71.揺れる気持ち
謁見の間を出たルカは、そのまま迷うことなく神殿にあるユナの部屋へと向かった。
夜風はひんやりとして、長い会議の疲れを冷ますように肌をなでていく。
部屋の扉の前に立つと、ひと呼吸置いてから静かにノックした。
「……ルカ?」
少し驚いたような声が中から返り、すぐに扉が開いた。緩く結った髪を肩にかけたユナが立っていた。やわらかな灯りが彼女の輪郭を淡く照らしている。
「来てくれたんだ……」
その声には、確かな安堵がにじんでいた。一瞬だけふっと肩の力が抜けるその仕草に、ルカは目を奪われる。
「……ああ。会議が長引いて……遅くなって悪かったな」
目をそらしながら、ルカは少し苦笑して言った。
「ただ……腹がへったし、一緒に飯でもどうだ?」
ルカは苦笑しながら続けた。
「それに、やっぱり……こんな時間に、あんたの部屋に二人きりってのは、ちょっとまずいだろ。誤解されても面倒だし。話を聞くなら、違う場所で話そう」
その言葉に、ユナはふっと力を抜いたように微笑んだ。さっきまでの焦りが、すっと胸からほどけていくのを感じる。
「……そうよね。落ち着いて考えたら、こんな時間に男の人を部屋に呼び入れるなんて……誤解されても仕方ないわよね」
彼女はそっと目を伏せ、小さく息を吐いた。
「私、少し焦りすぎていたみたい。あなたも会議で疲れているのに……ごめんなさい」
その言葉に、ルカは目を細めてユナを見つめた。ただ、穏やかな視線で彼女を受け止める。
ユナはそんな彼の沈黙に救われるように微笑み返すと、少しだけ首をかしげるように言った。
「……じゃあ、夕食は街でとらない? 少し外の空気に触れて、気分を変えたいの」
ルカは一瞬だけ目を伏せてから、静かに頷いた。
「ああ、そう……だな。」
「うん、私、ちょっと着替えてくるわね。マナにも夕食は別でとるって伝えないと……。用意ができたら裏門へ行くわ」
ユナはそう言って笑い、軽く手を振って部屋の奥へ戻っていった。
ルカもその場を離れ、自室へ向かう道すがら、ひとつ息をついた。自分でも気づかないうちに頬がゆるんでいた。
(……浮かれてどうする。飯を食べに行くだけだろ)
そう自嘲気味に思いつつも、歩みはどこか軽かった。
* * *
神殿の裏門前に着くころには、空はすっかり夜に染まりきっていた。門前の灯籠が静かに道を照らし、街の灯が遠くにまたたいている。
ルカは神官服を脱ぎ、淡いグレーのシャツと黒のズボンという簡素な服に着替えていた。風に揺れる草の音を聞きながら待っていると――
「ルカ!」
小さく靴音を響かせながら、ユナがこちらへと急ぎ足で近づいてくる。黒のワンピースは身体のラインに寄り添うようにしなやかに揺れ、マーメードラインの裾が、夜の静けさをすべるように舞った。月明かりを受けたその姿は、闇に溶けることなく、どこか凛とした光を宿していた。
「ごめんなさい、待った?」
「いや……ちょうど今来たところだ」
そう答えながらも、ルカの胸はどこかざわついていた。
柔らかくまとめられた髪、そして――夜にしっとりと溶け込むような黒のワンピース。今までとは違う、大人びた気配を纏ったその姿に、思わず息を呑みそうになる。
(……どうして今夜に限って、そんなに綺麗なんだ)
言葉にはせず、ただ心の奥でそっと呟く。その想いだけが、夜の静けさにまぎれて、ゆっくりと沈んでいった。
ユナが歩幅を合わせて隣に並ぶ。すぐそばに感じる香りが、ふいに距離を意識させる。
二人は無言のまま裏門を抜けた。夜の街へと続く石畳の道を、まるでかつての続きをなぞるように、静かに歩いていく。
その影は、並んでそっと揺れていた。




