46、聖女の母
翌朝、王都ラーデンリアの空に、早鐘のように響き渡る伝令の声が舞った。
「公示――王国より布告――!」
城門前に設けられた布告台に、一人の役人が立ち、声を張り上げる。広場に集まった人々は、朝の雑踏の手を止め、思わず足を止めて耳を傾けた。
「先日、セリオス神殿にて魔物の襲撃から民を守り、浄化を成した女性が、異世界より召喚されし聖女マナ殿の実母、“ユナ”殿であることが、ここに正式に認められた――!」
ざわめきが広がる。貴族街の一角では、情報を聞きつけた者たちが屋敷の窓辺に顔を寄せる。神殿周辺でも、若き巫女たちが顔を見合わせて小声でささやき合った。
「やはり、あの方はただ者ではなかったのだ……」
「……聖女の母上も聖なる力を使えるってことなのか?」
「マナ様の“母”って……じゃあ、あの魔力は血筋――?」
一方、王都の中心――ラーデンリア王城。
豪奢な天井画と深い紅の絨毯が敷かれた政務の間には、王都派の重鎮たちが集まりつつあった。
会議卓の奥に据えられた椅子に、静かに腰かけるのは――国王アルヴァン・グランディア。
眉間にわずかな皺を寄せ、沈思黙考のまま、臣下たちの声に耳を傾けている。
先に口を開いたのは、白髪を後ろに撫でつけた老貴族――カイン侯爵。王都派の筆頭にして、長年この国の安定を支えてきた重鎮である。
「これで東方のオルドリック侯も、簡単には口を挟めまい。『聖女マナの母親』という事実が、何よりも重い楯となる」
隣席のやや鋭い目をしたベレノス伯爵が、少しだけ顔をしかめた。
「だが……“母”とはいえ、出自不明の女がここまで注目されるのは、やはり危うい。民の動揺も無視できません。今後の扱い次第では、聖女制度そのものに影響を及ぼしかねない」
その声に、やや落ち着いた声音で割って入ったのは、宮廷侍従長のファリスだった。
「聖女マナの母親であること“だけ”を公表する――その判断は正しいかと存じます。ですが、“サクラ”との同一性までは……今はまだ伏せておくべきでしょう。王国の信仰の核に関わる話です」
そこへ、若き伯爵家の当主、ジュラードが、無遠慮な声音で口を挟んだ。
「ですが……聖女サクラといえば、陛下の元婚約者ではありませんか? 記憶を失っているとはいえ、側室――いえ、妾にでもお迎えすれば、“伝説の聖女の血”と“王家の血”を引く皇子が生まれるやもしれませんな。これ以上に盤石な布陣が、他にありましょうか?」
一瞬、会議室の空気が凍った。
アルヴァンはゆっくりと顔を上げ、低い声で静かに応じた。
「……彼女は既に“母”であり、異界の地で生きてきた身だ。夫となる人物がいたとしても、私には知るすべもない。
だが――“こちらの都合”で引き戻し、名も自由も奪うような真似を、私が赦すとでも?」
ジュラードが反論の構えを見せかけたその時、さらに別の貴族――声高で軽薄な物言いで知られる、侯爵家の若主が口を挟んだ。
「ではいっそ、聖女マナを側室に迎えられては如何です? 母子共に王家の庇護下にあれば、異論を唱える者も黙るでしょう。何より……かつてのご婚約者の娘とあらば、なかなか絵になる話では?」
笑みを浮かべたその口調には、半ば冗談めかした響きがある。だが、そこには確かに、欲と打算が滲んでいた。
それを聞いたアルヴァンは、目を細め、わずかに眉をひそめる。
「……悪趣味だな」
その声は静かだったが、場の空気を凍らせるほどの冷たさを孕んでいた。
「王が“庇護”という名のもとに、少女に鎖をかける国など、滅びるがいい。ユナも、マナも、誰の所有物でもない。彼女たちに必要なのは、自由であり、選択の権利だ」
会議室に再び沈黙が落ちる。誰もが王の言葉の重みを悟り、次の言葉を見失っていた。
やがて、アルヴァンは視線を遠くに向け、静かに言葉を継いだ。
「……あの者を、これ以上政治の道具にさせるわけにはいかぬ。ユナは“ただの母親”として、娘のそばにいさせる。それが……今の私の答えだ」
誰も、口を挟めなかった。
そしてその日、王国の空気は、静かに――しかし確かに、変わり始めていた。




