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41. 名も知らぬ過去

 マナを産んだとき、私は十九歳だった。三年間の失踪の後、未婚のまま誰の子かも分からない赤子をお腹に宿して帰ってきた娘に、家はすっかり壊れてしまった。


 「お前の育て方が悪いからこんなことになったんだ!」


 父は毎日のように怒鳴った。モラハラのテンプレのようなその言葉を、母にぶつけて。


 「ユナは……ユナはここ数年の記憶がないのよ! きっと何か事件や犯罪に巻き込まれたに違いないわ。失踪する前のこの子が、自分の意志で家出したり悪い仲間とつるんだりするような子じゃないって、あなたも知っているでしょう!?」


 母の叫びにも似た声が、何度も私の耳に届いた。記憶をなくした私には、何が正しくて、何が悪いのかさえわからなかった。ただ、胎の奥にいる命が、何よりも愛おしくてたまらなかった。


 「……お父さん。たしかに、私は何も思い出せない。誰の子かも、どうしてこうなったのかも……全部、空白のまま。

 でも、それでもいいの。この子だけは、何よりも大切に思えるの。――私、この命を、どうしても産みたいの」


「いいか、ユナ。お前の言っていることは“まとも”じゃない。世間に出して恥を晒すだけの子供を、ありがたがって産む女が、どこにいる?

 産みたいだ? じゃあ今すぐこの家を出て、自分一人で育ててみろよ? その子がどれだけお前の人生を壊すか、すぐに思い知るぞ」


 そのときだった。

 母が静かに立ち上がり、ユナの前に一歩、足を踏み出した。


 「……もういいわ、あなた」


 「ユナを責めるのは、もうやめて。あの子はずっと苦しんでいる。何も覚えてないのに、それでも“守りたい”って思える命を抱えて帰ってきたのよ」


 「それがどれだけ強いことか、あなたには一生わからない……私、出ていきます。ユナと、この子と一緒に。

 あなたの顔色をうかがって暮らすのは、もうたくさん」


 父の怒号が最後だった。しばらくすると、母は私を連れて家をでた。

 2LDKのアパートに母と二人きりの、静かな生活に変わった。


 「大丈夫、お母さんがついているわ。あなたがどうしてもそのお腹の子を産みたいっていうのなら、精一杯助けるから……だから、何も心配せずに、その子を産みなさい」


 母のその言葉を、私は今でも宝物のように覚えている。

 だけど、そんな母も、マナが産まれてしばらくすると、職場で突然倒れて、そのまま帰らぬ人となった。

 私には何も言わなかったけれど、私が失踪していた三年間と、帰ってきてからの心労が、きっと彼女の心身を蝕んでいたのだと思う。


 支えを失った私は、必死でマナを育てた。

 誰にも頼れず、昼も夜も働いて、時には食べるものにも困った。

 若いシングルマザーと言うだけで、いわれのない中傷や差別を受けたこともあった。

 それでも……あの子と二人で過ごす日々は、どんなに大変でも、どんなに孤独でも、何ものにも代えがたい、私のすべてだった。


 マナの笑顔ひとつで、私はどんなに打ちのめされても何度でも立ち上がれた。

 ……あの頃は、ただ前だけを見ていた。

 誰にも頼れなくても、泣く時間すらなくても、マナの安心した寝顔を見れば、それだけで生きていけた。


 たとえこの先、どんな困難が待っていても――

 あの子を守る。それだけが、私の生きる理由だった――。

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