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96.祈りは闇を裂いて

 ――その予感は、次の瞬間、形を持った。


 広場の奥、瘴気の立ち込めていた路地の闇から、一人の影がゆっくりと歩み出てくる。

 金色の髪が陽を受けて揺れ、白いドレスの裾が地を擦った。


 「……リリアナ……?」


 アルヴァンが小さく息を呑み、声をかける。

 その響きは、懐かしさと安堵をないまぜにしたものだった。


 「お父様……」


 穏やかな声。愛おしげに父を呼ぶその響きは、かつてのリリアナそのものだった。

 だが――


 ユナの背筋に、冷たいものが走る。

 あれは、違う。笑みの奥に潜む、あの底知れぬ闇を、彼女は知っていた。


 「アルヴァン、待って!」


 駆け寄ろうとした彼の腕を、ユナは鋭く掴んで制した。


 その瞬間、リリアナの唇が歪む。

 次いで漏れたのは、甘い声に混じる、低く嗤うような響きだった。


 「……愚かな王め。血の繋がらぬ娘だと知っていて、よくもそんな顔ができるものだな」


 アルヴァンの瞳が見開かれる。

 ユナは一歩前に出て、まっすぐその瞳を射抜いた。


 「ヴァルザ……その体を解放しなさい」


 「ほう……聖女」


 リリアナの姿をしたヴァルザは、愉悦に濡れた笑みを浮かべる。


 「代わりに――君の身体をくれるかい? 僕の核ごと明け渡すと言うのなら、この娘を返してあげよう」


 「何を言っている!」


 アルヴァンが怒声を放つ。


 「ユナ、耳を貸すな!」


 ユナは、ふっと笑った。


 「……奪えるものなら、奪ってみなさい」


 その挑発に、ヴァルザは舌なめずりをするように笑い、片手を掲げた。

 次の瞬間、黒い魔方陣が空に浮かび上がり、そこから咆哮と共に十体の邪龍が姿を現す。

 紅の眼、漆黒の鱗、腐敗した翼――一斉にユナへと襲いかかる。


 「来るぞ!」


 アルヴァンが剣を抜き、ユナの横へ躍り出る。

 ルカが短く詠唱し、結界を展開。セトは聖槍を呼び出し、邪龍の首を貫いた。


 鋼と光が交錯し、地が裂け、炎が弾ける。

 ユナの光槍が一体を粉砕し、アルヴァンの剣がもう一体の翼を断つ。ルカの障壁が炎を弾き、セトの槍が黒い心臓を穿つ。

 邪龍たちは次々と地へ墜ち、黒い霧となって消えていった。


 ヴァルザは、その様子を面白そうに眺めていたが――やがて、口元から笑みを消す。


 「……やはり、その光が本来の力を取り戻したのは、厄介だな」


 指を、鳴らす。


 その音と同時に、広場の端から人影が現れた。

 薄紅のドレス、金の髪――レイナ。

 静謐の間に封じられていたはずの彼女が、ふらつきながらも歩み出てくる。


 「わたくしは……?」


 状況がつかめず、困惑に揺れる瞳。


 ヴァルザが、リリアナの声で呼びかける。


 「……お母様」


 「リリアナ!」


 レイナの顔が一瞬で輝き、涙が頬を伝う。


 「ああ……わたくしのリリアナ! 無事だったのですね!」


 駆け寄り、その胸に強く抱きしめる――


 「いけない!」


 ユナの叫びは、間に合わなかった。


 ずぶり、と鈍い音。

 リリアナの腕が、レイナの胸を貫いていた。


 「……っ!」


 レイナの口から血が零れ、瞳が大きく揺れる。


 その瞬間、溢れた鮮血が弧を描き、リリアナの白いドレスを斑に染めた。

 胸元から腰へかけて真紅が広がり、白布が深く赤に染まってゆくは。


 ヴァルザは愉悦に満ちた笑みを浮かべ、その腕を引き抜くと、掌に黒く禍々しいものを握りしめた。


 「これが何かわかるか、聖女」


 低く響く声。


 「お前に封じられる直前に切り離した、私のもう一つの片割れ……この女の中で育てていた私の力だ。この女の欲望、妬み、嫉み――それらを土台に、周囲の人間の悪意を寄せ集め、娘よりも大きく育った私の欠片」


 そう告げると、ヴァルザは胸から血を滴らせたままのレイナを片手で掴み上げ、まるで不要になった人形を投げ捨てるようにユナへと放り投げた。


 「――ッ!」


 ユナは咄嗟にその身体を抱きとめる。

 腕の中でレイナの体温が急速に失われていくのを感じながら、ユナは歯を食いしばった。

 ――空気が重い。

 まるで空そのものがヴァルザの呼吸に合わせて脈動しているかのようだった。


 ユナは癒しの光を纏い、レイナの血に濡れた胸元へと手を押し当てた。

 その額には細かな汗が滲み、吐く息は熱を帯びている。

 ――まだ……まだ間に合う!

 脈は弱々しく、それでも確かに指先で命の鼓動が返ってくる。


 やがて、かすかな手応えを感じ取ったユナは、深く息を吸い込んだ。

 その動き一つにも疲労が滲む。指先から力を抜くと、彼女はゆっくりとレイナの身体を抱え直し、アルヴァンの方へ顔を上げた。

 

 「……アルヴァン、彼女をお願い……」


 アルヴァンが黙って頷くと、ユナはレイナをゆっくりと彼の腕に預ける。


 手を放すと同時に、ユナは視線をまっすぐ前へ向けた。

 その眼差しはもう、目の前の脅威を射抜いている。

 背筋を伸ばし、指先を構え――次なる一手を放つ覚悟を、その全身に漲らせた。


 ヴァルザが薄く笑った。

 

 「聖女よ……この体に“断罪の光”を放つのか? ――だが、できまい。この娘を傷つけることなど」


 ユナは一歩も引かず、その挑発を受け流した。

 ゆっくりと両手を胸の前で組み、解き放ったのは鋭い光ではなく、柔らかな癒しの光。

 銀白の輝きがリリアナの魂へと差し込む。


 「リリアナ……あなたの心の奥まで、ちゃんと届くように話すわ」

 

 ユナの声は穏やかだが、強かった。

 

 「戻ってきなさい。――あなたは愛されている。母にも、父にも」


 ヴァルザの口元が引きつる。


 「聖女……やめろ……離せ!」

 

 聖なる力が絡みつき、その動きが鈍る。


 「アルヴァン! リリアナの名を呼んで!」


 ユナが鋭く叫ぶ。


 アルヴァンは迷わず一歩踏み出し、娘を真っすぐに見つめた。

 

 「リリアナ……お前がどう思っていようと、私はお前を愛し育ててきた。その気持ちは、一度も偽りじゃなかった」


 声が震える。


 「父として、もう一度……お前と向き合いたい。だから……戻ってこい」


 リリアナの肩がかすかに震える。


 そして――


 「……お父様……」


 その声に、かすかに意識を取り戻していたレイナの目が見開かれた。

 ゆっくりと上体を起こし、涙に濡れた瞳で娘を見つめる。

 

 「……リリアナ……」


 掠れた声が震えた。


 「私は……自分のことばかり見ていた。あなたが何を感じ、何を望んでいたか……本当は何も見ていなかった」


 堪えていた涙が零れ落ちる。


 「もう何もいらない……王妃の座も、名誉も……ただ、あなたがそばにいてくれれば、それでいい」

 

 差し伸べられた手が、必死に震えている。


 「お願い……母の元へ、帰ってきて」


 リリアナの瞳に、小さく、しかし確かな光が宿った。

 

 「……お母様……」


 


 「――今しかない」


 次の瞬間、ユナの全身が白い炎のように輝いた。

 光は一気にリリアナの魂へと流れ込み、黒い影を絡め取って引きはがす。


 「ぐ……あ……!」 


 ヴァルザの黒い影が、リリアナの魂から強引に引きはがされていく。

 闇が暴れ狂い、光を押し返そうと蠢く。


 「――光の中へ還れ」


 しかしユナは一歩も退かず、さらに光を強めた。


 「離せ……! この私が……また聖女ごときに屈するとでも!?

 馬鹿な……この力は世界をも呑み込む……! 貴様など、光ごと焼き尽くして――」


 言葉は最後まで続かなかった。

 怒号は悲鳴に変わり、光が闇を押し潰していく。

 ユナは一歩も退かず、全身の光をさらに強く放ち、断末魔の咆哮ごと黒き影を呑み込んだ。

 

 ――そして、音が消えた。


 眩い光がふっと収束し、戦場に残ったのは、揺らぐ白い靄と焼け焦げた匂いだけ。

 風が一筋、静かに吹き抜け、瓦礫の影をかすかに揺らす。

 誰もが息を潜め、ただその場に立ち尽くした。

 先ほどまで耳をつんざいていた咆哮は跡形もなく、世界は一瞬、時間を忘れたように静まり返っている。


 その静けさの中――

 糸の切れた人形のように、リリアナがゆっくりと崩れ落ちた。


 「リリアナ!」


 レイナが駆け寄り、その身体を抱きしめる。


 ユナはその場に膝をつき、静かに息を吐いた。

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