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42.再会

 うっすらとまぶたの裏に、やわらかな朝の光が差し込んできた。

 まどろむ意識の奥に、微かな気配。


 (……もう朝……)


 そろそろ起きなきゃ。マナの朝練用に、おにぎりとお弁当、朝食も準備しないと――。

 今日のおにぎりの具は何にしよう。梅干し? それとも昨日マナが好きって言っていたツナマヨ?

 そんな、どこか懐かしい日常の気配を思いながら、ユナは重いまぶたをゆっくりと持ち上げた。


 ――その瞬間、日常の輪郭が、跡形もなく消えていた。


 見慣れない天井。

 石造りの壁、窓から差し込む光。木製の家具と、静かな気配。


 (ここは……)


 思考が追いつく前に、身体が動いた。

 ベッドから身を起こしたユナは、すぐ傍らに目をやる。


 椅子に腰掛け、ベッドに上半身を預けたまま眠っている少女の姿。

 見慣れたあの横顔。前より伸びた髪の毛。少し痩せた頬。

 けれど、どんなに変わっても間違えようのない、大切な、大切な娘――。


 「マナ……なのね……」


 その顔に手を伸ばし、その名をそっと呼ぶと、胸の奥に張りつめていた何かが一気に崩れた。

 もう二度と会えないかもしれない――そんな最悪の未来ばかりが、心を覆っていた日々。

 後悔、焦り、喪失感、そして祈るようにすがった希望――

 そのすべてが、マナに触れた瞬間、涙へと変わって溢れ出す。

 こらえきれず、声を震わせた。

 

 「会えた……やっと……」


 嗚咽混じりの声に応えるように、マナがわずかに身じろぎをした。

 その瞼がゆっくりと持ち上がり、まだぼんやりとした焦点でユナの姿を捉える。


 「……お母さん……?」


 マナの目が見開き、ゆっくりと上体を起こす。

 目の前にいる母の姿を、確かめるようにじっと見つめた。夢ではないと理解した瞬間、マナの目にも涙があふれる。


 「お母さん……!」


 それ以上は言葉にならなかった。


 「マナ! ……マナァ!」


 ユナもまた、感情に突き動かされるようにその腕を広げた。

 次の瞬間、ふたりは迷いなくお互いの胸に飛び込む。

 全身で確かめ合うように、しがみつき、抱きしめ合い、声を上げて泣いた。

 もう、周りも世界も忘れていた。ただ、再会の喜びにすべてが溶けていく――。


***


 やがて、涙がひと段落すると、ぽつぽつと話し始めたのはマナだった。

 この異世界で何があったのか、どんな人たちと出会い、助けられてきたのか。

 その声は震えながらも、確かで、まるで幼い子どもが今日の出来事を報告するように、丁寧に、真剣に語られていった。


 「……リリーさんがね、ずっとそばにいてくれたの。私がこの世界に来たばかりで、泣いてばかりだったときも……」


 「でね、お母さんの好きなあのストロベリーアイスのバラの話をしたら、それに似たバラの花びらを使って私の為にポプリを作ってくれたの」


 「そう……優しい人ね。マナのこと見守ってくれていたのね」

ユナはマナの髪を優しく撫でながら、言葉を噛みしめるように微笑んだ。


「それから……セトさんがね、あ、この神殿の神官長さんなんだけどね。とても優しくて、誠実で……私の話を、ちゃんと最後まで聞いてくれるの」


「セトさん……」

 ユナの瞳が、ふっと柔らかくなる。


「今はそのセトさんに、魔法の使い方を教わっているの。最初はぜんぜんうまくいかなくて、失敗ばかりだったけど……」


ユナは黙って耳を傾け、そっとマナの手を包む。


「でもね、セトさん、決して怒らないの。焦らせたりもしない。どれだけ時間がかかっても、ちゃんと私のペースに合わせてくれるの。――そういう人なんだ」


 その声には、知らず知らずのうちに積み重ねられてきた信頼と、誰かに受け入れられたという、小さな安らぎが言葉の端に宿っていた。


 「だから……いつも安心できて。なんだか、ね……不思議と頑張れるの」


 「ふふっ」


 ユナは小さく笑って、優しく目を細めた。


 「あなたが信じられる人に出会えて、よかった」


 マナは少し頬を染めてうつむいた。


 「……ほんとはね、すっごく怖かったの。目が覚めたら知らない場所で、知らない人たちばっかりで……帰りたいって、毎日毎日思っていた。でも、優しい人たちに出会って……逃げてばかりじゃダメだって頑張れたんだ」


 「そっか」ユナは小さく笑って頷いた。


 「……ちゃんと、乗り越えてきたんだね。ひとりで、知らない世界で……ほんとうに、よく頑張ったね、マナ」


 ユナの声は、少しだけ震えていた。

 それでも優しく、包み込むような微笑みを浮かべながら、マナの手をぎゅっと握る。


 「そんなふうに言えるあなたを……私は誇りに思うわ」


 「でも……本当は、寂しかった。毎日、お母さんのこと思い出していた……一緒に朝ごはん作ったこととか、笑ってくれた顔とか……」


 ユナの瞳がふるえる。

 愛おしさがこみ上げ、溢れてくる。


 「……ごめんね。そんな思いをさせていたなんて……本当は、ずっと抱きしめてあげたかった……」


 ユナはそっと娘の手を取り、そのぬくもりを確かめるように、ぎゅっと握りしめた。


 「……お母さん……」

 

 マナはかすかに首を振り、涙をこらえるように目を伏せる。 そして少しだけ間をおいて、ふっと微笑んだ。


「……来てくれて、ありがとう」


 そう言って、ユナの手をぎゅっと握りしめる。


 「……ねえ、お母さん。どうして……どうやって、ここまで来られたの?」


 ユナは少しだけ目を細め、過ぎてきた日々を思い返すように息をついた。 その瞳に、どこか遠くを見つめるような色が宿る。


 「――わからないの。どうしてこの世界に来られたのかは、自分でも……はっきりしないのよ。

 でもね、この世界のことなんて何も知らなかった私に、ノエリア神殿の神官長さまが手を差し伸べてくれたの」


  その声は静かで、けれど確かな温もりを帯びていた。


 「ルカ様という方よ。強くて、でもとても優しい人でね、私がここでどう生きたらいいのか、教えてくれたの。

 マナと再会するためにも、たくさん助けてくれたわ……だから、こうして今、あなたの手を握ることができているの。」


 マナはゆっくりと目を見開き、もう一度ユナの手を握り返す。


 「そうなんだ……そのルカさんのおかげで、お母さんがこの世界でひとりぼっちにならずにすんだのね。ありがとうって、ちゃんと伝えたいな。私の大事なお母さんを、守ってくれた人なんだもん」


 ユナは黙ってうなずいた。 その言葉に、ユナの胸の奥がふっと温かくなる。


 「ええ、そうね」


  ユナもまた穏やかに微笑む。


  「お母さんも、あなたをこの世界で支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えたいわ……心から……」


 マナはふと思い出したように顔を上げた。


 「……そういえば、お母さん。あの時、私を守ってくれたあの光……あれは、何だったの?」


 ユナは少し驚いたように瞬きし、目を伏せる。


 「……それが、私にもよくわからないの。以前、ノエリア神殿のあるフィノアの街で、魔物に襲われた時にも……同じようなことがあったの。気がついたら、体が勝手に動いていて……。まるで、誰かに導かれるように。

 ルカ様が言うには、あの力は聖女の力と同じ物らしいのだけど……自分でも、なぜあんなことができるのか分からないの」


 マナは息を呑み、ゆっくりとユナの顔を見つめた。


 「だからこそ、ルカ様が言ってくださったの。早くマナに会った方がいい、私たちが遠く離れているの

は良くないって。それで、急いでここまで連れて来てくださったのよ」


 マナは小さく息をつき、ふと遠くを見るように目を細めた。


 「……そうだったんだね。お母さんにも、そんなことがあったんだ……」


 その声には、不思議な安堵と戸惑いがまじっていた。


 「私もね、“聖女”って呼ばれて……最初は何をすればいいのか分からなかったけど。今回初めて、人を癒すことができて……それが誰かの役に立ったって感じられたんだ」


 マナは少しだけ笑みを浮かべ、ユナを見た。


 「お母さんにも、何か……特別な力があるんじゃないかな。そうとしか思えないような凄い力だったよ」


 ユナは微笑んだまま、そっとマナの頬に手を添える。


 「そうね……本当のところは分からないけれど。でも――」

 

 言葉を一度切り、静かに言葉を選ぶように続けた。


 「そんな力があったから、あのときあなたを守れた。それだけで……今は、十分だと思えるのよ」


 マナはその言葉に、目を細めて頷いた。

 ふたりは自然と微笑み合い、繋がれた手から、確かな温もりを感じていた。

 過去でも未来でもない、“今”というこの瞬間――

 それが、何より尊いものだと、ふたりとも感じていた。

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