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44話:伝説のスライム

ナディアの言葉に、湯屋の空気が止まった。


- エリーゼがスライム娘だとバレた?


初日の営業を終えた湯屋には、まだ湯気が残っている。

さっきまで女たちの笑い声が響いていた場所が、急に静まり返った。


エリーゼは、俺の隣で小さく身を固くした。


「……どうして、そう思うんですか?」


声は震えていなかった。

だが、指先がわずかに揺れていた。


ナディアはエリーゼをじっと見る。


「水がかかったときの髪の毛だよ」

「髪の毛?」

「水を吸わないで、全て弾いていた」

「……」

「それに、前からローションを作っている姿を私に見せない」

「ナディア…」

「ローションを作っているのは、この子なんだろ?由太ちゃん」


俺は思わず息を呑んだ。


「それは――」

「由太ちゃん」


ナディアは俺を遮った。


「怒ってるんじゃないよ」

「……」

「確認してるだけさ」


その声に、いつもの軽さはなかった。

けれど、敵意もなかった。


「私は……スライム娘です」


エリーゼは俯いたまま、ぽつりと言った。

知られたくなかった事実を、自分の口で。


俺は胸の奥が少し締め付けられる。


彼女は昔、自分のことを気持ち悪いと言っていた。

誰にも買われず、誰からも相手にされない。そんな存在だと。

その彼女が、自分の正体を告げている。


「そうかい」


ナディアは短く答えた。

あまりにも、あっさりしていた。


「ナディアさん……驚かないんですか?」

「驚いてるよ」

「そう見えないけどな」


俺は、ナディアの意図掴めなかった。

しかし、ナディアは呆れたような声で笑う。


「年を取るとね、驚き方にも品が出るのさ」

「ヒン?」

「子供みたいに騒いだりしないってことだよ」


エリーゼが、少しだけ顔を上げる。


「怖く、ないんですか?」

「怖いとは言わないが、少し不安はあるよ」


ナディアは正直に言った。


「スライムは嫌われてる。恐れられているんだ。理由もある」

「理由……」

「昔から言われてるんだよ。スライムは生き物を喰らう」


ナディアの声が、少し低くなる。


「子供の躾で"悪い子はスライムに食べられるぞ"なんてね」

「……」

「もちろん。普通のスライムに、そんな力はない。大人なら知ってるさ」


エリーゼは黙っていた。

俺は、その横顔を見ていた。


子供の頃から擦り込まれたイメージ。

沼地で暮らす得体の知れない存在。

スライムは死肉を拾い、村のゴミ捨て場を漁りる。


恐れられる側にも生活がある。

だが、恐れる側にも物語がある。


「それとね。伝説があるんだ」

「伝説?」

「伝説のスライム。"クイーン・スライム"さ」


挿絵(By みてみん)


ナディアの口から出た"クイーン・スライム"という言葉。

エルダー・スライムではない。別のスライムの名前。


「スライムたちを束ねる女王。かつて世界を支配した厄災」

「世界を支配?!」

「言っているだろ。ただの伝説さ。遙か昔、古の話だよ」


俺は正直、疑っていた。

伝説についてではない。伝説の正体についてだ。

それは多分、この子も同じだろう。


『仕方ないじゃないですか、私にも分からないんですから』


エリーゼは、ナディアに訊ねた。

自分の零した言葉を、確認するように。


「クイーン・スライムは、どんなスライムなんですか?」

「一匹で世界を滅ぼせす力を持つらしい。町も飲み込み干せるほどの巨体だったとも言われる」

「そのスライムは、どうなったんだ?」

「神々に打ち取られたそうだよ。だけど、女王は逃げ延びたって話もある。まだ、世界どこかに身を隠しているらしい。まあ、全部おとぎ話さ」


そう言ったナディアは、どこか遠い目をしていた。


「だけどね。これだけは昔から言われてる。"人の姿を取るスライム娘には気をつけろ"。中でも、きれいに人型を保てる個体は危ない。普通のスライムじゃないって」


エリーゼは肩を震わせてた。

彼女がクイーン・スライムなのかは分からない。

それでも、やはり普通のスライムではないのだ。


それでも――


「違う」


俺は思わず言う。

俺が、彼女の代わりに言わなければならない。


「エリーゼは違う」

「何が違うんだい?」

「ヒトを傷つけたりしない!誰よりも優しい、ただの女の子だ!」

「は?何言ってんだい?知ってるよ」


ナディアは即答した。


「「え?」」


俺とエリーゼは困惑していた。

その回答が、あまりにもあっさりとしていたから。


「あたしは、この子を見てきた。倒れるまでローションを作って、湯屋ができたら誰より嬉しそうにして、女たちが喜んだら自分のことみたいに笑ってた」


ナディアはエリーゼを見る。


「ヒトを傷つける化け物は、あんな顔しないよ」


エリーゼの目が揺れた。


「ナディアさん……」

「だから、今まで通りでいいさ。誰かに言いふらす気もない」

「本当に?」

「ああ。本当さ」


ナディアは軽く笑い、大きな目は細くなる。

その瞳で多くのものを見てきたのだろう。

恐れられることも、値踏みされることも知っている、美しい瞳だった。


「でも、ナディア」


俺は言う。


「エリーゼのことは秘密にしてくれ。今はまだ知られるわけにはいかない」

「分かってるよ」


ナディアは頷いた。


「今日の客たちがこれを知ったら、せっかくできた湯屋から逃げる子も出る。親方に知られたら面倒にもなる」

「……すみません」


エリーゼが小さく言った。


「謝るんじゃないよ。あんたがスライム娘なのは、悪いことじゃない。ただ、知られ方を間違えると危ないってだけさ」


知られ方。それは確かにそうだった。

人は真実よりも、自分に都合の良い現実を信じる。


「それでね」


ナディアは急に、いつもの調子に戻った。


「一つ、思ったことがある」

「何だ?」

「ローションだよ」


俺とエリーゼは顔を見合わせる。


「エリーゼちゃんがスライム娘なら、あのヌルヌルはエリーゼちゃんの力なんだろ?」

「……まあ、そうだが」

「他のスライム娘に作らせて、エリーゼちゃんが品質を管理するのは?」

「沼に行って"働いて欲しい"と頼んだが、追い返された」

「それに、小さいスライムには安定した生成はできないです」


エリーゼの説明に、ナディアは少し眉間にシワを寄せる。

そして、おもむろに一言。


「買取って、それを混ぜればいいんじゃないのかい?」

「買取る?」

「混ぜるですか?」


俺もエリーゼも目を丸くした。

言葉を繰り返す様は、まさにオウムだった。


「スライム娘を雇って、作らせなくてもいいじゃないか」

「どういうことだ?」

「うちじゃ混ぜたら使ってたし、どうにかならないかね?」


俺とエリーゼは、製造工程をもう一度確かめる。


——生成工程——

1.原液生成

2.水分量調整

3.性質調整

4.竹筒詰め

————————


「性質調整…」

「確かにこれなら…」

「なにか閃いたのかい?」


俺とエリーゼは顔を見合わせる。

生成工程を見て、ナディアは大きく笑う。


「あんたらは自分たちでやろうと過ぎなのさ。その原液ってのだけ、スライム娘から毎日売ってもらえばいい」


俺は働いてもらうことを前提に考えていた。

だが、原料調達だけなら雇う必要はない。

いわばパートナーシップだ。


それに、もう一つ。

ナディアの発想は混ぜるだったが、エリーゼなら成分の調整ができる。


「他のスライム娘の体液も、調整できるのか?」

「恐らく…いえ。同じスライム娘なので、可能だとは思います!」


エリーゼの声に、少しずつ熱が入っていく。


「これで量は増やせると思います!」


事業の歯車が、頭の中で音を立てて噛み合っていく。

バラバラだったものが、一本の線で繋がり始めている。


「エリーゼ」

「はい」

「君の故郷に行こう」


エリーゼは驚いたように俺を見る。


「沼地に、ですか?」

「ああ。小さなスライムたちに会う。働かせるんじゃなく、売ってもらう」

「……はい」


エリーゼはゆっくり頷いた。


怖さはあるだろう。不安もあるだろう。

だが、その奥には確かな光があった。


- さあ、商談に出かけよう!

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