48話:信頼と万策
『クイーン・スライムが出た』
ロタの村に走らった噂は人々の恐怖を煽った。
親方をねじ伏せたスライムは湯屋を根城にしている。
人の姿に擬態したスライム娘が村に住み着いている。
噂というものは、いつだって足が速い。
その足は大抵、方向感覚が狂っている。
一晩経つ頃には、エリーゼは親方を食ったことになっていた。
だが、村の連中にとっては真実などどうでもいいことだ。
大事なのは、怖がるに足る物語があるかどうか。
今のエリーゼには十分過ぎるほど、それがあった。
「……誰も来ないな」
俺は湯屋の受付で呟いた。
開業以来、客が途切れなかった湯屋が嘘のように静まり返っている。
壊された受付は応急処置で直した。
割れた棚は片付けたて、ローションも補充した。
だが、客が来ない。一人もだ。
「まあ、そりゃそうだろうね」
ナディアが腕を組んで言う。
エリーゼは、壊れたヌルヌルベッドの残りを片付けていた。
手つきは丁寧だが、明らかに元気がない。
自分が怖がられているという事実が、彼女の肩に重く乗っているのだろう。
「由太さん」
エリーゼが小さく言う。
「私、外に出ない方がいいでしょうか」
「そんなことはない」
「でも、私がいると……」
- 客が来ない?
- みんなが怖がる?
- 湯屋の邪魔になる?
彼女の言いたいことが嫌でも分かる。
だからこそ、腹が立った。
エリーゼは湯屋を守っただけなのにだ。
皆のための居場所を、守っただけなのに怖がられている。
「エリーゼ...」
俺が掛けるべき言葉を探していた時に、湯屋の外から声がした。
「由太さーん!」
その聞き慣れた声じは、ゴブリン娘の義長女のラトリアだった。
外へ出るとデヴィとチェルシーもおり、三人ともいつも通り。
「開いてますか?」
ラトリアが、自慢のあざと乳揺れ小首傾げスマイルで訊ねる。
「……来てくれたのか」
「当たり前じゃないですか!」
「今日は人来ない。つまり貸し切り。お得な機会」
「色々壊れちゃいましたし!みんなで、お手伝いしようって!ね!?」
「…….」
「ふふふっ」
デヴィの照れ隠しを、チェルシーが一瞬でぶち壊す。
ラトリアは、そんな二人をみて微笑む。
三人の様子は恐る恐るではないし、警戒する素振りもない。
いつも通りに、湯屋に来てくれたのだ。
奥からエリーゼが顔を出す。
「あ……」
三人娘はエリーゼを見る。
エリーゼの表情が強張り、時間が止まった気がした。
けれど、ラトリアはすぐに駆け寄った。
「エリーゼさん、大丈夫ですか?」
「え……」
エリーゼは困惑して目を反らす。
だが、三姉妹は畳みかけるように言葉を掛ける。
「昨日、すごく怖かったですよね」
「親方をやっつけたの、格好よかった」
「エリーゼさん!凄い強いんですね!」
エリーゼは目を丸くした。
「私のこと、怖くないんですか?」
三人は顔を見合わせる。
「怖い?エリーゼさんが?」
「なんで!?怖いわけないよ!?」
「エリーゼ。助けてくれた」
その一言で、エリーゼの目が揺れた。
「でも、私……親方を……」
ラトリアが笑いながら言う。
「まあ、殺したわけじゃないですし!」
「え?」
「殺してなきゃ、大丈夫です!」
- 売春婦は強かった!
彼女たちにすれば、殺さなければオッケーらしい。
基準がぶっ飛んでいるが、その意味はこう言うことだろう。
- 殺していなければ、取り返しはつく
エリーゼの顔が、少しだけ崩れる。
泣きそうな、笑いそうな顔だった。
「ありがとうございます……」
その後も、少しずつ女たちがやってきた。
ランダールとアニア、そして獣人娘たち。
それに、ナディアの元の店の子たち。
リギリトゥとトロイカも顔を出した。
リギリトゥは相変わらず無表情で、トロイカはヘラヘラしていた。
「怖くないのか?」
俺が訊ねると、ランダールは耳をぴくりと動かした。
「怖いもなにも、悪いのは親方です!」
「エリーゼさんは、いつも優しいですよ」
「ヌルヌルは正義」
- さっきから基準がバグってないか?
そう思ったが、みんなの気遣いなのだろう。
エリーゼと関わってきた者たちは、彼女を化け物としては見なかった。
ナディアは、他の売春婦たちより少し年期の入った顔で小さく笑う。
「よかったじゃないか」
「何がだ?」
「怖がらない連中もいるってことさ」
「ああ」
俺は頷いた。
だが、問題が消えたわけではない。
原液が届いたら、ローションを仕込んで、売り込みもしないとならないか…
ーー
湯屋の裏から小さな声がした。
「お姉さま!」
「いた!いた!」
沼のスライム娘たちだった。
原液を届けに来た数体が、ぴょんぴょん跳ねながらエリーゼへ駆け寄ってくる。
「お姉さま!」
「チカラが、ガーってした!」
「つよい!姫さま?」
「ぎゅーして!」
次の瞬間、エリーゼの身体にスライム娘たちが抱きついた。
いや、抱きついたというより、どちらかと言えば張りついていた。
エリーゼは驚きながらも慌てて受け止める。
「あ、あの、みんな……」
「会いに来た。エリーゼ」
遅れて森から出てきたのはグロリアだった。
「グロリアさん。今日はどうして?いや、なんでこの子たちは?」
「お前たち、みんな質問が多い。私も知っていることは少ない」
「すみません…」
エリーゼがしょんぼりとする。
その光景が微笑ましくて少し笑った。
「グロリア。なんで今日は来てくれたんだ?」
俺は助け舟を出す。
「力を感じた。この子たちも」
「力って?」
「知らない。けど共鳴した」
「つまり、どういうことだ?」
グロリアは答えない。というより、答えを持ち合わせていないのだろう。
俺は困ってエリーゼを見るが、彼女も同じような表情だ。
「スライム娘の体液に、影響を与えられるんじゃないのかい?」
そう言ったのは、ナディアだった。
「あの時さ。ローションもベッドも動き出していたじゃないか」
「つまり、この子たちにもエリーゼの力が伝わった?」
俺はグロリアを見る。
グロリアは何も言わず、コクりと頷いた。
結局、エリーゼがクイーン・スライムなのかは分からない。
ただ、明らかに小さなスライム娘たちはエリーゼに懐いていた。
これが何を意味するのか、誰も答えを持っていない。
だが、正直に言えば、俺はこう思ってしまった。
- そんなこと、どうでもいいことだろ。なぜかって?
エリーゼが、小さなスライム娘たちに寄ってたかられる。
その風景がなんとも、微笑ましかったからである。
「エリーゼ、人気者だな」
「由太さん……」
スライム娘たちには、恐怖ではなく憧れだった。
エリーゼは、自分たちより大きく、人間の形を保ち、粘液を操り、親方をねじ伏せた存在。
村の者にとっては化け物でも、彼女たちにとっては希望なのかもしれない。
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日が暮れてから数時間がたったが、客は来なかった。
湯を使う女たちは戻り始めたし、ローションの注文も少しはあった。
だが、ヌルヌルベッドを目当てにした客は来ない。
鼻の下を伸ばしきって並んでいた男たちは、綺麗に消えていた。
「村の酒場や市場で、危ない場所だって話題になってるんだろうね」
ナディアが帳面を閉じる。
湯屋は女たちの場所としては生き残った。
しかし、商売としては大損害である。
村の状況は、湯浴みに来た売春婦たちが教えてくれた。
完全に俺たちの予想通りだった。
「クイーン・スライムが出たらしい」
「親方を一瞬で潰したって」
「湯屋はスライムの巣だ」
「近づくと溶かされる」
「いや、女たちは普通に使ってるらしいぞ」
「じゃあ女だけ操られてるんじゃないか」
噂に知性を求めてはいけない。諦めろ
だが、ここまで馬鹿だと腹が立つ。
だが、ヒトの噂は止めることができない。
商売として立ち行かなくなるのは、時間の問題だった。
一般的に言えば、詰みの盤面だった。
それでも俺は余裕の表情を浮かべていた。
- 堀辺由太には秘策がある
- あいつなら必ずどうにかしてくれる
そう思わせ、彼女たちを安心させるために。
しかし、読者諸君にだけは、正直に伝させてほしい
見栄と虚勢でここまで凌いできたが、万策は尽きようとしていた。
格好つけずに言うならば——
- 俺にはもう打つ手がなかった




