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102.白いスイートピー

 翌朝。

 東の空が淡く白み始める頃、ユナは静かに目を開けた。

 胸の奥で脈打つ、あのざらつきは夜の間も消えることはなかった。

 ――もう、時が来た。


 机の上には二通の封筒が並んでいた。

 一つはアルヴァンに、一つはマナに。

 昨夜、言葉を選び抜きながら綴った手紙だ。

 ペン先に刻んだのは、誰にも打ち明けられなかった真実。

 そして、それを託すための覚悟――長く胸の奥に閉じ込めてきた、すべて。


 ユナは小さく息を吐き、机の端に置かれた花瓶へ目をやる。

 透きとおるガラスの器に挿されているのは、白いスイートピー。


 封筒をそっと手に取り、花瓶の下に敷かれた生成りのレースの端をめくる。

 その下に二通を滑り込ませると、再びレースを直し、花瓶をわずかに動かして封筒を覆い隠した。


 白い花の影が、封筒の存在をやさしく包み込む。

 まるで、まだ告げられない想いを守るように。

 

 窓を開け放つと、朝の冷たい空気が頬を撫でた。

 王都はまだ眠りの中。高い塔の上で灯る松明だけが、夜と朝の境を名残惜しむように揺れている。


 ユナは旅装を身にまとい、腰に小さな袋を下げた。

 袋の中には、水筒と、あの日マナが選んでくれた白いハンカチだけが入っていた。


 花瓶の下に隠した二通の手紙を思いながら、そっと視線を落とす。


 「……マナ、アルヴァン……」


 小さく名前を呼ぶ声は、朝の静けさに吸い込まれていった。


 回廊を抜け、門へと向かう。

 白い石畳には夜露が光り、足音はやけに大きく響いた。

 途中、見張りの兵に声を掛けられることもなかった。


 門をくぐり抜けると、王都の街並みが朝靄の中にぼんやりと浮かんでいた。

 ユナは一度だけ振り返る。

 高くそびえるセリオス神殿の尖塔、その向こうに、マナの眠る部屋の窓がある。


 「……幸せでいて」


 呟きは風に溶け、遠くの鐘の音にかき消された。


 そして、ユナは歩き出した。

 その背は、昇り始めた朝日の光を浴びて、長く長く影を伸ばしていた。



 ***

 


 朝の陽光が差し込む廊下を、マナは軽やかに歩いていた。

 扉の前で足を止め、軽くノックする。


 「お母さん、朝ごはん――」


 返事がない。

 不思議に思い、そっと扉を開けると、部屋は静まり返っていた。

 ベッドはきちんと整えられ、ユナの姿はどこにもない。


 また中庭で花でも見ているのかと、部屋を後にしようとしたその時――机の上の花瓶が目に留まった。

 白いスイートピーが一輪だけ、静かに揺れている。


 (ちょっと寂しいな……)


 マナは、花を足してあげようと花瓶を手に取った。

 その瞬間、下に敷かれたレース越しに、小さな段差を指先がとらえる。

 気になってそっとめくると、そこには丁寧に重ねられた二通の封筒が隠されていた。

 

 ひとつには「アルヴァン」、もうひとつには――「マナ」と記されている。


 胸がざわつき、マナは震える指で自分宛ての封を切った。




 ――マナ、私の愛しい娘。


 あなたに、ずっと黙っていたことがあります。

 本当なら、顔を見て伝えたかった。けれどどうしても、それが叶わない私を、どうか許してください。


 私が聖女サクラとしてこの国でヴァルザを封じたあの時――すでに、あなたは私の中に宿っていました。

 そして、あなたの存在こそが、あの時、封印の代償として失われるはずだった私の命を、守ってくれたのです。


 生き延びた私は、記憶をなくし、元の世界であなたを育ててきました。

 もちろん、あなたの父親のことも記憶の中から消え去っていました。

 けれど、心の奥底ではずっと感じていたのです。あなたが、世界で一番大切に想った人との子であることを。


 ――あなたの父は、この国の王であった人。

 そして、私が生涯を賭して愛した人。アルヴァンです。


 記憶を取り戻してからも、どうしてもあなたにも、そしてアルヴァンにも、この真実を伝えることができませんでした。

 言葉にしてしまえば、その瞬間に、誰かを深く傷つけてしまう――そう思ったからです。


 これから私は、どうしても果たさなければならない役目に向かいます。

 その結果、あなたを一人にしてしまうことが、何よりも心残りです。

 けれど――辛い時は、迷わずアルヴァンを頼って。

 あの人は、きっと全身であなたを守ってくれる。


 マナ。

 生まれてきてくれて、私の娘でいてくれて、ありがとう。

 私は、どこにいても、いつまでも、あなたの幸せを祈っています。


 ――愛している、マナ。



 


 手紙を握る指先が、小さく震えていた。

 マナはしばらく何も言えず、ただ文字をなぞるように目で追っていたが、やがてかすれた声をこぼす。


 「……お母さん……どうして……」


 涙が滲み、文字がにじんで見えなくなる。


 「……こんな大切なこと、私……直接、聞きたかった」


 胸に抱きしめた封筒は、ひどく軽いのに、胸の奥に重く沈む。


 (どうしても果たさなければならないこと……って、なに? それに……これ、まるで……)


 不安が胸の中で膨らみ、喉を塞ぐ。

 その時、扉が軽く叩かれた。


 「マナ様? ずいぶん遅いので……」


 リリーがそっと顔をのぞかせる。


 マナは一瞬ためらったが、机の上に置かれていたもう一通の封筒――アルヴァン宛ての手紙を手に取ると、リリーに差し出した。


 「これを……アルヴァン殿下に、至急渡してください。お願いします」


 「えっ……わ、わかりました!」


 リリーが戸惑いながらも受け取るのを見届け、マナは袖で涙を拭った。


 「お願いします……私は――」


 言いかけて、振り返らずに扉を飛び出す。

 石畳を蹴る足音が、王宮の回廊に高く響いた。


 息を切らしてセトの執務室に駆け込むと、セトが神官長ディセルと話をしていた。

 

 「セト様! お母さん見ませんでしたか? この手紙を残していなくなってしまったんです」


 マナが震えるてでセトに手紙を渡す。

 手紙を読んだセトが、立ちあがる。

 

 「……マナ、落ち着いて聞いてください。ユナ様を追いましょう――今すぐに」


 ただならぬ気配を察したディセルが、すぐに立ち上がる。


 「馬を手配します!」


 そう言い残し、執務室を駆け出した。


 セトも手早く外套をまとい、マナの手を取って廊下を走る。

 厩に着くと、すでにディセルが馬の用意を整えていた。


 「助かる」


 セトは短く礼を言い、鞍に飛び乗ってマナを前に引き上げる。


 「でも……行き先は?」

 

 マナの震えを含んだ声に、ディセルが答える。


 「門の見張りが今朝早く、西の森へ向かうユナ様を見たそうです!」


 セトは頷くと馬を走らせた。

 蹄音が石畳を叩き、風が顔を切る。

 走りながら、マナの脳裏に再び手紙の文字が浮かんだ。


 

 ――マナ。

 生まれてきてくれて、私の娘でいてくれて、ありがとう。

 私は、どこにいても、いつまでも、あなたの幸せを祈っています――

 

 

 「なんで、こんな、さよならみたいな手紙……お母さん……!」


 噛みしめた唇が震えた。

 胸の奥で、手紙の言葉が鋭い棘のように何度も突き刺さる。


 (間に合って……お願い……!)


 森の入り口が近づくにつれ、空気が張り詰めていく。

 銀光が木々の隙間から漏れ、風が渦を巻いて吹き抜けた。

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