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100.母娘

 王都の朝は、静かにほどけていく。

 露を抱いた石畳が白く光り、露店の布を張る音と、焼きたてのパンの香りが風に混じる。遠くで鍛冶の槌が律動を刻み、神殿前の広場では神官たちが祈りの節をそろえていた。

 つい先日まで張りつめていた空気は消え、ラーデンリアに穏やかな日々が戻ってきた。


 中庭のテラスに座り、ユナは庭の白い花がひと揺れするのを眺めていた。

 

 「お母さん」


 横から呼ばれ、振り向けばマナが両手に湯気の立つティーカップを二つ抱えている。

 

 「お母さんが庭にいるのが見えたから、リリーさんに入れてもらったの」

 

 「ありがとう、マナ」

 

 受け取った紅茶は掌に馴染む温度で、口に含めば香りが喉にやわらかく落ちていく。マナが隣に腰を下ろし、視線だけで問いかける。言葉にせずとも伝わるものが、この子とはいくつもある。


 「昨日はみんな楽しそうだったね」


 マナが少しだけ目を細め、ユナを見上げる。

 

 「また、平和な日が戻ってきたって感じがする。……ねえお母さん、こういう時間がずっと続いたらいいな。お母さんが、こうしてお茶を飲んで笑ってるだけでいい日が」

 

 ユナはその瞳の奥に映る自分の姿を見て、胸の奥がほんのりと熱くなる。


 「……そうね。私も、そう願ってるわ」


 「お母さんの戦い、私も遠くから見守っていたんだ。お母さんは私が思っていた以上に強くて、正直びっくりした。

 でもね、もうお母さんが傷ついたり、危ない目にあうところはもう見たくない……」


 マナは小さな声で続ける。

 

 ユナは静かにカップを置き、マナの髪を撫でた。


 「ええ……お母さんも、もうこの力を使って戦わなくていい日が来るって……信じてるわ」


 その声は穏やかで、けれどほんのわずかに震えを含んでいた。


 「……ねえ、マナ」


 ユナがふと、紅茶を置いてマナの顔を覗き込む。


 「今日これから、街に遊びに行かない?」


 「え? いきなり?」


 マナが目を瞬かせる。


 ユナは肩をすくめ、少し照れたように笑った。


 「元の世界でも、よく休日は二人で散歩したり、お店で服を一緒に見たりしてたでしょう。久しぶりに、マナとお買い物したいのよ」

 

 「でも……」

 

 「ほら、今回のことで、聖女へのお礼として、結構な大金をロイゼル陛下から頂いてるし」


 わざと声をひそめ、いたずらっぽく笑うユナに、マナも吹き出した。


 「そうだよね。前は二人でショッピングするの好きだったよね……うん、行こう!」


 

 ***


 

 昼下がりの街は、陽光に石畳がきらめき、人々の笑い声が絶えなかった。

 市場を抜け、通り沿いの店々を覗きながら歩く。


 「これ、マナに似合いそう」


 ユナが差し出したのは、淡い桜色のワンピース。


 「可愛い……!」


 と頬を染めるマナに、ユナは迷わずそれを包ませた。


 そのあとも、白い小花をあしらった髪飾り、淡水パールのブレスレット……次々とマナの手に渡る。


 「お母さんのも買おうよ」


 マナがそう言った瞬間、ユナはほんの一瞬だけ口を閉ざした。


 「……そうね。じゃあ、ひとつだけお願いしてもいい?」


 「うん!」


 「マナが、お母さんにハンカチを選んでくれる?」


 マナはぱっと笑顔になり、近くの雑貨店へ駆け込んだ。

 棚を一つひとつ眺め、やがて白地に淡い青の花模様が刺繍された布のハンカチを手に取る。

 

 「これ、お母さんに似合うと思う」

 

 そう差し出されたそれを、ユナはそっと受け取り、微笑んだ。


 「綺麗なハンカチね……ありがとう。大切にするわ」


 マナは嬉しそうに目を細め、少し照れたように笑った。


 会計を済ませて外に出たところで、マナが首をかしげる。


 「お母さん、他に買いたいものはない?」


 「うーん、そうねえ……じゃあ、なにか甘い物食べたいな……そう! クリームたっぷりのケーキ!」


 ユナはいたずらっぽく笑い、マナの手を引いて通りの角にあるケーキ屋へ駆け込んだ。


 ショーケースには苺のタルトや濃厚なチョコレートケーキが並び、二人は顔を寄せ合って品定めをした。

 小さな丸テーブルで、フォークを持ちながら笑い合う時間は、何の影も差さない、ただの母と娘の時間だった。


 

 ***



 

 日が傾き、石畳が朱に染まる頃、二人は買い物袋を抱えて帰路についた。

 

 「楽しかった!」


 マナが足取り軽く言う。


 「ねえお母さん、また行こう。今度、セト様の誕生日プレゼントを買いたいんだ。付き合ってくれる?」


 「ええ、もちろんよ……」


 その時、夕焼けの逆光がユナの表情を覆い隠していた。

 マナは気づかなかった――その笑みの奥に、ごく小さな翳りが差していたことを。

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