34話:君の代わり
翌日の昼を過ぎても、エリーゼが目覚めることはなかった。
その姿は出逢った頃と同じだ。
ドロドロの曖昧な輪郭で粘液をまき散らす。
人々からは気味が悪いと忌み嫌われた、スライム娘の姿。
昨日の晩から一睡もせず、眠り続ける彼女を眺めていた。
僅かに苦しさの残っていて寝息も、夜明け前には安らかになっていた。
- 誰かのためなら、倒れるまで無理をする子だよな
ローション開発を始めて、気が付けば1ヵ月が過ぎていた。
俺たちは1日の休みもなく、寝る間も惜しんで働いていた。
彼女が無理をしていることなど、分かりきっていたのに…
「ん、んん…ここは…?」
「エリーゼ?目が覚めたのか?」
眠そうに眼をこする姿は子供のようだ。
「あれ~?由太さん~?」
「ああ、俺だよ。堀辺由太だ」
「ほんとですね~」
少し寝ぼけた姿。とても愛おしかった。
なにより、彼女が元気そうで…本当によかった…。
エリーゼはゆっくりと体を起こし、周りを見渡した。
普段は俺が使っている寝床が粘液でぐしょぐしょになっている。
太陽は頂点をとうに過ぎ、美しい空色には橙が混ざり始めていた。
彼女の顔が、だんだんと青ざめていく。
「由太さん、ローションは!?今日の分は!?」
「今日は、お休みだ」
「そんな!?だって、待っててくれるお客さんが!」
「大丈夫。いいんだ」
「大丈夫じゃないです!だって、それじゃあ…」
エリーゼは泣きそうになっていた。
それは、初めて見る顔だった。
泣いている君だって、俺は何度も見てきのに。
エリーゼは、はっとして顔を上げる。
「由太さんは…なんでここに居るんですか?」
「俺も今日はお休みだ」
「お客さんには伝えたんですか?ローションが作れなかったこと」
「いや、伝えてない。ずっとここにいたから」
「そんな…」
「まあ、仕方ないさ」
エリーゼは、一度上げた顔を再び伏せた。
その感情を俺に見せたくなかったのだろう。
「…お湯屋の方は…どうしたんですか?」
「お湯屋も休みだ。どうせ無料だしな。なくても誰も困らん」
「なんで…ですか…」
「俺も疲れてたんだ。だから今日は休もう」
彼女は顔を伏せ続けている。
わかる。わかるさ。
エリーゼが言いたいことくらい。
- なぜ自分を放って、お客さんに謝りにいかなかったのか?
- お客さんは、今もローションが届くのを待っているのではないか?
- それで、お客さんが離れたらどうするのか?
それでも、彼女は俺を責めなかった。
- "私が倒れなけば"
怒りと、自責と、悲しさと、悔しさと、恐怖と…
形容しきれない感情が、多分そこにはあった。
「エリーゼ、ごめんな」
「なんで…なんで、由太さんが謝るんですか…」
「…そうだな」
ヒトは責められた方が救われるときがある。
そういう相手には、届かない言葉もあるのだ。
だから、俺は代わりに別の言葉を伝える。
「どうして倒れたんだ?」
慰めることはしない。
事実を確認する。追及の言葉。
「…粘液の…出し過ぎです」
「…他には?」
「擬態の…し過ぎです」
「…それだけか?」
「睡眠不足と…食事不足…です…」
毎日20本のローション製造と量産化の実験。
練習だったであろう、継続的な人間への完全擬態。
俺が量産化を急がせてから、より睡眠を削るようになっていた。
今思えば、串焼き10本という量も体力の回復に必要だったのだろう。
「回復までには、何日かかりそうだ?」
「大丈夫です!今からやります!」
「エリーゼ」
「できます!任せてください!待っているヒトが居るんです!私のローションを!だから」
「エリーゼ!」
俺の出した大きな声に、エリーゼは驚いていた。
彼女は勢いに圧させて目を少し反らすも、ゆっくりとこちらを覗く。
「で…でも…」
「エリーゼ…」
エリーゼは、こちらを見つめ、潤んだ目で訴えている。
その望みに対し、俺はクビを横に振って答えた。
「…」
何も言えなくなった小さな少女の無力な顔。
その表情に胸が締め付けられ、心臓が押し潰されそうだった。
それでも、俺は言わなければならない。
「無理をして、また倒れたらどうする?もっと迷惑をかけるぞ」
エリーゼは、やっと小さく頷いた。
だから、俺はできる限りの優しい声で訊ねる。
「回復までに、何日かかる?」
エリーゼは、その問いかけに、いっぱいの時間をかけて答えた。
「…みっか……みっがあれば…げんぎになりばず…」
エリーゼの頬を大粒の涙が伝う。
拭えども、拭えども。
溢れ出したが最後。枯れるまで零れ続けた。
嗚咽混じりの泣き声。
それは、初めての"挫折に対する悔しさ"だった。
エリーゼは泣いた。
大きな声で泣き続けた。
俺は、そんなスライム娘を抱きしめる。
ベトベトした体を。強く。強く。抱きしめた。
「……っう、ぁ……うぁ……ッ」
「大丈夫。大丈夫だから」
「…ゆだ…ざん」
「ああ。俺はここにいるよ」
夕暮れの穏やかな森で、子供のような泣き声が響く。
一匹の泣きじゃくるスライムを、一人の人間が抱きしめていた。
- ごめんな、エリーゼ。俺が君を…傷つけてしまった
誰よりも優しくて、責任感がある。
困っている人を放っておけない、寂しがりのスライム娘。
彼女は、いつも俺を助けてくれた。
その体を抱きしめると、小さな少女であることが分かる。
いや、抱きしめるまでもない。
最初から彼女は、ただの女の子だった。
君と初めて出会った日からの2ヵ月間を思い返す。
惨めに泣き叫ぶ、俺の話を聞いてくれた
夜中から明け方まで、一緒にローションを作った。
初めての事業が潰され、そこから一緒に立ち上がった。
土の道を二人で歩き、転んだ君の手を引いた。
魚を焼いて食べ、串焼きを買って食べた。
経営会議をして、君が倒れて、やっと俺は君を抱きしめた。
俺は君を頼り過ぎていたのだ。
"俺だけ"だったのが、"俺たち"になった。
けどれ、この世界で生きていくには、"それだけ"では足りないらしい。
思っていたよりも君は頑固で。
もっと多くの人を笑顔にしたいのだろう。
君と俺の目指す理想は高く、残念ながら手が届かないらしい。
なら、二人で一段、上に登らなければならない。
だから、俺は決めたよ。
- エリーゼの代わりに、ローションを作れるスライム娘を探す




