49話:村の後ろ盾
あの騒動から1週間が経ったが、客足は戻っていなかった。
当然、現場は重たい空気が流れていたが、俺ができる限り明るく振る舞った。
「大丈夫!ローションは売れているし、そのうち何とかなる!」
「…そうですね」
「…」
エリーゼは、少しだけ回復した元気を完全に使い切ってしまっていた。
自分のせいだという強い自責の念。
ここまでの功績が彼女ありきだとしても、それで納得することはないだろう。
一方のナディアは黙々と仕事をしていた。
慰めも叱咤もないのが、彼女なりの優しさだった。
そんな、完全八方塞がりの状況で、"彼ら"はやってきた。
ーー
「ぞろぞろとやってきたな…」
それは昼下がりのことだった。
湯屋の前に、見慣れない老人たちがやってきた。
質素だが上等な布をまとい、杖をついた亜人の老人。
その後ろには、村の顔役らしき者たちが数人いる。
ナディアの表情が変わった。
「由太ちゃん」
「知ってるのか?」
「村の長老衆だよ」
長老衆とは、どう聞いても面倒くさい。
老人たちは湯屋の前で足を止めた。
先頭の老人はエリーゼを見た。俺など眼中になしだ。
彼らの目には、老体とは思えない鋭さがあった。
エリーゼをじろじろと見る。
後ろでこそこそと耳打ちをしたりもする。
- 何なんだこいつらは…
その中で、もっとも年老いた印象の男が前に出た。
周りの長老衆が左右に分かれる。
この男が、最長老といったところだろう。
男は白い髭を一撫でして、屈んだ腰でエリーゼを見た。
心の最深まで見透かすような、真っ黒な瞳だった。
そして――
この世の礼の全てを尽くすように、深く頭を下げる。
時が流れるのを躊躇しているように、ゆっくりと顔を上げる。
「あなた様が、スライムの女王でよろしいでしょうか?」
「え、あの、私は……」
エリーゼが硬直する。
「お初にお目にかかります、女王陛下。私はヘンソニア・マロニエル。この村の長老衆を取り仕切っております。陛下におかれましては、ご健勝の由、何よりに存じます」
老人は次に俺を見た。
「そして、湯屋の主」
なんとも微妙な肩書きを与えられてしまった。
「お二人に、お話があります」
その言い草は、恐怖でも好奇でもない。
ましてや、悪戯の仰々しさではない。
その目は真剣だった。
「中で聞きましょう」
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湯屋の待機場所に、長老衆が腰を下ろした。
ナディアは入口に立ち、エリーゼは俺の隣にいる。
スライム娘たちは、エリーゼの後ろにぴたりと張りついていた。
長老は、壊れた受付の跡を見て、静かに口を開く。
「親方は去りました」
「去った?どういうことだ?」
「動ける程度には回復したようです。だが、彼の暴力に対する信用はこの一帯には残っていないのです。力ある者という点で、彼は最も信頼されていた。もちろん、好意ある信頼とは呼べませんでしたが」
それは喜ぶべき話のはずだった。
だが、長老の顔は暗い。
「何か問題があるんですか?」
「大いにあるのです」
嫌な予感がした。
「親方は横暴だった。女たちから取り、店から取り、逆らう者を押さえつけた。あれを惜しむ者は少ない」
「なら、いいじゃないですか」
思わず言うと、ナディアが横で小さく息を吐いた。
長老は、ゆっくり首を振る。
「横暴な者にも役割はあるのです」
「役割?」
「親方は外の組織の傘下でした」
湯屋の空気が変わった。
「外の組織?」
「パルマに根を張るマフィア。この村の風俗街は、親方を通して連中の縄張りになっていたのです」
なんてこった。
親方は、ただの暴力トロールはなかったらしい。
暴力トロールであることに変わりはないが、背後に群れがいた。
「つまり、親方がいたから、他の連中が手を出してこなかった?」
「そうです」
長老は頷く。
「親方は、この村から搾り取っていた。だが同時に、外からもっと別の者が入ってくるのを防いでいた」
悪いやつを倒したら、もっと悪いやつが来るかもしれない。
勧善懲悪の後始末として、あまりにも現実的すぎる。
「それで?長老衆は俺たちに責任でも取らせに来たんですか?」
「言い方を選ばなければそうなりますな」
「どうしろと?親方が納めて金を代わりに払えとかですか?」
長老は、少しだけ目を伏せた。
「後ろ盾になってほしいのです」
「……後ろ盾って?」
「この村の風俗街の後ろ盾です」
俺は言葉を失った。
「待ってください。俺たちは湯屋を作っただけです」
「分かっております」
「親方の代わりなんてできませんよ」
「親方の代わりをしてほしいのではない」
長老は、エリーゼを見た。
「女王陛下の力で、外の連中への抑止になってほしい」
エリーゼが小さく息を呑む。
「私が……?」
「昨夜のことは、すでに村中が知っている。親方を膝づかせたクイーン・スライムがいる。そう広まっている」
「私は、そんな……」
エリーゼの声が震える。
俺は少し前に出た。
「エリーゼを看板にして脅しに使うつもりですか?」
「そう聞こえるのは承知しております。そして否定もいたしません」
長老は逃げなかった。
「だが、外の者は理屈では止まらないのです。親方が倒れたなら、次の縄張りを取りに来る者が必ず現れる」
「……」
「この村には、それを止める力がない」
老人の声は苦かった。
「ロタは小さな村です。だが、風俗がある。異種族の女たちがいて、旅人が来る。商人が来る。酒場が潤う。食材が売れる。宿が埋まる」
長老は湯屋の壁を見る。
「汚れ仕事と蔑まれながらも、風俗はこの村の生命線なのです」
ナディアは何も言わないが、その表情は硬い。
彼女はきっと、その生命線の上で長く働いてきた。
「親方のやり方は間違っていました」
長老は続ける。
「だが、親方が消えれば、産業ごと食われてしまう。女たちはもっと悪い場所へ売られるかもしれません。客は荒れ、村は金を失う。それだけは、避けなければなりません。」
「だから、エリーゼに守れと?」
「その通りです」
長老は、改めてエリーゼに頭を下げた。
「女王陛下。ロタを守ってはいただけないでしょうか?」
湯屋の中が静まり返った。
スライム娘たちは、エリーゼにしがみついている。
ラトリアたちも、いつの間にか入口の近くに立っていた。
ランダールも、アニアも、黙ってこちらを見ている。
これは、エリーゼだけの話ではない。
女たちの働く場所。スライム娘たちの食い扶持。湯屋の存続。ロタの商売。
全部が繋がってしまっている。
「由太さん……」
エリーゼが俺を見る。不安そうだった。
彼女は昨日、自分の力に怯えたばかりなのだ。
それを今度は村の守りに使えと言われている。
俺は、すぐには答えられなかった。
ここで受ければ、話は一気に大きくなる。
湯屋の経営程度の話では済まない。
- だが、断ればどうなる?
親方の穴を別の親方が埋めるだけだ。
もっと悪い者が来るかもしれない。
せっかく作った湯屋も、女たちの居場所も、スライム娘たちとの約束も、全部が呑まれるかもしれない。
「エリーゼ」
俺は静かに訊ねた。
「エリーゼは、どうしたい?」
エリーゼは、すぐには答えなかった。
湯屋を見て、ナディアを見て、ラトリアたちを見る。
そして、自分に抱きつく小さなスライム娘たちを見た。
そして、ゆっくり言った。
「私は……誰かを怖がらせたいわけじゃありません」
「存じております」
「でも、この場所がなくなるのは嫌です」
その声は小さかった。だが、逃げてはいなかった。
「みんなが来られる場所を、守りたいです」
- それならが君の望みなら
「分かりました。話は受けます」
ナディアが、わずかに目を細める。
長老衆が安堵の息を呑んだ。
「ただし、俺は親方とは別の方法でロタの風俗を守ります」
「では、どうされる?」
「仕組みにします」
俺は指を折る。
「客の受付を一つにまとめる。危ない客は出禁にする。女の子がどこで働くか選べるようにする。部屋代、湯代、管理費は明確にする。取り分もごまかさない」
ナディアが少し笑った。
「また大きく出たねぇ」
「ああ」
俺は頷く。
「親方が暴力で握っていたものを、俺たちは約束と居場所で回す」
長老は黙って聞いていた。
「外の連中には、エリーゼの存在が抑止になるかもしれない。だが、それだけでは駄目です。村として、誰が何を守るのか決める。湯屋だけじゃ足りない。受付、案内、部屋、衛生、女の子の管理。全部を整える必要がある」
「つまり?」
「総本店を作ります」
口にした瞬間、自分でも少し驚いた。
だが、言葉にすると形が見えた。
「客はまず総本店で受付をする。そこで女の子や店を案内する。必要なら、うちから嬢を送る。湯屋、個室、ローション、送迎、客管理。バラバラだった風俗を、一本の仕組みにする」
それは、ただの店ではない。
ロタの風俗街を支える中枢だ。
「その代わり、村にも協力してもらいます」
「できる限りのことはしよう。何が入用か?」
「土地。建物。人手。外部との交渉。あと、長老衆の承認」
長老は、深く頷いた。
「あい分かった。用意をさせましょう」
この長老は物分かりが良くて助かる。
いや、たぶん長老衆も村を守るために必死なのだ。
「ただし」
俺は続ける。
「エリーゼを化け物として扱うのは許しません」
長老が顔を上げる。
「彼女は後ろ盾ではある。でも、道具ではない。彼女に全部押しつけるなら、この話は受けない」
エリーゼが俺を見る。
ナディアが小さく笑った。
「由太ちゃんにしては、いいこと言うじゃないか」
「いつも言っている」
「たまにね」
たまになのか。
長老は、今度は俺ではなくエリーゼに向き直った。
「クイーン・スライム様。いや、エリーゼ殿」
エリーゼが驚く。
「この村は、あなたを恐れるだろう。だが、それでも頼らなければならないのです。勝手な話だとは分かっております」
「……はい」
「それでも、力を貸していただきたい」
エリーゼは少しだけ黙った。
そして、深く頭を下げた。
「私にできることなら」
ラトリアが笑い、ランダールの耳が揺れ、ナディアが呆れたように肩をすくめる。
長老衆は、深く頭を下げた。
こうして、俺たちはまた一段、面倒な場所へ足を踏み入れた。
湯屋を作っただけのはずだった。
ローションを売っていただけのはずだった。
ヌルヌルベッドでソープランドを作っただけだった。
それが、今やロタの風俗街の後ろ盾である。
人生とは分からない。死後なら、なおさら分からない。
だが、やるしかないのだ。
親方が暴力で作っていた秩序を、俺たちは別の形に作り替える。
風俗を、汚いまま放置するのではなく、働く者が戻ってこられる場所にする。
観光として村を潤し、女たちに金を残し、客を管理し、外の連中を牽制する。
そのための俺は、この村に風俗経営を取りまとめる総本店を作る。
俺は、壊れかけの湯屋の受付を見た。
「ナディア」
「なんだい?」
「忙しくなるぞ」
「今さらだね」
ナディアは呆れたように、少し笑いながら首を振る。
「エリーゼ」
「はい」
「総本店を作る」
エリーゼは少し不安そうに、それでも笑った。
「はい」
その笑顔を見て、俺も頷く。
ーー
そこからは、慌ただしい日々だった。
そう言っても、俺の日々はこれまでも慌ただしいのだが。
- そして、話は三年後へ




