表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『弟』〜家康は三方ヶ原で亡くなっていた。石川数正が仕掛けた徳川最大の虚構〜  作者: 滝丸
第一部:『影の覚醒編』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/49

【第十八話:産声と、重なる影】

天正七年、四月。浜松城。

城内に響き渡る赤子の産声は、徳川に新しい光をもたらした。お愛が産んだ男児、長丸(後の秀忠)である。


家臣たちは「神君の血が繋がった」と歓喜に沸く。五郎は、産後のお愛と赤子のもとへ、吸い寄せられるように足を運んだ。

お愛の腕に抱かれた小さな命。それは紛れもなく、五郎とお愛の魂の結びつきの証であった。

(……兄上の、お子か)

五郎は、震える手でその頬に触れた。

五郎はもちろんこの子の「父」である。だが、五郎の心の内側では、この子は愛おしい「甥」であり、自分が奪ってしまった兄の人生の結晶であった。

この子を「我が子」として抱くたび、五郎は自分が兄の場所を盗んでいる大罪人のような、耐え難い孤独に苛まれる。

「五郎様。この子は、貴方様が守るべき『徳川の未来』にございます。……どうか、この子の父として、笑ってくださいませ」

お愛の言葉は優しい。だが、その優しさこそが、五郎に「本物の家康」であり続けることを強いる、最も残酷なくさびであった。



その頃、岡崎城の瀬名は、浜松からの報せを冷え切った自室で聞いていた。

「……産まれたのね。あの男と、あの女の間に」

瀬名の瞳には、祝福の色など微塵もない。彼女にとって、長丸の誕生は、自分と息子・信康の居場所が徳川から完全に消え去るという終わりの宣告、そして「本物の家康」という存在がこの世から完全に消し去られるための、冷酷な弔鐘に過ぎなかった。

(だったら、私はこの男を道連れにして、本物の家康様のところへ行くまでだわ)

武田の忍びから手渡された、冷たい血判状。それが今、彼女にとっての唯一の希望となった。

「……ようやく、支度が整いましたわ、家康様」

春の陽だまりの中、瀬名が呟いたその言葉だけが、凍てつく刃のように静寂を裂いた。



それから数ヶ月。

瀬名の孤独と殉教の決意は、ついに越えてはならぬ一線を越えさせた。

深夜、浜松城。五郎の前に、服部半蔵が音もなく現れた。

「殿……。岡崎より、不穏な品を回収いたしました」

半蔵が差し出したのは、泥と血に汚れた一通の文。武田勝頼との内通を誓う、瀬名の血判状であった。

五郎は目の前が暗転するのを感じた。

「……瀬名。これほどまでに、私(家康)を追い詰めたかったのか」

「それだけではございませぬ」

半蔵の声が、死神の宣告のように低く響く。

「信康様も……この事を知りながら、母上を止められなかったご様子。……殿、今すぐ岡崎へ向かい、内々に処理せねばなりません」

五郎はすぐさま立ち上がった。

「……数正と忠次を呼べ。内密に相談する。信長公に知られる前に、瀬名を隠居させ、信康を謹慎させれば……まだ、間に合うはずだ」

だが、そこへ部屋に飛び込んできた石川数正の顔は、かつてないほど蒼白であった。

「……殿、もはや手遅れにございます!」

「数正……何を言う。まだ信長公には……」

「……五徳ごとく様が、すでに動かれました! 父君・信長公へ向けて、岡崎の惨状を綴った十二箇条の文を……今朝方、密かに出発させたとの由。……今頃はもう、安土への道を抜けておりましょう!」

五郎は床に崩れ落ちた。

五徳。信長の娘であり、信康の妻。

姑である瀬名との不和、そして冷淡な夫への不満。彼女が信長に宛てたその文には、瀬名と武田の内通が、誇張と共に克明に記されていた。

(……終わった)

五郎の脳裏に、安土の魔王の冷笑が浮かぶ。

身内の綻びを、信長が見逃すはずがない。それは徳川家全体を飲み込む、紅蓮の炎となって迫っていた。

数日後、安土城からの使者が浜松に到着した。

「……織田信長公よりの沙汰である。酒井忠次。即座に安土へ参じ、事の次第を弁明せよ」

五郎は、立ち去る忠次の背中を、ただ茫然と見送るしかなかった。

自分が守ろうとした「家族」という名の仮面が、今、最悪の形で剥がされようとしていたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ