閑話休題3 第三話 御茶会
どうして、こうなった。
目の前には、白い陶器のカップ。
その中には、薄い琥珀色のお茶。
小さな皿には、砂糖を薄くまぶした焼き菓子と、赤い果実のジャムを挟んだ丸いお菓子。
そして、私の正面には、イネヴェアさん。
その左右には、エインさん、アディさん。わたしの隣には、クリスさん。
つまり。
私は今、御茶会に参加していた。
……そう。御茶会に、参加していた。
「ですから、マナ様は、ただ美しいだけではないのですわ」
イネヴェアさんが、背筋をまっすぐ伸ばしたまま言った。
カップを持つ手の角度まで、なぜかきれいだった。
「皇家の方としての気品。無駄なことを仰らない静けさ。あの年齢で、あれほど人を黙らせる雰囲気をお持ちなのですもの。あれは、そう簡単に身につくものではありませんわ」
「分かりますわ」
エインさんが頷いた。
「この前、廊下ですれ違ったことがありますけれど、何も仰っていないのに、こちらが自然と道を空けてしまいましたもの」
「それ、怖かっただけではありませんの?」
クリスさんが小さく首を傾げる。
「怖い、とは少し違いますわ」
エインさんは、真面目な顔で言った。
「こう、背筋が伸びる感じです」
「ああ、それは分かります」
アディさんが、カップを置きながら頷いた。
「マナ様に見られると、姿勢を正さなければならない気がします。言葉をかけられたわけでもないのに」
私は、カップを両手で持ったまま、相槌の時機を探していた。
マナ様。
たしかに、すごい人だと思う。
見た目も、立場も、雰囲気も。
ただ、私の場合は、少し違う。
背筋が伸びるというより、心臓が縮む。
それは言わない方がいい気がしたので、私はお茶を一口飲んだ。
いい香りがした。
少し渋くて、あとから花みたいな匂いがする。
「ミコトさんは、どう思われまして?」
「えっ」
急に聞かれて、私はカップを落としかけた。
あぶない。
御茶会のカップは、たぶん落としてはいけない。
「マナ様のことですわ」
イネヴェアさんが、当然のようにこちらを見る。
「えっと……」
私は少し考えた。
ここで、怖いです、と言うのはたぶん違う。
かっこいいです、と言うのも、少し浅い気がする。
「とても、存在感のある方だと思います」
私がそう言うと、イネヴェアさんは一瞬だけ目を細めた。
失敗しただろうか。
「悪くない表現ですわ」
よかったらしい。
「存在感。そうですわね。まさに、それですわ」
イネヴェアさんが満足そうに頷いた。
御茶会、むずかしい。
ひとつ答えるだけで、胸の中に小さな試験がある。
「けれど、マナ様は髪飾りをほとんどお使いになりませんわよね」
クリスさんが言った。
話が飛んだ。
さっきまで気品の話をしていたはずなのに、今は髪飾りの話になっている。
「そこがよろしいのですわ」
イネヴェアさんは、すぐに答えた。
「飾らずとも美しい方が、余計なものを足す必要はありませんもの」
「でも、薄紅の石などはお似合いになりそうです」
アディさんが言った。
「髪の色に合わせるなら、真珠も良いと思います」
「真珠は少し柔らかすぎませんこと?」
エインさんが言う。
「マナ様なら、もっと硬い光の方が似合いますわ」
「紅玉?」
「それは瞳と合いすぎて、少し強すぎます」
「では、金細工だけにするのは?」
「それは良いですわね」
私は、目だけで会話を追いかけていた。
速い。
御茶会の会話は、思っていたよりも速い。
そして、方向転換も急だ。
「ところで、中央通りの新しい菓子店には行かれました?」
クリスさんが、急に言った。
髪飾りの話は終わっていたらしい。
「新しい菓子店?」
エインさんが反応する。
「ええ。果実の砂糖漬けを薄い焼き菓子で挟んだものがあるのですけれど、あれがとても良いのです」
「あら。私、まだですわ」
イネヴェアさんが少しだけ眉を上げた。
「評判は聞いております。ですが、少し庶民寄りの店だとも」
「包装紙は可愛らしいですわよ」
「包装紙で菓子の格は決まりませんわ」
「でも、可愛い包装紙は大事です」
アディさんが静かに言った。
「贈り物にするとき、第一印象になりますから」
「それはそうですわね」
イネヴェアさんが頷く。
なるほど。
包装紙は、大事。
私は心の中でメモしておいた。
「ミコトさんは、甘いものはお好き?」
クリスさんに聞かれた。
「好きです」
これはすぐ答えられた。
「では、今度そちらのお店にも行きましょう」
「え」
「せっかくですもの。和之国の方が、こちらのお菓子をどう思われるのか、聞いてみたいですわ」
クリスさんは、悪気なく微笑んだ。
「ミコトさんの国には、どういうお菓子がありますの?」
アディさんが聞く。
「えっと……いろいろあります。お餅とか、お団子とか」
「おもち」
「おだんご」
三人が、聞き慣れない言葉を繰り返した。
イネヴェアさんも少しだけ興味を持った顔をする。
「それは、焼き菓子ですの?」
「焼くものもありますけど、たぶん、煮たり蒸したりする方が多いです」
「蒸す菓子」
エインさんが、少し考え込む。
「柔らかそうですわね」
「柔らかいです。あと、もちもちしています」
「もちもち」
クリスさんが、また繰り返した。
言葉の響きが気に入ったらしい。
「もちもちした菓子。少し気になりますわ」
「それは、茶に合いますの?」
イネヴェアさんが聞いた。
「合うと思います。たぶん」
「たぶん?」
「私、こちらのお茶との組み合わせは、まだ分からなくて」
「では、検証が必要ですわね」
イネヴェアさんが言った。
検証。
その言葉を、御茶会で聞くとは思わなかった。
「そういえば、今年は細いリボンを重ねるのが流行ですわ」
エインさんが、もう次の話題へ移っていた。
菓子の話も終わったらしい。
「太いリボンではなく?」
「ええ。細いものを二本、あるいは三本。色を少しずらすのです」
「学院の制服に合わせるなら、あまり派手にはできませんわね」
アディさんが自分の髪飾りに触れた。
「でも、休日なら良いと思います」
「ミコトさんのリボンは、いつも紫ですわね」
クリスさんがこちらを見る。
「あ、はい」
私は自分の髪に触れた。
三つ編みを留めている紫のリボン。
慣れた色だ。
「瞳の色と合っていますわ」
「髪にも少し紫が入っていますものね」
「黒髪に紫の光。珍しいですわ」
三人の視線が、私の髪へ集まる。
私は少しだけ背筋を伸ばした。
見られている。
御茶会は、話していなくても見られる。
「眼鏡も黒縁ですし、全体として少し落ち着きすぎですわね」
イネヴェアさんが言った。
これは、けなされているのだろうか。
たぶん、違う。
イネヴェアさんは、私を上から下まで見て、真剣に考えていた。
「細い銀の髪飾りを足すとよろしいのではなくて?」
「銀ですか」
「ええ。派手なものではなく、細いものです。紫を邪魔しない程度に」
「いいですわね」
エインさんが頷く。
「黒縁眼鏡とも合います」
「眼鏡に合わせて装飾を考えるのは、少し新しいですわ」
クリスさんが言う。
私はカップを持ったまま黙っていた。
自分の眼鏡が、装飾計画に入っている。
そういうこともあるらしい。
「あの、眼鏡は、たぶん実用品です」
「実用品だからこそですわ」
イネヴェアさんは、きっぱり言った。
「毎日使うものほど、きちんと見せるべきです」
なるほど。
言われてみれば、少し分かる気がした。
分かる気はしたけれど、御茶会で眼鏡の見せ方を考えることになるとは思わなかった。
「ペットの首輪にも、同じことが言えますわ」
エインさんが得意げに言った。
また話が飛んだ。
私は、今度は少しだけついていけなかった。
「首輪、ですか」
「ええ。実用品ですが、見た目も大切です」
「エインさんのところの犬、また新しい首輪にしたんですの?」
クリスさんが聞く。
「しました。青い革に、銀の留め具です」
「まあ、可愛い」
「可愛いだけではありません。前のものより軽いのです」
やはりエインさんは得意げだ。飼い犬が自慢なのかもしれない。
「それは大事ですわね」
アディさんが頷く。
「重いものは、動物が嫌がりますから」
「ミコトさんの猫は?」
イネヴェアさんが私を見る。
「ルナですか?」
林間学校で堂々と連れていたので、もう周知の事実らしい。
「ええ。黒い猫」
「首輪は、していません」
「まあ」
クリスさんが少し驚いた顔をした。
「逃げたりしませんの?」
「たぶん、嫌がるので」
「嫌がるなら仕方ありませんわね」
アディさんが、静かに頷いた。
「動物にも好みがあります」
思ったより、すぐ納得された。
「ルナさんは、何を食べますの?」
エインさんが少し身を乗り出して聞く。
「お魚とか、お肉とか。あと、時々、ヴァンさんが何か用意しています」
「ヴァンさんが?」
クリスさんの目が少し丸くなる。
「はい」
「意外ですわ」
「意外、ですか?」
「だって、あまりそういうことをなさるようには見えませんもの」
私は少し考えた。
たしかに、ヴァンはあまりそういうことをしそうには見えないかもしれない。
でも、ルナのことはちゃんと見ている。
「ヴァンさんは、優しいです」
言ってから、少しだけ口を閉じた。ちょっとムキになってたかもしれない。
イネヴェアさんが、こちらを見た。
エインさんも見た。
アディさんも、クリスさんも見た。
私はカップを持ち直した。
「……たぶん」
「たぶん、なのですわね」
イネヴェアさんが、少しだけ笑った。
からかわれている、気がする。
「そういえば、最近は防犯用の小型警報具が流行っているそうですわ」
クリスさんが言った。
話題がまた飛んだ。
今度はペットから防犯。
なぜそこへ行ったのか、私には分からない。
「ラヴェニカで流行っているものですわね」
エインさんが頷く。
「護身用として持つ御令嬢が増えているとか」
「音が鳴るものですの?」
「ええ。強い音で周囲へ異常を知らせるものです」
私は、そこで思い出した。
マリアンナさんが使ったという、あれ。
警戒術の音が鳴る小型警報具。
「マリアンナさんが持っていたもの、でしょうか」
「たぶん、それですわ」
クリスさんが嬉しそうに頷いた。
「実際に音を聞いた方の話では、とてもよく響くそうです」
「そうなんですね」
私は頷いた。
その音を、私は聞いていない。
その時、私は水晶湖にいたからだ。
でも、野営地の皆を起こしたのなら、たぶん、かなり大きな音だったのだと思う。
防犯ブザー。
私は心の中で、そう呼んでいる。
「ミコトさんの国にも、似たようなものがありますの?」
「あります」
「まあ」
エインさんが身を乗り出した。
「やはり、音が鳴るのですか?」
「はい。紐を引くと、大きな音が鳴ります」
「魔法ではなく?」
「魔法ではなく」
「それは便利ですわね」
「持ち歩けますの?」
「はい。鞄につけたりします」
四人の目が、少し真剣になった。
さっきまでお菓子やリボンやペットの話をしていたのに、防犯の話になった途端、空気が少しだけ変わった。
「それなら、色や形も大事ですわね」
イネヴェアさんが言った。
「いかにも防犯用、という見た目では持ち歩きにくいですもの」
「可愛い形なら、普段も持てますわ」
クリスさんが頷く。
「でも、いざという時にすぐ使えないと意味がありません」
アディさんが言う。
「飾り紐と一緒にすると、引きやすいかもしれません」
「なるほど」
エインさんが真面目に頷いた。
防犯ブザーの装飾について、御茶会で話し合いが始まった。
私は、もう何が普通なのか分からなくなってきた。
マナ様がかっこいい話。
新しいお菓子の話。
流行のリボンと眼鏡の話。
ペットの首輪の話。
防犯ブザーの話。
御茶会とは、もっと静かで、優雅で、怖いものだと思っていた。
けれど実際は、話題があちこちへ飛ぶ。
そして、みんな真面目だった。
かっこいいものには真面目に憧れて、おいしいものには真面目に喜んで、可愛いものには真面目に悩んで、危ないことには真面目に備える。
それが、少しおかしかった。
少しだけ、楽しかった。
「ミコトさん」
イネヴェアさんが、カップを置いた。
「はい」
「本日は、なかなか有意義でしたわ」
「そう、ですか」
「ええ」
イネヴェアさんは、当然のように頷いた。
「あなたの国のお菓子、もちもちについて伺いませんと」
「あ、はい」
「ですから、次回も来ていただきますわ」
「……え」
次回。
やっぱり、あった。




