91.赦しの先に、光は
王城、謁見の間。
厚い帳が下ろされ、室内にはわずかな光と静寂が漂っていた。
長い机を挟み、五大神殿の神官長たちと、王アルヴァン、宰相ザカリアが静かに座している。
その中心に立つユナの姿は、ただ静かに、けれど確かな意思をもってそこにあった。
その隣には、マナが静かに控えていた。
言葉こそ発さないものの、その背筋はまっすぐに伸び、母の選んだ未来をともに見届けようとする覚悟が、そこにあった。
「……皆に、伝えなければならないことがあるの」
ふだんよりも少しだけ低い声。
ユナは、どこか遠くを見つめるように、一つ息を吐いてから続けた。
「私の中に……かつて“聖女サクラ”と呼ばれていた頃の力が、戻ったの」
瞬間、わずかな沈黙が生まれた。
ルカが、伏せていた目をゆっくりと上げ、セトが小さく息を呑む。
イリナは胸元に手を当て、ベルンとオズマが互いに視線を交わした。
「……“聖女の力が戻った”ということは……
今まで私たちが目にしてきた、その力は――まだ、完全なものではなかったのですか?」」
セトが確かめるように呟く。
ユナは小さく頷いた。
「……ええ。私の“聖女としての力”の半分は、分け与えた魂と一緒に、ずっとマナの中にあったの。
今度こそヴァルザを封じるために――その力と、ヴァルザの核をマナから私のもとへ戻したの」
言葉を選びながらも、その声音には、揺るがぬ覚悟がにじんでいた。
「だからもう、マナには“聖女の力”は残っていないわ」
セトの視線が、思わずマナに向けられる。
少女はそのまなざしを受け止め、微笑んだ。
「はい。もう私の中には、“癒しの光”はありません。
でも……いいんです。こうしなければ、救えない命があった。
私はそれを、自分で選びました」
静かで、けれどどこまでも真っ直ぐな声だった。
「それに、癒しの魔法がなくても……
“誰かを救いたい”って気持ちは、なくなりません。
信じてるんです――聖女の力がなくても、私はきっとこれからも、誰かを救えるって」
セトは何かを言いかけ、口を閉じた。
僅かに揺れたその瞳が、強く、マナを見つめている。
重苦しい沈黙が、一瞬だけ室内に落ちる。
その中で、ディアマ神殿の神官長――オズマ・レインハルトが、ゆっくりと口を開いた。
「……聖女ユナ。確認させてもらいたい」
その声音には、疑いではなく、責任ある者としての慎重さがにじんでいた。
「今のあなたが取り戻した“聖女としての力”。
それがあれば――本当に、あのヴァルザの核を……再び封じることができるのか?」
その問いに、部屋の空気が再び張りつめる。
誰もが、ユナの返答を待っていた。
「ええ。この力を使えば……リリアナに取り憑いた“核”を引き離し、ヴァルザを正しい方法で封印することができるわ」
その言葉に、皆が静かに息をのむ。
しばしの沈黙のあと、イリナがそっと口を開いた。
その瞳は、まっすぐにユナを見つめていた。
「……その封印、またあなたが一人で背負うつもりなの?」
ユナが何かを返す前に、イリナはさらに続ける。
その声は柔らかくも、祈るように真剣だった。
「私たちに、何かできることはないの?
今度の封印は……誰かの犠牲を代償にするものには、なってほしくないの」
彼女の声には、聖職者としての信仰、そして一人の“友”としての想いがこもっていた。
「力では及ばなくても、祈りでも、想いでも――何かできるなら、あなたの隣にいたいの。
そう思っているのは、きっと……私だけじゃないわ」
イリナの言葉が空気に溶けていく中、今まで黙っていたルカがゆっくりと口を開いた。
その瞳はユナをまっすぐに見つめ、わずかに感情の揺れをにじませている。
「……あんたが、また全部を背負うつもりなら……それは、正直見ていられない」
場の空気がふっと揺れた。
けれどルカは視線を逸らさず、静かに続ける。
「俺たちは……あんたが聖女である前に……大切な誰かのために、命を懸けようとしてるその人であることを、知ってる」
わずかに目を伏せて、低く呟くように言う。
「だから俺も、イリナと同じ意見だ。祈りでも、力でも、ただ傍に立つことでもいい。
……あんたがまた、一人きりで終わらせるなんて、そんなやり方はさせない」
しばしの沈黙のあと、ユナはふっと息をついた。
その瞳には、深い想いと、揺るがぬ決意が宿っている。
「……ええ。そうね、イリナ、ルカ。ありがとう」
「以前の私は、すべてを自分ひとりで背負おうとして……でもそれでは、守れないものがあった」
(そう、あのとき私は、ただアルヴァンを巻き込みたくない一心で、自らを犠牲にする道を選んだ……その結果、大切な人たちの運命を、狂わせてしまった……)
過去を見つめるように、ユナは静かに言葉を紡ぐ。
「だから、今回は同じ間違いは繰り返さない。
私の魂が一つになり、核が私の中に戻ったことに、きっともうヴァルザは気づいているわ。
おそらく近いうちに、私の中の核を取り戻しに現れる……。
そして、あの存在は今度こそ……私ひとりに対して、正面から出てくることはない」
空気がわずかに凍る。
「以前、王都に現れたような……上位の魔物たちを引き連れて、襲いかかってくるはず。
彼が何を仕掛けてきても……私は、リリアナを見捨てるつもりはないわ」
ユナは、全員を見渡してから、言った。
「だからその時は……どうか、皆で一緒に戦ってほしいの」
静まり返ったその場に、軽やかに響く声が飛び込んだ。
「当たり前だよ、ユナ様」
そう言ったのは、フリュゲル神殿の神官長、ベルン・アステリア。
茶目っ気のある笑みを浮かべながらも、その声には確かな覚悟が宿っていた。
「聖女様ひとりに格好つけさせるつもりはないからさ。魔物相手だろうと何だろうと、命がけで支えるよ」
その言葉に、ユナの瞳がやわらかく揺れた。
「……ありがとう、ベルン」
言葉にした瞬間、胸の奥に何かあたたかいものが満ちる。
そして、ユナは再び視線を正面に向けた。
「そして――封印を完成させるためには、必要なものがあるの。それは、“聖女の魂”と、“王家の血”」
皆の目がアルヴァンへと自然と向かう。
「陛下。……あなたの力を、私に貸していただけますか?」
その言葉は敬意と信頼に満ちていた。
「皆が魔物たちを抑えてくれている間に、私とアルヴァン陛下が、リリアナの中にある“ヴァルザの欠片”を引き剥がす。
私の中にある“核”とひとつにし、完全な封印の形を整える」
そして――
「そのあと、あなたと私の力を合わせて。この大地に、ヴァルザを二度と蘇らせぬよう、封じ込める」
言葉の一つひとつが、静かに、けれど確かに響いていく。
これが、聖女ユナの――最後の戦いに向けた、宣言だった。
ユナの言葉が落ち着いたその瞬間、
沈黙を破るように、王の席から静かな声が響いた。
「……分かった。ユナ……今度こそ、俺も隣に立つ。
かつて手を伸ばせなかった後悔を、今ここで終わらせたい」
彼は、まっすぐにユナを見つめる。
ほんの少しだけ目を伏せて、静かに続ける。
「リリアナのことも……俺の責任だ。誰かに任せていいものじゃない。
あの子を救う責任は、他の誰でもない。父として、俺が果たすべきことだ。」
そして再びユナを見据え、声に力を込めた。
「君が“聖女の魂”を持つ者なら、俺は“王の血”として、封印を完成させよう。
リリアナを取り戻すために。この国を守るために。君と共に、ヴァルザをこの大地に封じる」
ユナは彼の瞳を見つめ、穏やかに微笑んだ。
「ええ。今度こそ――ね」




