45話:沼地の再訪
翌日。俺たちは、南の沼へ向かっていた。
俺、エリーゼ、ナディアの経営幹部3人揃い踏みである。
以前、俺は一人でこの沼を訪れた。
ローション生成を任せるスライム娘を探すためだった。
働き手を探すというのは、一般的な感覚だと思う。
しかし、スライム娘たちは俺を恐れた。
訪問者を睨み、"騙されるな"と叫んだ。
彼女たちから見れば労働とは搾取だった。
「由太さん」
隣を歩くエリーゼが不安そうに俺を見る。
「私が行って大丈夫でしょうか」
「俺だけで行くより、ずっといい」
「でも……」
「前に失敗したのは、俺が一人で行ったからだ」
俺は正直に言った。
「働いてくれる子を探していると言ったんだがな。今思えば、最悪だ」
「それは最悪だねぇ。特に、親方たちが酷い扱いをした後だったからね」
ナディアは容赦なく言った。
「彼女たちは、ちゃんと話ができる相手だ。でも、もう俺は警戒されている」
「そうなると、エリーゼちゃんが話しかないだろうね」
「ナディアさんは話してくれないんですか?」
「あたしはゴブリンだからね。多分、警戒されるよ」
「私が頑張らないとですね…」
その後も、ずっとエリーゼは不安そうだった。
その不安は拭えないまま、俺たちは沼まで辿り着いてしまう。
湿った土。濁った水。苔に覆われた木々。
人が好んで足を踏み入れる場所ではない。
だが、ここで暮らしている者たちもいる。
「居た。エルダー・スライムだ」
「エリーゼちゃんより小さい子ばかりだね」
「…」
彼女たちもこちらに気が付く。
半透明の身体で、木陰や水辺からこちらを見ていた。
そして、そのうち一人が声を上げる。
「またキた!」
「ヒトだ!」
「ダマされないで!」
「ゴブリンもいる!」
「こわい!」
前回と同じ。いや、今回はナディアがいる分、余計に警戒されている。
俺は両手を上げて、できるだけ穏やかな声で会話を始める。
「今日は、まず謝りに来たんだ。近づかないから話を聞いてほしい」
スライム娘たちは返事をしない。
「前は悪かった。働いてくれる子を探してるなんて言って、怖がらせた。ごめん」
沼地が静かになるが、空気は依然として張りつめている。
代わりに、エリーゼが一歩前へ出た。
「みなさん。こんにちは。私はエリーゼです」
エリーゼは擬態を解き、スライムの姿になる。
スライム娘たちの見る目が変わった。
「スライム?」
「ヒトみたい」
「おおきい……」
「エルダー?」
エリーゼは少しだけ緊張しながら、それでも真っ直ぐに言った。
「私はスライム娘です。今は、この人たちと一緒に暮らしています」
「ヒトにツカまったの?」
「違います」
エリーゼは首を振る。
「私が...この人たちと一緒に居たいんです」
「どうして?」
その問いに、エリーゼは少し考え込む。
そして、いつもの笑顔で答えるのだ。
「この人たちが、好きだからです!」
「…」
"好き"という、とてもシンプルな言葉。
きっと、俺の口からは出なかった言葉。
「話は私が聞く」
後ろから出てきたのは、緑色のスライムだった。
その個体は、明らかに他のエルダー・スライムとは異なる。
輪郭がしっかりしており、会話も流暢だ。
エリーゼが問いかける。
「あなたは?」
「私はエルダー・スライムのグロリア」
この子もエルダー・スライムなのか?
それに名前があるのか?
グロリアは、人間では12歳程度の大きさだろうか。
エリーゼと比べれば小さいが、沼地のスライム娘の中では際立った存在だ。
彼女はエリーゼをじっと見つめた。
そして、その口を開く。
「私より、ずいぶん大きいのね」
「グロリアさんは、本当にエルダー・スライムなんですか?」
「そうよ。私はエルダー。もう成長しないスライム。あなたとは違う」
ここまで我慢していた俺も、口を挟まずにはいられなかった。
「どういうことだ?なぜ成長しない?なぜ他の子より大きい?なぜ君には名前がある?」
「…」
俺の散らかった質問に、グロリアは黙った。
「すまない。でも、分からないことだらけで」
「ここだと他の子が怖がる。場所を変えたい」
「はい、もちろんです」
俺の代わりに、エリーゼが答えた。
ナディアは俺の腹を肘で突いた。
- ああ、分かってるよ。これは俺の問題じゃない
ーー
俺たちは、グロリアと一緒に場所を移す。
沼地の隣。少しだけ綺麗な岩場のエリア。
「さっきは、すまなかった」
「他のエルダーは今は怯えてる。気を付けて」
俺は頭を下げるしかなかった。
その頭をナディアが掴んで、更に押し下げる。
「うちのが迷惑かけたね。改めて、話を聞かせてくれないかい?」
「構わない。私も話を聞かないといけない」
グロリアの目はエリーゼを捉えている。
そして、スライム娘のについて話が語られる。
「質問に応える。私はエルダー・スライム。これ以上は成長しない」
「なぜ、分かるんだ?」
「分かるから、分かる。知ったのは、成長してからだけど」
「どういうことだ?」
「ある日、急に分かった。そして、名前も思い出した」
思い出すという言い方が引っかかった。
「逆に聞く。なぜ自分が"エリーゼ"だと分かる?」
「それは…」
「スライム娘の記憶。成長につれて思い出す」
エリーゼは黙っていたが、俺には確信があった。
彼女の知識量は異常だった。
最初は、ゴブリン三人娘などの話で得た知識だと思っていた。
だが、明らかにエリーゼの知識は広すぎる。
「君は、どこまで知っているんだ?」
「これしか知らない」
「君の他には、大きなエルダー・スライムはいないのか?」
「知らない。何十年かに1人くらいは見かける」
俺はナディアの言葉を思い出す。
『人の姿を取るスライム娘には気をつけろ』
エルダーの中にも特殊な個体が存在する。
だが、あくまでもエルダー・スライムなのだ。
その個体は非常に少なく、あまり認識もされていない。
「今度は、エリーゼのこと。教えて」
グロリアは幼く見えるが、容姿では想像できないほど、多くのことを見てきている。
その彼女でも、エリーゼが何者か分からないのだ。
「私は…ほとんど記憶がないんです」
「記憶がない?」
「なんとなく、ぼんやり。色々なことは、分かるのですが」
「あなたは、エルダー・スライムではないでしょ?」
「はい…多分、そうです」
「なんで分かる?私は分かる。あなたがエルダーではないと」
「私には分かりません。でも、分からないのに、知っているんです」
エリーゼは明らかに混乱していた。
存在しない記憶。理解せずとも、事実だけを知っている。
ナディアは、エリーゼの肩に手を添えた。
その問答に意味はないと伝えるように。
だが、グロリアは確信的な追及をする。
「あなたはクイーン・スライムではないの?」
空気は完全に凍りついた。
俺とエリーゼは、昨日のナディアの話から、その可能性を考えていた。
恐らくナディアも、それを分かってクイーン・スライムの話をしたのだろう。
「私には…」
「エリーゼはクイーン・スライムじゃない」
俺は、エリーゼの回答を遮った。
また余計なことをしたのは分かっている。
「クイーンは、一匹で世界を滅ぼせるんだろ?」
「分からない。クイーンがどんなスライムか知らない」
「分からないなら、話は終わりだ」
「ん、そう…」
グロリアは、もう何も聞かなかった。
それは、エリーゼもナディアも同じだった。
- エリーゼが厄災なわけがない。そんなはず…
気まずい空気の中で、言うべきことを言ったのはナディアだった。
「で、ローションの件はどうするんだい?」
ーー
「わーい!ごはんだ!」
「おにく、いっぱい!」
「うれしい、うれしい」
小さなスライム娘が集まり、沼はちょっとした宴会騒ぎになっていた。
話は、グロリアがまとめてくれた。
「私たちは体液を渡す。あなたたちは食べ物をくれる。それだけ」
「ああ、それで十分だ。助かるよ」
エルダー・スライムたちは、体液を出してくれた。
体液の品質は問題ない。これなら使えそうだ。
毎日買取に沼に来るのは大変だが、無理に連れ出すわけにはいかない。
大量生産と呼ぶには心許ないが、今はそれでいい。
ここは工場ではないのだから。
ヒトの手で、少しずつ大きくするしかない。
ーー
数日後。湯屋の奥で、エリーゼは沼から受け取った原液を調整していた。
ナディアは竹筒を並べ、俺は帳面に数を書き込む。
「今日は、いつもの倍くらいはいけそうだね」
ナディアが言う。
以前の体制なら、エリーゼが倒れかねない量。
だが、今は違う。負担は小さくなっている。
「疲れてないか?」
俺が訊くと、エリーゼは顔を上げた。
「はい。いつもより、ずっと楽です」
その言葉に、胸の奥が軽くなる。
これは、ただの増産ではない。
エリーゼを身を削らずに済む仕組みだ。
完成したローションを確認する。
品質は落ちていない。むしろ、調整に集中できる分、安定していた。
「由太ちゃん」
ナディアが竹筒を棚に並べながら言った。
「これなら上手く回るよ」
「ああ」
ローション事業は、エリーゼ一人の手を離れ始めた。
だが、それはエリーゼの価値が薄れるという意味ではない。
全く逆の意味だった。
彼女は、作るだけの存在ではなくなった。
スライム娘たちの体液を調整し、商品として管理できる。
- 嫁にもらう話は保留みたいだな
ーー
その夜、湯屋には多くの女性たちが来た。
ローションもよく売れる。個室の利用も増えた。
場所があり、湯があり、ヌルヌルがある。
女たちは身体を洗い、客を取り、また戻ってくる。
商売が、ようやく回り始めた。
そんな中、ナディアがぽつりと言った。
「またヌルヌルをぶちまけてる客がいるね」
「ぶちまける?」
「ヌルヌルを女の子にかけたりしてるのさ」
その瞬間、俺の中で何かが繋がった。
点と点が線になり、インテリジェンスは結晶化する。
「……ソープランド」
「そーぷ?」
エリーゼが首をかしげる。
俺はゆっくり立ち上がった。
「ローションは売るだけじゃない」
二人が俺を見る。
「ローションを使う体験そのものを売ろう」
新しい商売の形が、湯気の向こうに立ち上がっていた。




