脱走
どれくらい経ったのか。ざっと一時間は経っただろうか?
蒼斗はずっと考えては放棄して、考えては放棄してを繰り返していた。
――亥角が蒼斗を亜紀に保護させたのは、アストライアを手に入れるため? 初めから自分の計画を容易に遂行するために利用した?
――自分のことは、ただの道具とでしか考えていなかった?
「どうして亥角さんは……よりにもよって僕を……っ」
「……亜紀ちゃん!」
留置所に現れた亜紀。蒼斗は勿論卯衣は迷子が迎えに来た親を見た時のような表情で近づいて檻を両手で掴む。
亜紀の後にやって来た奈島の額には、一点の赤い腫れが見えた。その正体は言うまでもない。
いくら業務の為とはいえ、卯衣を留置所に入れた奈島を亜紀が許せるわけもなく、頭突きをお見舞いしたのだろう。
「遅くなって悪かったな、卯衣」
「じゃあ……!」
「いや、勾留期間は変わらない。今回の一連の事件が片付くまでな」
亜紀が言いたいことは分かった。
――亥角と御影の核実験の計画が終焉を迎えるまで卯衣と蒼斗の容疑が晴れることはない。
「ペンタグラムにとって、例え御影の実験がまた失敗して爆発を起こしたとしても、核に守られているこの国は痛くも痒くもない……それは重々理解しています」
オリエンスがどうなろうが、全く関係がないことだった。むしろその方が悩みの種が消えて嬉しいだろう。
「でも僕は……亥角さんを止めたい」
蒼斗には聞きたいことが山のようにあった。
何故蒼斗を保護するよう亜紀に促した?
何故、利用していただけなのなら殺してしまえばよかったのに、蒼斗を留置所に送るよう仕向けた?
第四皇帝たる彼が、何故御影の肩を持つような真似をするのか?
「僕には全てを知る権利があります。そのためならAPOCの掟や核なんてクソ食らえだ」
「掟破りは粛清されるぞ」
「僕はどんな手を使ってでもここを出てオリエンスに行きます。そもそも僕は死神、ペンタグラムの敵。例え、亜紀さんが目の前に立ち塞がろうとも――」
「待て待て」
蒼斗が大鎌を出現させようとしたところで、亜紀は片手を挙げて制止させた。その表情は楽しそうだった。
「誰もオリエンスに行くな、なんて一言も言っていないだろう」
「へ?」
「それと、亥角はお前を邪魔になど思っていないぞ」
「どういうことですか?」
蒼斗は亜紀が持って来た瀬戸の報告書を黙読する。
そこにはD地区で亥角に殺された原田の詳細が記載されており、彼女の正体は御影がペンタグラムの情勢を探るために送り込んだ工作員だと書かれていた。
原田由紀という名は確かに亥角の旧友として存在している。
しかし、本物の原田は数年前に交通事故で既に死亡しており、その顔は蒼斗が原田と思っていた顔と全くの別人。
彼女の本名は野口理沙。そして彼女の主たる目的――それは工藤蒼斗の抹殺。
蒼斗はその行を何度も読み直し、御影から原田……野口への蒼斗の抹殺命令の文書を見て愕然とした。
「野口と繋がりがあった亥角は、あの女がお前を殺す目的で身分を偽り近づいたことに気付き、あの女だけでなくあの女に関わる全ての人間を始末した。――奴はお前を守ったんだ」
「じゃあ、探すなって言ったのは……」
「お前にまた御影に命を狙われているという事実を知られたくなかったんだろう」
「だからってあんな風に……」
「奴らは全員狂蟲を大量に体内に蓄積させていた。遅かれ早かれ何かの拍子で狂魔になっていた。奴は正しい選択をした」
亥角のした行為は蒼斗を守るためだった。
その方法は残酷かもしれない。だがそれは彼なりの守る方法だった。
「人は大切なものを守るためなら悪魔に魂を売ることも、どんなにその手を血で汚そうといとわない」
「亥角さん……」
それでも蒼斗は納得がいかなかった。
「だったら尚更僕はオリエンスに行きます! 亥角さんと話をしないと僕は納得出来ません!」
「じゃあここから出ないとな」
「正直言わせて貰うっスけど、死神の力を使っても、東崎や夏彦、オレを相手にするのは戦闘経験が足りなさすぎるっス」
紫煙が卯衣に散らないよう顔を背け、折ってしまった煙管の代わりに、新しく調達した煙管を吸う亜紀の言葉を代弁するように、奈島は肩を竦めて得意げに笑った。
薄暗い留置所に亜紀の口から吐き出される紫煙が空気に溶け込むのを見届け、後頭部を軽く掻いた。
「やっぱり、そうですよね。大口叩いたけど、実際身体は震え切っていますし」
亜紀は煙管を一つ回し、ドア付近に感じる気配に目配せした。
小さな足音と共に影が伸び、目の前の女を見て目を見張った。
「こ…近衛、さん……っ?!」
「お久しぶりです、工藤さん」
制服を着た女は近衛だった。
蒼斗が呆けている一方で卯衣は口を横に結んでおり、亜紀と奈島は、近衛が取り巻くオーラをものともせず黙って様子を見ていた。――これで蒼斗はすぐに分かった。
「……近衛さんはそんなに優しい目で僕を見ないよ、辰宮」
「あら、もうバレちゃった。つまんないわねぇ」
口をへの字に歪め、髪を鷲掴み、カツラを取り去ると金髪が揺れた。
それからカバンから蒼斗と同じ髪型のカツラを取り出した。
次は制服を気兼ねなく脱ぎ始め、蒼斗が手で目隠しをする前に辰宮の裸体――ではなく真っ黒なスパイスーツが現れた。
それから体格をごまかすためのパットを外していく。
金色の髪にその黒は見惚れるくらいに映え、細い腰がくっきりと浮かび上がる。
棘のような卯衣の視線に覚醒させられた蒼斗は肩を震わせ、辰宮がさっきまで着ていたにこやかに手渡して言った。
「さ、早くコレに着替えて、蒼斗君」
「……え?」
耳が遠くなったのかと疑いたくなるような催促に、蒼斗は亜紀に助けを乞う視線を送る。
「ここを出るためのお膳立てに辰宮は来た。その恰好なら、疑われることなく俺と外に出ることが出来る」
「外に……でも――」
例え出られたとしても、卯衣や辰宮が残ることになってしまう。
蒼斗は決断を鈍らせた。
卯衣は小さく頷き、微笑んだ。
「行って、蒼君」
「だけど僕だけ出るなんて……」
「私のことは気にしないで。それに今優先すべきことは、私たちがここから出ることじゃない。蒼君を出して亥角君のところに連れて行くこと」
蒼斗が着ていた服と同じものをカバンから出して着替えた辰宮は、カツラを被って完璧に蒼斗に変身していた。
檻越しに並ぶ姿は双子のようで、亜紀は滑稽そうに笑った。
「あなたには大きな借りがある。代わりに檻の中に入るなんてどうってことないわ」
「辰宮……」
「さぁ、早く行って。時間がないのよ」
「……ありがとう、二人とも」
蒼斗は奈島に檻から出して貰い、入れ代わりに蒼斗に成り代わった辰宮が中に入る。
亜紀と奈島は制服に着替えた蒼斗を連れてその場を後にした。捜査官の流れに入る前に奈島はここで別れ、「しっかり頼むっスよ」と、言葉を残し自分のオフィスに戻った。
本部を出た亜紀と蒼斗は待っていた千葉の車に乗り込み、ヘリポートに向かった。
「千葉、彦の様子はどうだ」
「ヘリの準備は終わっている」
バックミラー越しに会話をする千葉はいつもの白衣姿ではなく、亜紀と同じ黒い武装姿だった。
肩のホルスターには銃が固定され、胸には防弾チョッキをつけていた。まるで戦争に行くようだ。
「狂魔弾はいつもの四倍は用意してある。武器は全て別の車で運んである」
「ご苦労だった、千葉」
「それと、やっと完成したよ」
小さなアルミケースを受け取った亜紀はそれを開け、蒼斗と覗き込む。
そこには十三発の蒼の銃弾が陳列している。
「蒼斗君の血液を拝借して、狂魔弾より威力のあるものを作ってみたんだ。名付けて、蒼魔弾。蒼馬の蒼斗君と、悪魔の亜紀の二人がいなければ生まれなかったからね」
「蒼魔弾……」
「けっ、また勝手にこんな物作ってやがったのか、お前は」
悪態をつきながら、ポーチにしまう。
「かなり経費がかかったから後で覚悟しておけよ」
亜紀は足を組み直して煙管を吸い、紫煙を窓の隙間に向けて吐き出して舌打ちする。
変わらない街並みが窓の外で流れるのを何となく目で追っていた。
蒼斗は未だに実感が沸かなかった。
当たり前のように陽が沈み、時間の流れに沿って習慣という枠に組み込まれ日々を過ごす人々が、心の中に巣食う闇で狂暴化するということ――そして、コインの表があれば裏があるように、その闇を狩るための組織が存在し、自分がその狩りに関わっているということに。
これから起こるかもしれない危機に、何も知らずにオリエンスで暮らす人々を襲う十年前の悪夢を考えると無意識に手に力が入った。
◆
APOCが所有するヘリポートに到着した。
車の中で蒼斗は既に着替えを済ませ、渡された防弾チョッキをつけて準備万端の状態だった。
巻き起こる風を手で遮りながら大股で歩き、瀬戸が乗って待つヘリへと乗り込む。
ヘッドセットを付けた瀬戸も千葉同様フル装備で待っていた。
「やっと来たね、工藤蒼斗。僕を待たせていいのは亜紀だけなのに」
「す、すいません」
「お前の話などどうでもいいんだ、早く出せ」
「相変わらず可愛げがないね。そういうとことが僕のツボだけど」
何を言っても無駄だと思った亜紀はそれ以上何も言うことはなく、千葉に扉を閉めさせた。
「おっと……危ないな」
千葉が扉に手をかけたところで、矢が風を切り裂きコンクリートに突き刺さった。
「やっと来たか」
どっこいしょ、と年寄りくさい掛け声で地上に足を付けた千葉は、矢に巻きつけられた黒い紙を見て眉間にシワを刻んだ。
「亜紀、勅令だ」
振り返った時の千葉の顔は真剣そのものだった。
黒い紙に白い文字で綴られた文字を見た亜紀も、同様に表情が険しくなった。
戻ってきた千葉から手紙を受け取り――嘲笑した。
「亥角の犯した行為は目に余ると判断し、核は奴を危険分子だと決めたようだね」
「ふん、寄越すのが遅いんだよ、馬鹿が」
核直々の指令――それはつまり、この一件にAPOCが関わることができるということだった。
それにしても、ペンタグラムのトップを馬鹿呼ばわりするとは……。
悪態つけるのはきっと、亜紀くらいだろう。
「そうと決まればさっさと行くぞ、蒼斗」
「はい、何処までもついて行きます! だって、僕は亜紀さんの相棒ですから」
未だに亜紀の相棒と言い張る蒼斗。
瀬戸は面白くなさそうな顔をする。千葉は頼もしそうに口笛を吹いた。
肝心の亜紀は既に諦めたのか完全に無視をし、無線から聞こえる調査部の報告に耳を傾けた。
そうこうしている間にもヘリは地上から飛び立ち、果てしなく先に見える乖離点付近のオリエンスへの道が海面に開かれたゲートへと全速力で向かった。
「そういえば――」
「何ですか、彦さん?」
離陸してから数分――乖離点が近くに見え始めた頃、瀬戸は感嘆詞を口にすると、横に置いてあった茶封筒を引っ張り出して見せた。
「ようやく見つけたよ、君の全てをね」
意気揚々と資料ファイルを差し出す瀬戸に、蒼斗は言葉を失った。
「あ、対価は一週間、僕の書斎の掃除だよ」
瀬戸の書斎は一言で申せば汚い。
それはもう、ひどいくらい汚い。
東崎家よりは酷くないが、いくら片づけても紙屑の山が消えないそこを地獄と感じたのをしっかりと覚えている。
愕然とする蒼斗が対価条件を飲む前に、亜紀は瀬戸の手からもぎ取り、中身を流れるように読んでいく。
鋭い瞳は一瞬揺らぎ、ファイルから目を離すと瀬戸を見上げた。
「彦、コイツを何処で見つけた」
「東崎家に放置されていた亥角のパソコンからだよ。言っただろう? 世界一の情報屋に不可能なんて文字はないんだ」
「俺も調べたのに……よくやったな」
滅多にない亜紀からの賞賛の言葉に、瀬戸は口を横に突っ張り正面に向き直った。
「素直に褒めないでくれよ。君にそう言われると操縦が狂いそうだ」
「……馬鹿が」
亜紀は目を細め、手に持つファイルを一刻も早く読みたいという熱い視線をぶつける蒼斗に気付き読み上げた。
「お前の本当の名は葛城蒼斗。年は二十歳、六月八日生まれの大学二年。母親はお前を産んで直ぐに他界、父親はゼロ・トランスにて死亡」
「葛城蒼斗……それが、僕の本当の名前」
今までは、亜紀から与えられた工藤蒼斗という名で生きていた。
ようやく真実の名を知り、言葉にしがたい複雑な気分になった。
「お前にはまだまだ知りたいことがあるだろう。それは亥角のクソ野郎を止めてから、ゆっくり雑巾の水を絞り尽くすように聞き出せばいい」
「……そうですね。今は目の前のことに集中します。僕に出来ることは、どんな手を使ってでもオリエンスの人を――僕の生まれた街を守ることですから」
自分に言い聞かせるような蒼斗の言葉に、千葉は口角を上げ、振り向いて亜紀を一瞥した。
「だいぶ誰かに似てきたんじゃないか、蒼斗君。なぁ、亜紀?」
「……ふん」
亜紀は千葉の視線を気にしないことにし、腕を組み直してそっぽを向いた。




