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104.消えた光の先に

 聖女ユナの最期は、国中に深い衝撃と悲しみをもって伝えられた。

 王都の大通りには喪の花が飾られ、人々は足を止めて静かに頭を垂れる。

 各地の神殿にも祭壇が設けられ、神官たちは、絶えることのない祈りを続けていた。

 神官長たちの顔には、国を守った者を失った痛みと、その献身への深い敬意が刻まれている。


 ルカは毎日、神殿の祭壇に足を運び、花と灯火を供えては長く祈りを捧げていた。

 白い花弁が光を受けて淡く揺れる。

 彼はその前で膝をつき、静かに目を閉じる。


 瞼の裏に浮かぶのは、祈りを捧げる真剣な横顔と、ふいに見せた酒の席での無防備な笑顔――どちらも、ユナだった。


 (……君は、結局また、ひとりですべてを背負って行ってしまったんだな)


 胸の奥で、言葉にならない感情が波のように押し寄せる。

 愛おしさと、悔しさと、誇りと……そして、叶わなかった想い。

 もしも自分の手を取ってくれていたら――そんな「もし」も、今はもう風に溶けて消えていく。


 それでも、祈りだけはやめない。

 せめて、君が安らかであるように。

 君が守ったこの国で、君が愛した人たちが笑って暮らせるように。

 

 彼だけではない。

 ユナの死は、残された者たちそれぞれに形の違う空白を生み落としていた。

 

 そして――アルヴァンもまた、その空白を抱える一人だった。

 アルヴァンは、執務室でユナの手紙を何度も読み返していた。

 




 ――アルヴァンへ


 この手紙を読んでいる頃、私はもう、あなたの傍にはいないでしょう。


 ヴァルザの封印は完全ではありませんでした。

 戦いの後、私の魂の奥深くに、ヴァルザの核が残っていることに気づいたのです。

 ヴァルザは、もう私の魂の奥深くにまで絡みつき、引き離す方法はありません。

 あの日のように、すべてを一人で背負い、消えていくことを……どうか許してください。

 もう、いつヴァルザに魂を呑み込まれるか分からない今、これしか道は残されていませんでした。


 本当は、あなたに相談したかった。

 でも、あなたの顔を見てしまったら――きっと私は決心を鈍らせてしまったでしょう。


 最後まで、あなたには言えなかったことがあります。

 マナは――あなたの娘です。

 あなたと私の、大切な命です。

 ずっと黙っていて、ごめんなさい。

 これからは、どうかあの子のそばにいてあげてください。あなたなら、必ず守ってくれると信じています。


 本当は、あなたとマナと、三人で穏やかに過ごす日々を夢見ていました。

 それは叶わなかったけれど、あなたと過ごした時間も、マナを胸に宿していた日々も、すべてが私の宝物です。


 私がいなくなった後も、どうか笑って生きてください。

 あなたの心の中にいる私も、いつも笑顔だと、そう願います。


 アルヴァン……あなたを愛しています。

 出会った日から今日まで、そしてこれからも――私の心は、ずっとあなたと共にあります。


 ――ユナ





 指先は紙の端をなぞり、目は一文字一文字を焼き付けるように追う。

 読むたびに胸を締めつける言葉と、止められない涙。


 だが――いつまでもこのままではいけない。

 ユナを失ったのは、自分だけではない。

 マナもまた、同じ痛みを抱えているのだ。


 アルヴァンは重い足を引きずるようにして、マナの部屋の扉の前に立った。

 指先が一瞬ためらい、静かにノックをする。


 アルヴァンは立ち上がり、マナのもとを訪ねた。


 中から小さな衣擦れの音がして、すぐに扉が開いた。

 開けたのはマナだった。

 窓辺から差し込む柔らかな光が背後から彼女を縁取り、瞳の奥に複雑な色を宿している。


 「……アルヴァン殿下」


 少し戸惑いを含んだ声だった。


 「少し、いいか」


 アルヴァンがそう言うと、マナはうなずき、部屋へ招き入れた。

 お茶をいれようと立ち上がったマナを、アルヴァンは手で制した。


 「いい……。今日は、君とちゃんと向き合って話をしたくて来た」


 その声は低く、少し掠れている。


 「ユナにも……君を支えてほしいと頼まれていた。なのに私は……まだ、自分を立て直すことすらできずに、会いに来るのが遅くなってすまなかった」


 マナは椅子に腰を下ろし、静かに頷いた。


 「……私も、あなたとちゃんと話をしたかったんです」


 しばし沈黙が落ちる。

 そしてマナは、アルヴァンをまっすぐに見つめて口を開いた。


 「……お母さんの手紙に書いてありました。あなたが、私のお父さんなんですよね?」


 アルヴァンはその視線を受け止め、深くうなずいた。


 「ああ、そうだ……。情けないことに、私もユナからの手紙で、その事実を知った。……自分の娘だと気づかなかった私を……どうか許してほしい」


 マナはそっと首を横に振った。

 頬を伝う一筋の涙が、光を受けてきらりと揺れる。


 「驚いたけど……私にも、お父さんがいたんだって思ったら……嬉しかったです」


 マナの声は震えていたが、その瞳には真っすぐな光があった。


 「お母さんは、一人で私を育ててくれました。……何度か、お父さんのことを尋ねたこともありました」


 そこで一度、マナは小さく笑った。


 「でも……お母さんはいつも笑って、『あなたと同じくらい、愛している人よ』って、それしか言わなかった」


 アルヴァンの喉が詰まり、息が乱れる。


 「記憶がなくても……きっと、お母さんの心には、あなたを愛した想いだけは残っていたんだと思います」


 その言葉に、堪えていたものが一気に溢れた。

 視界が涙で滲み、アルヴァンは顔を覆った。


 (ユナ……君はひとりで、この子を……こんなにも大切に……どれだけ感謝を伝えたくても、どれだけ愛を伝えたくても……もう、二度と君には会えない……)


 肩が震え、嗚咽がこぼれる。

 マナはそんな彼に、そっと声をかけた。


 「私も……お母さんを失ってから、毎日が……辛くて、苦しかった」


 唇を噛み、マナは涙をこらえながら続ける。


 「でも……お母さんは、私たちに笑顔で生きてほしいって、そう思ってるはずです」


 袖で涙を拭い、マナはまっすぐアルヴァンを見つめた。


 「お母さんのことを忘れないで……でも、お母さんが悲しくならないように、胸を張って生きていきましょう」


 その瞳に、確かにユナと同じ強さと優しさが宿っているのを、アルヴァンは感じた。

 そしてゆっくりと、差し出された小さな手を包み込む。


 その瞬間、二人の掌の間に、あの温もりが蘇った気がした。

 悲しみは消えない。けれど、この手を離さずにいれば――きっと前へ進める。


 「……ああ、一緒に」


 互いの温もりを確かめながら、二人は静かに立ち上がった。


 ――そして、五年の歳月が流れた。

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