【第四話:不忠の慈悲 —— 遠回りの台本】
慶長五年(一六〇〇年)、六月。
「会津の上杉、不届きなり」
五郎(家康)は正信の進言通り、烈火のごとく怒ってみせることで、徳川の全軍を北へと動かした。それは、西に潜む石田三成に「今こそ背を突け」と誘う、巨大な呼び水(餌)であった。
七月。下野国・小山。
目論見通り、三成が挙兵したという報せが五郎の元に届く。三成が「悪役」として立ち上がり、五郎がそれを討つ「正義」となる。二人が密かに弾いた算盤の通りに、時代は動き出した。
「会津は退く。……全軍、西へ向かうぞ」
小山評定。五郎の力強い宣言に、福島正則をはじめとする諸大名が呼応した。徳川の本隊は東海道を、そして嫡男・秀忠率いる三万八千の軍勢は、中山道を西進することに決したのである。
評定の喧騒が冷めやらぬ夜のことである。
本多正信は、指先でいつものように黒革の紐——『鷹の緒』を弄びながら、五郎ににじり寄った。
「殿。秀忠様の軍について、一つ進言がございます」
五郎は、甲冑の重みに耐えながら正信を射抜いた。
「……何だ、佐渡(正信)。急がねば治部(三成)との約束の刻限に間に合わぬぞ」
「左様。なればこそ、秀忠様には信濃の真田を叩きつつ、ゆっくりと進んでいただくのがよろしいかと。……供には、血気盛んな平八郎(忠勝)ではなく、思慮深い榊原小平太(康政)を付けられよ。そして不才ながらこの正信も、秀忠様のお側に侍りましょう」
五郎は眉をひそめた。
「佐渡、お前が秀忠に付くというのか。……ならば、お前の息子・正純はどうする」
「正純は、殿の側に。……あやつはまだ若く、私の書く台本の『裏』までは読み解けませぬゆえ」
正信は不気味に目を細め、梯子の形に組んでいた紐をふっと解いた。
五郎は、隣に控える正信の息子・正純を見た。正純は、父の意図など露ほども知らぬ様子で、殊勝に控えている。
(……正信め、なぜ一番の知恵者である自分を本隊から外し、秀忠の側に回る? しかも、血気盛んな忠勝ではなく、慎重な小平太を同行させるとは)
五郎は正純を自分の側に置くことで、正信への牽制とした。いわば「人質」である。
「よかろう。正純は私が預かる。……佐渡、秀忠を頼んだぞ」
正信は、然もあらんという体で深く頭を垂れた。
西へ向かう東海道の軍中で、五郎は中山道の進軍報告を受け取った。
真田の上田城を攻めあぐね、足止めを食らっているという。榊原康政という老練な将がおり、何より正信という怪物が付いていながら、あまりに不自然な停滞であった。
(……待て。小平太の慎重さ、そして正信の知略があれば、上田など無視して進めるはず。……なぜ、あやつは秀忠をあそこに留めている?)
その瞬間、五郎の手から筆が落ちた。
五郎は知っていた。お愛との間に生まれた秀忠を、自分がいかに愛おしく思っているかを。関ヶ原という、数万の命が消える地獄の釜の中に、お愛の遺した「未来」を投げ入れたくないという、自分の「親心」を。
「……あやつ、私の代わりに泥を被ったか」
正信は、五郎が「家康」として下せるはずのない命令を、先回りして代行したのだ。「真田に手こずった」という不名誉な言い訳を秀忠に着せてでも、彼を死地から遠ざけようとしている。
「殿、どうなさいましたか」
阿茶局が冷えた白湯を持って入ってきた。五郎は地図を閉じ、力なく笑った。
「……阿茶。私は、正信という男の深淵が恐ろしくなった。あやつは、私が命じるまでもなく、私の心の奥底にある『五郎』の震えを読み解き、その望みを叶えておる」
正信は自分の息子・正純を五郎に預けることで、「私は逃げも隠れもしない。殿が秀忠様を守りたいなら、その脚本を私が完遂させましょう」と無言で告げていたのだ。
「……阿茶。正信に伝えろ。……『秀忠を、頼む』とな」
五郎は、お愛の香袋を握りしめた。「本物」の家康なら決して許さぬであろう「秀忠の遅参」という歴史の綻び。五郎はそれを、正信という怪物の差し出した最大の「慈悲」として、その背に背負い込んだ。




