。
「ヴァルクの話だ」
「だから、なんで全部俺に戻るがや」
「事実だからだ」
そこから、話は自然と皇立学園時代へ流れた。
無断で書庫に忍び込んだ者の話。寮の屋根に上って怒られた者の話。授業を抜け出して、劇団の公演を見に行った者の話。
そして、つばめが不意に思い出したように言った。
「そういえば、フォルテッシモ教授、覚えてる?」
「あのエロ爺さんか」
「そう。あの人、一度、私のお尻を触ったの」
ヴァルクの杯が止まった。
エイデンの目が細くなる。
「それは初耳だ」
「言ってないもの。その場で肘を入れたし」
「入れたのか」
「入れたわよ。それも思いっきり」
ヴァルクが大きく笑った。
「そりゃ教授も自業自得じゃ」
「あれは、不覚だったわ」
「まったくだ。接触を許すとは、修行が足りん」
エイデンは静かに言った。
「おっしゃる通りよ」
「まぁ、落ち込みなさんな。あ、そこの姉ちゃん、こっち、エール二杯おかわりじゃき」
ヴァルクが追加注文する間も、アルフォンスは、ほとんど何も話さなかった。ただ、酒場の入口の方へ一度だけ目を向ける。
「そろそろ、エドワードが来ますよ」
つばめが眉を上げた。
「本当に?」
その直後、酒場の扉が開いた。エドワードが入ってくる。つばめは、アルフォンスを見た。
「本当に来たわね。あんた、人の心だけじゃなくって、未来も読めるの?」
「読めませんよ」
アルフォンスは、それだけ言って杯に口をつけた。
「申し訳ない。遅れた」
エドワードは卓の前で軽く頭を下げた。
「珍しいわね。何かあった?」
「少し、用があった」
「ハリエットちゃん?」
つばめが即座に言った。エドワードの表情が、ほんの少しだけ固まる。
「……挨拶をしてきただけだ」
「ふうん。挨拶ね」
「何か問題があるのか」
「別に。進展は?」
「進展という言い方は適切ではない」
ヴァルクが笑った。
「相変わらず真面目じゃのう」
「婚約者に会ってきただけだ」
「年の差ありあり婚約者に?」
つばめがにやりと笑う。
「茶化すな」
「茶化したくなる返しをする方が悪いのよ」
エドワードは席に座りながら、つばめを見た。
「そういう君も、早く結婚したらどうだ」
つばめの笑みが止まった。ヴァルクが、少しだけ楽しそうに杯を置く。
「お、返した」
「いい相手がいればね」
つばめは平然と答えた。その時、アルフォンスが静かに言った。
「ヴァルクや、エイデンは、どうですか?」
卓の空気が、一瞬だけ止まった。つばめが目を細める。
「そこでその名前を出す?」
「候補としては悪くないかと」
「余計なお世話よ」
ヴァルクは、困ったように笑った。
「俺は今、そんな余裕は毛頭ない。ヴァンの学費を稼ぐので大変なんじゃ」
エイデンが尋ねる。
「騎士団の稼ぎは?」
「ちぃと、家にでかい借金があってな……」
声は軽かったが、卓の空気が、ほんの少しだけ重くなる。それを打ち消すかのように、エドワードが、すぐに杯を持ち上げた。
「まぁ、ヴァルクなら問題ないさ」
その言い方は、慰めではなかった。できると知っている者の声だった。ヴァルクは少しだけ笑った。
「そう言われたら、やるしかないのう」
「そういえば、あんた」
つばめが、今度はエドワードへ顔を向ける。
「海兵隊で昇進したんだって?」
「ああ。小隊長になった」
「おお」
ヴァルクが杯を掲げた。
「それはめでたい」
「おめでとうございます」
エイデンも杯を上げる。
つばめも続いた。
「おめでとう」
アルフォンスも黙って杯を上げた。
五つの杯が、軽く鳴る。
乾杯の後、話は自然とこれからのことへ向かった。
「で、エドワードは、この先どうする気だ」
ヴァルクが聞く。
「海兵隊のトップに立つ」
エドワードは迷わず答えた。
「言い切るねぇ」
「そのために進んでいる」
エイデンは静かに杯を置いた。
「我は、道を極める」
「どの道かしら。神、それとも武の?」
つばめが聞く。
「道だ」
「答えになってないわ」
「今は、それでいい」
つばめは肩をすくめた。
「おいおい、この流れはなんじゃ。学園の卒業文集じゃあるまいし」
「いいじゃない。もしかして恥ずかしいの?」
「うんにゃ」
「なら続けちゃうね」
ヴァルクは息を吐いた。
「私は、いいお嫁さんになって、いいお母さんになることかな」
「つばめが?」
ヴァルクが言った瞬間、つばめの目が、じっとり細くなった。
「何か文句ある?」
「いや、ない。ないぞ」
アルフォンスは、少しだけ笑ってから言った。
「私は、平穏に生きたいですね」
「一番似合わないことを言うんじゃないよ」
つばめが言った。アルフォンスは否定しなかった。最後に、ヴァルクが杯の中を見た。
「俺は……あいつが立派に育つことかな」
「弟か」
エドワードが聞く。
「そう。ヴァンじゃ」
ヴァルクは、少しだけ嬉しそうに目を細めた。
「あいつが、自分の足でちゃんと立てるようになれば、それでえい」
しばらく、誰も茶化さなかった。酒場の喧騒だけが、卓の周りを満たす。その空気を変えるように、エドワードがふと思い出した顔をした。
「そういえば」
全員の視線が、エドワードへ向く。
「今後、七聖学院の学芸会に、すごいゲストが来るそうだぞ」
「え?」
つばめが聞き返した。
エイデンが杯を置いた。
アルフォンスが帽子のツバを引き下げた。
ヴァルクが目を細めた。
エドワードは、少しだけ声を落とす。
「それは──」




