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『弟』〜家康は三方ヶ原で亡くなっていた。石川数正が仕掛けた徳川最大の虚構〜  作者: 滝丸
第三部:『影の昇華編』

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【第十九話:二条城の邂逅(かいこう) —— 太陽という名の劇薬】

慶長十六年(一六一一年)、三月。京都・二条城。

天下の形勢を決定づけると言われた、徳川家康と豊臣秀頼の会見が、今まさに執り行われようとしていた。


五郎は、大御所としての威信を象徴する重厚な装束に身を包み、上座に座していた。その仮面の下では、三万もの軍勢を動員して行われるこの対面という名の「検分」に、喉が乾くほどの緊張を覚えていた。


「豊臣秀頼公、御入座にございます」

案内の一声と共に、重いふすまが開いた。

五郎は、一人の若者の姿を見た瞬間、言葉を失った。

そこにいたのは、かつての太閤・秀吉とは微塵も似ていない、抜きん出て背が高く、透き通るような白肌を持つ、凛々しき貴公子であった。その眉目秀麗びもくしゅうれいかたちは、まさに「太陽」と呼ぶに相応しい、まばゆい光を放っている。


「……徳川殿、此度のお招き、心より感謝いたしまする」

秀頼の声は、澄んでいて、淀みがない。

五郎は、その瞳を覗き込み、二度目の衝撃を受けた。

かつての信長や秀吉、あるいは今の自分や正信のような、他人を食らうような野心や毒気が、この若者には欠片も存在しなかったのである。

秀頼は、ただ純粋に、徳川の築いた泰平を祝福し、その中で豊臣が「一人の臣」として平穏に暮らすことを、心から願っているように見えた。


(……何という男だ。中身まで、これほどまでに清らかとは)

五郎の胸が、激しく高鳴った。それは恐怖ではなく、一種の敬意、あるいは己の「嘘」が暴かれるような圧倒的な敗北感に近い感情であった。


だが。五郎が秀頼の背後に控える豊臣家臣たちに目を転じた瞬間、その高鳴りは氷のように冷えた。

秀頼が望む「静かな共存」とは裏腹に、家臣たちの瞳には、この完璧な主君を神輿みこしに担ぎ、再び天下を奪い返そうとする凄まじい欲望が、どす黒く渦巻いていたのである。



会見を終えた夜。五郎は深夜の自室で、震える手で薬研やげんを回していた。

「……治部殿、佐渡。……あの若者を、何とかして生かす道はないか」

五郎の掠れた問いに、部屋の隅から二つの影が静かに這い寄ってきた。正信と、僧衣を纏った天海である。


「殿、御戯おたわむれを」

正信は指先で黒革の紐を弄び、冷徹な視線を五郎に投げた。

「あの秀頼公の聡明さこそが、今のこの国における最大の猛毒にございます。あのように非の打ち所のない若君が豊臣にいます限り、不満を持つ者たちは、必ずあの太陽を仰ぎ見て立ち上がる。……秀頼公が清らかであればあるほど、戦の火種は消えぬのです」


五郎は絶句し、天海を見た。天海は目を閉じ、静かに数珠を繰った。

「……算盤そろばんを弾けば、答えは一つ。豊臣の血筋という名の『呪い』を完全に断たぬ限り、千年の泰平は成りませぬ。……内府殿。貴殿が拾ったこの泰平、あの若者の命という供物くもつなしには、完成いたしませぬぞ」


五郎は、お愛の香袋を握りしめ、嗚咽おえつを堪えた。

秀頼が愚か者であったなら、あるいは、あのように美しくなかったなら。

「……わかっている。……わかっているのだ。だが、なぜ私ばかりが、このような泥を被らねばならぬ」

五郎の嘆きを、正信と天海は無言で受け止めた。

「……殿。ご安心なされ。……嫌われ役なら、我ら二人が十分に承りましょう」

正信は意地の悪い笑みを浮かべ、天海は静かに筆を執った。


二人は五郎の苦悩を尻目に、この壮大な芝居の最終章 —— 「豊臣滅亡」への脚本を、共同で執筆し始めた。

五郎が、最後の、そして最も忌まわしい「怪物・家康」として歴史に刻まれるための、残酷なまでに完璧な図面である。

江戸の夜風が、不気味な静寂を運んできた。

五郎は、月明かりの下で独り、二条城で見せた秀頼のあの汚れなき笑顔を思い出し、深い暗闇の中へと沈んでいった。

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