45.再臨の光
セリオス神殿の一室――冷たい石壁に囲まれた控えの間。
ルカは無造作に壁にもたれながら、目を伏せていた。
――あの時、あの光を見た瞬間から、どこかでわかっていた。
ユナの放った“断罪の光”。
それはかつて、聖女サクラが放った、あの眩い輝きと寸分違わぬものだった。
フィノアの空が朱に染まったあの日。
魔物を貫いたあの一閃が、今もルカの脳裏には鮮やかに焼きついている。
だが――
“それ”を言葉にするのが、なぜかためらわれた。
ユナがかつての“サクラ”だと認めてしまえば、彼女はもう、自分の手の届かない存在になってしまう気がした。
あの強くて優しい女性が――この国に奇跡をもたらした“象徴”として、遠く仰ぐだけの存在になってしまうような気がして。
扉が開く。
アルヴァンが現れた瞬間、ルカはその感情を心の奥へ押し込んだ。
「……ユナに会ってきた」
低く絞られた声に、ルカはわずかに眉をひそめた。
「彼女は、間違いなく聖女サクラだ……」
ルカの拳が、わずかに震えた。
「……あの力を見た時から、オレも、なんとなく思っていましたよ。ユナは……かつての“聖女サクラ”だって」
それを口に出した瞬間、ルカの胸の奥に小さな痛みが走った。
セトもまた、静かに頷く。
「私自身が直接見たわけではありませんが、記録や文献、そして残されていた術式との照合から見ても――あの魔力の質は、聖女サクラに極めて近いものです。……もし彼女が“本人”でないとすれば、説明のつかない一致です。
なぜ彼女が生きているのか、そして聖女マナの母として今この地に現れたのか――未だ不明な点が多く……ただひとつ言えるのは、彼女の存在が、この国にとって無視できないものであるということです」
アルヴァンが視線を落とす。口元はわずかに引き結ばれ、感情を抑え込むように。
ルカはその横顔を見つめながら、思う。
――アルヴァン・グランディア……聖女サクラの元婚約者だったこの人は、ずっと忘れていなかったんだな。サクラを、ユナを。十数年もの間。
自分が気づき始めた気持ちなんて、到底敵わないくらいに。
「……けれど、彼女は何も思い出してはいない」
アルヴァンの声は、どこまでも静かだった。
「記憶を失ったままの彼女を、無理に過去に引き戻すことはできない。けれど……」
ルカはそっと目を閉じた。
届かないとわかっていても、心に残った想いが消えていくのを感じながら――ルカは、言葉に変えた。
「……オレは、どんな姿であっても、今の彼女を見守るよ。彼女が“サクラ”だろうが“ユナ”だろうが、あの人は……俺の知っている“ユナ”だから」
セトが、少しだけ目を細めてルカを見た。
アルヴァンもまた、静かに頷いた。
ユナ=サクラであるという確信。
その“真実”が、誰の運命を揺らし、何を変えていくのか。
それを知る者は、まだどこにもいなかった。
だが、その波紋はすでに――王城の奥深く、静かに動き始めていた。
扉が重く軋む音を立てて開いた。
「……遅いぞ、カリオン」
アルヴァンの声には怒気が混じっていた。
神官長カリオンは深々と頭を垂れながら、玉座の前に跪く。
「……申し訳ありません。祈祷を……いや、私情を……整理しておりました」
その顔色は蒼白で、まるで何かに取り憑かれたかのように、目の焦点が定まっていない。
「カリオン様」
セトが一歩前へ出て声をかける。
「ユナ様の力と波動が、かつての“聖女サクラ”と一致すること……すでに確認されています。あなたも、彼女の正体に……心当たりがあるのでは?」
沈黙――。
カリオンの肩が、小さく震えた。
「……見間違えるはずが、ない……。あの光、あの声、あの……まなざし……」
彼はその場に崩れ落ちるように座り込み、指先をわなわなと震わせた。
「私は……なんということを……あの方に……」
「どういう意味だ?」
アルヴァンが声を低くした。
「……聖女サクラは……いや、ユナ様は……私は、あの方を――」
カリオンの喉がひくりと鳴り、絞り出すように言葉を繋ぐ。
だが次の瞬間、カリオンは唐突に顔を上げ、その表情に悲痛なまでの狂気を浮かべた。
「サクラ様……ああ、あの方を……あの聖なる御方を……!」
目を見開き、唇をわななかせたまま、言葉が溢れ出す。
「私は……あの光を、再び目にした時……! まさか……いや、でも……!」
膝をついたまま、頭を抱えてうずくまる。その姿に、ルカとセトがわずかに動揺を見せる。
「落ち着け、カリオン」
アルヴァンが声をかけるが、カリオンは聞こえていないかのように、なおも震えながら呟き続ける。
「わたくしは……わたくしは、ただ……神の意志に従って……!」
掠れた声でそう繰り返したあと、カリオンは膝を抱えるように小さくうずくまる。
アルヴァンの瞳が鋭く細められる。
やがて、低く、しかしはっきりと問いかけた。
「カリオン。“神の意志”とやらで……お前はサクラに何をした?」
ピクリと、カリオンの肩が震えた。
それでも顔を上げることなく、絞るように呟く。
「……いえ、わたくしは、ただ……あの方を……この世界の“希望”として……」
「ならばなぜ、あれほど取り乱した?」
アルヴァンの声が、ほんのわずか怒気を含む。
「過去に何をした? “聖女サクラ”に――」
「陛下、それ以上は」
セトが一歩前に出て制する。
「……今のカリオン様では、冷静な対話は望めません」
アルヴァンはわずかに視線を逸らし、息を吐いた。
「……そのようだな。だが――」
言葉を継がず、彼はゆっくりと立ち上がった。
「ルカ、頼む」
「……承知しました、陛下」
ルカが静かにカリオンへ近づき、そっと肩に手を置く。
カリオンはその手を拒むこともなく、低く、途切れ途切れに呟いた。
「……サクラ様……わたくしの愚かさを、どうか……お許しを……」
そのまま、ルカに伴われて控えの間を後にした。
カリオンがルカに伴われて部屋を出ていったあと、重い沈黙がセリオス神殿の控えの間に降りた。
アルヴァンは小さく息をつき、椅子に腰を下ろす。 その表情は、強張ったままだった。
「……今のが、本当に“神官長カリオン”の姿だというのか……? 過去に何があった……」
その声は低く、どこか信じがたいものを見るような色を帯びていた。
かつて共に国を支えてきた男が、あのように取り乱す姿――それは、王としてだけでなく、ひとりの人間としても、受け入れがたい現実だった。
「サクラ様に執着していた様子……常軌を逸していたようにも見えました」
セトもまた、神官としての冷静な視線を保ちつつ、わずかに憂いを滲ませる。
「最近の彼は情緒が安定せず、神聖儀式も私や副神官長が代行を務めております」
「先日の王政会議にも欠席していたな……あの目……あれほどの動揺を見せる理由があるはずだ。……その理由を、いずれ必ず吐かせる」
そこへ扉が開き、ルカが戻ってくる。
「医務室に預けてきました。しばらくは寝かせて様子を見るそうです」
安堵の色を見せぬまま、ルカは静かに視線を逸らした。
その時、アルヴァンが口を開いた。
「……それと、ひとつ報告がある。東方を治めるラドラン・オルドリック侯爵が、王宮に文書を送りつけてきた」
セトが眉をひそめた。
「……なんの用件ですか?」
「“聖女ユナは東方の地に舞い降りたノエリアの聖女である。彼女を領地へ引き渡すように”――そう主張している」
その言葉に、ルカの目が細められ、吐き捨てるように言う。
「……あいつか」
オルドリック侯爵――かねてより王都の支配に反発し、ノエリア神殿を背景に独自の自治を唱えてきた男だ。
セトが重々しい口調で言う。
「王都周辺でも、貴族の間に分裂が始まっています。異世界から召喚されし、聖女マナこそが正統なる聖女だとする派と、リリアナ様を“王家の血を継ぐ聖女”として推す勢力……。そして今、“伝説の聖女サクラ”の再来と見なされるユナ様の登場が、その分裂をさらに深めている」
アルヴァンは額を押さえながら、低く呻いた。
「……火種が一気に燃え上がるぞ。貴族たちが“聖女”を利用して政治的正統性を争い始めたら、この国は――」
「ですから、先に一手を打つ必要があります」
セトの声音が静かに強まる。
「……まずは、マナ様とユナ様が“母娘”であることだけを公にしましょう。“ユナ様がかつての聖女サクラである”という真実までは……今はまだ伏せておくべきです」
セトは少し間を置いて、静かに言葉を継いだ。
「サクラ様は、過去に命を賭して王国を救った“伝説の聖女”です。神殿も王家も、彼女を信仰の象徴として祭り上げてきました。……その聖女が生きていたと知られればば、民衆も神殿も混乱は避け得られません。人々の信仰や、神殿の立場に少なからず影響を及ぼすでしょう。」
「まずは、“聖女マナの母”という形でユナ様を受け入れてもらう……それが混乱を避ける最善の道です。真実を明かすのは、その後でも遅くはありません」
「……なるほど」
アルヴァンは目を閉じ、しばし沈黙する。
――彼女を守るためにも、急いてはならぬ。
そして、この国を守るためにも――。
「……まずは、それでいこう」
誰にも気づかれぬよう、そっと呟いたその言葉には、王としての苦悩と、かすかな決意が宿っていた。




