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43.揺らぎ

「……彼女が、目を覚ました……?」


 静まり返った執務室に、重く低い声が響く。

 アルヴァンは机上の書簡に目を落としたまま、微かに手を震わせた。


 かつて失った“あの人”――

 あの瞳に宿る面影が、彼の心を揺さぶってやまない。

 もし、本当に彼女なら――


 (……確かめなければならない)


 その想いが、静かに背を押した。

 アルヴァンは立ち上がり、書簡を無造作に机へ置くと、重い扉へと手を伸ばす――


 ――バンッ!


 突然、扉が激しく開かれた。

 その音が執務室の静けさを破り、室内の空気が一変する。


 「お邪魔するわ、アルヴァン。聞いたわよ。“あの女”が目を覚ましたんですって?」


 絢爛なドレスを翻し、王妃レイナが乗り込んでくる。

 その後ろには、不満と怒りを隠そうともせず頬を膨らませたリリアナがぴたりと付き従っていた。

 アルヴァンは短く息を吐く。


 「レイナ、今は――」

 「今はではないわ! 今こそ話すべきよ!」


 レイナは彼の言葉を鋭く遮る。


「“ユナ”とかいう女――あれは聖女サクラを模した偽物よ! 王城を混乱させるために現れたに決まっているわ!

 しかも、よりによって偽物の聖女マナと関わりがあるなんて、できすぎているじゃない。……あの二人、何かを企んでいるのよ、アルヴァン!」


 リリアナも強く頷く。


 「お父様!  あの女――マナは、カリオン様が“偽聖女”と断じて牢に繋がれた身でしたのよ? それがなぜ、何事もなかったような顔で神殿を歩いていますの!? まさか……誰かが勝手に解き放ったとでも? そのような暴挙、一体誰の許可を得て!」


 怒気を孕んだ声に、アルヴァンの瞳が静かに鋭く細められた。


 「……私が許可した」


 その一言に、レイナとリリアナの動きが止まる。

 そして、レイナの表情が怒りと困惑に染まった。


 「な、何ですって……!?」


 「マナの持つ“聖なる癒しの力”を、オレはこの目で確かに見た。あの場にいた誰よりも、あの子は“聖女”だった。……誰がどう見たって、な」


 そう言って、アルヴァンはリリアナに視線を向ける。

 その鋭くも深い眼差しに、リリアナの顔が引きつった。


 「お父様……あんまりですわ……。あれほど苦しい鍛錬に耐え、聖女としての使命を果たそうと努力してきたのに……! なのに今さら“本物”はあの女ですって? 私の誇りも、信じてくださったカリオン様の想いも、全部なかったことにするおつもりですか!?」


 「黙れ、リリアナ」


 低く響いたアルヴァンの声が、空気を切り裂くように冷たく鋭かった。


 「お前たちが神殿の中で好き勝手に振る舞っている報告は、すでに俺のもとに届いている。

 王妃と王女という立場でありながら、民や神官たちの信を失うような言動は慎め」


 リリアナが悔しそうに唇を噛み、レイナが机を叩いた。


 「好き勝手して何が悪いの!? 私はこの国の王妃よ!


 すべてが私の思い通りになって、当然じゃない!」


 「その考えこそが、すべてを蝕むのだ」


 アルヴァンは目を伏せ、そして静かに言った。


 「レイナ、俺はこれまで、お前の行いに目を瞑ってきた。それは……お前を愛せなかったことへの、せめてもの贖罪のつもりだった」


 レイナの表情が一瞬、凍りついた。


 「な、何を……言って……」

 

 「……だが、カリオンとの関係に俺が気づいていないとでも思っているのか?」


 室内の空気が凍りつく。

 レイナの唇がわななく。


 「……っ、な、何のことよ。言いがかりはやめて――」

 「俺は追及しなかった。……だが、“真の聖女”を捏造し、この国を導く者を偽りで仕立て上げようとした。それは、もはや罪だ」


 レイナはぐっと唇を噛み、何か言い返そうとしても声が出ない。


 「お父様! どうしてそんなことを言うの!? 私は……!」


 「リリアナ」


  アルヴァンはその名を呼び、真っすぐに娘を見た。


 「お前を放っておきすぎたせいで、何が正しくて何が間違っているのか、分からない子に育ててしまった。

 それは父である俺の責任だ。だが、今からでも遅くはない。……自分の行いを悔い改めろ」


 リリアナの頬に、悔しさと羞恥が混ざった涙が滲む。


 「二人とも……自室に戻れ。今日は出るな。……後で、改めて話をしよう」


 そう言い残して、アルヴァンは振り返り、扉へと向かう。


(……こんな形でしか、父親としての責を果たせなかったことが、情けない)

 心の中だけでそう呟き、彼は静かに扉を開けた。

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