表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第二章 ともだち

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/96

第十九話 剣

 剣の勝負は、裏庭で行われた。


 裏門を抜けた先の庭園には、午後の光が斜めに落ちていた。低い花壇と、刈り込まれた植え込み。古い石畳の向こうには、湖へ下りる階段が見える。


 ミコトは、その先の桟橋を一瞬だけ見た。


 最初に目を覚ました場所だった。


 ミコトはそちらから意識を二人に戻した。


 ロイが、木剣を手にしている。ヴァンもまた、別の木剣を受け取っていた。


 どちらも剣術の授業で使うものだ。


「待って、ロイ様」


 先に止めたのは、オーレリアだった。


 いつもならすぐに開かれる手帳は、胸元で閉じられていた。筆記具も出ていない。


「剣で勝負する必要なんてないのよぅ。さっきの皇國将棋ピスコレだって、ちゃんと勝負だったわ」


 ロイは振り返った。


 いつものように明るい顔だが、真剣さも同居しているように見えた。


「オーレリアは、僕が怪我をするのが嫌なのか」


「当然よぅ」


 オーレリアは眉を寄せた。


「ロイ様が怪我をするのも、ヴァンが怪我をするのも、私は嫌よぅ」


 ロイの表情が、少しだけ緩んだ。


 嬉しそうだった。


 その顔に、オーレリアがさらに困る。


「喜ぶところではないのよぅ」


「すまない。嬉しかった」


「そういうところよぅ」


 ミコトは、二人を見ていた。


 ロイは、初めて会った時から勢いの強い少年だった。声は大きく、感情はまっすぐで、オーレリアのこととなると隠すということを知らない。


 許嫁。


 その言葉は知っている。


 けれど今、ミコトの前にあるのは、言葉だけではなかった。オーレリアは本気で困っているのに、ロイを突き放すようには見えない。ロイもまた、はしゃいでいるだけではなく、オーレリアの言葉をちゃんと聞いている。


「ロイ君」


 ハリエットも一歩前に出た。


「本当に、戦う必要はないと思う。木剣でも、当たったら痛いよ」


「分かっている」


「だったら」


「だから、ちゃんと真剣にやる」


 ロイの声が少し変わった。


 オーレリアへ向ける浮き立った声ではない。大人に向ける礼儀正しい声でもない。


 剣を持った者の声だった。


「ちゃんとやらない方が危ない。僕は、ヴァンを傷付けたいわけじゃない」


 ハリエットはまだ不安そうだった。


 ハリスが、庭を見回している。


 ローティは悪気なく笑っていた。


「面白くなってきた」


「面白がるな」


 ハリスが即座に返す。


「怪我をしたら面白くない」


「分かってるって。でも、見たいだろ」


「見たいかどうかと、安全は別だ」


 ヴァンは、そのやり取りを聞いているのかいないのか、木剣を片手に立っていた。


 止めず、急かさず、構えもしない。


 ただ、ロイを見ている。


 何を考えているのか、全く分からなかった。


「ヴァンさんは、止めないんですか?」


 ミコトは小さく聞いた。


 ヴァンがこちらを見る。


「ロイがやるって」


「でも、オーレリアさんもハリエットさんも、しなくていいって」


「二人は、ロイじゃない」


 短い返事だった。


 突き放しているようにも聞こえたけれど、違う気がした。ヴァンは、ロイを軽く見てはいない。止めないって、そういうことだ。ロイが自分で決めたなら、それが大事なんだ。


「ヴァン」


 ロイが呼んだ。


「お前は、止めないんだな」


「なんだ。止めてほしいのか」


「いいや」


 ロイは笑った。


 オーレリアが、胸元の手帳をぎゅっと抱いた。


「ロイ様」


「うん」


「私は、やっぱり反対よぅ」


「そうだろうな」


「ロイ様が、私のために何かしようとしてくれるのは嬉しいわ。でも、私のためだと言って、痛い思いをしてほしいわけではないのよぅ。そんな勝負なんてしなくても、ちゃんと私は『ロイ』を認めてるのよぅ」


 ロイは、黙って最後まで聞いていた。


 それが少し意外で、ミコトは瞬きをする。勢いだけの少年かと思ったら、オーレリアの言葉を、ちゃんと受け止めている。


「ありがとう、オーレリア」


 ロイは静かに言った。


「それは、すごく嬉しい」


「だったら」


「でも、それでもやる」


 オーレリアの手が、手帳を抱く力を少しだけ強めた。


「どうしてよぅ」


「オーレリアが僕を認めてくれているからこそだ」


 ロイはヴァンを見る。


 もう、照れた顔ではなかった。


「君が認めてくれている僕が、ここで引くわけにはいかない」


 オーレリアが口を閉じる。


「僕は、君が一番大事だ」


「ここで言わなくてもいいのよぅ」


「ここで言う」


「なぜよぅ」


「大事なことだからだ」


 真っ直ぐすぎる。


 ミコトは、見ているこちらの方が少し恥ずかしくなった。けれど、ロイの声はそこで止まらない。


「でも、君が一番大事だからこそ、引けない時がある」


 ロイの一人称が変わる。


「オレは、君の前で逃げる男にはなりたくない」


 オーレリアが顔を上げた。


「君に格好をつけたい。情けないところを見せたくない。それもある。けど、それだけじゃない」


 ロイはヴァンを見る。


「さっき、盤の上で向き合って分かった。こいつは、ちゃんと正面から向き合わないと見えない。まだ何かある」


 ヴァンは何も言わない。


「だから、剣でも向き合う。オーレリアの許嫁としてだけじゃない。ロイ・アッシュフィールドとして、引けない」


 オーレリアは困ったように息を吐いた。


「……ロイ様は、馬鹿ねぇ」


「知っている」


「そこは否定してほしかったのよぅ」


「君に嘘はつけない」


「そういうところよぅ」


 呆れた声だった。


 でも、そこには小さな柔らかさがあった。


 ミコトは、少しだけ置いていかれたような気がした。


 ロイの真っ直ぐさ。オーレリアの困った顔。二人の間にある、これまでの時間。ここまでの距離。


「分かったわ」


 オーレリアが言った。


「止めても、ロイ様はやるのね」


「やる」


 オーレリアは、しばらく黙って目を閉じた。


 開いた。そして、手帳を広げた。


「なら、記録するわ」


 筆記具を持つ手が、少しだけ震えていた。


「ロイ様が馬鹿なことをしたら、全部書くのよぅ」


「それは困る」


「困るなら、馬鹿なことをしないことねぇ」


「分かった」


 ロイは笑った。


 そして、ヴァンへ向き直る。


「待たせた」


「別に」


「やるぞ」


「やるか」


「ああ」


 ハリスが一歩前へ出た。


「条件を確認する」


 二人がハリスを見る。


「剣を落としたり、倒れたら止める。顔と首は狙わない。石畳から出ない」


 ロイが頷く。


 ヴァンも小さく頷いた。


「ローティ」


「前に出るなだろ?」


「ハリエット」


「怪我をしたらすぐ見るわ」


「オーレリア」


「もう記録してるわよぅ」


「ミコト」


「えっ」


「ミコトは……、見てて」


「あ、うん」


 ハリスは全員を見てから、一歩下がって片手を上げた。


 ロイが構える。


 右足を前に出して、右手で持った剣を腰の高さに持っている。左の手は後ろに大きく開いて、なんだか優雅に見えた。


 ヴァンは、まだ構えらしい構えを取っていない。木剣を握って、ただ立っている。それだけに見える。


 二人の動きが止まった。


 オーレリアの筆記具も、紙の上で止まった。ローティの口元から笑みが消える。ハリエットが息を詰めた。


 ミコトも、瞬きを忘れた。


 手を振り下ろしながら、ハリスが短く告げる。


「始めっ!」


 ロイが先に動いた。


 踏み込みは一歩。距離を消す一歩。


 石畳を蹴る前に、一瞬。身体が沈んだ。沈んだと思う間もなく前に出ていた。


 赤い髪が揺れた時には、もう木剣は突き出されている。


 速い。


 大振りではないし、威嚇の声もない。


 踏み込んだ足から腰へ、腰から肩へ、肩から腕へ。力が途切れず、剣先へ流れ込んでいるのが素人目にも分かる。


 木剣だから安全なのではない。


 木剣でも怪我をする。当たり所が悪いと死ぬことだってある。


 それぐらいのことは、ミコトにも分かった。


 ロイは本気だった。殺す気とはまた違う本気。


 怒っているのではない。傷付けたいのでもない。けれど、半端ではなかった。


 ヴァンの心臓を目掛けて、真っ直ぐに線が伸びる。


 ハリエットが小さく息を呑んだ。


 オーレリアの羽ペンは、まだ動けないでいる。


 ヴァンに剣が迫った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ