【第二十話:凍てつく策謀 —— 埋められた外堀】
慶長十九年(一六一四年)。
駿府で穏やかな余生を望んでいた五郎の元に、呪いのような報せが届いた。正信と天海が仕掛けた「方広寺の鐘」への難癖――「国家安康」の銘が家康の名を分断し、呪っているという言いがかりである。
五郎は、天海が引いたそのあまりに稚拙で強引な図面を見て、吐き気を覚えた。
「……治部殿、佐渡。ここまで、こんな子供騙しのような真似をする必要があるのか」
五郎の問いに、天海は冷徹に答えた。
「算盤を弾けば、これしかございませぬ。豊臣を『敵』として世間に認めさせるには、理不尽なまでの圧をかけ、彼らの内なる毒を吐き出させるしかないのです」
天海の予想通り、大坂城の淀殿や強硬派の家臣たちは、この挑発に激昂した。彼らは全国から浪人を集め、軍備を増強するという最悪の選択を繰り返した。それは、五郎にとって「秀頼を救う」という最後の道が、一歩ずつ閉ざされていく音であった。
五郎の迷いを断ち切ったのは、意外にも息子・秀忠であった。
「父上。豊臣の挑発、もはや看過できませぬ。徳川の世を盤石にするため、私が挙兵いたします」
江戸城から届いた秀忠の言葉は、かつての長丸のものではなかった。彼は父が作った「徳川」という仕組みを護るために、自ら冷徹な将軍になろうとしていたのである。
五郎は、自嘲気味に笑った。
(お愛……見てくれ。私が護りたかったあの子が、今や私の代わりに泥を被ろうとしている。これが、私の教えた『家康』という生き方の報いか)
慶長十九年十一月。五郎は重い腰を上げ、秀忠と共に大坂へと向かった。大坂冬の陣の始まりであった。
大坂城の周囲を、二十万の徳川軍が包囲した。
だが、城の南に築かれた出城「真田丸」を前に、徳川軍は苦戦を強いられた。真田幸村が振るう采配と、浪人たちの死に物狂いの抵抗。
かつての徳川を支えた猛将――忠勝も、直政も、康政も、そして秀康も、今はもうこの世にはいない。
「……ここにきて、効いてきたな」
五郎は、隣に立つ者のいない本陣の虚空を見つめ、そう呟いた。最強の盾を失った穴は、想像以上に深く、暗く、徳川の陣営に口を開けていた。
五郎は、本陣から大坂城を見上げ、その巨大な天守に降る雪を見つめていた。
「……戦など、もうしたくなかったのだ。……平八郎、お前がいれば、今の私を何と叱ってくれたかな」
正信や天海の前では決して見せない弱音を、五郎は冬の寒空に吐き出した。戦場に流れる血は、五郎にとって、自分がお愛と交わした「泰平」という約束が破られていく痛みそのものであった。
戦況が膠着する中、五郎は一つの決断を下した。武力による陥落ではなく、和議による「無力化」である。
十二月、和議の交渉役として指名されたのは、阿茶局であった。
「阿茶。……済まぬが、最も汚い役目を頼む」
五郎の言葉に、阿茶は静かに微笑んだ。
「……殿。私は貴方様の『共犯者』として、今日まで歩んでまいりました。今更、何を仰いますか」
阿茶は、淀殿の妹である常高院(お初)と対峙した。阿茶の言葉は、氷のように鋭く、しかし蜜のように甘かった。
「和議の条件は、秀頼公の身の安全。その代わり……大坂城の外堀を埋め、浪人たちを解散させること。……これこそが、殿が秀頼公を救うためにひねり出した、唯一の慈悲にございます」
阿茶は知っていた。外堀を埋めるということは、大坂城を裸にし、次の戦で確実に滅ぼすための準備であることを。彼女は、五郎が直接手を下せない「裏切りの約束」を、自らの言葉ですべて引き受けたのである。
和議が成立し、大坂城から兵火が消えた。
だが、阿茶の指揮の下、徳川の役人たちは約束の「外堀」だけでなく、「内堀」までも埋め立て始めた。
「……話が違う!」
抗議する大坂方に対し、阿茶は「殿の身の安全のため、万全を期すのみ」と冷徹に言い放った。
駿府へ戻る道中、五郎は隣を歩く阿茶の横顔を見た。
「阿茶。……貴女に、一生消えぬ業を背負わせてしまったな」
阿茶は前を見据えたまま、静かに答えた。
「……いいえ、殿。私は、お愛様が貴方様に遺した『鞘』。……貴方様がこれ以上汚れぬよう、汚れはすべて私が預かります」
五郎は、懐にあるお愛の香袋をなぞった。
大坂城は今、牙を抜かれた獅子のように沈黙している。
だが、その静寂の先に待っているのは、豊臣という名の太陽が完全に沈む、最も残酷な「夏の陣」であることを、五郎は誰よりも理解していた。




