第三話
今日は土曜日。土曜日ということは、学校が休みということだ。学校が休みということは……。
「あーーいつまでウダウダ悩んでんのよ私らしくもない!」
スマホを投げつける。画面には昨日登録したばかりの「彼」の電話番号。さっきから通話ボタンを押そうとしては、やっぱり止めたの繰り返しをかれこれ5回は行っていた。
もういっそ電源を落としてしまおうかしら。
「……でも話したい事があったら電話していいって言ってたし」
だからって昨日の今日よ? 彼にだって用事があるかもしれないし、そもそもただの社交辞令の可能性も……。
「う~~~~!!」
……はぁ、駄目だ。やっぱり今日はやめておこう……。
「ちょっと春花ちゃん、さっきから何を一人で騒いでるのよ」
「うひゃぁ!」
投げた勢いでソファーに沈んでいたスマホに手を伸ばした瞬間、後ろから声を掛けられて思わず変な声を上げてしまう。ママってばいつの間にリビングに居たのよ。
なんでもないから、とごまかして再びスマホに向き合った時……私は二度目の奇声を上げることになる。
「あ、ああああああっ!?」
右手の親指が、見事に通話ボタンを押し込んでいたのだ。
◆
「あいてててて……」
全身に走る痛みのせいで、目が覚めてしまった。そりゃ準備運動もせずに走って潜っておんぶして、を帰宅部の俺がいきなりやったんじゃこうなるよな。
まあ、その結果一人の少年……佐倉春人を助けることが出来たんだから、これくらい安いもんか。
春人といえばあの後はどうしたんだろう。俺みたいに全身筋肉痛くらいならまだしも、どこかに異常があったりしていないか心配だ。
「しまったな、あいつの電話番号も聞いときゃよかった」
むしろ俺の方があいつに話したい事あったじゃねーかよ……と己の愚かさを恨みつつ、昨日俺と一緒に池に飛び込んだスマホを拾い上げると、ちょうど聞き慣れた着信音が響いた。
「知らない番号……」
もしかして、という淡い期待を抱きながら2コール目で応答ボタンを押す。これで間違い電話とかだったら相当ブチギレていたことだろう。
「……もしもし?」
『っ!? うそ、なんで出ちゃうのよっ……』
「なんで出ちゃう」??
ハッキリとは聞き取れなかったが、向こうから掛けておいてなんでとはどういうことか。不審に感じて少し語気を強めてもう一度問いかけると、数秒間の無言の後、か細い声が聞こえてきた。
『あぅ……その、もしもし……佐倉です』
「え、さ、佐倉? 佐倉って……あの佐倉春人か?」
『そ、そうです……その佐倉春人です……』
驚いた。まさか本当に春人だとは。電話越しだからか、記憶にあるのとはちょっと違う、それでも確かに春人の声だ。
「マジか……あ、電話してくれてありがとな! 俺ちょうどお前に聞きたい事があったんだよ!」
『ええ!? あ、えと、その……うん。私も水瀬……くんに話したい事、あって』
「そっかそっか、いやー良かったよ。もしお前から電話かかって来なかったら、最悪お前んち行こうかと思ってたからさ。あ、ていうか今家? そっち行っていい?」
『い、いいいいい家に!? 無理無理今すっぴんだしママいるし!』
「え? すっぴん?」
自分から聞いておいて思った。春人の女口調……それはひょっとして、そういうことなんじゃないかと。
でも俺はあの日以来、絶対に考え方の違いで他人を傷つけないようにしようと誓った。だから、彼に対して抱いている若干の違和感も口に出さないようにしていたのだが。
『……なんでもない』
……やってしまったか。緊張で激しく鼓動する心臓をギュッと握りしめるように、俺は声を絞り出す。
「春人」
『さ、30分……1時間後!』
「え?」
『1時間後に昨日の公園に来て! そこでなら、その……会ってもいいわよ』
「あ、ああ……分かった」
『じ、じゃあまたあとでね!』
プツッ、ツーツーツー。
「……」
通話が途切れた後、しばらくそのままの態勢で突っ立っていた。
会ってくれるってことは、少なくとも拒絶されたわけはないだろうが。
「いずれにせよ、少し落ち着かないとな……」
幸い春人と顔を合わせるのは1時間後だ。この時間は有効に使わせてもらうとしよう。
◆
「はっ……はっ……」
くそっ……誰よ1時間後とか言ったやつはっ……! 今のこの姿での生活に慣れてない私がたったそれだけの時間で準備出来る訳ないじゃないっ……!
20分ほどオーバーした時間を気にしながら全力で公園に向かう。さっきシャワーを浴びたばかりの身体はほのかに汗ばんでいた。
「はっ……はっ……はぁ~~……」
やっとのことで公園の入り口にたどり着くと、池の方向を眺める彼の背中が見えた。パパと比べても細身な彼は、Tシャツの上にパーカーを羽織っており、下はジーパンといったラフな格好をしている。普段男子の私服なんて気にしたこともなかったけど、ああいう感じなのね。
一方の私は昨日と同じく上下ジャージ。男が着るような服なんて持っていないので仕方ない。パパのは大きすぎるから却下。
「ごめんっ……おまたせっ……」
いまだ早い呼吸を落ちつけつつ、声を掛ける。私に気付いた彼は、なんだか意外そうな顔をしていた。
「もしかして走ってきたのか?」
「だって……時間……」
「時間? ……ああ、ホントだ。ボーっとしてたから過ぎてることに気付かなかった」
なによそれ……。だったらゆっくり歩いてきても怒られなかったかも。
「まあいいわ、とにかくごめんなさい。……それでその水瀬、くん。本題なんだけど」
「ああ、えっと……そのことなんだがな。話はさ、俺の家でしないか」
……は?
「えーーっと、ごめん……もう一回言ってもらえる?」
「お互い話したい事あるって言っただろ? でもその話ってほら、あまり人が居るところじゃ話しにくいからさ」
そう言って彼は公園の方に視線を戻す。私もそれに続くと、たしかに彼の言うとおり、公園には池の周りを散歩する人だったり、芝生で寝転んだりしている人がそこそこ居た。晴れの日の土曜日なんだから当然と言えば当然ではある。
自然にそういった気遣いが出来るのが彼の良いところではあるけれど、だからって男の家に行くのは……。例えばカフェなんか……いや、のんびりお茶しながらするような話じゃないわね。じゃあもっと人の少ない公園に行くとか……でもどのみち人気は完全には断ち切れないし……。
「春人?」
「あ、はいっ! え、ええ、そうね! そうしようかな!」
……あ。
あああああ何言っちゃってんのよ私いいいいい!!
彼の家には公園から10分とかからずに着いた。私の家と公園の距離も大体それくらいだから、もしかしなくても私たちはご近所さんということになる。同じ高校に通っていたのに今まで通学途中に出会わなかったのが珍しいくらい。
「お、おじゃましますぅ……」
まさかこんな形で男の子の家を訪れることになるなんて、前までの私には考えられなかっただろう。緊張で震える声をごまかすようにそそくさと玄関をあがる。
そこでふと、彼の顔が強ばって見えることに気付いた。もしかして彼も緊張を……ってそんなわけないわよね。彼からしたら同い年の同性を家に上げるだけだもの。
「家には俺以外いないからさ、気にせずくつろいでくれていいよ。今お茶淹れてくるわ」
「あ、うん……」
一人リビングに残され、手持無沙汰になった私は近くのテーブルにあるイスに座らせてもらうことに。ほどなくして彼も麦茶の入ったコップを持って私の対面のイスに座った。
「さて、それじゃあ早速なんだけど」
麦茶を一口含んで唇を湿らせてから、彼は本題を切り出した。おそらく私にだけ無駄な緊張が走る。
「さっき走ってきたって話と、今の春人の顔色を見れば聞くまでもないんだろうけど……あれから体調はどうだ?」
「体調? 体調……ああ! 体調ね、うん。なんともな……くはないけど、一応元気よ」
聞きたかったことがあるって、そのことか。
……ホンット、相変わらず優しいわよね。おかげで緊張も抜けそうだわ。
私も麦茶を飲んでから、逆に質問を返す。
「あなたこそどうなのよ。私を助けるために結構無茶したっぽかったけど、大丈夫だったの?」
「おかげさまで全身筋肉痛です」
「あー……まあそれはなんというか……ごめん」
「いいよ、結果として今こうして春人と話が出来るんだし」
「そう……ね。ごめんっていうより、ありがとう……ね」
真っすぐな瞳で言うもんだから、なんだか照れてしまう。前までだったら男にそんなことを言われたら間違いなくセクハラで訴えていたに違いない。
いやまあ今でもそれは変わらないか。彼だから……水瀬くんだから、不快に思わないだけかも。
そこでふと、一つ気になっていたことを思い出した。
「話は変わるけど、水瀬くんはさ、私の事どうして春人って呼ぶの?」
「っ!!」
? どうしたのかしら。
ただなんとなく聞いてみたかっただけの質問なのに、彼はビクッと身体を震わせる。
「え……なんかまずいこと聞いた?」
「えっあっいや、そういうわけじゃないんだ……ああそうだ、ほら、昨日も話したろ、高校のクラスメイトに佐倉ってやつがいるって。どうもお前に似てるもんだからつい……な。あ、もしかして嫌だったりしたか? もしそうだったら今すぐにでも治すが」
「い、いいわよ春人のままで」
慌てるように口早にまくしたてる彼に、つい引き気味に答えてしまう。しかし彼はその答えを聞くなり、心底ホッとしたようにため息をついた。
……どうも、さっき電話をした時とは彼の様子が違う気がした。
「あ、でもだからって春人は俺のこと名前で呼ぶ必要ないぞ? ほぼ初対面だしな、まだ名前で呼び合うような関係じゃな……」
「ねえ」
「……っど、どうした?」
「様子が変よ、あなた」
抱いていた違和感を口にすると、彼は黙り込んでしまった。
「昨日の水瀬くんと、今のあなた。気を遣ってくれる優しさは同じだけど、今のあなたは私に何か遠慮してる気がする」
「遠慮……」
「ええ」
正直「気がする」だけだ。さっきの質問と同じで、なんとなく……そんな気持ちで問いかけた。
だけど私はどこか恐怖を覚えていた。もしかして彼は私を拒絶しているのかもしれない。彼が優しいから、無理に私に接してくれているだけかもしれない。そんな恐怖を。
それでも、私は静かに……膝の上に置いた両手を握って、彼の答えを待った。
「ごめん」
「……」
「まずは謝らせてほしい、ごめん」
「……何に対しての謝罪か、聞いてもいいかしら」
だめよ、ここで泣いたら彼を傷つける。彼にまたあんな辛そうな表情をさせてしまう。
だから今だけは、耐えて――。
「電話で話した、すっぴんの事だ」
耐えて……耐え……。
は?
「え? す、すっぴん?」
「ああ。春人言ってただろ、俺がお前の家に行っていいかって言った時、『すっぴんだから嫌だ』って。でも俺はそれに対して『お前が男なのに何ですっぴんなんか気にするんだ』っていう気持ちで返事をしちまった」
……はて、そんな会話をしただろうか。したような気もするけど、今は頭が真っ白になってしまってちゃんと思い出すことが出来ない。
「それで、お前がその後ため息をついて『なんでもない』って答えたから……もしかして傷つけちまったんじゃないかって思って」
あ、あーー。
思い出してきた。
つい女の姿だった頃の感覚ですっぴんのことを気にしてから、今は男だったことにすぐ気付いて……それでため息をついてなんでもないって……。
「……ぷっ」
「え?」
「あは、あははははっ! なによそれ、そういうことだったの!? あははははっ!」
「え? ……えっ?」
「あははははははっ!!」
◇
「……つまり、単なる俺の勘違いだったと」
「そうよ……ふふっ、いやーまさか水瀬くんがそんなこと考えてたなんて……クスクス」
笑いすぎて涙が出てきちゃったじゃない、もう。頬が緩みっぱなしの私とは対照的に、彼は安堵と羞恥が入り混じった複雑そうな表情をしていた。
「今更だがそんなに笑うなよ……真面目な話ではあったんだぞ」
「それはまあ分かるけど……でも、私に無駄な心配をさせた罰よ」
彼が勘違いをした理由。それは彼の、もはや過剰とまで言えるほどの気遣いからくるものだった。
『性同一性障害』。それが彼の口から出た言葉。
最近は差別用語に該当するから、性別違和なんて呼ばれているらしい。
一般的に彼らは、自身とは反対にある身体の性別に違和感や嫌悪感を持ち、生活上のあらゆる状況においてその性別で扱われることに精神的な苦痛を受けることが多いとされているそうだ。
たしかに水瀬くんから見れば私はまさしくそう映っていたのだろう。実際、私は今のこの姿が嫌いって言っちゃってたし。
でも、私が今のこの姿を嫌う理由は、彼らのそれとは似ているようで全く違う。
もちろん水瀬くんには「私は本当は佐倉春花で、ある日突然男の姿になっちゃった」なんてことは言えないし、言ったところで解決しない問題を彼にも背負わせるわけにはいかない。
もう一つの、彼にだけは話せる別の理由。
「私はね、男っていう存在そのものが嫌いなの。昔嫌な事があってからずっと、パパ以外の男とは一切関わりを持たないようにしてきたわ。だから、今私がこうして男の姿でいるのが辛くてしょうがないの。だから……あんなことをしたんだけど」
急に男の姿にされて、自殺を考えて……。
それでも。
「それでもね。私は水瀬くんに救われたわ。こんな口調で喋っちゃう気持ち悪い男なのに、水瀬くんはこうして私と向き合ってくれている。私の『声』を聴いてくれる」
「……ああ」
彼の差し出された右手を握る。
「だから私は、今の男の姿でも、頑張って生きるわ。応援してくれる?」
彼は私の手を強く、強く握り返して、言ってくれた。
「もちろんだ」
「おじゃましました」
「おう」
お互いスッキリとした表情で挨拶をする。彼の……男の笑顔を見て嬉しいと思うのは多分人生で初めてだろう。
「そういえば男嫌いで思い出したんだけどさ」
「? うん」
「何度か話した佐倉……佐倉春花ってやつもさ、すっげぇ男を嫌ってるんだよ」
「……うん」
「あいつも春人みたいにおっきい事情を抱えてるんだろうなって思うと、力になってあげたくなったよ」
「……そっか、ふふっ。水瀬くんは本当に優しいわね……でも」
「水瀬くんのその気持ち、もう佐倉春花に届いているわよっ!」




