表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

74/106

73.伸ばせない手

 夜風が頬を撫で、遠くでかすかに鐘の音が響いていた。神殿への帰り道。街灯に照らされた石畳の上を、ユナとルカが肩を並べて歩いていた。

 見上げれば、雲ひとつない空に星が瞬いている。

 

 「そういえば、ユナはイリナとオズマと顔見知りだったんだな」

 

 ふとそう口にしたルカに、ユナは頷いて微笑んだ。

 

 「ええ。私が“サクラ”だった頃、あのふたりはもう神官長だったから……。さっき、久しぶりに会えて懐かしかったわ。二人とも相変わらず元気そうで、よかった。本当はもう少しゆっくり話したかったんだけど」

 

 「イリナはな、神官長やりながら双子を育てているんだってよ。男女の子で、今年十歳になるって言っていたかな」

 

 「えっ……!」


 ユナは目を丸くして振り返る。

 

 「イリナが……子供を……? そうなのね、イリナ、あの頃は、私より少し年上のお姉さんって感じで、ちょっと怖そうにも見えたけど、本当はすごく優しい人だった。ヴァレア神殿に行くたびに、あれこれ相談していたっけ……。きっと今は、優しいお母さんをしているのね」

 

 その声には、ほのかな懐かしさと、どこか遠い憧れのような響きがあった。

 

 「……こっちの世界でマナを育てていたら、イリナと“子育てトーク”とか、できたのかな」 


 そう言ってユナは、少し寂しそうに笑った。


 「うん?……」

 

 ルカは返す言葉を探すように少しだけ沈黙したが、ユナの方が先に首を振った。

 

 「ううん……でも、今日はあなたと話せて本当によかった。少し、思いつめていた気持ちが、とても楽になったわ、ありがとうルカ」


 その言葉に、ルカは少しだけ目を見開いた。

 心のどこかが、柔らかくほどけるような感覚。


 「……それなら、よかった」


 小さく笑みを浮かべながら、そう答える。


 けれど、その微笑の奥には、ほんの僅かな戸惑いが揺れていた。

 こんなにも近くにいて、こんなにも遠い。

 目の前にいる彼女は、今もなお誰かの光であり続けている。

 自分が触れていい感情なのか―― 何度も自分に問いかけて、そして、踏みとどまる。


 (……気づけば、惹かれていた)

 

 そんな想いを、ただ心の奥にそっと沈める。


 神殿の門が近づいてきた。ユナが歩みを緩めて振り返る。


 「じゃあ、ここで。……ルカも、気をつけて帰ってね」

 

 神殿の灯りが届く場所でユナが足を止め、微笑みながらそう言った。

 ルカも歩みを止めて、頷こうとしかけたが――ふと、何かを思いとどまったように振り返る。


 「……部屋まで、送るよ」

 

 その声は穏やかで、どこか名残惜しさを滲ませていた。

 けれどユナは、そっと首を横に振る。


 「ありがとう。でも、大丈夫よ」

 

 やさしく微笑んで、ほんの一瞬だけ目を伏せる。

 そして、静かに続けた。


 「ルカは、自分で思っているよりもずっと疲れているんじゃない? 今日の会議も長時間だったし、気を張っていたでしょう?」

 

 少しだけ言葉を選ぶような間があってから、ユナは顔を上げる。


 「だから、無理しないで。部屋に戻って、ゆっくり休んでね。……また、明日」

 

 その声音には気遣いと、そしてほんの少しの寂しさが滲んでいた。

 ルカは何か言いかけて、けれどやめた。

 代わりに、小さく息をつき――静かに頷く。


 「……わかった。おやすみ、ユナ」


 「おやすみなさい、ルカ」

 

 そうしてふたりは、別々の夜へと歩き出す。

 それきり、何も言わせずにユナは神殿の中へと歩き出した。その後ろ姿が、夜の静けさの中にすっと吸い込まれていく。


 ルカはその場に立ち尽くしたまま、しばらくその姿を見つめていた。

 胸の奥に、言葉にならない何かが残っていた。 星の光がこんなにも滲んで見えるのは、きっと夜風のせいじゃない。

 

 ――オレは、ただの神官長で、ただの……傍観者か?

 それでも、あの笑顔を守りたいと思ってしまう。 そばにいたいと、心のどこかで願ってしまう。

 ルカはそっと夜空を見上げていた。

 

 ――今日くらいは、夢を見てもいいか。

 ひとり呟いて、彼もまた、静かな回廊へと足を向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ