【第十一話:虚構の定礎 —— 将軍と隠居】
慶長五年(一六〇〇年)、晩秋。伏見城。
松本での数正への報告、そして三河の古刹での「天海」との再会を終え、五郎が城へ戻ると、そこには影のように本多正信が待ち構えていた。
正信は相変わらず、指先で黒革の紐――『鷹の緒』を弄びながら、五郎の姿を見るなり不敵な笑みを浮かべた。
「……殿、おかえりなさいませ。信濃の山々は、さぞかし美しかったことでしょう。して、三河でお会いになったあの僧、何という名でございますかな?」
その問いに、五郎の背筋に冷たいものが走った。松本への隠密行も、あの山寺での再会も、この男には全て筒抜けであったのだ。全てを見透かし、皮肉として突きつける。それが本多正信という男の流儀であった。
だが、五郎は激昂しなかった。三河の山中で平八郎(忠勝)が漏らした、「あやつなりの、殿を想う気持ち」という言葉が、不意に脳裏をよぎったからである。
五郎はふっと、憑き物が落ちたように笑った。正信という「蛇」が放つ毒さえも、自分という「偽物」を護り抜くための、歪んだ愛として受け止めたのである。
「……天海と名乗っていたよ、佐渡(正信)」
五郎が静かに名を告げると、正信は「ほう」と目を細め、梯子の形に組んだ紐を鮮やかに解いてみせた。
「天海、でございますか。ああ、川越にある無量寿寺の、昨年代替わりした住職ですな。……実に、徳川の未来を語るに相応しい名でございますな」
正信の口元が、わずかに吊り上がった。
「その御仁、いずれ江戸の縄張り(都市計画)を引く際に呼び寄せましょう。殿の近くに置き、存分にその『正論』を吐き出させてやるのがよろしい。毒は、器の中に収めてこそ薬となるものでございます」
正信は、天海の背後に石田三成の影を見ながら、それを徳川の知恵袋として使い潰す計画を既に立てていた。五郎を孤独にさせない。それもまた、正信という男の、執拗なまでの「仕え方」であった。
「……川越の寺も、名を変えねばなりますまい。江戸の北を護るゆえ、喜びが多いと書いて『喜多院』。どうです、この適当……いや、縁起の良さ。これで天海殿も、晴れて立派な江戸の守護僧にございますよ。……くくく」
それからの五郎を取り巻く時間は、濁流のように加速していった。
慶長八年(一六〇三)、二月。
五郎は伏見城において、朝廷から「征夷大将軍」の宣旨を受けた。
三方ヶ原で泥を啜り、身代わりとなったあの若者が、五十四歳にして今や日の本の頂点に立つ「徳川家康」という名の神となったのである。
五郎がその名を背負って一歩踏み出すたびに、石川数正が書き残し、三成が算盤を弾き、正信が糸を引いた「徳川」という名の巨大な機構が、軋みを上げながらも強固な城へと姿を変えていく。
江戸。かつては湿地帯に過ぎなかったその地が、天海が引く風水の図面と、正信の冷徹な官僚機構によって、世界で最も精緻な「理想郷」へと造り替えられていった。
五郎は、江戸城の本丸から広がる町並みを見つめるたびに、自分をここへ押し上げた死者たちの顔を思い出した。信長、秀吉、忠政、数正、お愛、そして三成。
彼らが望んだ「泰平」という名の祈りが、目の前の家々の竈から立ち昇る煙となって、江戸の空を染めている。
だが、五郎は知っていた。「徳川家康」という仮面が個人のカリスマに依存しているうちは、その平和は一代で終わる。
数正が遺した「血筋」という名の古びた算盤を、「仕組み」という名の新しい算盤へ。
慶長十年(一六〇五)、四月。
将軍職に就いてわずか二年。五郎は周囲の猛反対を押し切り、家督を息子の秀忠へと譲り渡した。
「……父上、早すぎます。私は、まだ……」
震える秀忠を前に、五郎はかつて大垣の陣で見せたような激昂はしなかった。ただ、一人の父親として、慈愛に満ちた瞳で息子を見つめた。
「秀忠。お前は、私になろうとするな。お前の中に流れる、お愛の優しさをそのまま徳川の礎とせよ。……足りぬところは、この隠居が埋めてやる」
五郎は「大御所」という立場に退くことで、徳川の世が血筋以上に「職責」として世襲されるものであることを天下に知らしめた。
それは、偽物の血筋である自分ができる、最高にして最後の「歴史への化かし」であった。
将軍職を辞した夜、五郎は懐の白檀の香袋をなぞり、独りごちた。
「……お愛。……長丸は、立派になったぞ」
五郎の周囲には、今や正信、忠勝、阿茶、そして影に潜む天海という「共犯者」たちが揃っていた。「徳川家康」という怪物は、五郎という個人の手を離れ、一つの巨大な「意志」として走り出していたのである。
夜の江戸城に、冷たいが清々しい風が吹き抜けていった。




