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98.守られた大地

 封印の光が地の底へと消えてから、王都には徐々に、穏やかな日常が戻っていった。

 市場には再び商人の声が響き、通りには子どもたちの笑い声が戻る。

 神殿の鐘は、戦いの終わりと平和の訪れを告げるかのように澄んだ音を響かせ、人々の顔には安堵と笑みが広がっていった。


 やがて、戦の顛末は人々の口から語られ、王宮でも裁きが下された。


 ――王妃レイナ。

 黒帝ヴァルザに操られていたという事実により温情がかけられ、王宮を離れ、隣国との境にある修道院で一生奉仕活動を行うことを条件に死刑を免れた。


 ――王女リリアナ。

 何度もアルヴァンと向き合い、胸の内を語り合った末、リリアナは自分が王家の血を引かぬ身であることを踏まえたうえで、自らの道を選んだ。

 「母と共に修道院で生きていく」――そう、きっぱりと告げる。

 アルヴァンは「それでも、私はいつまでもお前を娘として想い続ける」と伝え、リリアナも「その言葉を胸に生きていきます」と答え、母と共に王宮を去った。


 ――カリオン。

 王妃であったレイナに逆らえなかった事情は理解されたが、ユナの命を奪おうとした罪は重い。

 ただ、ユナ自身が「彼を赦す」と言ったことで、リリアナとレイナの修道院にほど近い僻地で一生祈りを捧げて生きることを条件に命を助けられた。


 ――アーヴェルト侯爵。

 最後まで反省の色を見せず、己の行いを悔いることもなかった。

 そのため、爵位とすべての財産を剥奪され、王国北端の鉱山で終身の強制労働に服すことを命じられた。

 陽の光も満足に差さぬ坑道での過酷な日々は、かつて贅を尽くして生きてきた男にとって、死刑にも等しい罰だった。




 そうして時は過ぎ――



 三か月後――ノエリア神殿。


 神殿奥の静謐な広間に、白銀の光が満ちていた。

 祭壇の中央に据えられた結界石が、ユナの掌から注ぎ込まれる聖なる魔力を吸い込み、ゆっくりと脈打つように輝きを増していく。

 石に刻まれた古代文字が淡く浮かび上がり、その光が広間の壁面へと流れていった。


 「……これで、ノエリアの結界石は完全に目を覚ましたわ」


 ユナが手を下ろすと、隣で見守っていたルカが小さく息を吐く。


 「ああ……これで残るはセリオス神殿だけだ」


 ルカの口元にわずかな笑みが浮かぶ。


 ユナは静かに頷いた。


 「ええ。あそこに力を注げば……ラーデンリアを覆う結界は、また本来の強さを取り戻す」


 ルカは祭壇の光が静まるのを確かめると、軽く肩を回した。


 「もう発つのか? 今夜はゆっくりしていけよ。……また一緒に酒でも飲まないか」


 ユナは小さく笑い、首を振った。


 「やめておくわ。ここは居心地がいいから……長居すると、旅立つのがつらくなりそう。

 それに、セリオス神殿で……マナが私の帰りを待っているしね」


 ルカは優しいまなざしで頷いた。


 「……そうだな。きっとマナは首を長くして、あんたの帰りを待っているだろう。くれぐれも気を付けて行けよ」


 (……ほんの少しでも、長く一緒にいられたらと思ってしまう)


 そんな自分に、相変わらず未練がましいなと苦笑する。


  だが、すぐに眉をひそめた。


 「それにしても……聖女様が護衛もつけずに各神殿を回るとは。セトは何をしているんだ」


 ユナは小さく笑い、肩越しに振り返った。


 「ふふ、セトは今、五大神殿の大神官として忙しくて、それどころじゃないわ。正式に大神官に任命されてから、毎日膨大な量の書類と格闘してるみたい」


 そして、少し声を和らげる。


 「それに……私が旅に出たときは、ヴァルザたちに破壊された街や神殿の復興で人手が必要だったから、護衛なんて必要ないって私から断ったのよ」


 いたずらめいた笑みを浮かべて付け加える。


 「……今の私に護衛なんて必要ないって、ルカだってわかっているでしょう?」


 ルカは一瞬言葉を詰まらせ、そして肩をすくめた。


 「……まあな。だが、そう言われると余計に心配になるのが俺なんだよ」


 その口元には、ほんのわずかな笑みが浮かんでいた。


 ユナは静かに頷き、前を向く。

 祭壇の光がまだうっすらと漂う広間を後にし、石床に響く足音が、徐々に遠ざかっていった。




 ***




 セリオス神殿の大扉をくぐった瞬間、やさしい陽光が差し込み、乾いた木の葉の匂いを運ぶ風とともに、弾むような声が響いた。


 「お帰りなさい!」


 マナが裾を揺らして駆け寄ってくる。頬は紅潮し、その瞳は喜びで輝いていた。


 「お母さん、結界石の力を取り戻す長い旅、本当にお疲れ様。五大神殿の神官長の皆さんは、お元気だった?」


 ユナは微笑み、差し伸べられた手を握り返す。


 「ただいま、マナ。ええ、みんな元気だったわよ。……とくにイリナの双子の子たちが可愛くってね、すっかり癒されてきたわ」


 「そうなんだ、やっぱり私も一緒に連れて行ってもらえば良かったな」


 マナは残念そうに笑った。


 軽く笑ったあと、ユナはふと視線を奥へ向ける。


 「さて――最後の仕事をしないとね」


 マナは少し眉を寄せた。


 「もう少しゆっくりしてからでもいいのに……」


 「これが終わったら、ゆっくりお茶でも飲みましょう」


 そう優しく告げて歩みを進めるユナ。その足音に合わせるように、奥から背の高い影が近づいてきた。


 「……ご無事でのご帰還、何よりです」


 低く落ち着いた声が響く。セトが姿を現し、深く一礼した。


 「ただいま戻りました、セト。さっそくだけれど――最後に、セリオス神殿の結界石に祈りを捧げたいの」


 セトは迷いなく頷く。


 「もちろんです。……こちらへ」


 二人は神殿の奥、厚い扉に守られた結界石の間へ向かう。扉が静かに開かれ、清浄な空気が流れ出た。


 部屋の中央に鎮座する結界石は、長い眠りから覚めきらぬように淡く光をたたえている。

 ユナが近づくと、その表面の紋様がかすかに脈打った。


 膝をつき、両の手を石へとそっとかざす。

 瞬間、銀白の光が掌からあふれ、結界石を包み込んだ。

 光はゆっくりと石の奥へ染み込み、やがて天井に向かって走る。壁面の古代文字がひとつ、またひとつと輝きを帯び、部屋全体が柔らかな光に満たされていく。


 低く澄んだ共鳴音が響き、ユナの全身から溢れた銀光が、流れる水のように結界石へと吸い込まれていく。

 古き力と混ざり合い、脈動を刻みながら石の奥深くへと沈んでいく。

 やがて、その輝きは外へと解き放たれた。


 光は神殿の尖塔を駆け上がり、青空へと突き抜ける。

 高空に広がった光の波紋は、やがて金と銀の糸となって四方へ走り、山を越え、川を越え、大地の果てまで届いた。


 ラーデンリア全土に点在する神殿の結界石が次々と呼応し、金と銀の輝きを放ち始める。

 その光は脈打つように強まり、遠く離れた地でも確かに感じられるほどの魔力の波となって、大地を覆っていった。


 海沿いの漁村にも、雪深い北の砦にも、その光は降り注ぎ、穏やかな魔力の膜が国全体を包み込んでいく。

 外界からの瘴気を退け、邪悪を寄せつけぬ、かつての強き結界――その息吹が完全に戻ったのだ。


 広間に差し込む光がやわらぎ、ユナはゆっくりと両手を下ろした。

 胸の奥に、静かな達成感が満ちていく。


 マナが胸に手を当て、深く息を吐く。


 「……終わったんだね」


 ユナは小さく笑みを浮かべ、頷いた。


 「ええ。これで、ラーデンリアは、再び結界の力によって守られるわ」


 セトも隣で静かに目を閉じ、安堵の息をつく。

 神殿の外では、遠くの鐘が祝福のように鳴り響いていた。

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