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51.最後の選定

 王城にほど近い広場に、今日ばかりは異様な熱気が渦巻いていた。

 整然と並べられた椅子には、王族、貴族、神殿関係者、そして高位の騎士たちが居並び、中央には煌びやかに装飾された巨大な結界石が、神官たちの手によって慎重に設置されていた。

 セリオス神殿の神官長セト、聖女マナ、その母ユナ。彼らも広場の中央に導かれるように並び、王であるアルヴァンもまた、玉座のように据えられた席に姿を現していた。


 「また勝手な真似を……レイナ、これは一体どういうつもりだ」

   

 苛立ちを隠さず声を荒げるアルヴァン。

 だが、レイナの父であるア―ヴェルト侯爵が、涼しげな笑みを浮かべて口を開いた。

 

 「まあまあ、陛下。すべては真実を明らかにするためでございます。我が孫でもあるリリアナ様こそが真の聖女であると、堂々と証明されれば、王家も神殿も安泰ではありませんか」

 

 「ええ、陛下。まさか――“本物の聖女”が誰なのかを皆の前で明らかにされるのが、そんなにお困りだとは思いませんでしたわ」

 

 レイナが扇子をひらりと開いて、冷ややかに笑う。

 

 「あなたほどの方が、まさか“偽物”をかばっておられる……なんてこと、ありませんでしょうね?」

 

 (聖女マナの力をその目で見ておきながら、まだそんなことを言うか……)

 

 アルヴァンの胸に怒りが燻る。

 そのとき、金の法衣を纏った大神官カリオンが現れた。

 その足取りは重く、表情も蒼白で、目の下には疲労と葛藤がにじんでいる。

 

 「……以前の選定の儀において、結界石はリリアナ様の力に反応し、マナ様には反応しなかった……。それで証明されたはずでした……ですが……今、異論を唱える者があまりにも多い……」

 

 震える声で告げるカリオン。

 

 「この場で改めて、皆の目の前で証明を……これが、最後です」

 

 重苦しい沈黙の中、カリオンが手を差し伸べた。

 

 「さあ、リリアナ様。どうぞ」

 

 「さあ、早く終わらせましょう。私が“真の聖女”であること、皆さまの目で確かめていただければ結構ですわ」

 

 自信たっぷりに胸を張ったリリアナが、結界石の前に進む。

 細い指が石に触れた瞬間、結界石はぼんやりと白く光を放った。

 その光は確かに反応を示していたが、どこか曖昧で、力強さに欠けるものであった。

 「おおーっ! 素晴らしい! リリアナ様こそが本物の聖女だ!」


 「これぞ正当な血筋の証!」

 

 「やはりリリアナ様こそが聖女にふさわしい!」


 ア―ヴェルト侯爵をはじめ、レイナ派の貴族たちが、揃って立ち上がらんばかりの勢いでわざとらしい歓声を上げる。


 「当然よ。私こそが、この王国に選ばれし唯一の聖女なのですから」


 リリアナは鼻先で笑い、周囲を見下すように顎を上げた。


 「見ていて? あんな異世界の娘になんて負けるわけがないのよ。次はそっちの番ね……恥をさらしても泣かないで頂戴ね?」

 

 貴族たちの中には、口元を押さえながら忍び笑いを浮かべる者もいた。冷たい視線が、次に結界石へ向かうマナへと注がれていた――。

 

 「あの……私あの子の母親なのですが、付き添ってもいいでしょうか?」

 

 ユナの申し出に、カリオンはまるで悪夢を見たかのように目を見開いた。頬が引きつり、震える手で法衣の裾を握りしめる。

 

 「……あ、あ……そ、それは……っ」

 

 しどろもどろになりながらも、カリオンは力なく頷いた。

 ユナは一礼し、マナの隣へと歩み寄る。娘の細い肩にそっと手を添え、その瞳をのぞき込んだ。

 

 「大丈夫よ、マナ。たとえ……この石が反応しなかったとしても、何も変わらないわ」

 

 その声は、春の陽だまりのように温かかった。

 

 「お母さん……」

 

 「ねえ、もし“聖女じゃない”って言われたら、そのときはもう神殿を出て……そうね、どこか静かな村に小さな家を借りて、二人で暮らしましょう。朝は一緒にパンを焼いて、掃除と洗濯はきっちり分担して、夜は一緒に夕ご飯を作って。

 マナはそこで人を癒すの……ここじゃなくたってその力を人の為に使うことはできるわ。そんな暮らし、悪くないでしょう?」

 

 ユナの言葉は、まるで夢のようだった。

 マナの目に、滲んだ涙が光る。

 

 「うん……お母さんと二人なら、きっとどこにいても楽しく暮らせるね」

 

 震える声で答えたマナは、もう一度深く息を吸い、ゆっくりと手を差し出した。

 マナが手をかざす。

 

 ……しかし、石は沈黙したまま、ひとすじの光さえ宿さなかった。

 

 一瞬、風さえも止まったような静寂が広場を包み込んだ。

 

 「……やっぱり、石は答えてくれないのね」

 

 マナの口から漏れたその一言は、穏やかで、どこか受け入れるような響きを持っていた。その直後、観衆の中から誰かが冷笑を含んだ声で呟いた。

 

 「滑稽な茶番だな……」

 

 「異世界から来た子供に何ができるっていうのかしら」

 

 「結局、前回の判定が正しかったってことね」

 

 冷ややかな視線とさざ波のような嘲りの声が、じわじわとマナを包んでいく。

 だが、マナは思いのほか平静だった。


 (たとえ私が――本当は“聖女”じゃなかったとしても。 ここまで必死に努力してきた日々が、嘘になるわけじゃない。

 傷ついた人を癒せるようになりたくて、ずっと頑張ってきた。 誰かのために、祈って、学んで、怖かったけれど前に進んできた――

 それは全部、私の意思だった。だから……私は、自分を否定しない。聖女であってもなくても、私は私。ちゃんと、受け入れられる。)

 

 マナはそっと目を閉じた。

 ユナの温もりが、すぐそばにあることだけが、心の支えだった。


 だがその時――

 

 「よく頑張ったわねマナ。もういいのよ……」


 ユナがそっとマナの手に自分の手を重ねた――その瞬間だった。

 空気が震えた。

 まるで世界そのものが息を呑み、時の流れが一瞬だけ止まったかのようだった。

 

 直後、結界石が爆ぜるように光を放った。

 それは、リリアナの時とは比べ物にならない、まばゆいほどの黄金の輝き。

 白金に近い純光は、瞬く間に広場全体を包み込み、まるで太陽が地上に降りてきたかのように、人々の頬を照らした。


 衣を揺らす気配は神聖そのものだった。まなざしを逸らせぬ威光、そして石から響くのは、まるで命の脈動のような震え――。

 

 その場にいた誰もが言葉を失った。

 ざわめきは、歓声へと変わる間もなく、静寂に飲まれた。

 まるで、神がその場に顕現したかのような――そんな錯覚すら覚える光景だった。

 

 「ひ、光った……!」

 

 呆然とマナが呟く声が、やけに遠くから聞こえたように響いた。

 ユナは、娘の手を包んだまま、静かにカリオンへ問いかける。

 

 「これは……この石が、マナを“本物の聖女”だと認めたということですよね?」

 

 彼女の声は穏やかでありながら、誰の心にもまっすぐに届く力を持っていた。

 カリオンはその場に崩れ落ちた。

 顔から血の気が引き、震える唇を必死に動かしながら、虚ろな目で結界石を見つめる。やがて重く深い後悔の呻きが口を突いて漏れた。

 

 「赦してください……リリアナ様の光は……偽りです……レイナ様に頼まれて……私が……っ」

 

 その告白は、雷鳴のように貴族たちの間に走った。

 

 「な……!?」

 

 「カリオン様が……あの大神官が、偽りを……?」

 

 「では、聖女は……本当に……!」

 

 「黙りなさいカリオン! 黙れったら!」

 

 突如、レイナが叫び声を上げた。顔は真っ赤に染まり、怒りに揺れる双眸がカリオンを睨みつける。

 

 「余計なことを言わないでっ! なぜ今さら、そんなことを……!」

 

 レイナの取り乱した声が広場にこだまし、観衆の動揺に火を注いだ。

 ざわめきと驚愕の波が、瞬く間に群衆の中を駆け巡った。

 カリオンは両手で頭を抱え、呻くようにうつむいていたが――ふと、顔を上げた。

 その目が、まっすぐにユナとマナへ向けられる。

 そして、カリオンの瞳が、何かに気づいたように震える。

 

 「……そうか……そうだったのか……」

 

 独りごとのように、カリオンがつぶやく。

 

 「だから結界石が……。もう……手遅れだったのだ……私の聖女は……あの時、すでに……穢されていたのか……」

 

 ふらふらと、カリオンはユナの方へ歩み寄る。

 

 「聖女サクラ様……私の光……一目会ったあの時から……私の心の中には、あなたしかいなかった……」

 

 その異様な様子に、周囲がざわつく。

 

 「い、今……聖女サクラって……?」

 

 「カリオン様、何を……?」

 

 不穏な気配に、ユナがとっさにマナを背にかばいながら、後ずさる。

 

 「サクラ……様、あなたは……穢れてはいけない存在……それなのに、なぜ……このままでは、また、あの男に……」

 

 カリオンが狂気を孕んだ目でユナを見つめながら、さらに距離を詰めていく――。

 

 「止まれ! カリオン、それ以上近づくな!」

 

 鋭く叫んだのは、王の席から立ち上がったアルヴァンだった。

 カリオンの動きが一瞬止まる。その隙を突き、セトが走り出し、マナのもとへ駆け寄ろうとした――その瞬間。

 

 カリオンの唇が、何かを低く詠唱した。

 

 「な、なんだこれは……体が……動かない!」

 

 広場にいた者すべてが、その場に凍りついたように動きを封じられた。

 アルヴァンも、剣を抜こうとした腕が途中で止まり、苦悶の表情を浮かべる。

 

 「この魔法は……」


 セトが、歯を食いしばりながら声を漏らす。

 

 「こんな広範囲の拘束魔法を……しかしカリオン様でも、もって数十秒が限界のはず……っ!」

 

 「数十秒あれば、充分です……」

 

 カリオンが静かに答えると、法衣の内側から、銀のナイフを取り出した。

 その刃が、迷いなくユナの心臓をめがけて振り下ろされる――!

 

 「いやああああぁ! お母さん、やめてっ!! やめてぇぇぇっ!!」

 

 マナの絶叫が、広場の静寂を裂く悲鳴となって響き渡った。

 その叫びには、恐怖、絶望、そしてどうしようもない焦燥がにじんでいた。

 大切な人を守りたい一心の声が、空気さえ震わせるように響く。

 

 ――銀の刃が、光を裂いた。

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