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50.王妃の微笑

 王宮の応接室。高い天窓から射し込む陽光が、大理石の床を柔らかく照らしていた。

 静かなその空間で、ユナとマナは並んで椅子に腰掛けていた。何も言わずに待っているうちに、もうかなりの時間が経っている。


 「……随分待たされるわね」


 ユナがそうつぶやくと、隣に座るマナがわずかに身をこわばらせた。


 「……どうして今日、呼ばれたのかな」


 「そうね……王妃レイナ様のご招待、なんて物々しい言葉で書かれてたけど……あなたに関係していること、なのかもね」


 マナは不安げに目を伏せた。


 「リリアナ様のお母様だし……もしかして、また“偽の聖女”って……」


 ユナが何かを言おうとしたとき、重厚な扉が音もなく開いた。


 まず入ってきたのは、淡い香をまとった優美な女性――レイナ王妃だった。彼女の視線がユナに触れた瞬間、目がかすかに見開かれた。


 (……あの顔。間違いない。サクラ、本当に? でも、あの子はあの戦いで消滅したはずなのに……なぜ?)


 一瞬の混乱を押し隠すように、レイナは冷ややかな笑みを浮かべた。


 「少々、お待たせしたかしら?」


 その後ろから、リリアナが軽くスカートを揺らして現れる。


 「いえ、大丈夫です。私は、ユナ・イシガミと申します。そして、こちらが娘のマナです。……本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 レイナは一拍の間を置き、静かに言葉を紡ぐ。


 「私はラーデンリア王国の王妃、レイナ・グランディア。そして――こちらが、我が最愛の娘、王女リリアナよ」


 優雅な所作でリリアナに視線を送りながらも、その声音にはどこか誇示するような響きが混じっていた。


 レイナの紹介を受けて、ユナは心の中で静かに言葉をつぶやいた。


(この方が……アルヴァン陛下の奥方。そして、この少女が娘……リリアナ王女。マナと同じくらいの歳かしら)


 レイナがふと話題を変えた。


 「そういえば先日、あなたが作ったという料理をいただいたわ」


 唐突な言葉に、ユナは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに柔らかな笑みを口元に灯した。


 「……ああ、ハンバーグのことですね。お口に合いましたでしょうか?」


 その問いかけに、レイナは唇を緩めて微笑んだ――けれど、その笑みには仄かに冷たさが滲んでいた。


 「残念ながら、私たちの舌には合わなかったみたい。ああいう、庶民的で素朴な味付けには……どうも馴染みがなくて」


 言葉の一つひとつは丁寧で柔らかいのに、棘のような響きが含まれていた。


 ユナは一瞬だけ瞳を伏せ、わずかに眉を曇らせながら、静かに答えた。


 「……そうでしたか。お口に合わず、申し訳ありませんでした。お気を悪くされたのなら、どうかお許しください」


 その声音は穏やかだったが、その奥には微かな哀しみが潜んでいた。


 マナは隣でユナの顔をそっと見つめ、その表情に胸を痛めた。

 ユナが心を込めて作った料理だと、マナは知っていたから。

 

 レイナは、マナの動揺にもユナの憂いにも目を向けることなく、涼しい顔で言葉を続けた。


 「――さて、本題に入りましょう」


 その声色が一段と冷たくなる。


「今、王都では、リリアナとあなた、“どちらが真の聖女か”を巡って噂が絶えず、民も貴族も困惑しているわ。このまま曖昧にしておけば、王国の威信に関わる問題になるでしょう」


 静かだった空間に、重く鋭い空気が流れ込む。


 「あなたには癒しの力があると聞いているけれど――肝心の選定の儀では、結界石を光らせることはできなかったのでしょう?」


 言葉は丁寧だが、その一言一言が刃のようにマナに突き刺さる。


 マナは椅子の上でわずかに身を縮め、俯きながら小さな声で答えた。


 「……はい」


 「それに引きかえ――ここにいる私の娘、リリアナは違う。選定の儀で結界石を見事に輝かせ、その上で癒しの力も示してきた。誰がどう見ても、聖女にふさわしいのはリリアナよ」


 断言するように言い放ち、レイナはマナを真っ直ぐに見据える。その瞳には、迷いも慈悲もなかった。


 「だからあなたには、自ら偽の聖女であることを認めて、速やかに身を引いていただきたいの」


 その言葉の重さに、マナの肩がびくりと震える。


 何か言わなければ、と唇を開きかけるが、レイナの放つ威圧感が全身を覆い、喉が塞がったように言葉が出ない。

 ただ、目を伏せ、かすかに震えるまつげが光を受けて揺れていた。


 その沈黙を、ユナの静かな声がやわらかく破った。


 「……もし、“結界石を光らせた者こそが聖女”だというのなら――それはきっと、リリアナ様なのでしょうね」


 その言葉に、マナが驚いたように目を見開き、隣の母を見つめた。


 けれどユナの横顔は、どこまでも穏やかだった。


 「でも――」

 

 ユナはゆっくりと言葉を継ぐ。


 「この子もまた、突然この世界に呼び出され、多くのものを失った中で、聖女として力を磨き、人を癒してきました。そうよね、マナ?」


 マナは胸の前で手を握り、静かに頷いた。


 「……私は、自分で“聖女”だと名乗ったことはありません。でも……」


 その瞳に、迷いと、それでも立ち向かおうとする決意の光が宿る。


 「人を助けられる力があるのなら、誰かの苦しみを癒せるのなら、そのために――この力を使いたいです。だから、ここまで頑張ってきました。たとえ結界石が私を選ばなかったとしても……その想いは、変わりません」


 張り詰めた沈黙の中、マナの声だけが真っ直ぐに響いた。

 その言葉に、リリアナの表情が一気に険しくなる。


 「……なっ! 結界石にも認められなかった偽の聖女のくせに、何を偉そうに……! お母様の言う通り、さっさと偽者だって認めて、身を引きなさいよ!」


 興奮して声を荒げるリリアナに、ユナは静かに目を向け、微笑みを浮かべた。


 「……そんなにお怒りにならないでください、リリアナ様」


 その声はやわらかく穏やかで、けれど芯の通った静けさがあった。


 「私が申し上げたいのは――たとえ、“本物の聖女”がリリアナ様であるとしても、この子はこの世界に来てから、できる限りの力を尽くして、人を癒し、助けてきたということ。それは、決して偽りではないはずです」


 ユナはそっとマナの方に目を向けると、静かに続けた。

 

 「……つまり同じように人を癒し、人々の希望になれるのならば、リリアナ様とマナ、二人で“聖女”だと名乗っても、いいのではないかと思うのです」


 その言葉に、レイナの表情がぴくりと強張る。


 「……また、そんなことを言い出すなんて。相変わらず……おろかな女ね」


 怒気を孕んだ声で、レイナがユナを睨みつける。


 レイナの内心には、鮮やかに過去の光景が蘇っていた。 二十年前、聖女の選定の儀の後。 自分が選ばれなかったことに納得できず、周りに当たり散らしていた時―― あの“聖女サクラ”が、同じことを言ったのだ。


 “二人で聖女を務めればいい”などと……


 (あの時のあの言葉……それは、今もなお胸を抉る屈辱にほかならない)


 「……いいわ。どうしても“自分が聖女だ”と言い張るおつもりなのね?」


 「いえ、そんなつもりでは……」


 ユナとマナが揃って否定しようとしたが、レイナは冷たく手を振り、ぴしゃりと遮った。


 「もう一度、自ら恥をさらす覚悟があるというのなら――“選定の儀”をやり直しましょう。今度こそ、誰にも言い逃れなどできない形で、はっきりさせて差し上げるわ」


 そのまま立ち上がると、リリアナに目を向ける。


 「行きましょう、リリアナ」


 リリアナは一瞬だけマナを見下ろすように視線を向け、すぐに微笑んだ。


 「はい、お母様」


 二人はそのまま扉の向こうへと姿を消した。



 *** 




 「……レイナ」


 静かながらも低く抑えられた声が、石造りの廊下に響いた。


 振り返ったレイナの前に立っていたのは、国王――アルヴァン・グランディアであった。


 「……あの母娘を、呼びつけたと聞いたが?」


 その鋭い視線に、レイナは一瞬だけリリアナへと視線をやり、静かに命じた。


 「あなたは、先に部屋へ戻りなさい」


 「……はい、お母様」


 リリアナは一礼すると、その場から静かに去っていった。


 廊下に二人きりの空気が流れる。


 「――聞いているのか?」


 アルヴァンの声は低く、怒気をはらんでいた。


 レイナは、あえてその苛立ちに気づかぬふりをし、口元に薄笑いを浮かべる。


 「まあ、そんなに語気を強めなくてもいいではありませんか。聞いていますとも。……先日のお料理のお礼を申し上げたくて、お招きしただけですわ。何か、問題でも?」


 その言葉に、アルヴァンの脳裏に浮かんだのは――あの晩餐の席で、ユナが丁寧に仕上げた料理を、レイナが忌々しげに床へ叩きつけた時の光景だった。


 「……彼女に、何をした?」


 その一言に込められた怒りを感じ取ってか、レイナは肩をすくめるようにして、小さく息を吐く。


 「あら、怖い顔。何をそんなに警戒してらして? ただ――感想を伝えただけですわ。“食べられたものじゃなかった”ってね」


 涼やかに微笑むレイナの横顔には、罪悪感も遠慮も一切なかった。


 アルヴァンは深く息を吐き、静かに言った。


 「……彼女にかまうな」


 「あら、心配されてますのね? 当然ですわよね。あの方は、陛下が今でも忘れられない“聖女サクラ様”なんですもの」


 その言葉に、アルヴァンの瞳がかすかに揺れる。


 「ねえ陛下。そんなに忘れられないなら、側室にでも妾にでも、すればよろしいのではなくて?」


 「……何を馬鹿な」


 「ふふ。どうせ私たちは最初から“夫婦”らしいことなど何ひとつなかった。愛も情もないでしょう? ですから、お好きになさったら? でも――」


 レイナの笑みに、冷たい色が混ざった。


 「リリアナが、あなたの娘がそれをどう思うかは、分かりませんけれど?」


 アルヴァンが言葉を返すより早く、レイナはくるりと背を向けた。


 「……そのつもりがないのでしたら、陛下こそ、あの母娘――特に“母親”に対して、周囲が誤解するような行動は慎んでくださいませ」


 そのまま、レイナは長い裾を引きながら、静かに去っていった。

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