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77.それぞれの覚悟

 朝の陽が傾きはじめた頃、静かな中庭に足音が響いた。巫女が一人、マナのもとを目指して歩み寄ってくる。手には、金の封蝋が施された封筒が抱えられていた。

 

 「聖女マナ様、ご機嫌麗しゅうございます」

 

 巫女は深く礼をし、その手に抱えた封筒を丁重に差し出した。


 「このたび、セリオス神殿並びにラーデンリア王宮より、聖女任命の儀ならびに『光冠の夜会』への正式なご招待を賜りました。どうか、受け取られますように」


 マナは驚いたように目を瞬き、そっと封筒を受け取った。手触りは硬く厚い羊皮紙、金の封蝋には聖紋と王家の紋章が並び、光を受けて淡く輝いている。指先が自然と震えた。


 「……ありがとうございます」


 「内容は、どうかご自身の目でお確かめくださいませ。私どもは、正式な返答を神殿にてお待ちしております」

 

 もう一度静かに礼をして、巫女は去っていった。その背が中庭の門を越えて見えなくなるまで、マナは封筒を胸に抱き、動けなかった。


 ――私が……聖女として、正式に認められる。

 

 そう思うと胸がふわりと浮き、同時に重く沈んでいく。手元の封筒を見つめながら、マナはゆっくりと封を切った。


 封筒を開き、重厚な文面を読み終えたマナは、小さく息を吐いた。その肩はわずかに震え、手にした羊皮紙が風にさらさらと音を立てる。まるで、これから進む未来が、その指先に託されているようで。

 

 ――聖女として、正式に任命される。――『光冠の夜会』……王宮で、大勢の人の前に立つんだ。

 誇らしいはずなのに、どこか胸の奥がぎゅっと締めつけられる。聖女として“認められること”が、こんなにも重たく感じるなんて――。

 その時、そっと後ろからあたたかな声がかかった。


 「マナ。……招待状、届いたのね」


 振り向くと、そこにはユナがいた。優しい笑みを浮かべながらも、その瞳は娘を案じるように揺れている。


 ユナは近づいて、マナの手から封筒をそっと受け取る。金の封蝋に、ほんの一瞬、懐かしさと警戒が混ざった色を宿らせた。

 ふいに、先ほど届けられた自分宛ての封書の存在が脳裏をよぎる。まだ封も切らずに、部屋の机の上に置かれたままだ。

 それが、この夜会への“招待”なのだろう。


 ユナはそっと視線を落とし、小さく息を吐いた。


 「聖女として正式に任命されたら……これまで以上に自由はなくなるわ。儀式も、政務も、人目も、噂も。あなたの生き方が“聖女”として定まってしまう。それでも、進むの?」

 

 少し間を置いて、ユナは柔らかく言った。


 「今なら、逃げてもいいのよ。結界石のことは、お母さんがなんとかする。……あなたが背負う必要なんて、どこにもないのよ」

 

 マナは少し目を伏せたまま黙り込んだ。風が吹き抜け、草木の間に届いた光が、揺れる影を芝生の上に描いている。

 マナはゆっくりと顔を上げた。瞳には、ためらいの奥に宿る確かな意志が灯っていた。


 「ううん……大丈夫。わたし、ちゃんと前を向く」

 

 ユナが目を見開く。


 「最初にこの国に来たときは……お母さんとも離れて、日常も、全部なくなって……すごく怖くて、不安で、何もできなかった。

 毎日が夢みたいで、でもその夢の中でひとりぼっちで、ただ祈ることしかできなかったの」


 マナは、ゆっくりと視線を上げた。その瞳には、もう迷いはなかった。


 「でも――たくさんの人が手を差し伸べてくれた。

 セト様も、リリーさんも、神殿のみんなも……みんなが、わたしを“ここにいていい”って思わせてくれた。

 癒しの魔法も、セト様に教えてもらいながら安定して使えるようになったし……」


 ふっと微笑んで、ユナをまっすぐに見つめる。


 「今はこの国が好き。ここで出会った人たちのことも、大切に思ってる。

 だから――この国に、わたしの力を必要としてくれる人がいるのなら……その想いに、応えたい」


 その声は静かだが、芯の通った強さを宿していた。


 「“聖女”って肩書きが欲しいわけじゃない。

 でも、もしその名前があることで、救える誰かがいるのなら―― わたし、それを受け入れたいの。

 もう逃げたくない。“わたし自身”として、前に進みたいんだ」


 そう言って笑うマナの顔は、幼くもあり、頼もしくもあった。自分の道を、自分の足で歩もうとする、確かな強さがそこにある。

 ユナは思わずそっと手を伸ばし、マナの頬に触れた。

 

 「……そうね。あなたはもう、一人で歩き出しているのね」


 少しだけ、胸に寂しさがよぎる。けれどその想いは、静かに誇りへと変わっていった。──あの時、命を懸けて守ろうとした未来が、いまこうして目の前にあるのだ。


 「大丈夫。何があっても、私はあなたの味方よ」

 

 マナはこくりと頷いた。光が、母娘の影をひとつに重ねていた。

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