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少年、罪過を喰む  作者: 藤崎湊
FILE3 死ノ一族
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別離





   ◆




 蒼斗たちが脱出してから一時間後――オリエンスは大地震に襲われた。

 被害は主に櫻都。忌々しい御影の象徴だった城は、激しい地盤の歪みにより崩壊し、瓦礫の山と化した。

 避難した人々は御影が倒れ、自由が得られたことに歓喜の喜びを上げた。

 崇拝させられていた御影の像は、次々に彼らの手によって倒壊され、旗は焼き払われた。


 ペンタグラムではこの事件がすぐにマスコミ取り上げられ、御影が滅んだことを知った人々は飛び上がって喜んだ。

 そして街中で祝杯を上げ、酒を酌み交わした。

 その騒ぎは報道から一週間が経っても鎮まることはなく、めでたいことがあったというのを口実に、あちこちで未だに飲んでいるちゃっかり人がちらほらと伺える。



 そして――






「すみません」


 セントラルのちょっとはずれにある、とあるこぢんまりとした小さな花屋。

 そこに現れた客に、女店主はいらっしゃい、と言った。


「花を買いたいんですけど、どれがいいか分からないんです。アドバイス、貰えませんか?」

「勿論だよ! あらアンタ、あまり冴えてないねぇ、ビシッと女の子にでも贈るのかい?」


 肩を肘で小突く女店主の言葉に返答はない。困った顔をする客に、女店主は気に障ったかい、悪いねぇと笑って流した。


「で、どんな花が良いんだい?」


 大きめの黒いパーカーにダウンジャケットを着込み、ジーンズ姿の客――蒼斗は目を伏せ、ポツリを呟いた。



「大切な人への、手向けの花です」



 時代は喜び一色なのに、彼の心には一点の憂いが残っていた。




   ◆




 セントラルのとある海の見える墓地。


 雲一つない、何処までも高い青空。

 冷たい空気が針のように晒されている肌を刺激し、白い息を吐くと、時間が経つにつれて空気の中に隠れてしまう。


 周りは芝生で囲まれ、何十もの白い墓石が綺麗並んでいた。

 整備された墓地には蒼斗以外誰もおらず、鳥の鳴き声や風の声、遠くから聞こえるさざ波の音だけがこの場を統べていた。


 蒼斗は神聖で、死者に安らぎを与えるこの場のある一点を見つめた。

 女店主が繕ってくれた花を片手に歩き出す。芝生を踏みしめるサク、サクという軽くて寂しい音が鼓膜に伝わり、近づく墓石を見て緊張が走った。



「……久しぶり」



 『葛城家』と刻まれた白い墓石を真正面に見つめ、絞り出すような声を発する。

 こうして対面すると、ここに来るまでに考えていた話や言葉は吹き飛んでしまっていた。頭の中が白い絵の具ですっかり塗り替えられたような感覚だ。

 ふと花束を持たない方の手を見つめ、拳を作って二言目を放つ。



「終わったよ、もう……全部、終わったんだ。僕たち死神の血を引く者の使命は果たせた。僕が――僕たちが、因縁に幕を下ろしたんだ」


 蒼斗は考えていたことが頭の中でまとまり、さらに口を開いた。


「死神の使命の中にオリエンスの滅亡が含まれていた。――けれど、それは必要なかった」



 蒼斗たちが血の呪縛に囚われている同様に、オリエンスの人々は御影に囚われ、自由を奪われていた。

 解放され、自分たちが安心して暮らせる街を築く為に、彼らは味わってきた辛さが二度と訪れないよう、きっと手を取り合って新しく生まれ変わらせる。


 そう、蒼斗は信じていた。



「……ぁ」



 ――ふいに、脳裏の赤い炎がちらついた。

 蒼斗は伏し目がち、先程よりも重々しく口を開いた。



「……ゼロ・トランスの時のことは、正直覚えていない」



 記憶を抑えられていた上に、御影の城で撃たれた衝撃で強引に記憶を取り戻した反動で、蒼斗の中にはあのパチパチと弾けた音を発しながら燃え盛る炎と、誰かの悲鳴と怒声と……。



「今にも泣きだしそうな、あなたの顔しか残っていない」



 ――こんなはずではなかった。



 後悔を深く帯びたその一言は、思い出す度に胸を締め付けた。


 これ以上、御影の被害者を出したくないその一心だった父。

 どれほどの想いを託され、どれだけの死を目にし、それでも脇目も振らず戦ってきたのか……それは、子であり、同じ死神の力を持つ蒼斗でも計り知れないものだった。



「……ありがとう」



 ずっと言いたかった言葉。

 


 父がどんな風に笑っていたのか、何が好きだったのか――思い出も何もかも、分からなかった。

 残酷なくらいに壊れてしまったボロボロになってしまった記憶。

 けれど、ほんの一握りのその記憶の中にあった、あの戦場の中、自分を助けてくれた父の背中が確かに焼き付いていた。

 自分よりも蒼斗の命を――蒼斗の未来を、とった父。

 蒼斗はあの、何処かで見たことがあるような泣きそうな表情から、父の愛情を痛いくらいに感じた。



「あなたのお陰で兄さんも、僕も、今を生きていられる。まだ狂蟲や狂魔の問題も、後処理も残っているけれど……僕たちはきっと、大丈夫」



 ――だから。 



「頼りないかもしれないけれど、見守っていて欲しい」



 花束を墓前に置き、手を合わせて安らかに眠れるよう祈りを捧げた。






「よく頑張りましたね」



 凛と耳に届く静かな声。

 全ての音がシャットアウトされたような感覚。


「近衛さん……っ」


 弾かれたように振り返れば、そこには黒色のスーツを着て、百合の花束を抱えた近衛がそこには立っていた。


 別任務だったと告げられてから音信不通だった彼女が今、目の前にいる。

 喜びよりも驚きの方が勝り、開いた口が塞がらなかった。

 近衛はそんな蒼斗の横を抜けると墓前に花を供えた。


「あなたがあまりにも私を探していると聞きましたので、仕方なく来てあげましたよ」

「仕方なくって……」


 会いたくて、会いたくてたまらなかった人。

 どんなに辛いことがあっても、諦めそうになっても、目の前の近衛との小さな約束のために普段の何十何百倍の力を振るって戦ってきた。


 焦がれた彼女と再会できたというのに、いざとなると何を話せばいいのか分からなくなった。

 ただ、蒼斗の心は嬉しさでいっぱいだった。

 心臓の鼓動は忙しくなり、彼女に聞こえてしまいそうなくらい、うるさい――が、幸福感に満ち満ちていた。


「っ、あの近衛さん! 借りていたグローブ、お返ししたいんですけど……」


 何か……何か話さなければ。

 そう頭の回転をフルに稼働させた蒼斗は、手に嵌められたグローブに目が留まり、慌てて声を掛けた。

 気に入っていたから必ず返せ――そういう、約束だった。


 しかし、目の前の近衛は貸していたことを忘れていたのか、すぐに興味が失せたように目を細めた。



「あぁ……その必要はもうありませんよ」

「え?」

「あれはもうあなたが使っていてください。私にはもう、必要ありませんから」

「近衛さん……?」

「この際だからはっきりさせておきます。……私は、あなたを死神だと知って治安維持局に潜入し、監視していた。あなたと親しくしていたのは、任務を遂行しやすくするため、それだけです」


 そよそよと撫でてるような風が、ふいに荒れた。


「瀬戸から聞きました。あなたが何故私を気にかけるのはわかりませんが、私はあなたの思うような人間ではありません」


 百合の花弁が風にさらわれた。


「今日はさよならをするために来たんです」

「え……?」

「近衛静は実在していません。これは私が創り出した一つの個体――仮面の一つでしかない。必要がなくなればいつでも抹消し、捨て去ります」



 ――だから、これでお別れです。



 突き放すような冷たい言葉。

 蒼斗は呆然としながら近衛を見つめれば、彼女は至極真面目な面持ちだった。

 嘘ではない、ようだ。

 あまりにも唐突すぎて何を言われているのか理解するのに時間を要した。


「……近衛さんは、それでいいんですか?」

「いいも何も、何度もしてきたことです。今更どうとも思いません。だから早々に私のことは忘れてください」


 忘れてください。


 ――その言葉は蒼斗にとって聞きたくない言葉だった。

 だから、頭で考えるよりも先に答えが出ていた。



「嫌です」



 近衛は戸籍上は存在していないのかもしれない。

 けれど、蒼斗にとって目の前にいる近衛静は確かに存在している。たとえ偽りのものであったとしても、治安維持局で過ごした日々は間違いなく本物で、大切な思い出だ。



「僕は近衛さんを忘れたくないです」



 ――近衛は君を単なる監視対象としか思っていないよ。



「だって、僕は今の今までずっと、あなたに救われてきました。あなたがいなかったら特機隊で生き延びることができなかったし、早いうちに殺されていたかもしれない。あなたがいない間も、僕はあなたに会いたいという思いで戦ってきました」



 ――そんなに近衛がいいのか?



「人は誰かの記憶に残らなければ生きていけない。死んでしまったら尚更です」



 ――近衛さんが羨ましいわね。



「僕は……大好きだったあなたを忘れたくない。あなたが誰であろうと、あの時の思い出をなかったことにしたくない」



 近衛の表情が驚愕に色を変えた。

 予想していなかった蒼斗の告白に開きかけた口を閉ざし、目を伏せた。



「このタイミングで突拍子もないことを言うんですね」

「僕は本音を言ったまでです」

「別れの前に、しかも死者の墓前でいう言葉じゃないですけど」

「だからこそですよ。ここで言わないと僕は前に進めない」

「エゴですね」

「えぇ、そうです。僕は、自分が思っている以上に自分勝手なんです」



 言って後悔するよりも、言わないで後悔するほうがずっと辛い。

 それは、亜紀が黒羽と対峙した際に言った言葉。

 近衛同様に、亜紀の言葉は蒼斗の支えだった。



「近衛静がいなくなるなら、次は誰になるですか?」

「さぁ、分かりません。私は誰にでもなれますから」

「辰宮と同様に?」

「彼女のように器用にはなれないですよ。強いてカゲロウみたいに、生まれてはまたすぐ土に還るようなものです」



 カゲロウは短命で、子孫を残す役割を終えると土に還ってしまう。


 そんな儚い存在であったからと口にしたくなるが、あまりにも近衛が寂しそうに笑いながら言うものだから、自然と言葉を飲み込んでしまった。



「ありがとうございます」


 蒼斗は差し出された細い手と近衛を交互に見遣った。


「今の今まで、近衛静として生きていた中でいろいろな男たちに言い寄られてきましたが、あなたといた時が一番楽しかった。……あなたの気持ち、嬉しかったです」



 蒼斗は礼を言われたことに思わず面食らってしまった。

 まさか、あの近衛が――。


 告げる前から既に終わりを迎えていたこの恋。

 目の前に手を握ったら、もう本当に別れが来てしまう。

 初めから分かっていた結末。

 蒼斗は名残惜しそうに、小さな手をそっと握った。



「泣かないで」


 じわりと目元が滲んだと思えば、頬を伝う涙。


「誰のせいで、こんな……っ」

「ええ、私のせいですね。だから、こんな非情な女の為に泣く必要ないわ」



 あぁ、そうだ。本当に近衛は非情な女だ。

 手を伸ばせば届きそうなのに、寸前ですり抜けて、挙句の果てには二度と届かない場所に消えてしまう。

 こんな辛い思いをさせられているというのに、愛してしまったから……憎くてたまらないのに憎み切れない。嫌いになれない。


「あなたに……あなたの言葉で、あなたとの約束があったから、僕はいつだって頑張れた。あなたで僕の全ては成り立っていました――ありがとう、ございます」


 近衛は少しくすぐったそうに目を細めた……ような気がした。


「あなたにはあなたの居場所がある。何があっても絶対に諦めないで」


 もう声を発してしまったら、とまらなくなりそうだった。

 だから何度も頷くのが精いっぱいだった。

 蒼斗が片手で乱暴に涙を拭い、鼻をすするようになると、近衛の両手が蒼斗の頬に触れ下を向かせた。


 何だと言葉にする前に……額に伝わる柔らかくて、ほんの少し温かなぬくもり。


 瞬きのようなぬくもりが近衛の口付けだと気づきカッと顔が熱くなるのはすぐのこと。

 近衛は蒼斗が取り乱している間に手を離していた。



「さようなら、蒼斗さん」



 近衛は蒼斗の隣を通り過ぎ墓地を去った。

 芝生を踏みしめる音が次第に遠のいていくのに振り返れない――否、振り返らない。

 


 ――さようなら、近衛さん。今まで、ありがとうございました。



 近衛の気配が完全に消えた。

 ついに蒼斗は両膝をつき、拳を握り嗚咽を漏らした。


 初めて出会ったときから自分に対する扱いが雑だった。

 でも蒼斗をよく見ていて、困っていた時に不器用ながら手助けをしてくれた。

 休憩所で会えば、他愛のない話に付き合ってくれた。 

 自分が特別なんじゃないかと勘違いをしてしまいそうになるくらい、周りと確かに違っていた。

 もっとも、それは単なる監視対象だったからという理由であれば綺麗に片付いてしまうが。



「っ、最後に名前呼びなんて、するなよ……っ」



 ――本当に、悪魔のような女だ。



 締め付けられるような胸の痛みに、これが世にいう失恋かと痛感しながら、蒼斗は静かに涙した。


 



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