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17.祈りの光、ぬくもりの香り

 セリオス神殿・練習場。

 朝の光が大理石の床に柔らかく差し込み、祈祷と魔術の訓練に使われる広い空間が、神聖な静けさに包まれていた。

 その一角で、マナは両手を胸の前に構え、目を閉じていた。

 静かに息を整え、心を澄ませる。

 やがて――彼女の掌に、小さな光球がふわりと現れた。

 それは以前よりも輪郭が明瞭で、淡いが確かな輝きを宿していた。


「いい集中です。そのまま、光が掌から離れないように、意識を――」


 そっと声をかけたのは、神官長セト・ロセッティ。 彼は、マナの立つ数歩後ろでそっと見守っていた。

 陽光を受けて揺れる青緑の髪、どこまでも澄んだ翠の瞳は真剣にマナの手のひらに現れた光球を見つめていた。

 光がやがて揺らめき、そしてふっと消えた。

 マナは目を開け、悔しげに眉を寄せる。


「すみません……集中が、切れました……」


「いいえ、今のは十分に形になっていました。数日前より、遥かに安定しています」


 マナは驚いたようにセトを見た。


「……本当ですか?」


 セトは優しく微笑む。


「努力は、少しずつ形になります。焦らなくて大丈夫です。マナ様は今、自分の力と丁寧に向き合おうとしている。それが一番大切なことです」


 その言葉に、マナの肩から少し力が抜けた。

 自分の力は小さいし、思うようにならないことばかりだ。でもセトは、否定せず、焦らせず、ただ静かに寄り添ってくれる。


 「……ありがとうございます、セト様」

 小さく呟いたマナに、セトはふと視線を伏せる。その横顔には、どこか安堵の色が浮かんでいた。

 けれどそのとき、マナは少し戸惑うように言葉を継いだ。


 「――あの、前から少し気になっていたんですが……その、“マナ様”と呼ばれるのが、ちょっと慣れなくて」

 セトが目を上げ、穏やかな視線で彼女を見つめる。


 「もし……ご迷惑でなければ、“マナ”って、呼んでもらってもいいでしょうか?」


 ほんの少し恥ずかしそうに、けれどしっかりと伝えたマナの言葉に、セトは目を細めて静かに微笑んだ。


 「……わかりました。では、マナ」

 初めて呼ばれたその響きが、胸の奥で小さく震える。

 マナは照れたように笑いながら、姿勢を正した。


 「もう一度最初からやってみましょう」


 「はい、今度こそ集中を保ちます!」


  セトはマナの手に優しく手を添えると


 「そう力まずに、体の力を抜いてください」


  触れられた手の意外な冷たさにドキリとマナの心が跳ねる。


 「どうしました?」 

 

 いつも通りの穏やかな口調で、セトが静かに問いかける。


 「い、いえ……その……少し……」


 マナは視線を逸らしながら、ぎこちなく答えた。顔がほんのり熱を帯びていくのを自覚して、思わず耳まで手で押さえたくなる。

 セトは、ほんの一瞬だけ目を細めたが、それ以上は何も言わなかった。代わりに、ふっと笑みを浮かべると、そっと手を離した。


 「申し訳ありません。練習場の朝はまだ冷えますから。温かい手を用意しておくべきでしたね」


 「そ、そんな……! 謝らないでください……っ」


 慌てて首を振るマナに、セトはわずかに肩をすくめる。


 「それでは、仕切り直しましょう。次も先程のようなイメージで大丈夫ですよ」


 静かな練習場の空気が、どこか柔らかく変わっていく。

 その優しい空気の中で、マナはもう一度、両手を胸の前に構えた。

 マナは小さく頷いた。心臓の鼓動はまだ少し早かったけれど、先ほどよりも落ち着きを取り戻していた。



 夕方、訓練を終えたマナが自室に戻ると、部屋の中はほんのりとした灯りと花の香りに包まれていた。窓辺には淡いレースのカーテンが揺れ、淡橙色の光が柔らかく床を染めている。

 ほどなくして、リリーがトレイを手に現れた。上には温かいハーブティーと、小さな菓子の皿が乗っている。


 「お帰りなさいませ、マナ様。今日もお疲れさまでございました」


 「ありがとう、リリーさん……」


 マナが椅子に腰を下ろすと、リリーは手際よく湯を注ぎ、香り立つお茶をマナの前へ差し出した。


 「最近、巫女たちの間でマナ様のお名前をよく耳にいたします。

 “あの方は、本当に真摯に祈りに向き合っておられる”って。

 聖女様というお立場に甘えることなく、一つひとつの所作に心を込めていらっしゃる……その姿が、とても印象的だったと」


 「え……そ、そんな……」


 マナは頬を赤らめ、思わずカップを両手で包み込む。


 「それは……セト様がとても丁寧に教えてくださっているおかげです。私なんて、まだまだですから……」


 その謙遜する様子に、リリーは柔らかく微笑んだ。


 「ご自分に厳しいのは、真面目な証ですよ。

 でも、体もようやく本調子に戻ってきたばかりですから……どうか、無理はなさらないでくださいね。頑張り屋さんほど、気づかぬうちに疲れてしまいますから」


 マナは小さくうなずいた。リリーの言葉が、ふわりと胸に沁みる。


 「……ありがとう、リリーさん」


 「それと……」


 リリーは言葉を切ると、ポケットからそっと何かを取り出した。


 「これ……よかったら、もらっていただけますか?」


 彼女の掌に乗っていたのは、手のひらほどの可愛らしい袋だった。淡いピンクの布に、小さな刺繍が施されている。


 「これは……?」


 「マナ様が、以前お話しして下さった……お母様が大好きだったというバラに似ている、

 あのバラの花びらを乾かして詰めたのです。ほんのり香るくらいですが……お守りになればと思いまして」


 マナは言葉を失ったまま、そっと匂い袋を両手で受け取った。鼻先に近づけると、微かに甘く、懐かしい香りがした。


 「……すごく、嬉しい……」


 涙が滲みそうになりながら、マナは微笑んだ。


 「私が……ここまで立ち直れたのは、リリーさんのおかげです。

 ずっと気にかけてくれて、やさしい言葉をくれて、今もこうして……」


 リリーはそっと微笑みながら、マナの手を包んだ。


 「私は……あなたが前を向いてくれるだけでうれしいのです。

 どうか……無理せず、でも歩みを止めずにいてください。お母様も、きっと空の向こうから、あなたのことを見守っていらっしゃるはずですから」


 静かな夕暮れの部屋に、ふたりのやさしさが静かに満ちていった。

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