69.聖域の審議2
セトは視線を伏せたまま、静かに言葉を継ぐ。
「結界石の問題も急を要しますが…………今回のカリオン大神官の逃亡、聖女選定の儀における不正――それらの影響もあり、民の間では“聖女”という存在そのものへの不安や不信が広がり始めています。このまま放置すれば、信仰だけでなく、王国そのものの安定をも揺るがしかねません」
セトの言葉を受けて、少し沈黙が流れる。やがて、その静寂を破ったのは、宰相ザカリアだった。
「……陛下。このままでは、王都を中心に広がりつつある混乱が、さらに拡大しかねません」
その穏やかな声には、老練な政治家としての警鐘がにじんでいた。
「民の間では“マナ様こそが真の聖女ではないか”という声が上がりつつある一方で、神殿の一部や貴族たちの中には、いまだに“聖女の正統性”に疑問を抱く者もいます。そして、レイナ様やリリアナ様に近い派閥が根強く残っていることも事実……このままでは、国と信仰の柱が揺らぎかねません。
――だからこそ、今こそ“聖女マナ”を、王と神殿の双方が正式に認める場を設けるべきです。それが民にとっても、王国にとっても、何よりマナ様ご自身にとって必要な“承認の儀”となるはずです」
そのとき、重みのある低い声が石壁に響いた。
「――しかし」
そう口を開いたのは、オズマだった。
「先ほど、陛下も仰ったはずです。マナ様がいかに高潔で力ある存在であろうとも……“結界石は応えなかった”と。その事実を抱えたまま、今ここで“正式な聖女”として任命することに、神の加護を預かる者として、一抹のためらいがあるのです」
その言葉に、一部の神官長がわずかに視線を交わす。重々しい沈黙の中、最初に応じたのは、セトだった。
「オズマ。確かに、結界石はマナ様に応えなかった。だが、それが彼女の“魂が偽りだ”という証明にはならない。――私は、この目で見ました。マナ様が一人で結界石に触れたとき、結界石は沈黙していた。けれど、母君であるユナ様と共に触れた瞬間――あの石は、かつて見たこともないほどの光を放ったのです。あれは疑いようのない、聖なる共鳴でした。神が“ふたつの魂”に応えた――そうとしか、思えません」その言葉に、ざわりと空気が揺れる。
ルカがゆっくりと続けた。
「聖女マナが偽りではないことは、もはや疑う余地はありません。そして、母の存在が結界石の力を呼び覚ましたのだとすれば――結界石は、“ふたりの魂”が揃って初めて、真に応えるのかもしれない。どちらか一方だけでは反応しなかったとしても、それは聖女としての存在を否定する理由にはなりません。むしろ、聖女マナとユナ様――この“母娘の聖女”こそが、今この国を救う唯一の希望なのではないでしょうか。」
「……ルカの言う通りです」
と、セトもまた言葉を継ぐ。
「もし真の共鳴を妨げているものがあるのだとしたら、それを見極め、いずれ正さねばなりません。ですが今、マナ様が“聖女でない”と断じられるだけの理由もまた、どこにも存在しないのです」
そこで、イリナが、静かに口を開いた。その声音は柔らかく、それでいて、静かな祈りのような重みを帯びていた。
「……私も、そう思います。聖女とは、ただ神に選ばれるだけの存在ではありません。人々に希望を与え、その祈りに応える者こそが、本当の“聖なる者”だと……。この世界に召喚されてからその役目を果たそうと努力してきた彼女に、神が応えていないとは、私には思えません」
オズマは厳しいまなざしを向けたまま、しばし黙考した。やがて、静かに息を吐き、深く頷く。
「……疑うよりも、今は信じるべき時なのかもしれませんな。――見過ごされてきた光に、改めて目を向けるためにも」
その言葉に、場の空気がわずかに変わった。張り詰めていた緊張がほどける代わりに、どこか新たな覚悟のような静けさが会議の場を満たしていく。




