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緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第二章 ともだち

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第十八話 対局


 秘密基地の卓、ひっくり返したワイン用木箱の上に、皇國将棋ピスコレの盤が置かれた。ワインの銘柄は、月姉妹シュヴェスタ・ムーンと書かれている。


 これは籠を使ってくれないルナに、これなら気に入るかと思って持って来たが、結局はお気に召さなかった品だ。


 ヴァンとロイが向かい合う。


 オーレリアは当然のように手帳を開いた。ハリエットは卓の端で落ち着かずに二人を見比べ、ローティは面白そうに椅子の背へ肘を掛けている。


 ミコトは、盤の上に並べられる駒を見ていた。


 駒の形は、どれも同じではない。

 騎兵、槍歩兵、弓兵、魔道兵。見たことのない形のものもある。小さな人形にも、紋章にも見えた。


 ロイは胸を張って座っていた。


 礼儀正しい姿勢だった。

 けれど盤を前にした途端、目だけがまっすぐ前に出ている。


 ヴァンはいつも通りだった。


 駒袋を開き、必要なものだけを手元へ寄せる。

 急がない。

 騒がない。

 ただ、見ている。


「先手は?」


 ハリスが聞いた。


「公平に決めよう」


 ロイはそう言って、懐から銅貨を一枚出した。


 鈍い赤みを帯びた銅貨だった。

 片面には首都ラヴェニカの皇城が描かれている。


 ミコトには、それがどこの何なのかまでは分からなかった。


 ロイが銅貨を親指で弾いた。


 小さな金属音が鳴る。


 銅貨はくるりと宙で回り、ロイの手の甲へ落ちた。

 もう片方の手が、すぐにそれを覆う。


「裏」


 ヴァンが言った。


 手が開かれる。


 銅貨の上には、荘厳な皇城があった。


「よし。先手はオレが貰った」


「そうか」


 ヴァンは短く答えた。


 ミコトが、盤と二人を見比べる。


「先手が決まってから、駒を選ぶんですか?」


「そう」


 ハリスが、ミコトの方へ少し体を向けた。


「皇國将棋は、先手か後手かを決めてから駒を選び、配置する。これは先手有利の差を埋める為なんだけど、最初から後手と分かっていれば駒の配置を工夫できるからね」


「配置も自分で決めるんですか」


「決められる範囲がある。だから、同じ先手でも、同じ後手でも、常に同じ盤面にはならない」


 ミコトは盤へ目を落とした。


 ただ駒を動かす遊びではないらしい。

 始まる前から、もう勝負は始まっている。


 ヴァンは後手の駒を選んだ。


 騎兵。

 槍歩兵。

 弓兵。

 魔道兵。


 特別に奇をてらった編成ではない。むしろ基本中の基本だ。


 ロイの駒は違った。


 前衛にゴーレム。

 後衛に砲兵と弓兵。

 その後ろに神官。


 ローティが目を丸くする。


「うわ、重い」


「ロイは重いのよぅ」


 オーレリアも手帳に何かを書きながら呟いた。


 ロイは得意げに笑った。


「正面から突破すればよい。複雑に考えすぎるから、道を見失うのだ」


「道を潰す編成だろ、それ」


 ハリスが言った。


 ロイは否定しなかった。


「道を作るために、邪魔なものを押し退けるのみ」


 ヴァンは盤を見ていた。


 後の先。

 先の先。


 そういう言葉はある。


 だが、状況は動く。

 相手も動く。

 盤面も変わる。


 すべてをゼロベースで見るなら、いま打つこの一手は、常に先手だ。


「始めるぞ」


 ヴァンが言った。


「望むところだ」


 ロイが最初の駒を動かした。


 ゴーレムが前へ出る。


 重い駒だった。

 盤の上を一つ進むだけで、陣が押し出されたように見える。


 ヴァンは騎兵で牽制する。


 続いて、別のゴーレムも前へ出た。

 ロイは開幕から前線を厚く作る。


 弓では落ちない。

 騎兵で止めても、後ろから砲兵と弓兵が圧を掛けてくる。

 さらに、ゴーレムの天敵になる魔道兵へ、ロイの後衛が最初から狙いを置いていた。


 真っ直ぐだった。


 だが、雑な攻め手ではない。


 ヴァンは弓兵を動かした。

 狙うのはゴーレムではない。


 ロイの弓兵。

 砲兵。

 後ろの火力。


 ゴーレムを無理に落とす必要はない。


「そう来るよな」


 ロイの口元が少し上がった。


 ヴァンは答えなかった。


 騎兵を一つ寄せる。

 突撃ではない。

 まだ、走らせない。


 ロイのゴーレムが、進路を塞ぐ。


 ヴァンは別の筋を見る。

 そこにも、ゴーレムがいる。


 ただ前に出しているわけではない。

 騎兵が飛び込む線を、きちんと消している。


 ヴァンの指が、駒の上で止まった。


 ロイは勢いだけではなかった。


 正面から来る。

 正面から押す。

 だが、その正面が崩れないように、側面の隙も見ている。


 なら、崩す場所は正面ではない。


 ヴァンは槍歩兵を寄せた。


「そこに置くか…」


 ロイが言った。


 ヴァンは駒から指を離す。


 ロイのゴーレムが、少し動く。

 誘われたというほど露骨ではない。

 だが、押し返すために、その一角がわずかに前線から浮いた。


 ヴァンは受ける。


 押されているように見せる。


 ロイは前へ出る。


 ヴァンはまた受ける。


 そのたびに、ゴーレムの一角だけが、ほんの少しずつ本隊から離れていく。


 ミコトは、盤面の意味までは追えていないようだった。

 けれど、二人の声が減っていくのは分かった。


 ハリエットも黙った。

 ローティも口を閉じた。

 オーレリアの筆記具だけが、紙の上を走る。


 ロイの指が、次の駒へ伸びたところで止まる。


 気付いた。


 ヴァンは盤を見ていた。


 ロイの前線に、細い隙間が生まれている。

 そこへ次の一手で騎兵を走らせれば、後衛へ届く。


 砲兵。

 弓兵。

 神官。


 まとめて食い散らかせる。


 ロイが防ぐ手が、あるにはある。


 神官を壁に置く。つまり捨て駒だ。


 それなら騎兵は止まる。

 だが神官を失えば、その先のロイは大きく不利になる。


 ロイの指は動かなかった。


 ヴァンは待った。


 ロイが何を選ぶのか、見たかった。その意志を。


 その時だった。


 黒い影が、卓の端へひらりと乗った。


 駒が倒れ、盤上が崩壊した。


 弓兵が転がり、槍歩兵が横を向き、ゴーレムが前線からずれた。

 神官の駒は、長い尻尾に押されて、床に落ちた。


「ルナ」


 ミコトが小さく声を上げる。


 ルナは答えなかった。


 全員が止まった。


 ルナは悪びれもせず、盤の中央に座った。


 しっぽが、ぱたりと動く。


「みー」


 まるで、遊んでと言ってるようだった。


 ヴァンは怒らなかった。


 ロイは固まっていた。


「……これは」


 ハリエットが困った顔で言う。


 オーレリアが、口元を手帳で隠した。

 肩が笑いをこらえて震えている。


「笑いごとじゃないぞ、オーレリア」


 ロイが言った。


「ごめんなさい。でも、これは傑作なのよぅ」


 ハリスは崩れた盤面を見た。


 倒れた駒。

 ずれた前線。

 ルナの前足の下にある騎兵。

 世界そのものから弾かれた神官。


「これ、戻せる?」


 ハリエットが尋ねた。


 ハリスは少しだけ眉を寄せた。


「ゴーンズさんでもない限り、正確な再現は無理だと思う」


「へぇ、学歴は無いって聞いてたけど、ゴーンズさんって頭いいんだ?」


 ローティが言った。


「違う。学歴はある」


 ヴァンが短く訂正した。


 ハリスが続ける。


「そう、学校歴が無いだけ」


 ローティは目を瞬かせた。


「なにそれ」


「学校に行っていないのと、学がないのは違うってこと」


「そっか」


 ローティは素直に納得した。


 ハリスは盤から目を離さなかった。


「ゴーンズさんなら、たぶん今の盤面を完璧に覚えてる」


 ルナが小さく鳴いた。盤の上で丸くなる。


 これでは仕切り直しも難しい。


 ロイは深く息を吸い、大きく吐いた。


「……これは、引き分けか?」


「戻せないからな」


 ハリスが言った。


「だが待ってくれ。オレはまだ負けてない」


「おれも勝ってない」


 ヴァンが言った。


 どちらも、納得していない顔だった。


 ミコトは、その二人を見比べる。


 怒っているのとは違う。

 嫌っているのとも違う。


 ロイが先に口を開いた。


「なら、別の勝負だ」


「何で」


「剣は使えるか?」


 ハリエットが小さく息を呑んだ。


「え、剣?」


 ローティの顔が明るくなる。


「お、いいじゃん」


 オーレリアはすでに手帳へ次の行を書き始めている。


 ハリスは片手で額を押さえた。


「どうしてそうなるんだ」


「盤面で決着がつかないなら、身体で確かめるしかないだろ?」


 ロイは真っ直ぐに言った。


 ヴァンは、盤の上で丸くなっているルナを見た。


 しばらく動く気はなさそうだった。


「剣だな。いいぞ」


 ヴァンは事も無げに応じた。

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