最終話
あの日以来私は、水瀬くんに助けられながら今のこの男の姿を受け入れる努力を続けた。
まずはママとパパにその話をして、私のDNAを検査してもらうように頼んだ。二人はきっと私以上に「私が本当に佐倉春花か」ってことに不安を抱いていると思ったから。せめてその検査の結果で、私が二人の子供だってことくらいは証明して少しは安心させてあげたかった。
でも結局、検査はしなかった。二人はもう、この姿になった日からずっと私を佐倉春花として接してくれていたのだ。それを聞いたら私はまた大泣きしてしまった。
でもその後ママが「男の子がそんなに泣いてちゃ駄目でしょ」って言ってきたから、少し怒ったりもした。泣いて怒って笑って……。
水瀬くんとは空いてる時間があればいつでも一緒に過ごした。私が学校にいけない代わりに勉強を教えてくれたり、口調を意識して変えようと練習したり、男物の服を買いに行ったり。
甘えすぎてないかなって心配になったりもしたけど、彼はあの日握った私の手をずっと離さずにいてくれた。
こんな人は、家族以外では初めてだった。私と同じ目線で歩いてくれる人は。
……いつしか私は、水瀬冬夜という存在に特別な感情を抱いていた。
彼はどういう気持ちで私に付き合ってくれているだろう。ただの親切心なのかな。彼のクラスメイトと同じで、仲の良い男友達としてなのかな。それとも……。
ううん、きっとそうよね。私は男だもん。彼がそれ以上の気持ちを抱いてる、なんて期待しちゃ駄目よね。
だから私は、この気持ちまで彼に明かしちゃいけない。これは私の正体を明かすのと同じくらい、秘密にしておかなきゃいけないものだから……。
それでも、もし彼が受け入れてくれるなら。
その時は、私は――――。
◆
俺があの日佐倉春人と出逢ってから、早いものでもう2週間が過ぎた。
春人は男なのに、男が極度なまでに嫌いで、たまに女の子みたいな口調になったり可愛いものを欲しがったりで、ちょっと……いや、俺が今まで出会った人間の中で間違いなく一番に、変わった奴だった。
それでも俺はそんな春人を決して否定しなかった。あの辛い経験があったからっていうのもあるけど、それだけじゃない。
「春人が春人らしく生きている姿」が、俺にとって凄く魅力的に見えたからだ。まだまだ短い付き合いだけど、あいつとはこの先もずっと一緒に居たい。あいつの笑顔を見ていたい。
こんな感情は正直、女の子に対して抱くのが普通だと思っていた。そもそも、出会ったばかりのやつにここまで深く思い入れする事なんて今までなかったことだ。
不思議でしょうがなかった。
……でも、この思いは捨てたくなかった。
多分誰にも明かすことはないだろう、この思いだけは――――。
「おまたせ~」
「おはよう水瀬くん……ってちょっと、まーた寝癖ついたまんまじゃん」
会って早々、呆れた顔をする春人。指摘された頭を触ると、わずかにだが後頭部の髪がハネていた。
「これでも直したつもりなんだよ……そういうお前はいっつも綺麗だよな」
「ふふん、まあね。身だしなみを整えるのは僕にとっては習慣みたいなものだから」
「……俺さ、綺麗な髪を見るとつい乱したくなるんだよ。ほれほれ」
「わ、ちょっと! やめなさいよ私の朝の30分の努力がー!」
肩よりちょっと上の部分で揃えられた髪をくしゃくしゃ撫でてやると、必死に抵抗してくる春人。
こういう不慮の事態になると、いまだにこいつはいつもの口調に戻ってしまうことがある。最近ようやく慣れてきたかと思ったが、まだまだ練習は必要みたいだ。
それでも俺は、こんな雰囲気の春人は嫌いじゃなかった。
「はぁ~~せっかく頑張って整えたのに……」
スマホケースの鏡をのぞき込みながら恨み言を呟いている。流石にちょっと申し訳なさを感じたので、フォローしてやることにする。
「ごめんごめん。ほら、今日行く店では奢ってやるから」
「……お金で機嫌取ろうとするのはサイアクだと思う」
「……ごめんなさい」
「でもせっかくだからそうさせてもらおっかなー、今日は欲しいもの沢山あるし」
「お、おう! 任せとけ!」
男に二言は無い。最近やたらと出番が増えた財布を握りしめ、ちょっとは機嫌が戻ったのか嬉しそうに先を歩きはじめた春人の後を追った。
……ハハ、そろそろバイトでも始めようかな。
◇
「いやー良かった、これを買うことが出来て。この姿じゃあそこには一人で入れないもんね」
「いや……男二人でも厳しいものがあったぞ。店員と客の視線が気になってしょうがなかった」
まさか化粧品売り場に行くことになるとは。
春人が「これなんてどうかなっ」なんて聞いてくるもんだから「あーそれもいいよな! 買っていったらアイツ喜ぶかもなー!」と『女の子へのプレゼントを男二人で悩んでいる』体を装うのに必死になったせいで無駄に疲れてしまった。
「ね、次はさ、服買いに行こうよ。今日は僕が水瀬くんの服選んであげる」
「えー俺のはいいよ家にいっぱいあるし。必要になったら買うって感じ……で……」
ふと今しがた出たばかりの売り場の反対側を歩く女性が目に留まり、そちらを見つめる。
彼女はスタイルこそ女性的ながらも、あちこちからはボーイッシュな雰囲気を醸し出しており、それが一層魅力を引き立てていた。
だが俺が彼女を見つめているのはそんな理由からくるものじゃない。彼女の雰囲気に、どこか懐かしさを感じてしまったからだ。
俺は、彼女に会ったことがある……?
「? どうしたの水瀬くん、変な方向をジッと見て……」
やがて俺が売り場の前で黙って突っ立っていることに気付いたのだろう、春人は声を掛けつつ俺の目線を追うように彼女を見つけ……同じく黙り込んだ。
「うそ……」
春人が何事かを呟いたと同時に、彼女もこちらを振り向き、そして三人が目を合わせた。彼女は俺と春人を一目した後……もう一度俺に目をやったかと思うと、飛び出す勢いでこちらへ向かってきた。
ずっと見続けていたせいで怒らせてしまっただろうか、と心配になった俺は、彼女がちょうど目の前にやってきた頃、口を開こうとした。
しかし、開きかけた口からは言葉を発する事は無く、代わりに彼女が叫んだあまりにも予想外な言葉に、俺はしばらく口を閉じる事すらも出来なかった。
「水瀬冬夜くんだよねっ……!? あたしのこと覚えてるかなっ、ほら、小学校の時クラスが一緒だったけど、途中であたしが転校したから離れ離れになっちゃった『涼風夏輝』だよっ!」
「すずかぜ……なつき……夏輝ちゃんなのか、本当に……?」
その場で話し合っていては売り場の邪魔になりそうだったので、人気のない休憩スペースに三人で移動した後、落ち着きを取り戻すように俺は彼女の名前を呟く。
「あははっ、まあ数年ぶりだもんね。あたしも結構成長したしピンとこなくて当然か。でもあたしはすぐ冬夜くんだって気付いたけどね! なんか直感? 第六感? とにかくビビッときてさあ!」
「あ、ああ……いや、俺も何となく雰囲気から懐かしさは感じてたんだよ。でもまさか夏輝ちゃんだったなんて」
こうして喋っていると、みるみる記憶の彼女と今の彼女の姿が一致してくる。あの頃から性格も変わらずグイグイくる感じだった。
「再会できて嬉しいよ。それに……元気そうで良かった」
「……うん。あたしも嬉しい」
しばしの間お互い感慨深げに見つめ合っていたが、やがてどちらからともなく顔を逸らす。彼女の顔は真っ赤に染めあがっていたが、俺も似たようなものだっただろう。
「ほ、ほら! 今はさ、昔と違ってスタイル良くなったから勘違いされることもなくなってさ。昔みたいな……あんなことはなくなったよ、うん」
「……そうか」
小学校の頃、俺のクラスメイトだった涼風夏輝は、同じくクラスの男子から度々いじめを受けていた。
『おとこおんな』。女の子だけど男っぽい服装や言動をしていた彼女はそう呼ばれていた。男子からしたら軽い冗談のつもりだったのだろう。あるいは思春期特有の思考のせいか。
それでも夏輝にとっては、自分のアイデンティティーを、いや彼女そのものを否定された気分だっただろう。深く傷ついた彼女は、学校を辞め、遠くへ行ってしまった。
俺があの時救えなかった女の子だ。
「こほんっ! 暗い話はこれくらいにしようよっ、せっかくこうして再会できたんだしさ!」
「ん……そう、だな。ああ、そういや悪いな春人、お前のこと置いてけぼりにして。こいつ俺の昔の知り合いなんだよ」
「え……あ……う、ううん……わたっ、ぼ、僕の事は気にしないで……」
? てっきり放置してたことを怒ってるもんだと思っていたが……なんだか様子がおかしい。顔色も真っ青で、必死に何かをこらえているみたいだった。
「どうした春人、気分でも悪いのか……」
「その人、春人くんって言うの?」
「え? あ、ああ」
「へぇー春人くんかぁ。なんかさっきから凄い偶然が続くなぁ。実はあたしさ、今日久しぶりにこの街に来たのは理由があったんだよ。昔の……転校する前の私の親友だった子にどうしても会いたくて。名前はね、春人くんとよく似た『佐倉春花』って言ってね……」
ガタンッ!!
静かだった休憩スペースに大きな音が響いた。横に座っていた春人が勢いよく立ち上がったことで、木製のイスが大きく動いたのだ。
「春人……?」
突然の事で驚きつつも、無意識の内に声を掛けようとした口が、伸ばそうとした腕が……止まる。
……春人は、泣いていた。
彼の泣き顔を見たのはあれ以来だろうか。唯一頭の中に浮かび上がったのはそのことだけ。
そしてようやく頭が動き出した頃には……春人はもう、走り出していた。
◆
――――苦しかった。
『佐倉春花』に会いに来たなっちゃんに、私が話しかけられなかったことが。
そのなっちゃんが、水瀬くんと楽しそうに話している中に、私が入っていけなかったことが。
全てを明かして、自由になることが出来ないことが。
「くるしい……よぉ……っ!」
水瀬くんとのおかげで受け入れ始めることが出来たこの姿から、また逃げ出したくなった私の心が。
「たすけて……誰か私を助けてっ……!」
「助けてほしいんなら逃げるんじゃねえよっ……!」
……ああ。まただ。
「はっ、はっ……! 意外と足早いんだなお前っ……!」
また彼が助けに来てくれた。
「はぁー、はぁー……。どこまで行くのか心配したぞ……なんでまたこんなところにっ!?」
これ以上彼には甘えたくなかったけど、これ以上私も耐えることが出来なかったから。
「……どうしたんだよ、春人」
気づいた時には、彼の胸元に飛び込んでいた。
彼は一瞬驚いていたけれど、それでもすぐに優しく抱きしめてくれた。
「……あったかい」
「……二人とも走ってきたからな」
「……私ね」
唇が、身体が震える。心臓がうるさいくらいに動いている。頭だけが冷静に「本当にいいの?」と警鐘を鳴らしている。
それでも私は彼の温かさに甘えたかった。
「私は、佐倉春花なの」
「……」
「ある日……ちょうど私が最後に学校に行った次の日にね、私は今のこの姿……男になってた。それから三日三晩泣きじゃくって、その後……あの池で水瀬くんに出逢ったわ。佐倉春人は、佐倉春花なの。あの時は急に名前を聞かれたから、ほぼそのまま答えちゃった」
私を抱きしめる両腕に、力が込められた気がした。
「……って言ったところで、信じてもらえるかは分かんないけど」
「……信じるよ。いや、信じるというか……ごめん、正直なところ、そう言われてみれば共通点が多いなって思ったっていうか」
「男嫌いなところが?」
「……男嫌いなところが」
二人して同じことを言って顔を見合わせる。笑い出したのも二人同時だった。
「……なんだ、そっか、そうだったのか」
「隠しててごめんなさい。水瀬くんに言っちゃうと、余計重荷になると思って」
「ああ、謝らなくていいよ。……うーん。しかしそうなると、困ったな」
「……困る?」
「いや……その……俺は佐倉春人を好きになったのか、佐倉春花を好きになったのか、どっちなのかなって……」
「…………え?」
うそ。
うそでしょ。
「あっ、あー……ごめん今のなし、こんな時に言うべきことじゃなかったよな、うん。聞かなかったことにして……」
「もっかい」
「ほしいっていうか……」
「もっかい言って!!」
「……好きだ」
私はもう一度、彼に飛びついた。
「私も、水瀬くんのこと好きっ!!」
◆
翌日。
「あっ! お~い春ちゃ~んっ、こっちこっち!!」
昨日連絡先を交換しておいた夏輝に誘われ、俺は二人で彼女の元を訪れていた。
「なっちゃん久しぶり~! 会いたかった~!」
二人はガシッと再会の抱擁を交わす。そういうのを人前でやれる度胸は俺も見習いたいものだ。
「んで、なんでお前まで付いて来てるんだよ」
「いやぁ、チョー久しぶりに春花っちから連絡があったと思ったら、嬉しそうな声で『話したい事があるの』なんて言われたら気になるのが普通っしょ!」
訂正、なんか玲奈も付いて来てた。というかあいつ、玲奈にまで報告するつもりかよ……クラスどころか学校中で噂になっても知らんぞ俺は。
「私からしたら冬夜がここに居るのが不思議でしょうがないんだけど」
「……あいつに全部聞いてくれ」
「やー、まさかあたしの元クラスメイトと親友がカップルになってる姿が見られるなんて、思い切って行動してみるもんだね!」
「うえええええ!? 春花っちと冬夜付き合ってんの!? うっそマジで、やばすぎ! やばたん!」
「あはは、まぁね。私も正直今でも信じられないけど」
「……うるっせぇ……」
わいのわいの騒ぐ女子二人の勢いに押されてか、春花は照れくさそうにボソボソと答える。俺は今のこの状況の方がよっぽど信じられないんだが。
「いつから!? いつから付き合ってんの!?」
「っていうか春花っち昨日まで入院してたんじゃなかったの!? まさか冬夜、私に黙ってお見舞いに行ってるついでにアタックしたな!?」
「は、話すと結構長くなるんだけど……あの、その前に二人とも、落ち着いて……」
完全に自業自得である。肩身が狭い俺はなるべく関わらないように小さくなっていたのだが……。
「冬夜く~ん……」
……助け船を求めるのはいいんだが、あまりそういう表情をしないでほしい……春花の可愛い顔で名前を呼ばれるのに、俺だってまだ慣れてないんだから。
二人して妙なタイミングで気持ちを打ち明け合ったあの日のうちに、春花は元の姿に戻っていた。
男になった原因は春花に心当たりがあったようだが……。
「ここの石をね、私が落としちゃったの」
恋愛の神が祀られているという神社の石をそっと撫でながら、春花が申し訳なさそうに呟いた。
「それが原因?」
「……だと思う。そうでもないと、こんなこと起きたって信じられる?」
「ん……まあ」
夢みたいな話だが、実際に現実で起きてしまった以上信じるしかない……のか?
「だとしたら春花が今の姿に戻れたのは……」
「そこは私にも分からないわ。戻してって願ったのは今日が初めてってわけじゃないし」
「むう……」
「なに、男の姿の方がよかった?」
「冗談でもそういうこと言うなよ……俺は『佐倉春花』って人間を好きになったんだ。お前がどんな姿であっても、この気持ちは絶対変わらないよ」
「ごめんごめん……そっか、そう言ってもらえて嬉しい」
はにかみながら、春花は左手で俺の右手を握る。
「でもね、私はやっぱり今の姿のほうが嬉しいかな。『私』として冬夜くんに気持ちを伝えて、一緒にいたいのは、『佐倉春花』だもん」
「……そうか」
「その代わりって言ったら失礼かもだけど……ごめんなさい。私は今まで男ってだけで、色んな人を傷つけてきた。これから少しずつだけど……そんな人生は変えていくと誓うわ」
そう言って春花は深々と頭を下げた。
……だそうだよ神様。俺も春花と一緒に謝るから、どうか彼女を今の姿のまま見守ってやってくれ。
「それから……お願いがありますっ」
バッと頭を上げたかと思うと、握っていた手を俺の手ごと石の上に置いて、願った。
「私たちが、生涯仲良しでいられるように、見守っていてくださいっ!」
~そして少女は少年と出逢った 完~




