【第八話:抜け殻の死、知己(ちき)の生 —— 転生への契約】
九月下旬、京都。
六条河原での処刑を数日後に控えた石田三成は、冷たい石牢の中で座していた。かつて算盤一つで天下の蔵を差配した男の面影はなく、ただ静かに死の刻を待つ一人の罪人であった。
そこへ、足音もなく一人の巨躯が現れた。
本多平八郎忠勝である。
「……治部殿。変わりないか」
忠勝の声は、敵将へ向けるものとは思えぬほどに穏やかであった。
三成はゆっくりと瞼を上げ、自嘲気味に口角を上げた。
「見ての通りだ、平八郎殿。算盤の玉はすべて弾き終えた。……頼む、潔く死なせてくれ。それが私の、徳川殿への最後の手向けだ。私が死んでこそ、あの方は『泰平の神』になれる」
三成の瞳には、一切の迷いがなかった。自分が「不忠の臣」として死ぬことで、五郎を天下の主として完成させる。それが二人の共謀の終着点であると信じていたのである。
「……いや、死なせはせぬ」
忠勝の断固たる拒絶に、三成は訝しげに眉をひそめた。
「何を言う。私が生きていては、徳川殿の正義が揺らぐ。……貴殿ともあろうお方が、戦の勘定もできぬのか」
「治部殿。貴殿の頭脳は、これからの泰平の世に不可欠だ。……だが、それ以上に。私は、五郎殿という孤独な怪物のそばに、貴殿にいてほしいのだ」
三成の指から数珠が滑り落ち、石の床に乾いた音を立てた。
「……平八郎殿。貴殿、今、何と言われた。……なぜ、その名を知っている」
「……あの日、三方ヶ原で馬の背に乗せた時からだ」
忠勝は蜻蛉切を傍らに置き、三成の前にどっしりと腰を下ろした。
「あの日以来、私はあの方の中に宿る『別の魂』を、誰にも悟られぬよう守り抜いてきた。だが、私のような武人に殿の知性は救えぬ。正信のような蛇に、殿の慈悲は守れぬ」
忠勝は、三成の瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「太閤が没した頃からだ。殿の瞳から鋭い刺が消え、どこか穏やかな色が宿るようになった。それは、貴殿が五郎殿の『正体』を暴き、その孤独を分かち合う精神的な支えになっていたからではないか。お愛殿とは違う、魂の深淵で繋がる何かが、貴殿と殿の間にはある。……あの方を、これ以上独りにするな」
三成は絶句した。自分だけが知っていると思っていた五郎の孤独を、この最強の武人もまた、沈黙の中で共有していた。その愛の深さに、三成の凍てついた覚悟が溶けていく。
「……鞘になると、仰ったのだ。あの方は、私の毒を受け止める、鞘になると」
三成は絞り出すように呟き、静かに頭を垂れた。
慶長五年十月一日。京都、六条河原。
天下に「石田三成、処刑」の報が駆け巡った。
引き回される三成は、民衆の罵声を浴びながら、悠然と天を仰いでいた。
一閃の刃が、石田三成という名の男を歴史から切り離した。記録に残されたのは、反逆者の死。だが、風は冷たく、真実を知らぬまま秋の空を吹き抜けていった。
その夜。
処刑場の裏手から密かに運び出されたのは、事切れた骸ではなく、深い眠りに落ちた一人の男であった。五郎の命を受けた服部半蔵と、忠勝が手配した伊賀の者たちによる、神業にも等しき、死の偽装であった。
三成は、三河の山奥にある、名もなき古刹へと移された。
かつて、不義の子として産まれた「五郎」が少年時代を過ごした、あの山寺である。
三成はここで「名もなき老僧」として、住職の世話を受けながら、ひっそりと息を潜めた。十月の冷たい風が山を抜け、紅葉が血のように赤く染まるのを、三成はただ静かに眺めていた。
「石田三成」としての自分は死んだ。今、自分を生かしているのは、五郎という男の執念と、忠勝という男の忠義である。三成は経を読み、庭を掃き、かつて五郎が触れたであろう薬草の匂いを嗅ぎながら、一月の刻を重ねた。
山寺を白檀の香りが優しく包み込む。
かつて五郎が拾われた泥の中から、今度は三成が、五郎の手によって拾い上げられた。
二人の共謀は、ここから「江戸」という壮大な泰平の礎を築く旅へと、その歩みを進めていくのである。




