敷かれた罠
辰宮の追跡を振り切ってセントラルから出た蒼斗。
「ここがD地区……」
動植物も見ない廃墟地帯に足を踏み込んだ蒼斗。
物音一つしない空間に、砂利を踏みしめる靴音だけが響き、生きている気配が全く感じられない。ただ肌でヒヤリと感じるのは――死に満ちた空気。
「……いる。それも――数十人ってところか」
護身用で持って来た短銃を、挟んでいたズボンの間から引き抜き弾を確認する。
落とすようなことがないよう掴み、周りの建物の物陰に注意を向けながら一歩一歩慎重に足を踏み出していく。
――途中、カラスの羽ばたく音で肝を冷やした。
黒い羽根が重力に従って舞い落ちるのに見入っていると――空に円を描いて飛ぶ数十羽のカラスを見つけた。
蒼斗の足は少し足早になった。
フェンスで囲まれた公園くらいの広さはある敷地に、微かだが狂魔の気配を感じた。
壁に背を預け、顔を半分出して様子を伺う――だが、直ぐにその必要はなくなった。
「――っ!」
至る所に倒れる数十人の人間を目にして言葉を失った。
大半は恐らく老人。若い方は頭に一発銃弾を受けて絶命していた。蒼斗はその人数に比例して漂う悪臭に思わず口元を覆った。
蒼斗には分かった――彼らの中に生存者が一人もいないということを。
さらに蒼斗は老人の死因を確認しようと覗き込んだ時、身が凍るような衝撃が身体を突き抜けたのを感じた。
身体を起こし、後ずさった。
「この人たち……っ、老人じゃ……ない!」
一見老人に見えるが、毛髪の色素が抜けていなかった。
そして最大に打撃を与えたのは、彼が持っていた身分証明書の写真だった。
写真の容姿は三十代前半だが、この姿はどう見ても八十代後半にしか見えなかった。
「コレって夢で亥角さんが女の人にしたことと……もしかして、全部彼が――」
おずおずと広場の中心に足を進め、遊具がひとりか細く鳴くのに不気味さを感じながらも辺りを捜索する。
「あれは……」
こちらから死角になる位置から影が伸びているのを捉え、小走りで近寄った。
小さな希望を持って目にした光景は、蒼斗を絶望に突き落した。
他の犠牲者と同じように死んでいる人々の中には――まだ幼い少女の姿があった。
少女の死体の前には、助けを乞うように手をいっぱいまで伸ばして力尽きる老女がいた。
「こんな子供まで……一体何どうして……っ」
蒼斗は少女が握りしめているクマのぬいぐるみに触れ、夢を視た時に感じた感触と同じことに目を見張り、彼女の視点になってあの夢を見ていたのだと知った。
「でも、どうしてこの人たちはD地区に……? もしかしたらオリエンスと関係があるのかも……って、あれ……この人……?」
亜紀に連絡を入れようと耳の無線に手をかけようとしたところで、老女の身分証明書を見た蒼斗は手を下ろしてじっと見つめる。
女――だった名前は原田由紀。
蒼斗がセントラルでぶらついている時にひょんなことから知り合った亥角の旧友で、彼女も突然行方不明になった彼の手掛かりを探していたのだ。
しかし、数日前――彼女は重要な情報を掴んだと蒼斗に連絡を入れ、セントラルとこのD地区の境界付近にある喫茶店で待ち合わせの約束を結んでから連絡が途絶えた。
約束の場所で四時間近く待っても彼女は来なかった。
「一体どうなって……?」
忽然と姿をくらませた原田と、こうして悲惨な形で再会を果たすことになった。
蒼斗は偶然と思えなかった。
そもそも夢に現れたということは、蒼斗の一族に流れる血の宿命により御影と何かしらの関係があることを証明することになる。
「……っ、誰だ!」
背後の砂を踏む音に蒼斗は緊張で声の調子が強くなった。
自身を奮い立たせ、引き金に手をかけ振り返る。
「見つけた、蒼君!」
「う、うううう卯衣ちゃん!?」
立っていたのは目を細めて殺気を気持ちばかり漂わせた卯衣だった。
思わぬ人物に蒼斗は驚き、勢いで銃を放り上げた。それから金属が石に当たる音が聞こえると、いそいそと元に戻す。
制服姿で髪を高くまとめ上げた卯衣は頬を膨らませ、銃をレッグホルスターに差し戻す。その拍子でスカートが少しめくれ、白い大腿部がほんの少し晒された。
蒼斗は目をひん剥き、顔をそらそうと考える。――が、亜紀がいないのをいいことに目線だけを残す。
「どうかしたの?」
「うわぁぁ、何でもないよ! それより、卯衣ちゃん学校はどうしたの?」
蒼斗は両手を顔の前で忙しなく横に振って話題を無理矢理変える。
卯衣は腰に手を当て、細長い指先で耳の無線機を指差して軽く睨み付けた。
「星妃さんから、蒼君がD地区に一人で行っちゃったって連絡を受けたの」
鬼のような形相で今にも首を絞め上げそうな卯衣に、蒼斗は両手を挙げて降参の意を示して謝る。
「勝手に抜け出してごめん」
卯衣はブレザーの裾を掴んでいた。
「……この死体は、蒼君が?」
「いや、僕じゃない」
卯衣はそう、と蚊の鳴く声で呟いた。
「星妃さんから聞いたでしょ、この地区がどれだけ危険だか? そこにたった一人で行くなんて……ただの命知らずだよ! それに、ここは幹部以外立ち入り禁止だよ。大体、蒼君は絶用係なんだよ、何しているの? いくら死神の力を持つ蒼君でも、もしあそこに転がる狂魔たちを相手にしていたら無事じゃ済まなかったかもしれないじゃない!」
人畜無害そうな耳の長い草食動物に似ている卯衣が発する、押し負けそうになる気迫に、蒼斗は冷や汗をかいた。
やがて卯衣は鼻を小さく啜り、目頭を押さえ始めたので事態が深刻化していくのを嫌でも察知した。
このままでは傍から見れば蒼斗が卯衣を泣かせたと思われてしまう。
いや、実際卯衣を泣かせたのは事実なのだが、他人や彼女の身内――特に史上最凶の悪魔もとい亜紀に知られた時には、憤怒の炎をたぎらせガトリングガンを持ち出し、蒼斗の身体の細胞など残らず消し飛ばしかねない。
元々ペンタグラムでの蒼斗の戸籍は亜紀により作られたものであり、存在だけでなく蒼斗自身も抹消されてしまうなんていう悲しい結末にはなりたくない。
「……本当に、ごめん。卯衣ちゃんに心配かけさせるつもりはなかったんだ」
亜紀や千葉のように女の扱いに慣れていない蒼斗は、直ぐに女を泣き止ませるスキルなど見当もつかない。
亜紀なら深い溜め息をつきながら片手で自分の前髪を乱し、無言で女の手を掴んで引き寄せて耳元で囁くだろう――「俺をこれ以上困らせるなよ」なんて。
考えただけでも身の毛がよだつビジョンに蒼斗は頭から振り払った。
とにかく蒼斗が直感で思ったことは、左手を卯衣に伸ばし、壊れ物を扱うように小さな頭に乗せて撫でてやることだった。
「約束するよ。僕は卯衣ちゃんの傍から離れたりしない」
「本当に? 無茶もしない?」
「うん」
それは善処する、とは言えなかった。
「じゃあ嘘ついたら、亜紀ちゃんに蒼君に乱暴されたって言うからね」
「……このウサギの皮を被った悪魔め」
血は争えないとはよく言ったものだ。
すっかり機嫌が戻って勝手に指切りをしている卯衣を見下ろし、とんでもない約束をしてしまったと思いつつ、また笑ってくれたという安堵が残る。
卯衣は指切りをする為に触れていた蒼斗の手を見つめ、それを自分の頬に当てて目を閉じた。
何のつもりだと様子を伺っていると、蒼君の手は温かいなぁ、と卯衣は微笑んだ。
「APOCやこの街の人たちは、みんないつも私に優しくしてくれる。一部は子ども扱いするけどね。……辛い時や悲しい時、亜紀ちゃんはいつも私を蒼君がさっきしてくれたみたいに頭を撫でてくれるの。凄く優しくて、誰よりも安心する」
卯衣の瞳に蒼斗の顔が映る。蒼斗はどういうわけか意識が引き込まれそうだった。
「蒼君の手は、亜紀ちゃんによく似ている……だから、好き」
たったそれだけの言葉に蒼斗は胸が熱くなった。
からかうように卯衣が亜紀ちゃんの次にね、と言葉を付け足しても速くなる鼓動は正常に戻るのに時間を要した。
「それで、この変死体と射殺体は一体誰の仕業か分かるの? 隠し事したら亜紀ちゃんに告げ口するからね」
「……夢で亥角さんを視ました」
「え、亥角君……? それってどういう――」
卯衣の声は四方を囲むように聞こえてくるサイレンの音で掻き消された。
瞬く間に蒼斗と卯衣は銃口を向けるSTRPに包囲され、間を抜けて現れた奈島に仰天した。
「大人しく武器を捨て、両手を頭の後ろで組むんだ!」
「ちょ、ちょっと奈島さん! 僕です、工藤と卯衣ちゃんです!」
「その天パと麗しい姿を見れば分かる!」
「天パって言わないでください!」
「どういうことなの、奈島君?」
アストライア事件の分け前騒動の一件以来、さらに殺気に磨きをかけた警官たちの威力は絶大で、蒼斗は胃が痛くなってきた。
喧嘩の際に亜紀の拳を食らった奈島の両頬にはガーゼが張られ、口の端にも絆創膏が貼られていた。
「まさか亜紀さんを陥れる為の作戦に、僕たちを利用しようっていうんじゃ――」
「先程STRPに匿名で通報が入った」
「匿名?」
「D地区の公園跡地で大量殺人が起きたというものだった」
要するに、この大量殺人が起こる現場に立っている卯衣と蒼斗は、奈島たちから見ると十中八九、第一容疑者とみなされているということだ。
殺人の容疑者にされたことに卯衣は憤慨し、怒声を上げて噛みつく。
「私たちはAPOCよ! 街を守る人間が人殺しなんてするわけないじゃない! それに私たちだって蒼君がここでの殺人を夢で視たから来たのよ!」
「う、卯衣ちゃん……」
蒼斗の前に両手を広げて庇うよう対峙する卯衣に、奈島は一瞬尻込みする。
だが、昼の時間帯での事件の管轄は全て奈島たちのもの。
APOC幹部と言えど、夜はただの一般人でしかない蒼斗と卯衣はSTRP捜査官数人に拘束される。
銃を奪われ、後ろ手に手錠をかけられた卯衣は奈島を睨み付けた。
「また、怪我したいようね。こんなことをして亜紀ちゃんが黙っているとでも?」
「……連れて行け」
蒼斗は撤退する捜査官らを横目に、奈島に連れられパトカーに歩き出す。
その際、蒼斗は少し離れた建物の中から光を見た。目を凝らすと、誰かが双眼鏡で見ているだと分かった。
「まさか……」
蒼斗は建物に向かって走ろうとするのを奈島に止められた。
「工藤、大人しくしていろ!」
「行かせて下さい! 亥角さん……亥角さんがあの建物にいるんです!」
だが蒼斗がもう一度同じ方を見た時には人の気配はなく、奈島は首を横に振って蒼斗の肩を叩いた。
「悪いな、工藤。話は向こうで聞く」
「離して下さい! あそこに確かに亥角さんがいたんです! 僕たちは嵌められたんだ――亥角さん、亥角さん……っ!」
蒼斗は死神の力を利用され、亥角に謀られた。
しかし、それが分かった時には既に後の祭りだった。




