仕組まれた檻
蒼斗が辰宮の手から逃れ、D地区に行ってから一時間弱が経った。
踵を鳴らし、乱暴にドアを開けて零号館に入る亜紀。
その後に続き、けだるそうに頭を掻き、薄暗い部屋に電気をつける瀬戸。講義という二人の時間を邪魔されてへそを曲げているようだ。
零号館にはキャスター付きのイスに深く腰掛け、ぐるぐると回って遊ぶ千葉だけがいた。
ちなみに、そのイスは亜紀が所有するものだ。
「そこをどけ、ジジイ。――卯衣と蒼斗が奈島に拘束されたのは本当か」
虫の居所が悪い亜紀は、千葉を足蹴にしてイスに座った。
貧乏ゆすりを繰り返し、知らされた内容を思い出したのか不機嫌さがありありと滲み出ていた。
千葉は蹴られた部分を手で擦り、耳の無線を指差して一つ頷く。
「間違いない。さっきここに奈島から連絡がきた」
念の為に卯衣の無線を部下が押収する前に手元に収め、それを使って連絡してきた。
恐らく、亜紀の鉄拳を免れるためのご機嫌取りのつもりだろう。
「詳細は?」
「匿名の電話でD地区に出向いたら、大量殺人現場に工藤君とウサギがいて、規則に基づいて泣く泣く、容疑者として拘束したようだ」
「大量殺人?」
衛星からの現場の写真をモニターに映す。
そこには公園の至る所に死体があった。アップした写真を見ると、死体が至る所に映っている。
千葉は補足するように口を開いた。
「ちなみに、この遺体は老人に見えるけど、免許証でまだ三十代だって分かったよ」
「何だと? 冗談はそのふざけた顔だけにしろ、これはどう見たって若く見えねぇぞ」
「不思議だよな。工藤君は夢で亥角を視たって言っているし、何か関係でもあるのかねぇ」
意見を促すような千葉の言葉に対し、亜紀はモニターをじっと見つめたまま。
蒼斗は亥角を探す為にD地区に行った。
そこでタイミング良く奈島に拘束されたのなら、夢で視た亥角の目的は、死んだ彼らではなく蒼斗だったということか。
「彦、千葉、この件について全て洗い出せ。ここ数日の蒼斗の行動も調べ上げろ」
「いいのかい? STRPの管轄に関わったら大変だよ」
パソコンに向かい始めた亜紀は、仕事場に戻ろうと背を向けた瀬戸の問いに対し、不敵な笑みで返し、電源ボタンに手を伸ばして言った。
「大量殺人という奴らの管轄以外について調べる限り、俺たちに何ら問題ないだろう? 俺たちがやるべきことは、二人の容疑を晴らすことではなく、亥角に関わることだ」
ギリギリのラインなら好きにやれと言う亜紀の許可を耳にすると、瀬戸はほくそ笑み、そのまま零号館を後にした。
◆
二時間後、零号館に瀬戸の声が入った。
画面と睨み合いを続けていた亜紀は、指先で目元を押さえ、休憩がてらに瀬戸の報告を聞くことに。
「工藤蒼斗がここずっと亥角の旧友、原田由紀と名乗る女と接触していたことが分かったよ。部下がカフェの従業員と客から二人を見たって言う裏を取った」
「ふむ、なら蒼斗は単独で亥角を追っていたと捉えていいだろう。あいつの考えは浅はかだからな。……それで、蒼斗はその女から亥角の情報は得られたのか?」
「それがかなり興味深いことが分かったよ」
愉快そうな瀬戸の報告に、亜紀は眉間のシワをもう二本ばかし追加した。
「それよりも、別件で大変な知らせが舞い込んで来たよ」
瀬戸は零号館のデータベースに自分が得た情報を送り、亜紀と千葉は画面を覗き込む。
「もう怒りで狂いそうだよ」
「報告しろ」
「了解。オリエンスの御影の核実験跡地区域で巨大なエネルギーを感じたよ」
モニターに映されたのは特殊な周波が観測されたデータ結果。
APOCが判定した、オリエンスのデッド区域を中心に警告の証である赤が拡張されている。
「下衆は再び実験を行う気か。だが、問題の材料は手に入ってねぇだろ」
「ところがどっこい。ウチの保管庫にあった、つい先日回収したばかりのアストライアが危機回避のため安全地帯に移送するという正式な許可証を以て持ち出されていた」
「何だと?」
保管庫の持ち出しはトップの亜紀の許可書が必要。勿論、亜紀がアストライアの持ち出しを許可した覚えはない。
「誰が持ち出した?」
「これが実に興味深いんだよね」
瀬戸は数時間前に撮影した保管庫の防犯ビデオを映した。
そこには武装した管理人と男が話をしていた。彼らは和気あいあいと談笑しており、男が差し出紙に目を通すと数度頷き、管理人は受領印をそのまま押した。
「かなり親しそうだな」
「だが変だな。普通ならカメラに顔が映らないよう配慮するものだ」
「そう、彼はその必要なんて微塵もないんだよ」
瀬戸は男の顔が映る画像の解像度を上げ、さらにアップでモニターに表示した。
男の顔に誰もが息を呑み、声が出なかった。
「アレを持ち出したのは、工藤蒼斗だよ」
人懐こそうな笑みを向ける姿は、疑う余地もなく蒼斗だった。
「だが、蒼斗はその頃STRPに押さえられている」
「それをいち早く知れるのは僕たち幹部だけ。それ以外の部下はSTRPの動向をすることは不可能。――つまり、何者かが工藤蒼斗を僕たちから引き離し、奈島に捕らえさせ、彼が勾留されている間に保管庫のアストライアを盗み出すってシナリオが出来る」
「そして、それを実行できる人間は、ただ一人」
「――亥角、テメェか……っ!」
亜紀は気休めに吸っていた煙管を数回回すと、手に収めると同時に拳に力を入れて真二つに素手で折った。
その手はテーブルを悔しげに叩き、怒りで肩を震わせた。
◆
「ちょっとおおおお!! ここから出しなさいよ!」
卯衣は檻を掴み、力いっぱい揺さぶった。無駄だと分かっていても、ここから出せと言う意思表示をせずにはいられなかった。
身体が前後に触れることで長い髪もまた靡き、スカートが揺れる。座り込んでいた蒼斗は、これ以上邪な心が顔に出ないように、今度こそ静かに目を伏せた。
勾留されてから数時間経った。
奈島が卯衣の無線を部下に見られる前に取り上げ、姿を消してからその間に誰も来ることはなく、暇を持て余していた。
「武器も無線も全部取られちゃうし、代理とはいえAPOCの幹部にこんな仕打ちってないわ!」
「仕方ないよ、それが彼らの仕事だよ。実際、僕たちは現場にいた」
「でも――」
「とりあえず、今は座って待っていようよ。どの道証拠不十分ですぐに釈放されるだろうし」
蒼斗は自分が座る床の隣に設置された簡易ベッドを軽く叩いて促す。
卯衣は唇を噛み、渋々な面持ちで自分のベッドに腰を下ろし、足を組んで自分の手元を見つめる。
薄暗いコンクリート製の壁と天井、小さなライトが仄かに灯っている留置所。
肌寒い季節の中、ここに放り込まれた。留置所の中は気温が低く、身体が生理的現象で寒さに震える。
卯衣の様子を伺えば、彼女は両手で腕を擦り、蒼斗同様に身体を小刻みに揺らしていた。蒼斗は着ていたダウンジャケットを脱ぐと卯衣の方へ差し出した。
「蒼君、これ……」
「その格好だと風邪引くから、着ていて」
「でも、パーカー一枚じゃ蒼君が……」
「卯衣ちゃんに風邪を引かれたら、亜紀さんに処刑される」
もし床に臥す卯衣を見たら、亜紀は怒り狂って蒼斗を蜂の巣状態にしかねない。
亜紀の性格をよく理解している卯衣は、気が咎める思いを抱きつつ、蒼斗の厚意に甘えることに。
壁に背を預け、蒼斗は揺れるライトを目で追った。その光が連行される前に見た、反射していた光と重なり、表情が暗くなった。
亥角はあの現場に確かにいた――自分と卯衣が奈島に連れて行かれるのを、遠くから見ていた。
亜紀と同じような仕草で怒りを抑える卯衣を見つめ、自分と一緒にいたばかりに巻き添えを食わせてしまったと、言いようのない後悔の念がこみ上げた。申し訳なくて胸が痛んだ。
「本当にごめん、卯衣ちゃん、巻き込んじゃって」
「それはいいのよ。それより、蒼君が一人でこんなところに入れられなくて良かった。もし、こんな冷たいところに一人でいたら心細いじゃない」
笑顔で手を顔の前で振る卯衣の優しさに蒼斗は大いに救われた。
「ちょっといいっスか」
「奈島さん……!」
重いドアの開く音がすると、いつもの口調の奈島がやって来た。背後には東城もついている。
二人の姿を見ると卯衣は直ぐにここから出せと噛み付く。
「一々君はうるさいな。少しは女性としての品格を持つことを勧めるよ」
「大きなお世話よ、へっぽこボスの腰巾着の癖に!」
「……何だと?」
「へ、へっぽこ……」
上司を中傷されスイッチが入る東城と、牙を剥く草食動物のように威嚇する卯衣。
その間では奈島がへっぽこ発言に胸を痛め目尻に涙を浮かべている。
「しゅ、収拾がつかない……っ、東城さん、どうしてあなたがここに?」
「ん? あぁ、忘れていたよ。私は君に用事があってきたんだ」
「用事?」
蒼斗に気づいた東城はハッとしたように卯衣から距離を取り、上着の内ポケットに手を入れながら檻の前に歩み寄る。
差し出したのは卯衣の無線で、目を白黒させ自分と無線を見比べる蒼斗に東城は貼り付けられた無表情を少々綻ばせた。
「今APOCが手に入れている今回の情報をSTRPも共有するという条件で、東崎と連絡を取ることを許可しよう。どうだい、工藤君?」
「どうして、そんな条件を……」
「正直、私は君にあのような惨い殺しができるとは微塵も考慮していない。勿論、そこの野蛮なウサギもね。君が死神だということやAPOCの内部事情が明るみになってしまうのを避けるために形式的な段階を踏まれているから、やむなくこうして君らをこうして拘束しているんだということをどうか理解しておいてほしい」
「勿論です。優秀な東城さんやSTRPがこんな子供だましに掛かるだなんて思っていませんから」
「……君は、やはり悪魔のところに置いておくの少々惜しいな」
「え?」
無線機を受け取ったことで交渉成立。蒼斗はすぐに亜紀に連絡を入れる。
無線機越しの亜紀の声は大層ご立腹で、単独行動した上に亥角の罠にかかって証拠不十分とはいえ二十四時間も拘束されることになった始末は全てが解決してからつけるという予告を受け、立ち眩みが襲う。
「それより、お前たちに凶報がある。お前たちをブタ箱に入れたのは知っての通り亥角だ」
「やっぱり……」
「さらに最悪なことがある。蒼斗、お前がそこにいる間に亥角がお前に変装してAPOCの保管庫にあったアストライアを盗み出した」
「っ、亥角さんが僕に……?」
だから罠に嵌め、身動き出来ない状態にしたのだと納得した。
しかし、今更それを知っても既に遅い。押収したアストライアはとっくに亥角に奪われてしまった。
自分の考えの浅はかさに恥ずかしくて顔から火が出そうだった。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。
「そしてさらに、彦がウチの諜報部からオリエンスの旧核実験場で強大なエネルギー反応があったという情報を受けた。この地図を見てみろ――つい最近から数値が上昇しつつあり、段階別で最悪のレッドゾーンが拡大している」
モニターに映されたのは、数日前と現在のオリエンスのエネルギー計測図。日が経つにつれて赤い範囲は広がりどんどん数値が上昇していた。
「下衆の御影がまた最期の審判計画を再開しようと実験の用意を進めている。そして、太一の報告を受けてその動力源の材料として目をつけていたアストライアを亥角に持ち出させた。――いや、正しくは奴が自発的に持って行ったと考える方がいいだろう。他人の命令や意見に従うような人間じゃないからな」
亥角が御影と手を組んで実験を企んでいるのなら、止めに行かなければならない。
蒼斗は嫌な汗がどっと噴き出すのを感じ、亜紀に急ぎオリエンスに行き、亥角を追わせて欲しいと頼み込んだ。
だが――。
「悪いが、それは出来ない」
亜紀の淡白で残酷な返答が蒼斗の鼓膜を震わせた。
「どうしてですか……っ、十年前のような事故が起こったらひとたまりもないじゃないですか!」
「お前は亥角の罠にかかって勾留中、あと何十時間はそこから出られない。――それと、ここまで一刻を争うことになったらAPOCの全ての行動に核の許可が必要になってくる」
さらに、ペンタグラムはオリエンスから溢れる狂蟲の手から逃れるために出来た国。
悪魔の加護を受け外部へ流れる狂蟲を完全に遮断している。
そのため、オリエンスが再び実験に失敗し、狂蟲を垂れ流そうともペンタグラムには全く関係ないのだ。
「絶対の決まりは破るわけにはいかない。今回の亥角が起こした大量殺人も、万が一STRPの協力要請が来たとしても核からの指示がない限り、俺たちが動くことはできない」
「そんな……っ」
「分かってくれ、とは言わない。……だが、どうしようもないんだよ」
無線の向こうで亜紀がどれだけ悔しそうな顔をしているのか、どれだけ掌に爪が刺さって血を滲ませて怒りを堪えているのか、蒼斗には分かるまい。
亜紀たちも蒼斗の考えを今回ばかりは尊重したい。
残酷な現実を突き付けられ、蒼斗は愕然とベッドに腰を下ろし、脱力して全身の溢れる疲労を溜め息に込めて放出した。
勾留期間が終わるまでほど遠く、亥角の計画を知っても何も手を出せない歯痒さに蒼斗は留置所の壁を殴りつけた。




