閑話休題1 第三話 ミコイバナ
秘密基地には、ハリスとローティだけがいた。
正確には、ルナもいる。
ローティは床へ寝転がったまま、紐の先に結んだ布切れを左右へ振っている。ルナはそれをじっと視線だけで追う。飛びつきそうで飛びつかない。長い尻尾だけが、ゆっくりとリズムを合わせて揺れていた。意外と音楽性を有した仔猫なのだろうか?
「なあ」
ローティが、こちらを見もせず聞いて来た。
「ミコトって、眼鏡取ると可愛いよな」
「突然なんだ」
僕もオーレリアに頼み込んで、やっと借りて来た手帳から、一瞬も目を上げずに答えた。正直、女の子が可愛いとか、個人的な好みや価値観、判断基準の無い答えは分からない。そもそも、可愛いとか何だ言う話なら、うちのハリエット姉さんが一番可愛いに決まっている。それに今は、調査の手掛かりを整理するのが先なのだが。
「いや、なんかさ。あいつ普段、あの黒縁眼鏡で損してね?」
「お前はまず、その感想が出てくる頭をどうにかしろ」
「でも実際そうじゃね?」
ローティは布切れを揺らす。彼は軽薄だが、見る所は見ているし、社交性も高い。多分きっと彼の感覚は、世間一般的という価値判断で測るならば、至極真っ当な判断を下す。つまり、ミコトは世間一般的に見れば、「眼鏡を取れば可愛い」が成立すると見て良さそうだ。
「和之国の服も似合ってたし。あれで髪ちゃんと整えたら、かなりじゃねえ?」
「知らん」
あれは和之国で用いられる学生服だと聞いた。オーレリアが、やたら可愛い、欲しいと興奮していたが、物珍しさに対する希少価値補正が入って、可愛く見えている可能性も捨てきれない。それはつまり、ハリエット姉さんが学院の制服を着て和之国へ留学へ行けば、それだけで超可愛く見られるという事に他ならない。
「冷てえな」
「お前が軽い」
ローティは笑った。こいつは常に笑う。怒った所を見た事が無い。前向き、ポジティブ思考、能天気、根っからの陽気者、そう評するだけでは足りない何かがある様な気がする男だが。
「でも、恋愛の女神様案件っぽくね?」
「何がだ」
やはり、そう評しておいても今の所は全く問題は無さそうだ。
「ヴァンとミコト」
「……何が言いたい」
「あれ、デートじゃねえの?」
僕は、ルナが布切れへ前足を伸ばすのを横目に見ながら、溜息を吐く。先程の評価に、恋愛脳の持ち主と加えても良さそうだ。
「違う」
「即答だな」
「そもそも、あの買い物は最初から二人の予定じゃない」
「そうなの?」
ローティが食いつくように起き上がる。布切れを取り損ねたルナが、恨めしそうに見ているが、それはもう構わないのか。
「ルナの飯とか皿とか買うやつだっけ」
「元は五人で行く予定だった」
僕はオーレリアの手帳を捲って、該当箇所を見つけ出す。皇國暦1002年、覇竜11年、5月3日、獅子曜日。当時の状況が書かれている。その記録を見て、僕も詳細を思い出した。
「あの日は、ハリエット姉さんが途中で抜けた」
「急用?」
「ドルイド案件。だから僕も同行した」
「あー」
ローティが納得した顔になる。
ドルイド。
精霊や自然へ祈りを捧げ、その力を借りる術者。ハリエットはヤクトブレオ家の人間であると同時に、その力を持っていた。
「大変だよな、あれ」
「まあな」
戦術ドルイド。本来なら自然と共に暮らす彼等の力を、戦術利用する育成計画。皇帝暗殺を企んだ不届き者を出したヤクトブレオ家の僕らが、こうして七聖学院に通っていられるのは、ハリエットがドルイドとしての力を持っているからだ。利用価値さえあれば、落ちぶれた貴族家の人間でも、完全には冷遇されない理由になる。神聖系統の力は、それだけで価値がある。だが、大人達の好き勝手はさせない。変な事をされない様に、ハリエット姉さんが特別訓練や任務に呼ばれた時は、必ず僕が同行すると決めている。
「で、オーレリアは宿題が残っていた。記録は二人を見送った所で途切れている」
「結果、ヴァンとミコトの二人になっただけ」
「ふーん」
ローティは、まだ納得していない顔だった。
「でもさぁ、ヴァンって普通、女の子と二人で街行かなくね?」
「行かないな」
「じゃあやっぱ――」
「ルナのためだ」
僕は断言できる。
「必要な物があった。ミコト一人じゃ不安があった。だから自分が行った。それだけだ」
「恋愛感情ゼロ?」
「完璧完全にゼロだ。そもそも恋愛を理解していない可能性すらある」
「そこまで言う?」
「だって、ヴァンだぞ。何年も見て来たろ?」
ローティは少し考えてから、吹き出した。
「確かに」
僕は手帳を閉じかけて、また開いた。オーレリアの評したヴァンの記録を見てみる。ヴァンは、自分から誰かへ近付く人間ではない。けれど、頼まれると動く。特に、兄貴の頼みは断らない。他にも「兄貴に叱られる」だの、「兄貴にだけは負けたくない」や、「絶対、兄貴には知られたくない」等々、そういった過去の発言の数々が記録されている所を見ると、誰の影響かは一目瞭然だ。
「兄貴の影響だと思う」
僕は言った。
「ヴァルクさん?」
「ああ」
ヴァルク。
歳の離れたヴァンの実兄。
毛嫌いしているし、雑に扱っているように見えて、ヴァンはあの兄をかなり信頼している。命令だから従う、ではない。もっと自然だ。兄貴が言ったからやる。兄貴ならそうする。兄貴から教わった。そういう判断基準が、ヴァンの中に根付いている気がする。もしかすると兄貴ではなくもっと小さい頃に亡くなったという祖父の教えなのかも知れないが、いずれにせよ家族の教えであることに違いはない。
「女には優しくしろ、とか?」
「言ってそうだな」
「ヴァン、絶対『めんどい』って顔しながら守るタイプだろ」
「実際そうだ」
ローティは笑いながら、思い出したように、また布切れを揺らした。待ってましたとばかりに、ルナが、ぱし、と前足で叩く。いや、違うな。これは、もうその手は食わないぞと、拒絶の猫パンチかも知れない。
「お、反応した」
「遊ばれてるんだ」
「いや今のは俺の勝ちだろ」
僕はそのやり取りを横目で見ながら、別のページを開く。
ミコト・サトー。
和之国出身。湖で保護された和之国から来た留学生。実際に、和語しか使えなかった。ここまでは事実。問題は、その先だった。
「なあ」
ローティが呼びかける。彼は僕の思考を搔き乱すノイズでしかない時もあるが、時に僕にも思い付かない視点をくれる有用な助言者としての役割をしてくれる事がある。勿論、ハリエット姉さんに勝る助言者なんて、この世に存在しないのだが。
「ミコトって、結局なんなんだろうな」
「僕なりの推測はある」
本当に単なる推測の域を出ないのだが、ローティを黙らせるには十分だろう。
「本当? なにそれ? 聞かせてよ」
少しだけ僕は言うべきか迷った。
「恐らく、転移事故だと思う」
「へ?」
「ミコトは、和之国から転移陣で移動してくる途中で事故に遭った」
ローティが目を丸くした。
「そんなの分かるのか? 転移事故なんて、大事件じゃないか」
「断定じゃない。推測だ。ただし、事実を一つずつ積み重ねた上でだ」
先ず、湖に落ちるなんて、早々に無い。だが転落事故が起きない訳じゃない。そこは問題じゃない。問題は、何一つ手荷物を他に持ってなかったこと。その翌日に、学院に留学生としてやって来たこと。あまりにもタイミングが良すぎる。それに、あの事故の後、つばめ先生も、アルフォンス先生も、特に事故の原因については触れていない。何より、あのジークハルト先生が、転落事故について、全校生徒に対して注意を促すような行動を何もとらなかった。
「先ず、大人達が詳細を話していない」
問題はそこだ。大人達は、何かを隠している。多分、ミコトを守っている。事故そのものが、学院の記録に残っていない。だが、それを今ここで騒ぎ立てるのは違う気がする。事情を知らなかったが故に、僕達がミコトを危険に晒すかも知れない。
「隠蔽ってこと?」
「そう、あの事故は記録に残されず、隠蔽された可能性は高い」
「なんで?」
「和之国との問題になるから」
「うわ、政治」
「そう毛嫌いするな。僕も貴族家だ。政治は無視できない。それに、それだけじゃない」
僕は、もう一度ミコトの名前を見る。ミコト。その後には、オーレリアが、あれこれ聞き出した記録が並んでいる。身長4.66ft(約142㎝)、体重は秘密、好きな色は白、好きな季節は秋と冬。まだあるな…、好きな食べ物はカボチャ、紅茶、ケーキ。嫌いな食べ物はゴーヤ、聞いた事の無い食べ物だ。最後に、冠字で、『美命』と書かれている。
「それでミコトって読むの?」
「そのようだ。和語の授業でも習ってない読み方だが、人名はそういうものらしい」
「ふーん」
「僕は、この名前にも意味があると読んでいる。前に、和之国には巫女という存在があると習ったろ?」
「あー、この国で言えば神官みたいな?」
「ミコト」
「あー……巫女っぽい?」
「そうだ、音が近い。単に偶然かも知れない。だが、ミコトは、女神アーノウズ様の声が聞こえるらしいから」
「つまり、ミコトは巫女ってこと?」
ローティが聞く。僕は少し黙った。重なった事実から、そう断定しても特に問題はない所まで、状況証拠は揃っている。ミコトも、何かしら特別な能力が認められて、その役割や使命の為に学院に来たのかも知れない。だから国交問題にもなるし、事故も隠蔽される。でも、ハリエット姉さんの事例がある。大人達に利用されているなら、あんまり良い気はしない。僕はローティを見る。
「…ん?」
ローティは、軽い性格だが口の軽い男ではない。だが、それでも今は少しでも懸念は避けたい。既に大人達が何か把握しているのかも知れないし、対策も何か練られているのかも知れない。僕の考察が全て的外れの可能性だってある。今、僕が絶対に間違っていないと言えるのは、たったこれだけだ。
「……ミコトは、多分、普通の留学生じゃない。それと、眼鏡だ」
秘密基地の中で、少しだけ沈黙が落ちた。
ルナが、みぃ、と鳴いた。




